ミドル・パワーズ・イニシアチブ(中堅国構想)主催行事での基調報告
NPTの過去、現在、未来
国連事務次長(軍縮問題担当)
ジャヤンタ・ダナパラ
2003年4月29日
ジュネーブ 国連本部にて
(全文)
今日ここで発言できる機会を得られたことを、3つの点で大きく感謝したい。第一に、核の軍縮と不拡散の目標を非常に大事にしている方々の前で発言できる機会に恵まれたこと。第二に、これらの問題を、この歴史的平和都市で討論できるという栄誉に預かったこと。第三に、国際平和と安全保障に多大な貢献をしてきたが、まだ達成すべき課題をおおく残している法律文書である核不拡散条約(NPT)について個人的な考察を述べる機会をあたえられたことである。じっさい、すでにNPTは死んだとする記事がいくつか書かれているが、マーク・トウェインが自分自身の死亡記事を読んだ際に述べた有名な言葉と同じく、NPTの終焉に関するこれらの報道は「著しく誇張されて」いる。
NPTは、もちろん、ただの「不拡散」条約にとどまるものではない。NPTは、核軍縮に関する効果的措置について誠実に交渉を追求することをすべての締約国に義務づけており、これは、1996年に国際司法裁判所が出した歴史的な勧告的意見において全員一致で再確認された義務である。NPTを最初につくった人たちは、軍縮と不拡散との切り離せない関係を正しく認識していたが、ただNPTのみが核兵器のない世界をすぐに実現できる「特効薬」を提供できるとは誰も主張していない。
長年にわたりNPTに関わるなかで、私は、NPTの基本目的の達成は、ひとつの決定的に重要な点にかかっているとの確信を深めるにいたった。それは、すべての締約国の政治的意志の存在、持続性、そしてその最終的な勝利である。よっていま、その政治的意志の現状と、今後それを強めるために市民社会とその指導者たちは何をなすべきかを検討することは、われわれ全員にとって意味があることだと思う。
このアプローチでは、政治的意志は何もないところからは生まれないということが認識されている。政治的意志とは、結局は、地球規模の不拡散・軍縮努力の成功の恩恵に最終的にあずかる人間によって育まれ実践されるものである。条約にはたくさん重要なことが書かれているものだが、それらを実践したり、相対する政策が登場したときに、条約を擁護する政治的意志がなければ、条約は、すでに死んだ、あるいは死につつある概念のたんなる飾りものとなってしまう危険があり、情勢の展開次第では脇に投げ捨てられかねない。とくに、それが核戦争につながる危険をはらむものなら、こうした事態の展開についてあいまいな態度をとりつづける余裕は誰にもなくなる。
これまでのNPT
1995年の時点で、NPTの全締約国がNPTの実行について完全に満足していたなら、その年のあの重要な再検討延長会議は、ただひとつの、驚くに足らない、条約の無期限延長という結論を出す形式的なできごととして終わっただろう。しかし、この無期限延長という決定はまったく予測されていない結末だった。私はこの95年会議の議長を務めたが、いまでもあの運命的な決定とその余波につながった経過について考えることがある。当時米国大使であり、95年会議の米国代表団の主要メンバーであったトーマス・グレアム氏は、最近出版した「Disarmament Sketches(軍縮概略)」という回顧録の中で、私が、NPTの無期限延長については楽天的な見方をしていなかったと述べている。私が、条約を25年の期限で延長を繰り返し、その期間の移行を自動的におこなうという方法を「NPTの結論として最も可能性の高い」ものと見ており、「これさえも達成できるか確信がなかった」と書いている。
これは本当のことで、私は確かに会議の結論を、じっさい会議の最終日まで危ぶんでいた。全会一致が不可能だとしたら、どのように票決をおこなうべきかという手続きをめぐる未解決の議論があったために、この不安はいっそう高まっていた。NPTを無期限に延長するという中心的な決定をおこなう一方で、条約の説明責任を高めるために、再検討プロセスの強化と、一連の「核不拡散・軍縮のための原則と目標」という決定がおこなわれた。これらの諸決定は、「中東に関する決議」と合わせて不可分の「一括取り決め」を形成しており、これが無期限延長へとつながったのである。この結論は、偏狭な国家的視野を人類の共通の利益を代表する団結へと変えた断固たる政治的意志の成果であり、それは、多国間主義がその最善の力を発揮したときとも言えるものだった。
