1954年3月1日未明、アメリカは中部太平洋にあるマーシャル諸島共和国のビキニ環礁で水爆実験「ブラボー」を強行しました。これはアメリカがおこなった最大のもので、広島型原子爆弾の1000倍、約15メガトンもの威力をもっていました。
静岡県の焼津漁港を母港とするマグロ延縄漁船「第五福竜丸」が帰港し、23人の乗組員全員が「放射能症」にかかり、その年の9月23日に無線長の久保山愛吉さんが「原水爆の被害者は、わたしを最後にしてほしい」と言い残し亡くなりました。
久保山愛吉さん没後61年の本年は、広島と長崎に原爆が投下されてから70年目になります。ふるってご参加いただきますよう、宜しくお願い致します。