2015年5月6日、東京都江東区夢の島の中にある第五福竜丸展示館前で開かれた2015年原水爆禁止国民平和大行進 東京―広島コースの出発集会の中で、また翌7日、川崎市役所まで歩く中で福島県郡山市から参加した阿部萌夏さんが東京電力福島第一原発事故から4年が経った今の気持ちを語りました。
東日本大震災から4年がたちました。私は2011年3月11日、中学校の卒業式の日でした。式が終わって友達と遊びに行こうと話をし、遊びに行った先であの地震を経験しました。
最初は普通の地震で、「ああ揺れてるね。」と笑いがら話していました。しかしどんどん揺れが強くなり、周りの大人達が「外に逃げろ!」と叫んでいました。
外に出ても立っていられないほどの揺れで、友達と肩を支えあいながら地面に膝をついて揺れが収まるのを待ちました。
揺れが収まって辺りを見渡すと、ほんの数分前に歩いてきた道が、見たこともない景色でした。
小さな子が泣いていて、中には靴下のまま大人達が「何⁈」と話をしている中急いで家に帰りました。
帰ると母と妹が「無事で良かった」と泣いていました。その日は母の職場に避難し、「何が起きたんだろう」「これからどうなるんだろう」とただただ不安な夜でした。
そして朝起きると、テレビで原発事故のニュースが流れていたのです。
その日から私の生活は一変しました。
「福島なんて、危ない!すぐに逃げて!」
「直ちに健康に影響はありませんから大丈夫ですよ」
真っ二つの意見や、知らない単位が次々に報道され、何が本当か、何が正しいのか分からない中でどんどん変わる状況についていって、身を守る。そのことで精一杯でした。
それからたくさんの人が避難していきました。ばたばたと毎日を過ごす中で「みんな離れて行くけれど、私達はどうしたらいいんだろう?」「どういう選択をしていくのが正しいんだろう?」と悩むこともありました。
そんな時、仲の良い友達が「もえなちゃんはどこにも逃げないよね?ここで一緒に高校生になろうよ!」と言ってくれました。「そうだね。頑張ろう」と泣き笑いしながら、話をしました。
ちょうどその頃、両親に「たくさんの人が避難してる。私達の東京の友達がいつでも子どもを預かるから避難させてね!そう言ってくれてる。あんた達はどうしたい?」と聞かれました。
私は「福島で作った友達と離れるのも嫌だし正直不安。思い出もたくさんある福島がやっぱり大好き。これから健康のことなどで不安になったり、放射線を浴びたことで差別などもされるかもしれない。それでもやっぱり大好きな土地に住みたい」と答えました。
覚悟もしました。
それでもそんな気持ちや決意が揺らいでしまうくらい辛いこともありました。
家族で東京に行った時のことです。
電車に乗るためにホームで待っていた時、清掃員の人が白い作業着で作業していました。それを見た前の人が「見てあれ。なんか原発の人みたいじゃね。ウケる」と笑いながら話をしていたのです。
それを聞いて私は「福島で起こっていることで悩んで、苦しい思いをしている人がたくさんいるのに、東京から離れているだけでこんな冗談になってしまうのか」と悔しくなったし、温度差のようなものを感じました。
原発事故の影響で4年経った今も、たくさんの人がそれまでの暮らしを奪われ、苦しい経験をし、悩んだり葛藤しながら福島で生活されている方はたくさんいらっしゃいます。仮設住宅に4年もの間、住み続けている方がいらっしゃいます。
私自身も、「これから本当に健康でいられるのかな」「将来丈夫な赤ちゃんを産めるのかな」と不安になります。
自分の将来に夢を描くこと、自分の住みたい街に住むこと。すべて原発事故が起こる前は当たり前のことでした。原発事故が起こった今、福島では当たり前のことが当たり前ではなくなっています。
外に出て深呼吸をしても、「今放射能を吸ったのかな」と不安になります。
子どもを外で遊ばせることに不安を感じている子育て世代の方がいらっしゃいます。「ずっと住んだあの家に帰りたい。避難先では近所の人とも別れてしまったから話し相手もいないの」と毎日仮設住宅で一人暮らしの高齢者の方がいらっしゃいます。孤独死のニュースもありました。
原発事故の問題はあらゆる場面において深く根を張っていて、4年経った今もたくさんの方に影響を与えています。
私の考えが大袈裟と感じる人もいるかもしれません。人それぞれ考えは違います。ということは「人の数だけ不安がある」ということではないでしょうか?
あの日から原発事故のことを考えない日はありません。ふとした瞬間に考えたり、誰かの状況から考えたり。
今でも、地元のトップニュースは原発事故のことです。それでも、4年という時間の中で全国的な報道は減り続けていて、福島の事故のことがどんどん風化しているように感じます。
避難されている方のことがクローズアップされて報道されたりもしていますが、同じくらい福島に暮らすことを選択し、生活されている方はたくさんいらっしゃいます。
福島に暮らすことが幸せ。
福島を離れて放射線の不安から離れることが幸せ。
一人ひとりの幸せがあります。
それを尊重して欲しいです。
頭ごなしに、「危ないと言われている土地に住んでいるから病気になっても、自己責任でしょ」。
そういうことではないと思います。
一人ひとりが笑って暮らせるように、お互いの思いを尊重しあえたら素敵だと思います。
これまで偉い人がたくさんの原発を作ってきました。私は正直、事故が起こるまでそのことに疑問を持っていませんでした、しかし事故が起きて考えるようになりました。全国でもそのような人が増えているのではないかと感じています。
ぜひ全国の皆さんにもこの問題を自分の問題として考えてほしいです。原発がある限り、地震が起こる限り、どこで起こってもおかしくない出来事です。
難しいと思ったら想像してみて下さい。もし、自分の地元が今の福島のようになってしまったら。突然自分の家を離れて暮らさなくてはいけなくなってしまったら、と。
みんなで考えて答えを見つけながら歩いて行くこと。現状を変えていく大きな力になると思います。
震災から4年間、本当にたくさんのことを感じてきました。
今回お話ししたこともごく一部です。辛くて、「もう嫌だ。夢なら覚めてほしい。なんで福島なんだろう」と、そんな風に考えてしまうこともありました。それでも、機会を頂いて全国の皆さんにお会いして、福島に思いを寄せて下さっていることを感じることができると、「また頑張ろう!」と思うことができます。みなさん一人ひとりの存在がエネルギーになっています。
私はこれからも福島から福島を。福島で感じていることを伝えていこうと思っています。
みんなが笑顔で安心して暮らせる世の中に。核の力に、原発の事故に不安になることがない世界にしていきたいです。
一緒に歩いて行きたいです!
みんなで一緒に頑張りましょう!