95年会議の閉会にあたり個人的意見を述べたが、そこで私は、無期限延長に関する最終決定は、ある陣営の諸国が他陣営に一方的に勝ったというゼロサムゲームの勝利を意味するのではなく、この条約自体の勝利なのであり、その実行はわれわれすべての利益となる、と述べた。同時に、軍縮・不拡散の分野での進展に「独善的で狭量な自己満足」があってはならないとも警告した。残念ながら、それ以降の時期に起こったさまざまなできごとで、この不安はますます強くなっていった。NPT再検討プロセスが不完全で不均等にしか実行されていないことは、NPTの将来におおくの障害が待ち受けていることを警告している。
NPT再検討プロセスの基本的任務が、成果を評価し、条約の完全実施の促進方法を検討することであることを想起したい。説明責任は、再検討プロセスの存在理由である。しかし、1995年につづく数年間、NPTは、条約体制の内外からおおくの打撃を被った。1998年、南アジアでふたつのNPT未締約国が11の核実験をおこなったことは、NPTが普遍性を欠いているという現状をまざまざと見せつけ、自国の安全保障上の利益を高める上でのNPTの価値に対し、これらの国が「不信任決議」をおこなったことも意味していた。
この時期には、朝鮮民主主義人民共和国とイラクという二つのNPT締約国について、条約の不順守に関する懸念が高まり、いかにして順守を回復させるかという問題も持ち上がった。もうひとつの締約国、イランに疑惑を投げかける国もあった。一方で、非核諸国は、核軍縮が進んでいるとの具体的証拠が欠如していることと、核保有5カ国の核兵器プログラムについて透明性が欠けていることに異議を唱えていた。
しかしながら、2000年NPT再検討会議は、NPTと多国間主義にとっていくつかの成果をあげた。これには、核軍縮に関連する条約第6条を実行するための体系的・漸進的努力にむけた13項目措置の合意もふくまれる。これらの措置の中には、核保有国による「核軍縮につながる自国核兵器の完全廃絶を達成する」という「明確な約束」があった。締約国が最終文書に合意できたということ自体重要な成果だったが、この13の措置は、核軍縮達成における前進点を評価する上での非常に貴重な一連の基準をあたえるものであり、とくに歓迎すべきものだった。
条約の現状
1995年とその後の数年間のNPTについての私の考察を述べたのは、たんに歴史的に意味があるからではなく、これらの問題が、NPTの現状と未来の地位に直接な影響をあたえているからである。
私が1995年に恐れた自己満足は、いま手に負えない状態になっている。おおくの国が、1995年の無期限延長を「決着済みの取引」であって、進行中の継続する作業ととらえていない。
圧倒的多数の締約国が、NPTの義務をしっかり果たしている一方で、軍縮と不拡散の両方で、条約不順守の問題が絶えず起こっている。IAEA(国際原子力機関)の追加議定書は、非核保有国の保障措置を強化する上で大きく役に立ち、不順守の恐れの懸念を多少とも解決するものだが、議定書が発効しているのは32カ国にすぎない。
普遍性も、いまだ解決していない難題である。ここで言う「普遍性」には二つの意味がある。締約国の数を維持すること、そしてあらたな締約国を得ることである。朝鮮民主主義人民共和国が昨年1月、NPT脱退の意図を表明したことで、NPTの約束義務の「不可逆性」と、その不可逆性が生み出す信頼という緊密に結びついた問題が生じている。これはまったく解決されておらず、NPTの将来を左右しつづける問題である。
条約が直面しているもうひとつの深刻で、つづいている問題は、透明性の欠如である。原子力の平和利用と、核保有5カ国の核計画の規模とそれぞれが有する分裂性核物質の蓄積の両面においてである。非核保有国とおおくの市民社会グループが、世界には一体どれだけの核兵器が存在しているのかという最も基本的な疑問への明確な答えを得ようと、ねばりづよい努力をつづけてきたが、後者における問題のおおきさは、これがどれほど空しく終わっているかをはっきりと示している。
ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)と米国に拠点を置く天然資源保護評議会(NRDC)はそれぞれ、3万発以上の核兵器が残っていると主張している。しかし、正確な数値はどれなのか。世界はこのような主張をどう確かめればよいのだろうか。答えは、純理論的な問題以上の意味を持っている。SIPRIの2002年の推定値を、NPTが発効した1970年のNRDCの推定値と比べると、条約存続期間に1353発が減ったことになる。この数値によれば、核軍縮は、年間わずか42発減少という割合で進展しているということになる。世界は、第6条の約束が果たされるまで、文字通り数百年も待っていられるだろうか。
