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資料保管庫軍縮と核政策

 

日米同盟の再編―さらなる防衛協力と統合にむけて
夕食会での基調演説
衆議院議員 安倍晋三

アメリカン・エンタープライズ公共政策研究所
2005年10月25−26日
東京

 ご親切な紹介に感謝したい。大変光栄に感じている。また、昨年米国での機会につづき再度こうして話をする機会をいただいたことも大変光栄に感じている。30分ほど発言させていただき、さらに30分質疑応答の時間をとらせていただきたい。

 今年は日本の私たち、また自由民主党にとって非常に特別な年である。なぜなら、もちろんのこと今年が先の戦争における日本の敗北から60年目の年であり、同時にわが自由民主党創設50周年の年でもあるからである。

 50年前の11月15日、日本民主党と自由党が合流し、私たちの自由民主党が生まれた。私は、自民党創設には2つの目的があったと思う。ひとつは、当然ながら、当時の日本を安定させることであった。50年前の戦後、日本は戦争による破壊で大変貧しい状態にあり、私たちは、というより私たちの先任者たちは、この国の人々が食べ物や着る物や住む場所の心配をしなくてもよい繁栄する日本を作りたかった。よって、私たちはその意味で大きな経済力をつける必要があり、そのために私たちは非常に優れた、確固たる産業政策と経済政策を作る必要があった。そうして状況を安定させるため政治勢力が結集する必要があった。

 当然ながら、50年前は戦争終結から10年目であり、日本がサンフランシスコ講和条約に調印し、国のいわゆる独立を獲得してから3年目の年であった。しかし、当時、自民党の創始者らは、本当の意味で自分たちの国の独立を取り戻したいと思っており、したがって、そのためには、自分たちの手で書かれ、創った憲法が必要だと考えた。独自の憲法を作るには、国会で3分の2の議席を占める必要があり、それが当時、共に保守であった自由党と日本民主党が合流した最大の理由である。

 党創設の第一の目的は達成された、あるいは達成されてきている。つまりこれは経済成長である。今日GDP(国内総生産)で見るなら、日本は世界第二位の経済国である。しかし、第二の目的は脇に置かれ、以来50年が過ぎてきた。

 もちろん、まず、第一の目標を達成させなくてはならなかったため、当時この課題は我々の手に余るものであった。よって、当時の人たちは、政治的な摩擦は避け、諸目的達成のために力を集中すべきだということで合意していた。

 目的のために力を使うとはどういう意味か。45年前の1960年は日米安全保障条約の改正が進められていた時であったが、日本国民のあいだには憲法改正に大きな反対があった。それが、第二の目標を脇に置くことが政治的に決められた理由である。

 1951年日米安保条約の改正を進めた人たち、つまり1960年にであるが、彼らは、最初の安保条約にはたった5つの条項しかなく、条約は日本への占領軍駐在を容認していた、と考えていた、と思う。したがって、彼らは、条約改正にむけ奮闘し、条約を双方向のものに、あるいは日米関係を対等にしなければならないと考えた。そのためには国民の大多数の支持がいる。しかし、驚き、衝撃を受けたことに国民は支持しなかった。彼らはおそらく国民に裏切られたと感じたのである。

 自民党指導部は、ここから非常につらい教訓を得た。そして以来約40年にわたり自民党率いる政府は、国の安全保障問題は正面きって議論せず、主に経済問題に力を集中してきた。

 例えば、日本が攻撃された際、自衛隊はこの外部勢力を追い出さなくてはならないのに、自民党指導部はそうした行動のための法的基盤を一切つくらなかった。

 また、在日米軍と共同で緊急事態に対応する問題についても、ほとんど何も策を講じなかった。これらの問題は長年棚上げされてきたのである。

 国会においてでさえ、政党間で様々な難題をできるだけ円滑に決着するにあたっては、時に安保問題が一種の切り札として使われることがあった。このようなやり方の例に、武器輸出禁止三原則の問題があると思う。しかし、小泉政権ができて以来、というより実際には森内閣の終わりごろから状況は大変劇的な変化を見せていると思う。

 この間、いわゆる周辺事態法、対テロ特措法、イラク復興支援特措法と呼ばれる法律が制定された。今イラクのサマワでは、自衛隊がイラクの再建に汗を流しており、インド洋では海洋自衛隊が対テロ戦争において大変重要な役割を果たしている。同様に、PKO(国連平和維持)活動にも取り組んでいるし、PKF(国連平和維持軍)活動はかなりの間凍結されてきたが、凍結も解除されている。

