ヨーロッパの「核家族」
ミゲル・マリン−ボッシュ
『ブレティン・オブ・アトミック・サイエンティスツ』1998年1月2月号
(部分のみ)
わずかな例外を除き、欧州連合加盟は、
NATOの好核姿勢受け入れを意味するようになってきた。
ブリュッセルにいる欧州連合の官僚たちに核兵器の話をもちだせば、たぶん困惑した顔をするだろう。表目には、欧州連合と核兵器は何の関係もないように見える。しかし、少し深く調べてみれば、そこには関連があることが分かる。これを欧州連合の「核化」と呼ぶことができるかもしれない。
加盟国がより統一化を強めるにつれて、奇妙なことが起こりつつある。統一の努力のうちもっとも目立つのは、単一通貨導入を急ごうとする動きである。移民政策も少しは論議を呼んでいる。これとは対照的に、核兵器の合法化についてのコンセンサスが形成されつつあることは、まったく話題になっていないのである。
欧州連合について多くの人びとが問題にするのは、ほとんどの場合、経済統合と巨大な単一市場である。しかしそれは1992年以前のこと、もと欧州経済共同体がマーストリヒトにおいてより完全な連合へと姿を変える前のことである。この連合は、いくつかの社会的・政治的問題、そして安全保障、防衛、外交問題について共通の政策をともなう連合であった。そこに核兵器が登場するのである。
1940年初頭に原子兵器が始めて開発されたとき、多くの科学者と政治家たちは、一時的に倫理的懸念を脇においやり、原爆を、恐るべき戦争が背景にある状況においては必要悪だとし受け入れたのである。しかし、1945年に最初の原爆が使用されていらい、アメリカでも他の国々でも、世論はがらりと変った。信じられないようなことだが、核兵器は多くの国々の指導者にとって受容可能なものとなったのである。冷戦は、この道義的問題をいっそう見えにくくしてしまった。
道理もわきまえ、一般的には人間性もある人びとが、この大量破壊兵器の取得、使用の可能性、開発の継続をなぜ正当化できるのか、理解するのは難しい。このような兵器を合法とするあるいは道義的に正当化する根拠はないのだと、長いあいだ主張してきた人びともいる。
ヨーロッパでは数十年のあいだ、意見は分かれたままであった。NATO加盟諸国は核兵器の合法性を擁護したが、それはほとんどの場合核抑止力論に依拠した議論だった。他の者たちは、核兵器は違法であり、廃絶せねばならないと強く主張した。
後者の見解は、1996年7月の国際司法裁判所の勧告的意見により強められた。この判断は、核兵器の威嚇・使用、さらにはその保有をも問うための、新たな法的根拠をあたえるものであった。
バチカンでさえも
国際司法裁判所の意見は、欧州連合諸国政府に目に見える形で影響をおよぼしてはいない。NATOの星は、東欧でも西欧でも昇りつつある。ロシアを除き、NATOの東方拡大が良いことかどうかに疑問をはさむものはいない。これはすでに決着済みのことなのだ。同様に、NATOの政策立案者らがフルダ・ギャップを越えてソ連軍が侵攻してくると想像していた時代の遺物である、NATOの先制核使用態勢を、本気で問題にするものもいない。また、冷戦後の時代のNATOの役割の定義を気に懸けるものも、潜在敵国を定義しようとするものもいないのである。
旧ソ連ブロックのうち数カ国が、これほど熱心に、かつては自らの敵の象徴であった組織に加盟したいのはなぜなのか、いったいどう説明すればよいのだろうか。バチカンですら、「NATO急行」に乗り込んでしまっているかのように見える。昨年6月ポーランドを訪問したパウロ�U世は、中欧・東欧7カ国の大統領らと会談した。NATOと欧州連合について法王は、この地域のどの国も「現在形成されつつある連合体から取り残されてはならない」と述べた。ロシアでさえ、──あるいは少なくともエリツィン政権は、NATOの拡大を受け入れるようになっている。しかし、ロシアもまた、核兵器先制使用政策を採用している。
このような事態の進展は、ワルシャワ条約機構の解体のあとでは、理にかなったことのように映るかもしれない。たとえば国連では、ボスニア・ヘルツェゴビナにおける国連PKOをNATO軍が指揮していることについて眉をひそめるものはほとんどいない。また、NATOが欧州連合に対する影響力を強めていることについても、まったくといっていいほど反対の声は上がっていない。結局のところ、欧州連合の全加盟国15カ国のうち11カ国がNATOにも加盟しているのである。そしてそのうちフランスとイギリスの二カ国は、核保有国でもある。
NATOのドクトリンは長らく、欧州連合内で議論される多くの軍縮問題において、これら11カ国の立場を決定づけてきた。いっぽうで、そのことは欧州連合の残り4カ国(オーストリア、フィンランド、アイルランド、スウェーデン)が伝統的にとってきた核兵器や核軍縮などの諸問題に対する積極的中立政策を、修正させる方向へといっそう変化させてきた。
欧州連合の外交・防衛政策の「NATO化」の強まりは、ジュネーブ軍縮会議、NPT再検討会議、国連総会など、数々の場で表面に現れている。
合意の問題
最近筆者は、国連総会の開催第一日目から1997年9月までに採択された3262本の決議を分析した。このうち431本が核軍縮に関わるものである。これら核軍縮決議への投票を見ると、欧州連合の各加盟国が、それぞれの問題について、どの時点で態度を変えたのか特定することができる。
筆者の分析は、各投票に関して主観的な疑問をなげかけるものではなかった。ある国の賛成・反対あるいは棄権の投票が、どの程度、他の国の投票態度と一致しているかあるいは食い違っているかのみを調べたものである。そこには合意があったのか、なかったのか?
国連総会の全決議への各国の投票態度を分析してみると、加盟国間の意見の一致は、1980年終わり頃まで増加が続き、そのあと減少し始めることがわかる。これと対照的に、欧州連合加盟国の間での一致は、近年増加している。
国連総会のなかで、立場や投票態度の足並みを揃えるよう調整をはかっているグループは、欧州連合だけではない。これは、77カ国グループや非同盟運動として知られている組織を通じて、発展途上諸国が数十年間にわたって続けてきたことである。
東欧諸国は過去において、ほとんどすべての採決で一致した態度をとってきた。これは、この国々がソ連主導のワルシャワ条約機構のもとに団結していたことからすれば驚くにあたらない。NATO加盟諸国も、一定の軍事・軍縮問題決議については、共通した態度をとってきた。
環境問題の分野では、たとえば、経済協力開発機構(OECD)は、つねに統一した見解を打ち出している。ほかにも名をあげることのできる国々のグループがある。北欧諸国、アラブ諸国など、より非公式な集まりである。
しかし、欧州連合がほかと違っているのは、その共同社会的意志と、加盟諸国の意見をつねに調和させようという努力である。国連総会では、欧州連合スポークスマンが、多くの議題について、一般演説をおこなっている。
1980年代のなかばまでは、欧州連合加盟国間の意見の一致のレベルには、ほとんど変化がなかった。もっとも意見が分かれていたのは、南部アフリカ問題と非植民化問題であり、1970年代初頭には、中東問題もそうであった。しかし1980年後半になると急速に、核軍縮問題もふくめこれまで対立のあった多くの問題について、意見が一致するようになる。もっとも驚くべきことは、この傾向が好核の立場に非常に強く偏っていることである。
(以下、「NATO中核部分の拡大」、「第二の拡大」略)
|