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資料保管庫軍縮と核政策

すみやかな核兵器の廃絶を:

核兵器をなくせ

マックス・カンペルマン

私は、生涯で二度、全体主義の潮流に対する文明社会の巨大な戦いが成功したのを目の当たりにした。ナチファシズムおよびソ連の共産主義に対する戦いであった。ロナルド・レーガン政権の軍備管理交渉担当官として、私は、これらのうち2番目の勝利で、ささやかな役割を果たすことができた。

しかし、85歳にして、今ほど子供と孫の将来が現在の自分のことより心配なことはこれまでなかったと思う。核兵器を保有する国の数は増加し、そして、テロリストたちが、われわれに対してそれらの殺戮兵器を使用する目的で、核技術を習得しようとしている。

米国はこの現実を真正面から直視し、破局を防ぐために決定的なステップを踏み出さねばならない。われわれ米国だけが、核の脅威に立ち向かうのに必要な建設的なリーダーシップを取ることができるのである。

不幸にして、すべての大量破壊兵器、つまり、核、化学、生物兵器を地球上から排除するという目標は、アメリカの外交政策で今日、不可欠の要素になってはいない。これを、われわれの課題の最優先に位置づけ直す必要がある。

もちろん、この大胆な見解に反対を唱える人々がいるだろう。これら反対する人々に対して私は、同じことをレーガン大統領が在任中に明確に語られたときも反対した人々が大勢いたのだと言いたい。

私は1985年12月のホワイトハウスでの国家安全保障会議をまざまざと思い出す。その席で大統領は、前月にジュネーブで行われたソ連のミハイル・ゴ ルバチョフ大統領との最初の「顔合わせ」首脳会談の報告をした。

作戦会議室のテーブルについて、大統領はこう話し出した。「マギーは正しかった。われわれはあの男と取引きできる」。マーガレット・サッチャー首相についての彼の言及には、賛成のうなずきが広がった。そして、著しく実務的な口調で、「ゴルバチョフ氏に対し、自分たちの交渉により米ソの全ての核兵器の廃絶に至ることができるだろうと提案した」と報告した。

大統領の発言が終わったとき、ホワイトハウスのテーブルの周りで一種の動揺が走ったのを私は感じた。 国防長官、統合参謀本部議長、CIA長官などの多くのメンバーは、米国の核ミサイルは不可欠だとして、深い懸念を表した。大統領は慎重に礼儀正しく聞いていたが、返答をしなかった。

事実、私たちは、1986年10月にアイスランドのレイキャビクで行われた、ゴルバチョフ氏との次の首脳会談まで、大統領の立脚点を知らされていなかった。頑丈な海岸の家で行われた会談で、大統領はゴルバチョフ氏にすべての核兵器を廃絶する彼の提案を繰り返した。合意には達しなかったが、声明は出された。

さらに注目すべきことは、この提案が、核抑止の重要性を理解していた人物によって作成されたということである。

レーガン大統領がゴルバチョフ氏と会談する前、1985年3月のある金曜日、ジュネーブの軍縮交渉担当をしていた私は、大統領の議会担当主任補佐官から電話をうけ、至急呼び戻されることになった。政府のMXミサイル追加予算要求が下院で否決されそうになっており、私が帰国して何人かの民主党議員を説得し、賛成に回らせるようにという話であった。

私はかつて、一度もロビイストだったことはないが、ワシントンに戻ることに同意した。 私は、下院議長のティップ・オニールと最初に会談させてくれと頼んだ。彼は、予算反対派のリーダーだと聞かされていた。

こうして、月曜日の午前中、私はオニールの個人事務所にいた。私はソ連との交渉の状況を議長に説明した。私もMXミサイルのない世界に住みたいとは思うが、ソビエトとの間で、相互のミサイル数削減合意が成立しないかぎり、米国のミサイルを一方的に削減するのは危険だという点を強調した。そして、議会内を回り、同じ話を繰り返した。