 小泉首相以前の典型的な首相は、危険なところには自衛隊は絶対に送らないと言ってきた。しかし小泉氏は違っていて、我々は自衛隊を送る、それは派遣先が危険な所だからだと言う。世界では日本以外の国なら、この方がかえって常識と考えられている。とても安全な所なら自衛隊を送る必要などないのであって、ボーイ・スカウトでも送ればいい。危険だから自衛隊を送らなければならないのであって、これは世界の常識であると思う。以前首相がこんな発言をしようものなら、日本の国会は全機能が麻痺した。しかし今状況は変わった。

 ということで、この数年間でこうした一大変化が起こった。同時に、日本国民のあいだでも安保問題に対する考えが大きく変わってきているのがわかる。

 なぜか。もちろん2001年9月11日の米国に対するテロ攻撃は、日本国民の考えにも大きな影響をおよぼした。しかし、国民が安保問題について考えるという点においては、9・11以上に大きな影響をあたえた出来事があった。テロ攻撃1年後の2002年小泉氏は北朝鮮を訪問したが、この訪問で、北朝鮮が私たちにしてきたこと、つまり日本国民の拉致という行為が全国民の前に明らかにされたのである。私は、これは国民にとって大変な衝撃だったと思う。日本国憲法の前文には、近隣国の友好を信じ、その範囲においてそれら近隣国の善意を信頼し依拠するという文がある。お利口さんにしていれば、やっつけられることはない、と考えてきたわけである。しかし、現実はそうではないことが分かった。

 最近まで、日本国民は、日本における米軍プレセンスの意味を理解していなかった。たくさんの人が、在日米軍は日本側の負担であり、騒音や海兵隊などが起こす問題に国民はいつも被害を受けていると思い、残念ながら、米軍がいるのは、私たちと私たちの国を守るためであることを理解していた人はあまり多くなかった。

 国民の心境の変化の大きさを示すのが、横須賀を出港するキティー・ホークにたいする姿勢である。イラク戦争が始まったときキティー・ホークはペルシャ湾に向け出港した。以前なら、多くの国民がキティー・ホークがいなくなったことに安堵を覚えたであろうが、いま国民は心配だと言っている。実際、私自身もかなり驚いた経験がある。進歩的と言われる新聞の記者から、キティー・ホークが横須賀からいなくなって大丈夫か、我々は大丈夫かと聞かれた。私は、今もこれからも大丈夫だ、別の空母が日本海にいるから、心配する必要はないと答えた。すると記者は、それはよかった、と言ったのだ。キティー・ホークの後任は原子力空母であったが、この原子力空母が日本海に入ることにほとんど反対はなかった。

 よって、数十年間ある意味、我々は道を見失ってきた。自国の安保問題で真剣な議論をせずにきたからだ。しかし北朝鮮の行為のおかげでこれも変化している。

 次の国家予算にはミサイル防衛システム開発の予算が決定されたし、もちろん日本の防衛能力の向上にも取り組まなければならないことになる。こうした目標を達成するため、適切な法と法制が必要になるし、同時に安保問題の重要性について国民の意識も高めなくてはならない。

 もうひとつ、最も重要な問題のひとつが憲法改正と集団的防衛の問題だと思っている。我々は、法の体制と解釈を変える必要がある。そうすることで、集団的自衛権を行使することができるようになる。

 日本は世界でも非常に珍しい国で、集団的防衛の権利はあるがそれを行使する権利はない、と言う。日米安保条約の前文、そして国連憲章51条も、すべての国には集団的自衛権があると明確に規定している。これが、一部の国には行使できない権利だ、と言う人はあまりいないと思う。

  集団自衛権をめぐる状況がこのまま続けば、日本がサマワに自衛隊を派遣していて、オランダや、今は英国軍と協力しているのに、またオランダ軍、英国軍がテロリスト攻撃を受けた際自衛隊の助けを求めたときにさえ、自衛隊は一切支援ができない。それだけではない。サマワの自衛隊は、このような場合撤退しなくてはならなくなる。状況が危険だと見なされるからだ。しかし、このままいけば、日本は世界の国々とこうした状況において本当の意味で協力することはできない。

 私たちにとって一方的ではなく、いわば対等な立場で双方向で日米関係や同盟を発展させ、また両国関係をより緊密にし、協力関係をより効率化するためには、日本は、集団的自衛権を有するし、それを行使できることを明確にする必要がある。それができれば、結果として日本は極東地域において抑止力を強化することができるし、地域の安定もはかることができる。

 10年も前であれば、私のような立場にいる者がこのような発言をしたなら、即座に辞任だったであろう。しかし、私は辞める必要はないと思う。

 とはいえ、安保問題に対する国民の理解は日本ではまだ十分ではないことは認めなくてはならない。しかし、国と国民を効果的に守り、地域の安全を維持し、世界における平和に貢献する方法について真剣な議論を進められるところまでこぎ付けているのであって、これは私たちの世代が着手し完成させる必要があるやり残した宿題のひとつであると思う。

 ご清聴に感謝する。

 

 

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