「にんげんをかえせ」のたたかいは全世界・全世代のもの

3月22日の東京地裁判決にも大阪から駆けつけた大阪学生平和サークル「ヘイクル」の岸田拓郎さんが4月2日、原爆症認定制度の抜本的解決を求めて厚生労働省前で取り組まれた72時間座り込み行動に参加した報告を寄せてくれました。以下紹介します(写真撮影=前川史郎)。
原爆症認定集団訴訟 東京行動に参加して
報告:岸田拓郎
1:参加した行動
2:参加を通じての感想
3:大阪での行動について
1:参加した行動
① 厚生労働省包囲デモ
 原告や遺影を抱いた遺族を先頭にデモ行進。先導車から通行人への呼びかけ、厚労省に向けてのシュプレヒコールをしながらの行進。しかし、この行進にはそういったものが必要ないのではないかと思えるぐらいのエネルギーがあった。原告・被爆者の悲しみや怒りがヒシヒシ伝わる。それはデモに参加した主観的な感覚によるものかもしれないが、少なくともこのデモを目にした通行人には何か伝わったはずである。昼休憩に出る多くの省庁職員も見ており、「憲法の最大尊重者」であるべき彼らが、この日本国憲法の理念を無視した被爆者行政をどう見ているのかが気になった。厚労省勤務の職員の多くは、被爆者行政だけでなく、昨今の社会保障切り捨てに胸を痛めているはずである。彼らも「国民の福祉」の為に入省した、と信じたい。彼らが「何ができるか」については直接期待できないにしても、彼らが被爆者の気持ちを目の当たりにして「どう感じるのか」が問題なのである。職員一人一人の思いが重なり合えば、思考停止状態の厚労省にも何か変化が起こるはずである。そういった意味を考えてもこの「被爆者の思い」の詰まった行進は非常に意味があるものだった。
②座り込み開始~オープニングセレモニー~
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 原告・弁護団がこの座り込みにかける思い、厚労省の控訴に対する怒りを宣言し座り込みは開始された。マスコミも多数つめかけ、仙台・東京判決以降、関心の高さが続いている事を感じた。自民/民主/公明/共産/社民の議員が駆けつけ、「政治決着」を超党派で取り組むことを約束。自民党・寺田議員(広島選出)をはじめ、各議員の熱意が伝わったスピーチだった。与党議員にしても、もはやただのアピールには感じられなかった。
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社民党
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民主党
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自民党
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共産党
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公明党
 それにしても、ここまでの超党派的行動がなされる事は稀ではないだろうか。逆に言えば、司法・立法(国会)・世論(マスコミ含め)から、いかに厚労省が孤立しているかがわかる状況とも言える。
 その後も全国から駆けつけた被爆者・弁護団・支援者のスピーチが続く。とにかくはまず「怒り」、「悲しみ」である。それは、そこに集まった全員の共有していた気持ちではないだろうか。その気持ちを皆行動に移しているのである。とりわけ被爆者の「声」には胸を締め付けられる思いがした。
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 名古屋の原告である中村昭子さんが叫んだ。「厚労省は何を考えているのか!被爆者を援助して下さい。もう、本当に時間がないのです!今までご苦労様と言って謝ってもらい、仲良く暮らしていきたいだけなんです」。なぜ、今まで苦しんでこられた被爆者の方が、苦痛を伴う訴訟を起こし、さらにそれを踏みにじられるという苦しみを味あわなければならないのか。スピーチを聴きながらこみ上げる怒りと流れる涙を抑える事ができなかった。
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 このオープニングセレモニーには「民族歌舞団 荒馬座」も参加。豪快で気持ちのこもった太鼓を叩き気持ちを高ぶらせ、
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獅子舞を踊り参加者・原告の頭を噛み、皆の気持ちを和ませてくれた。やはり目立つので多くの通行人が覗き込んでおり、かなりのアピールになっていたのではないかと思う。「ドーン!ドーン!」と霞ヶ関の省庁街に響く太鼓の音が心地よかった。
 オープニングセレモニーも終盤に差し掛かると、C型肝炎訴訟の原告・弁護団も駆けつけ応援メッセージをよせた。C型肝炎訴訟は政府・与党が具体的な救済に動きそうで、一歩前進した感がある。厚労省は思考停止しているのでそういった政治への直接的な働きかけがこれからも重要、共に頑張りましょう、という趣旨だったように思う。C型肝炎もそうだが残留孤児補償問題、トンネル塵肺など厚労省の罪が次々と告発・追求がなされており、いかにこの国の福祉行政が異常であるかが浮き彫りになっている。この異常な状況を変える為にも我々一人一人の行動(すなわち世論の能動化)が重要であることが再認識できる。その行動を広く強いものにする為にもC型肝炎被害者を初めとする対厚労省の動きとの連帯は引き続き重要であるように感じた。
