2015年原水爆禁止国民平和大行進<沖縄―長崎コース>は6月14日、名護市大浦の道の駅「わんさか大浦パーク」からスタートしました。
180人が集まった出発集会では、佐事安夫沖縄県原水協事務局長が司会を担当。激励・連帯あいさつでは、訪米団長として翁長雄志沖縄県知事とともに米軍新基地建設反対を訴えてきた渡久地修日本共産党沖縄県議会議員が「忌まわしい沖縄戦、広島・長崎に原爆が落とされてから70年。沖縄県民のたたかいは大きく広がり、昨年の選挙では『オールオキナワ』という形で実を結び、前進してきた。島ぐるみのたたかいは全国・世界に広がり始めている。先日も翁長知事とともにホノルル、ワシントンを訪問し、合計55回の懇談、面談、対談をおこなって絶対に新たな米軍基地をつくらせないという思いをアメリカ政府関係者に伝えてきた。多くの方から共感が寄せられた。核兵器廃絶の運動も長年の一歩一歩が世界を動かしている。強権的な戦争する国づくりを進めていく安倍政権打倒のたたかいと合流させていこう」と訴えました。
「日本原水協から事務局長が参加するのは史上初めてのこと」と紹介された安井正和日本原水協事務局長は、「日本がふたたび戦争をする国になるのか、それを止めるのか、重要なたたかいになっている。1958年の第1回行進の際に原子兵器撤去、祖国復帰を掲げて若い方が名護から那覇まで歩いた。草の根からの世論を大きく広げよう。1ヶ月半後に迫った原水爆禁止世界大会にオールオキナワのたたかいをオールジャパンのたたかいにして、広島・長崎に今世紀最大の代表団を送ってほしい。明日翁長雄志県知事と稲嶺進名護市長に手紙を届けて世界大会への参加を要請する。一緒に頑張ろう」と訴えました。
稲嶺進名護市長から、「昭和57年4月に名護市非核平和都市宣言を決議し、平成24年度には平和首長会議にも加盟した。北東アジア非核地帯を求める 国際署名にも賛同している。名護市に住む私たちは普天間飛行場移設問題に関して、辺野古の海にも陸にも新しい基地はつくらせないとの信念を貫く決意であ り、自然豊かな大浦湾の海が見えるわんさか大浦パークから平和行進が出発されることはたいへん意義深いこと」とのメッセージが寄せられ、仲里克次日本共産 党名護市議会議員が代読しました。
沖縄から長崎まで53日間歩き通す東京・板橋原水協の山内金久さんは、「一昨日、平和丸に乗せてもらい、大浦湾でフロートを越えて海上保安官と対峙した。いま、オール沖縄の声はオールジャパンに広がっている。私は脱原発の金曜官邸前行動には110回参加してきた。戦争する国にはさせない、憲法改悪はとんでもない、原発なくせ、そして沖縄県民の民意に応えて辺野古の基地は絶対に許さない、この4つの思いをしっかりと胸に秘め、私の趣味のトランペットに『原爆を許すまじ』『青い空は』に加えて今年は『沖縄を返せ』『一坪たりとも渡すまい』の音色に込めて長崎まで59日間元気に歩きたい」と決意表明し、「原爆を許すまじ」、「沖縄を返せ」をトランペットでメドレー演奏しました。
1週間歩く16人の県内通し行進団を代表して団長を務める沖縄県民医連の代表があいさつし、それぞれから自己紹介がおこなわれました。
やんばる統一連の吉田務代表は、「日本原水協代表団の一員としてNPT・ニューヨーク行動に参加してきた。そこで、私たちの運動を世界がどう見ているか、よくわかった。再検討会議の結果は残念だったが、圧倒的な国の人々が今、核兵器の全面禁止を求めている。これに対して日本政府はあくまでもアメリカの『核の傘』にしがみついて、核兵器全面禁止の交渉開始の足を引っ張っている。絶対に許せない。今国内で最大の焦点は戦争法案を廃案にすることだが、戦争する国づくりと辺野古の新基地建設を食い止める力は、同じ。633万の『核兵器前面禁止のアピール』署名に世界は驚嘆した。この平和行進も国際的に大きな評価を得ていることに確信を持って、一生懸命歩いていこう」とよびかけました。
行進団は大浦湾に浮かぶスパット台船に向かって「新基地建設するな」のシュプレヒコールをあげつつ進み、お昼にはキャンプシュワブゲート前で座り込みを続けるみなさんに激励しました。