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3・1ビキニデー

核兵器禁止条約を力に核兵器のない世界を実現しよう

ビキニ水爆被災70年
2024年3・1ビキニデー




2024年ポスター

3.1ビキニデーポスター

ビキニ水爆被災から70年。これまでの運動を感じさせるポスター




ビキニ事件一それは忘れえない事件
そして「出発の日」

ビキニ事件、それは私たちにとって、忘れ得ない事件。被害は隠蔽され、多くの被災船員が放置されました。そして、この事件は日本国民が全国で抗議の行動に立ち上がった核兵器廃絶運動の「出発の日」。いま、国連憲章の平和の理念を踏みにじる歴史の逆行がつづいています。しかし、世界はもはや核大国が意のままにする時代ではありません。

私たちに求められているのは、ビキニ事件で立ちあがった運動のように、草の根から行動し、国民的な運動の力で日本政府を変え、非核平和で世界をリードすること。ビキニ水爆被災70年 3· 1ビキニデーを、「出発の日」にしようではありませんか。


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ビキニデーチラシ1 ビキニデーチラシ1 PDF(1.6MB)

過去のビキニデーはこちら


3・1ビキニデーについて

 1954年3月1日未明、アメリカは太平洋ビキニ環礁において広島型原爆の約1000倍の威力をもつ水爆実験(ブラボー)をおこないました。この核実験によって、マーシャル諸島の人びとや多くの日本漁船などが被災しました。

原子マグロお断りとする商店 署名活動の広がり

 焼津のマグロはえ縄漁船「第五福龍丸」は、アメリカ政府の指定した危険区域外で操業中であったにもかかわらず、“死の灰”を浴び、23人の乗組員全員が急性放射能症にかかり、無線長の久保山愛吉さん(当時40歳)は「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」と言い残してその年の9月に亡くなりました。

 この3・1ビキニ事件は、日本国民に大きな衝撃をあたえ、広島・長崎をくりかえさせるなと、全国に原水爆禁止の声がまきおこりました。3千数百万の原水爆禁止署名が集められ、翌55年8月に第1回原水爆禁止世界大会が開催されました。原水爆禁止日本協議会(日本原水協)はその年の9月に結成されました。

 いらい、日本の原水爆禁止運動は、核戦争阻止、核兵器廃絶、被爆者援護・連帯をいっかんしてかかげ、世界諸国民や非核国政府と連帯して、世論と運動をひろげてきました。2021年1月22日には核兵器禁止条約が発行。いまや核兵器廃絶は世界の大きな流れに発展しています。

 3・1ビキニデー集会は、この久保山さんの遺志をひき継ぎ、原水爆禁止運動をになう全国の運動と静岡県の実行委員会が共催してきた伝統ある行事です。ビキニデー集会では、核兵器廃絶を求める署名の推進、被爆者とビキニ水爆実験被災者の連帯・交流を深めます。さらに8月の原水爆禁止世界大会にむけて内外での広範な共同を呼びかける場となるでしょう。