【反核平和運動・原水爆禁止世界大会】
原水爆禁止2009年世界大会
国際会議:発言
アン・ライト
元米外交官 元米陸軍大佐
アメリカ合衆国
原水爆禁止2009年世界大会国際会議の場で核兵器のない世界を実現するために発言できることを光栄に思います。
まず、私の国が下した広島と長崎への原爆投下という決定について、謝罪したいと思います。その決定は間違いであり、私はそれを恥ずかしく思います。
核兵器廃絶を求めるようになる背景としてはめずらしい私の経歴をお話ししたいと思います。
私は29年間米陸軍に仕えて辞職した退役軍人です。辞職したときは米陸軍予備役軍の大佐でした。また、米国の外交官として、ニカラグア、グレナダ、ソマリア、ウズベキスタン、キルギスタン、シエラレオネ、ミクロネシア、モンゴルに赴任しました。2001年12月には、アフガニスタンのカブールでの米国大使館再開のための少チームの一員として5ヶ月間アフガニスタンに滞在したこともあります。
私の人生が劇的に変化したのは2003年3月、ブッシュ政権が石油資源豊かなアラブのあるイスラム国家への攻撃を決定したことに反対して辞職してからです。この国は米国を攻撃したこともなく、国連安保理によれば、国際社会の安全に対して脅威でもありませんでした。
この経歴を見込まれ、私はなぜイラク戦争に反対し、反戦と戦争も核兵器もない世界のために活動するようになったのかについて話すように求められてきました。私はコリン・パウエル国務長官宛の2009年3月19日付け辞表で次のように述べました。「私はイラク、イスラエル・パレスチナ紛争、北朝鮮、米国内での市民的自由抑制などに関する米政府の政策に不同意です。政府の政策は世界をより安全にするかわりに、より危険な場所にしていると思います。自分が道義的、職業的に、これらの政策について非常に深くゆるぎない懸念を表明するべき義務を感じ、政策を支持・履行することができない以上、国家公務員の職を辞すべきだと考えます」。
また、辞表では次のようにもいいました。
「いま戦争をすることは世界を安全にではなく、より危険にすると強く信じています。法律遵守のためには、国連安保理の承認なく米軍行使をすべきではないと考えます。いま米国が軍事行動に突き進んでいることで、国際社会と主要な国際組織に深い亀裂をつくりだしました。私たちの政策は同盟国の多くを遠ざけ、世界各地に悪意をうみだしました。
世界の国々は、アルカイダの9・11米国攻撃の対応として、米国のアフガニスタンにたいする行動を支持しました。その後、米国はイラク政策が原因で世界の大半の国々の共感を失いました。世界の大部分は、イラクについてのわれわれの発言を傲慢、不誠実かつ隠れた目的があると受け取っています。穏健イスラム・アラブ諸国の指導者は、もし米国が、イスラム教徒やアラブ人の保護ではなく、攻撃する目的でアラブの国に入れば、若者たちの憤慨や怒りが爆発しかねないと警告しています。イラクのサダム〔フセイン〕の体制をいま攻撃することは、10年前にクウェートから同じ体制を追放したのとは大きく異なります」。
6年前の辞職以来、私は米国の多くの平和団体の活動を支持する発言をしてきました。その中にはコードピンク、平和のための退役軍人会、ピースアクション、平和正義連合、戦争に反対するイラク退役軍人会が含まれます。また、しばしば、軍人として外交官としての経験を生かして、戦争と平和の問題について執筆しています。米国社会、とりわけ、政府機構における反対意見の役割に関する著書の共同執筆者の1人でもあります。「抵抗: 良心の声」と題した本は、政府の権力濫用、戦争、拷問、市民的自由の侵害について声をあげた米国内の女性たちと私自身についての話です。この本は日本語訳があります。
米軍内や日本など外国での性的暴力、レイプについても講演や、執筆活動をしてきました。これらの国では、この犯罪行為がいまだに起っていますが、これをなくすためには、軍高官の態度が緊急に変わることが求められます。
平和活動家として私は、キューバ、イラン、ヨルダン、シリアなどの国々を訪問するとともに、昨年は日本の9条世界会議で話す光栄な機会を得て、北海道、沖縄、その他の地域を10日間かけて回りました。今年には、ガザを3度訪れ、パレスチナ人住民に対するイスラエルの不釣合いに大きな軍事力行使、生命と財産の恐るべき破壊の状況を報告しました。
米国の多くの平和運動はオバマ氏大統領選出に安どし、核兵器削減のイニシアチブを歓迎してきました。しかし他の政策、とりわけブッシュ政権を踏襲することにした政策については失望しています。
オバマ政権は米国史上最大の防衛予算を打ち出しましたが、これはブッシュの防衛予算よりも大規模です。