 以降も全国からの被爆者や弁護団に加えて民医連の医師や各労働組合の組合員も駆けつけ、スピーチは続いた。そしてオープニングセレモニーの最後を飾ったのは、弁護団の仕事で走り回り、ようやくセレモニーに合流できた近畿弁護団の有馬弁護士だった。「柳沢さーん!聞こえてますか!!被爆者の声を聞きなさい!!」と叫ぶ。疲れが見え始めていた参加者も「そうだ!聞きにこい!」と叫ぶ。そうなのだ。厚労省は被爆者の声を聞かず、向き合っていないのだ。そこが最大の問題であり、厚労省に被爆者に向き合わせる事が、この闘いの本質なのである。被爆者の声を聞き、彼らの想像を絶する苦しみと核兵器の恐ろしさに向き合うことが、絶対に必要なのだ。有馬弁護士の叫びにはその本質が集約されていた。
③キャンドル集会
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 弁護団からの現状報告、様々なアーティストによるミニライブ、各地の青年達の報告等からなるキャンドル集会が、支援ネットワークの青年達の企画進行で行われた。
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「ゆうた、ともを、かしう」による演奏で幕が上がる。彼らのリードで「上を向いて歩こう」の替え歌を皆で歌う、ああ気持ちいい。その後もアフガニスタンの子供達を支援している彼ら独特の優しさと力強さのこもった演奏が続いた。
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長崎出身のアーティスト・生田卍(まんじ)さんの熱いソロライブも最高だった。「長崎の民」として原爆だけでなく、諫早干拓という暴挙にも怒り、この国の政治への疑問を歌い上げる。彼の熱い歌声に、「厚労省聞こえてるのかー!」って皆思っていたはずだ。
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次は被爆者である上田さんのオカリナと東京のうたごえ協議会の大熊さんのアコーディオンによる演奏。すっかり日も暮れた霞ヶ関に心地よい音色が響き、癒される。
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最後はジャズシンガーの形岡七恵さんによる美しいリードで、「原爆を許すまじ」を全員が熱唱。この歌には、本当に原爆の悲惨さと唯一の被爆国としての日本人としての誓が歌われている。この歌を歌い、私達が被爆者の思いを受け継ぎ、さらに次の世代に伝えていく事を誓う。
④「原告を囲んでじっくり話を聞くつどい」
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 東京の青年が、キャンドル集会に続いてセッティングしたのが、この「原告を囲んでじっくり話を聞くつどい」だ。キャンドル集会で皆の思いを共有した後で、もう一度しっかり原告の話を聞く事は、活動が一人歩きしない為にも非常に重要であり、この企画は本当に価値があった。また、苦しみを思い出す事になりにも拘らず、僕たちに話してくれたことを原告の方に本当に感謝したい。
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 話をしてくれたのは、岡山でたった一人原告になられた川中優子さんと東京の原告である小西さん。被爆者の方は、僕たちの世代や、その次の世代の事を思ってくれている。だからこそ思い出したくないはずの体験を語ってくれているのだと思う。これを語り継いでいく事は僕たちの使命なのだ。
⑤映画上映
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 「つどい」に続いて「星空NO NUKESシネマ」と題された映画上映会が日比谷公園内で開かれた。私は弁護団の方の話を聞いており、一作しか見ることができなかった。「父と暮らせば」である。何度も見ている作品だが、何度見ても名作だ。たった三人の役者(実質は二人)しか出演していないのに、舞台は一つの家だけなのに、役者の演技によって見ている側の想像も膨らみ、作り手が何を伝えたいのかを感じる事ができる。被爆者の身体的な苦しみだけでなく、精神的な苦しみ(特に、生き残ってしまったという罪悪感)が、伝わってくる。私達に想像ができるはずのない苦しみだが、その苦しみを想像しようとする事が大事なのだと思わせてくれる映画だと思う。屋外でこういった映画を「仲間と見る」、というアイデアは素晴らしい。
⑥青年達で夜通し歌う!
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 テントから飛び出し、鍋を囲み、皆で語らい、ギターに合わせて皆で気持ちよく歌う。3時、4時になっても電気のついている厚労省に向かって「ヒロシマのある国で戦争はもういやだ」と歌う。歌は最も連帯を感じさせてくれる。
2:参加を通じての感想
 1の「参加した行動」でも個別的に感想を交えたが、この座り込み行動全体への感想を報告する。まず当初から感じていた事は、「被爆者の座り込み」への不安である。厚労省に対しての抗議として、もっとも強い意思表示の手段である事は理解していた。しかし原告には、この訴訟を起こしていることだけでも相当の肉体的・精神的負担があり、加えて今回の厚労省の控

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