その日の終わり、私は、単独で大統領に面会した。予算承認におよそ30票不足しているとオニールが語ったことを大統領に告げた。 オニール議長との会談の内容を大統領に話し、オニールが陰ながらわれわれを支援していると感じたことを話した。オニールが仲間の民主党員に、彼の修正案に反対投票してもかまわないと示唆していると告げた。

一瞬のためらいもなく、大統領はオニールに電話をした。私は、この二人のタフなアイルランド人の会話の一方の半分を聴くという特権を手にした。互いに悪態のかぎりをつくしつつも、明らかに友好的で、敬意を表しあっていた。

大統領の切り出しの言葉はたしかこうだったと思う。「マックスは、あんたが本当の愛国者にちがいないと言っているよ。そうこなくちゃね!」私がジュネーブに戻ったすぐ後に、下院がMXミサイル予算を承認したと知らされたのは言うまでもない。

これらの話には、ある教訓が含まれている。それは、同時に理想主義者でも現実主義者でもあり得るということである。今日の米国の外交政策に欠落しているのは、この二つの考え方を同時に保持しようとする意欲である。つまり、「現実("is")」――地球的荒廃のリスクが高まっている世界――を、「あるべき姿("ought to be")」――大量破壊兵器のない平和で文明的な世界――に変える方法を見出す意欲である。

「かくあるべし("ought")」は政治的プロセスに不可欠の要素である。まだわれわれが奴隷制度、財産保有者投票権制度をもち、女性を二級市民扱いしていた時期に、この国の建国の父たちは、アメリカ民主主義の「かくあるべき姿」を宣言した。

さらにわれわれは、われわれの社会の望ましくない「現実 "is"」をできるだけ「あるべき姿"ought"」に近づけようと着実に努力し、その結果、民主主義を強化してきた。 ジェラルド・フォード大統領が1975年に全欧安保協力会議(CSCE)ヘルシンキ宣言に調印したとき、彼は、ソ連に主導された道を進むとして批判され た。しかし、この合意は一連の人道主義の「あるべき姿 "ought"」を反映したものであり、その後の10年間、ソ連は、国際社会への参加資格を得ようとするなら、それらの「あるべき姿 "ought"」に則って行動することを、ヨーロッパの米国の友好諸国と米国によって強制されたのだった。

「あるべき姿 "ought"」の畏敬すべき力を正しく認識すれば、わが国政府は当然、すべての大量破壊兵器を廃絶する目標を受け入れることになるはずだ。

そのために、ブッシュ大統領は、同盟国と協議を行い、国連総会において、すべての大量破壊兵器の廃絶を目的とする決議を提案すべきである。

大統領は次のことを明確にすべきである。すべての核兵器の廃絶への普遍的誓約への全面的同意を保証し、既存の生物、化学兵器禁止条約を再確認するための効果的な体制を、国連安全保障理事会が創出するならば、米国は自国の核兵器を廃絶する用意があると。

安全保障理事会は、この目標を達成するための効果的な政治的、技術的な手段を確立する役目を与えられねばならない。その手段には、厳密な検証と違反行為を防ぐための厳しい制裁措置の両方が含まれる。

私は、これが容易にできるなどといういかなる幻想も持っていない。その上で、この困難な事業に、米国は、関連する何十年にわたる経験、新しい技術、そして、自己保存の差し迫った危機意識をつぎ込むことになると言っているのだ。必要な技術的解決方法を考えつくこともできるはずだ。レーガン大統領ならこう言うと、私は思う。「そのつもりになってやろうじゃないか(Let us summon the will)」

*マックス・M・カンペルマンは、1985年から1989年まで、ジュネーブの核・宇宙兵器交渉の米国交渉団長を務めた。

(ニューヨークタイムズ2006年4月24日付け 翻訳:渡植貞一郎)

 

 

 

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