オバマ政権は、イラクからの米軍撤退スケジュールについて、ブッシュの予定表をそのまま使用しています。米国の平和運動は6年間、米軍のイラクからの即時撤退を求めてきました。オバマ氏を選んだからといって、それは私たちがブッシュの撤退計画の実施を待っているつもりであることを意味しません。私たちは米軍撤退が加速し、これから2年間もかけるのではなく、6ヶ月以内に撤退が終了することを望んでいます。
アフガニスタンでは、駐留米兵の数が劇的に増大しました。最初の20000人増派は、作戦行動を激増させ、それによって多数の民間人が死にました。
パキスタンの部族地域への無人航空機による攻撃増加によって、パキスタンの主権と安全が損なわれています。数千のアフガニスタン人が、国内のバグラム軍事基地に拘束されていますが、その正当性を争う権利が私たちにはありません。
オバマ政権は、拷問の責任者の取り調べを行うことや責任を問うことをしないと決めました。平和運動にとっては非常に残念ですが、責任について、過去を振り返るのではなく、将来を見るのがオバマ政権のモットーです。
強調したいのは、多くの分野での8年間に及ぶ米国の行動は、米国のようにならないための憲法9条による特別な保障を日本の人々が守り続けるよう警告しているということです。私はブッシュ政権が日本の政府に対して9条改正の圧力を強くかけたのを知っていますが、オバマ政権がそうした圧力を停止することを望んでいます。
日本が核兵器の保有、製造、領域への持ち込みを禁ずる「非核3原則」を堅持し、世界で非核地帯設置を推進し、核兵器の非合法化を求めていることを私は支持します。
皆さんと同様に私もまた、核兵器のない世界は可能であると信じています。世界の市民である私たちは、選挙で選ばれた指導者たちにたいし、銃弾ではなく対話を、戦争ではなく平和を、そして核兵器の廃絶を選択するよう、勇気づけなければなりません。
私たちは大胆に、果敢に、勇気を持って、政治家たちに異議を唱え、核兵器の廃絶を要求しなければなりません。
2010年ニューヨークでのNPT再検討会議に皆さんを歓迎いたします。
私の国では金融界や経済界が武器や交戦状態から異常なほど大きな利益を引き出していますが、私たちは同じように、戦争ではなく平和から大きな利益を生み出すようにする方法を見つけなければなりません。
ありがとうございました。核兵器を廃絶しましょう。
ガリメラ・スブラマニアン
核軍縮平和連合(CNDP)
インド
私が今日ここに代表するインド核軍縮平和連合(CNDP)は、世界的な核軍縮に関する米国の最近の発言について、慎重に留保しながら歓迎しました。オバマ大統領は4月のプラハ演説で、「核兵器を使用したことがある唯一の核保有国として、米国には行動する道義的な責任がある」と認めました。当然ながら世界は、新しい米国大統領の真面目で融和的な調子に驚きました。なぜなら世界はブッシュ時代の遺産、すなわち国際法を無視し、非核保有国にさえ核先制攻撃を行う可能性を認めたブッシュ時代の遺産のもとで、いまだに苦しんでいるからです。このうれしい驚きのなかで私たちが見過ごしてはならないのは、核兵器を世界からなくすというオバマ大統領の誓約は、核不拡散条約(NPT)の下で核保有国が40年以上も前に行った法的な約束だということです。しかし、核保有国全体で今日2万7000発の核弾頭を保有している上に、米国とロシアで世界の核兵器の95%を保有していること、死の兵器を製造するためのウラン濃縮、プルトニウム再処理技術が拡散していることは、核不拡散体制を着実にむしばんでいます。さらに米国とその同盟国の英国、フランスは、非核保有国にたいして核兵器を使用しないというNPT下での保証、いわゆる消極的安全保障を誠実に実行していません。
第1に、オバマ大統領がプラハで、米ロの戦略核兵器の追加削減を提案した裏には、見過ごせない矛盾があります。発言の舞台チェコ共和国は、今年前半、米国とロシアがポーランドに加えてミサイル迎撃システムの設置で合意したまさにその国です。このシステムは表向きイランの脅威に向けられたものとされていますが、ロシアや多くの欧州諸国は激しく反発しました。核を保有したいというイランの野望は、イスラエルのいわば公然とした核兵器所有と深い関連があるのですが、それについてオバマ大統領がまったく沈黙したままだという事実には、多くを物語る矛盾があります。
米国側のこのような偽善は、この間の一方的なイラク侵略で記憶に新しいものです。地政学的支配のための道具として、軍事力の使用(または使用の脅し)を多く用いることは、核兵器を開発する能力のある国、あるいは核保有を威信とみなす国において、潜在的な核の脅威という意識を高めました。
