日本原水協ウィーン代表団に参加した青年の中村勇太さん(ノビー)、橋本銀河さん(メーテル)、高屋菜津美さん(なっちゃん)と事務局の佐藤愛が帰国後、ウィーンでの経験について語りました。(文責:佐藤 愛)
緊張した各国政府要請
佐藤 まずみんな海外での大使館や代表部訪問は初めてで緊張してたみたいだけど、実際どうだった?
橋本 緊張した!でも、どの国の人も受け入れてくれて、議論ができたと思う。核を持ってない国は私たちの行動を応援してくれている気がして嬉しかった。核保有国は、私たちの求めている核兵器全面禁止条約に対してはやりますっていう感じではなかった。否定もしてなかったけど。(あるいはできなかった)
日本政府は、核保有国と同じ姿勢で残念。緊張してたけど精一杯勇気を振り絞って、「もっと先頭に立って一緒にやってほしい」って発言しちゃった。あんまり反応なかったけど。でも国民の声がはっきり核兵器廃絶となれば政策も変えざるを得ないって感じには認めてて、これはやらねば!と改めて思ったかな。
中村 さすが、各国政府代表って感じ。日本の国会議員に何度か要請行動をしたことがあるけど、ほとんどは秘書任せ。事務所の入口で資料を受け取って「先生に渡しておきます」だけで、中に入れてもらったこともない。今回は、そんなことはなく、どの国も歓迎してくれて今回の要請の趣旨もきちんと聞いてくれた。キューバ代表部では、お茶やお菓子も出してくれたよね。
髙屋 私もホントに緊張しっぱなしでした!緊張しすぎと時間の関係で一度も発言できなかったのは残念。私は、政府要請自体初めてだったけど、想像していた固い空気とは違って、本当に沢山の歓迎の言葉と激励を受けたので嬉しかったですね。みんなの思いが詰まった署名が手渡されるのもしっかり見届けることができて、感動する場もしばしば。
佐藤 みんなの緊張が良い意味で裏切られたんだね!他にも印象に残った政府とのやりとりはある?
髙屋 私もキューバが印象に残ってる!バラには驚いた!
佐藤 バラ!そうだった。キューバ代表部は帰り際に一人一本ずつバラをプレゼントしてくれたんだっけ。おもてなしが情熱的よね。
中村 僕は、アンジェラ・ケイン国連軍縮上級代表の「署名の取り組みや被爆体験の継承が重要である」という言葉が印象的だったな。
橋本 ノビ―は全体的に撮影係だったから大変だったよね。私も一回だけしか話せてないけど、政府代表と直接話すってすごいことだよね。時間があればもっと話してみたかったなと思う。代表団としても、申し入れのメンバーに若者を選ぶようにしてくれてたし、外からだけじゃなく内からも期待されてると感じたかな。きっとこれも緊張の一因だよね。
原爆展を通して世界と繋がる
佐藤 では、原爆展はどうだった?国連とウィーン大学の原爆展は違った?また、日本国民との反応の違いとか感じた?
橋本 大学と国連、私はあんまり違いは感じなかったかな。どちらも興味を持って見てくれてた。自分が分からないところは聞いてきたり、思ってることを言ったり、一緒にやってくれたり積極的だった!
佐藤 でも、国連とウィーン大学って、かたや軍縮の最前線、かたやNPTって何?その会議参加できるの?(実際結構言われた)みたいな感じで、見に来る人たちって両極端だったよね。それでも、大学での署名の集まり方には圧倒されたし、展示を見る人達の真剣さはどこでも同じだった。そこは、やっぱり、原爆写真が視覚や人間の本質に訴える迫力が共通していたから。だから今回の原爆展は、スイスが言っている人道的な見識を議論に盛り込んで世論として発展させていくということを、いち早く体現したと思うの。これからの流れをつくる、その一端を担う部分が大いにあったと思う。世代も国境も越えて繋がれる。日本での原爆展に奮闘している地域の人たちも、同じことを感じてくれてると嬉しい。
橋本 をを?!そうなんだ。私がいかに英語を分かってなかったかだね。やっぱ勉強しなきゃなあ。よくよく考えて、私、自分が原爆展の主催側でやるの初めてなんだよね。2010年のNPTニューヨーク行動や今回のメーデー行動でも思ったけど、向こうの人だけじゃなくて、やる側も積極的というか、サービス精神旺盛だったよね。折鶴や冊子を渡したり、署名して!って声をかけたり。日本では、やる方も大人しいから、見る方も大人しいのかも。兵庫では今度神戸市役所のギャラリーでやるらしいので試してみようかな。怒られるかな?
中村 やったらいいよ。怒られたら、やめたらいいんじゃない(笑)。日本だと、どっかで原爆写真見てたりするから、改めて原爆展を見ないんだよね。こっちから話しかけていかないと。
橋本 それもそうだね。日本では原爆について、どこかでぼんやりと学んでいるし、意識してもらえれば海外の人と同じ反応してくれそう。これが、ウィーン流!と。皆でやれば、コワクナーイ!