この問題に加え、一部の核保有国は、核兵器が使われうる状況を拡大するあらたな理由付けとドクトリンを編み出している。非核保有国にさえ先制核攻撃を脅迫し、主要な安全保障上の利益を促進する上での核兵器の重要な価値を再確認する政策をふくむものである。これらの核保有国はまた、新型核兵器の開発も検討している。ほかのおおくのNPT非核保有国は、軍縮を目標として支持する一方で、核抑止と先制使用という恐るべきドクトリンをひきつづき土台とする核の傘から安全保障上の恩恵を受け続けている。
他方、毎年の国連総会第一委員会の核軍縮決議では、賛否がするどく分かれたままであり、軍縮会議(CD)は、もう何年もの間、核軍縮でなんらの進展もつくれない状態にある。そして今月のはじめ、国連軍縮委員会(UN Disarmament Commission)は、過去3年間審議を経た後(同委員会50周年のため会合できなかった昨年を勘定しない)、「核軍縮を達成する方法と措置」について何の合意にも達せぬまま2003年度の会期を終えた。
ここで私が意図しているのは、近年達成された歓迎すべき成果を否定することではなく、にもかかわらず条約が直面しつづけている非常に深刻な問題を提起することである。戦略攻撃兵器削減条約は、米国とロシアが保有する配備戦略核兵器の数を大幅に削減していると伝えられている。この条約が一発も弾頭や運搬システムの物理的廃棄を規定しなかったことを考慮に入れても、これは実に歓迎すべき進展である。しかしそれ以外のNPT締約国の観点からすれば、こうした削減には事実上まったく透明性がないし、もちろん独立した検証体制もない。かたや核保有国は、カナダとドイツなどがおこなっている、各国の条約実施状況報告義務の改善を通して透明性問題に取り組もうとする努力を拒否し続けている。おおくの国が、核軍縮にむけた13の措置の履行のほとんどにおいて実質的な進展がないことにも留意している。
もうひとつ条約が直面している困難は、イラクでの最近の戦争の結果生じている問題、とくに条約の強制的実施の問題と関連している。戦争のずっと前から強制的実施に関する懸念は存在していたが、イラクに軍縮の規範を強制する共通のアプローチに関して安保理がコンセンサスに達せなかったことは、法の支配全体にとまでは言わずとも、NPTに深い影響をあたえた。この戦争は今後の拡散抑止に役立つのか、それとも、核兵器を求める国々を勢いづけるだけだろうか。この戦争は、拡散の危険性をなくす方法としての多国間査察の将来にどう影響したのか。安保理が分裂したなら、武力の行使に至るまでの、また武力の行使をふくむ多国間制裁の将来はどうなるのだろうか。あきらかに、こうした疑問にたいして最終的にどのような答えがなされるかが、NPTの将来に非常に大きな影響をあたえるだろう。
NPTの未来
NPTが、今後、たくさんの非常に深刻な課題に直面することは疑う余地がない。最も深刻な問題のひとつは、条約の基本的な正当性、あるいは公正さに関わるものである。おおくの批評家が長いあいだ主張してきたように、おおくの締約国のあいだに、NPTは基本的に差別的な取り決めであるという根強く広範にわたる見解がある。締約国が、「核のアパルトヘイト」の亡霊をNPTから追い払おうとするなら、それは、1995年の一括取り決めと、2000年NPT再検討会議でなされた核軍縮の誓約を全面的に実行すること通じてのみ実現できるだろう。そのためにはまた、信頼性が高く、法的拘束力を持つ安全保障を定着させるための重要な進展が必要になる。NPTの今後の道のりは、これまでの歩みに大きく影響される。
これまで歩んできた道には、残念ながら、NPT体制の内部的制度改革といえるようなものがなかった。NPTは、あらたな挑戦に対応する弾力性を示してきたが、私は長年、さまざまな全体会議の開かれるあいだの期間、締約国を援助し、関連する情勢の展開を観察し、より全般的には、条約の制度的復元力を強化するために、NPTの執行評議会を創設するよう主張してきた。
そのためにはもちろん、国際的な協力体制が大きく進む必要がある。多国間主義の精神が1995年のNPT無期限延長を可能にしたように、今後の軍縮・不拡散分野における国際社会の努力を導くために、こんにちそのような精神が必要だ。事実、より平和で安全な世界へつながる道にこれ以外の案はない。