高屋 私は、どちらかというとウィーン大学の方に多く居たっていうのもあって、大学の方の原爆展が印象に残ってる!学生がホントにいっぱい見に来てくれたよね!署名に協力してくれる時、愛ちゃんも言ってたと思うんだけど、しっかりと何に対しての署名か説明を自分から聞いてくれたり読んでくれて納得した上で書いてくれたのは印象的だった。
普段の被爆者と触れ合って
高屋 それと、被爆者証言を聞いて、展示を見に来てくれた学生がたくさんいたのも嬉しかったね!自分も今回改めて被爆者の体験談を聞いたけど、やっぱりすごい衝撃を受けたし訴える力の大きさに圧倒された。皆はどうだった?
佐藤 そうだよね。海外の非日常の中で改めて被爆者の話を聞くと、知っていることであってもすごく新鮮に感じたかも。今回の被爆者の方々は素敵な人たちばかりだったし、仲良くなってさらに話を他人事のようには聞けなくなった。メーテルとノビーは、特に被爆者の人たちと同室だったり同じフライトだったり、私たちより時間を共有することが多かったんじゃない?
中村 俺は、ずっと吉岡さんと同じ部屋だったなぁ。時差知らずで、毎朝6時過ぎには起き出していた。腕時計は帰る日まで、日本時間でしたが・・・(笑)。署名活動では、「サインプリーズ・サインプリーズ」と人一倍大きな声で話しかけていたし、説明もずっとしていたね。大学の講演で、8月6日の当日、ジャンケンで当番を決めた事で、仲間との生死を分け、自分は父親に助けられた。助けてくれた父親にも、助かった自分にも腹が立った。31年間同窓会に出ることが出来なかったが、「それは戦争だったから仕方がないことだ」と言われ心が救われた、と話していたことが心に残ってる。講演の後、ビールを飲んだらしく、次の日「美味しかった~」とすごい笑顔だったよ。
橋本 そうそう、今まで被爆者の人と一緒に行動する機会ってなかったんだよね。被爆証言の時はなんというか荘厳な雰囲気なんだけど、日常の中ではあったかくて優しかったなあ。観光や食べ物の話から、はては生き方についてまで、色んな話をしたよ。4人とも人間味に溢れてて、この人たちのために絶対核兵器廃絶したい!って思っちゃうよね。
一同 うん、うん(うなずく)
ウィーンの経験を日本に
佐藤 いいね。本当にその通り。メーテルから素晴らしい決意が聞けたところで、最後に、ウィーンで得られたことを日本に帰ってきてどのように結びつけて活かしていきたいかな?
中村 まずは、報告会を開き(もう、みんなやってると思うけど)、広く知らせていこう。他人事じゃなく、自分事のように考えよう。←って誰か言ってなかったっけ?原爆展に参加しよう!!メーテルが言っていたウィーン流(笑)。
橋本 核兵器が自分の身の回りで起きたらどうなるか、他人事ではなく、自分の問題としてとらえてほしいって岩佐さんが青年に言ってたね。青年に限らずみんなで考えていかなきゃいけないよね。被爆者の方々と行動して思ったけど、核兵器廃絶(脱原発もだけど)の運動をする上で、改めて地域で被爆体験を聞く取り組みもやっていきたいと思った。それと、言われちゃったけど報告会は大事だね。今回、代表団のメンバーは皆素敵な人で、同じ目的をもって、語り合って、力を合わせて行動できてすごく心強かった。皆が自分たちの地域に帰って、今回のことを広げてくれたら、日本中で核兵器をなくそうっていう声がもっともっと響き渡るんじゃないかってワクワクするよね。報告は大変だけどしっかりやっていきたいな。
髙屋 同じく、被爆者の証言をみんなに聞いてもらえる機会を少しでも多く作れたらなって思ってる。被爆者訪問にも参加したい。自分自身これからなるべく多くの原爆体験談を聞いていきたい!報告会私も頑張ります。
佐藤 みんなが各地で今度は発信していく側になるっていうのは嬉しいね。帰国後はなかなか会えなくなるけど、ヨーロッパの中心であれだけのことを一緒に経験できたことは大きい。
橋本 いやいやいっぱい会おうよ。折角一緒に経験した仲間なんだしさ!なかなかない出会いだよ、ホント!日程調整はノビ―に任せるけど(笑)。
中村 日程調整やるんでご協力ください。
一同 読者のみなさん、青年の座談会はいかがでしたか?これを読んでいるあなたの周りの青年も、必ず同じように熱い思いを持っています!皆で語り合って核兵器のない世界を実現させましょう。ウィーンで出会った私たちは、これからも繋がっていきます。(中村勇太、橋本銀河、髙屋菜津美、佐藤愛、一同より)
座談会参加者プロフィール
◆中村勇太(ノビー)
埼玉県から参加。戦争展や都立第五福竜丸展示館ボランティアを通じて青年組織に力を入れている。恋人は、福竜丸のエンジン。
◆橋本銀河(メーテル)
兵庫民医連の若手(勤続8年)。メーテルの愛称で親しまれている。数々のトラブルにも冷静に対応。でも、本質はおちゃめ。
◆髙屋菜津美(なっちゃん)
高知県から参加。幡多ゼミOGとして、2012年3・1ビキニデーでも発言。ウィーンでは、幡多ゼミ同期の友人夫婦と再会。
◆佐藤 愛(愛ちゃん)
日本原水協事務局。必要に駆られて、滞在中にウィーン地下鉄の乗り方をマスター。