いうまでもなく、核兵器の完全廃絶の達成はたやすい仕事ではない。しかし、世界の人々が、世界の安全保障の基盤として、現在利用できるこれ以外の案に喜んで飛びつくとは私には思えない。一方的防衛措置を果てしなく追求することや、軍事的優位を永遠に求めることのどちらも、核兵器のない世界をもたらすことはできない。こうしたやり方はむしろ、世界を核兵器でいっぱいにしてしまうだろう。こうした戦略の恐るべき欠陥が批判的に検討されればされるほど、実践的で効果的な代替案として、核軍縮はその魅力を増すのである。
将来における不拡散管理を強化する必要性については、IAEAの追加議定書の締結義務を原子力の平和利用における協力の条件とすること以外に最善の案はないだろう。この議定書の存在は、IAEAの保障措置制度が、経験から学ぶ力を持っているということの生きた証拠である。兵器級核物質製造の多国間禁止が加われば、これらの保障措置は今後、NPTのもつ平和利用と不拡散の規範を大幅に強化することになるだろう。
こうした構想は、核物質や専門知識がテロリスト集団の手に渡るという増大しつつある危険性に対応する上でも大きな力を発揮することができるだろう。それはNPTが国際の平和と安全保障に寄与できるおおくの方法のひとつを例証することになる。
NPTの将来についての議論を完全にするには、条約第7条に言及せねばならない。第7条は、地域的非核兵器地帯をつくるあらゆる諸国グループの権利に関する条項である。これらの非核兵器地帯が、事実上、南半球すべてを網羅しているいま、この概念を赤道の北側に広げることには大きな価値がある。私は長いあいだ、中央アジア5カ国の非核兵器地帯創設を援助してきた。昨年9月、この5カ国は、サマルカンドで、この目標を達成するための条約文の合意に達した。しかし条約の調印は、核保有国との協議のために数カ月も遅れている。この協議が協力の精神で進められれば、協議は成功すると確信している。しかしそうでなければ、事実上拒否権が行使されるという結果になるかもしれない。すべてのNPT締約国、とりわけ核保有国は、この非核兵器地帯の早期創設を緊急の優先課題として支持すべきである。
NPTの未来は、NPTが市民社会から得る支持によっても、非常に重要な形でつくられていくであろう。これは、とくに若い世代にあてはまり、軍縮・不拡散教育の重要性を強く浮き彫りにしている。私は、非政府組織がNPTの目標を進めるうえでおこなってきた根強い努力を長年にわたって高く評価してきた。この努力は、1995年や2000年の会議の際に限ったことでなく、NPTの存続期間中ずっとおこなわれてきたものである。ここ、ジャン・ジャック・ルソーの出身地であるジュネーブは、市民社会が集団的利益の促進に果たしている役割を再確認するのに非常にふさわしい場所である。ルソーなら、NPT自体ではないとしても、1995年の一括取り決めを、国際社会の一部のメンバーの個々の意志の総計に過ぎないものとしてではなく、全体の意志に奉仕することを意図した「社会契約」の一形態として理解したであろう。ルソーなら、コフィ・アナン事務総長が、市民社会を「新しいスーパーパワー(超大国、強大な力)」だと繰り返し言及していることを正しく認識したであろう。国の権限が増大しつづける一方で、すべての政治的権力に基盤をあたえる民衆の主権という潜在的な勢力も、その力を増大しつつあるからだ。
2000年NPT再検討会議の最終文書が、「核兵器の使用または使用の威嚇に対する唯一絶対の保証は、核兵器の完全廃絶である」とを再確認したことは、歴史的事実である。情報をあたえられ、団結し、決意を固めた民衆こそが、この目標を実際に達成する唯一絶対の保証を生み出すと私は信じている。NPTの未来はどこにあるのだろうか。それは、何よりも、人々とその指導者たちがNPTに寄せる支持のなかにある。
最後に、もうひとり、ジュネーブに関係する偉大な市民、ヴォルテールの言葉を引用したい。彼の小説の主人公カンディドは、私たちすべてに「自分たちの庭を耕せ」と呼びかけた。NPTの運命は、あらかじめ決まっているわけではない。人間の努力により耕され、政治的意志の力により形作られるのである。この重要な大義に対するこれまでのみなさんの支援を歓迎し、今後の活動の成功をお祈りする。
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