第2に、実戦配備されている核弾頭と運搬手段を削減する戦略兵器削減条約(STARTI)の後継条約をめぐる米国とロシアの交渉についても疑念が増大しています。ロシア側は、自国の核兵器を削減する一方的な譲歩に終わるのではないかと懸念し、〔米〕国内のタカ派は、ロシアの核弾頭、いずれにせよ2015年ごろには使用不能になるという理由だけから、ロシアよりも米国が、将来の削減において敗北者となるのではと疑っています。オバマ大統領の軍縮計画に対して米議会の内外で警鐘がすでに鳴っており、新しい核政策の見直しが今年末に完成されつつあるなか、有力な共和党員の要求の声も確実に高まるでしょう。
推測ですが、核軍縮が世界的な課題に復帰したことは、インド亜大陸の2つの隣り合った核兵器保有国に、やや目を覚まさせるような影響を与えました。過去5年間継続してきた和平プロセスは、2008年11月26日ムンバイで起こった連続爆破事件で中断されました。しかし、この攻撃の背後にいるパキスタンの容疑者への厳しい報復を求めるインドのタカ派の叫びは、その後の地方選と国政選挙のなかで国民の手ごわい拒否にあいました。
パキスタンとインド関係で最近目に見える雪解けの兆しがあるからといって、インドを超えた多くの不穏な要因を抱えている他の地域の平和運動、平和運動が満足してしまってはいけないと思います。インドの政界、科学界は、2008年の米国との民生用核協力合意から戦略的、商業的利益を得ようとして、この国の核政策の特徴である、煩わしい秘密主義で不透明な合意を国民に押し付けようとしています。米国務長官が最近の訪問で仲介した合意は、将来の核事故がもたらす全被害から米国の核燃料供給会社を免責することを求めています。このことは、チェルノブイリやスリーマイル島のような惨事の犠牲者への補償の責任は、原子炉の国内運営者だけがとらなければならないということを意味します。言うまでもなく、これには環境汚染への取り返しのつかない損失も含まれることになります。インドの日常生活には市民の安全という社会的観念が欠如していることや、官僚的なお役所仕事がはびこっていることを知る人なら誰でも、核の惨事が人々に何をもたらすか身震いしながら想像するでしょう。もうひとつ残酷な皮肉があります。災害補償に上限を定める法律が提案されましたが、これはインド中部にある米多国籍企業、ユニオン・カーバイドの工場の毒ガス漏れ事故25周年と期を一にしています。事故は即座に数千の命を奪い、さらに多くの人々が命取りの病気にかかりました。
今やインドが核保有国の特権クラブに仲間入りしたことは既成事実となっていますが、平和運動は政府に圧力をかけ、西側諸国と日本から最良の実践をくみ取り、あらゆる形態の核の危険にたいして最大限の防衛措置をとる責任をもっています。これに関連して私は、チェンナイの「核戦争に反対する科学者の会」の先駆的なイニシアチブを報告したいと思います。「広島はチェンナイでも起こりうる」と題したスライドショーは学校と街角で、8月6日と9日に上映されます。また、非暴力を通じてインドを独立へと導いたマハトマ・ガンジーの生誕を記念して10月2日にも上映されます。上映を見た人々はたいてい、核兵器は大量破壊兵器であり、その抑止効果を正当化するのは間違いであるとの考えをもつようになります。
CNDPはこれまで一貫して地域の非核化の要求を重視してきました。これは世界の軍縮に決定的に貢献するものです。2008年の全国大会では、南アジア非核地帯の創設に向けてパキスタンの平和運動と協力しつつ努力を続けるという決議を採択しました。その精神から、CNDPは日本の軍縮のための連合が、日本国内での核兵器の製造も、保有も、使用も許さない努力を重ねていることに連帯を表明したいと思います。
ギエム・ヴ・カイ
ベトナム国会議員/国会科学技術委員会副議長
日越友好協会 会長
議長団のみなさん、
ご参加のみなさん、
私はこれまで何度も日本を訪問して、日本とベトナム両国民の友好を深めるために活動してきました。しかし、原水爆禁止世界大会に参加するのはこれが初めてです。日本と世界各地から参加された平和活動家のみなさんに、ベトナム平和委員会と日越友好協会、そして平和と国家間の友好のために奮闘しているすべてのベトナム人に代わり、熱烈なあいさつをお送りします。
今年創立54周年を迎える日本原水協に心からのお祝いを述べさせていただくとともに、原水協と日本の友人のみなさん方の温かい歓迎と、大会開催に向けてのその多大な努力に感謝を表明したいと思います。
1946年1月、国連総会が第1号決議を採択し、核兵器の廃絶に向けて行動すると誓ってから63年が経ちました。しかし今日、核兵器のない世界は、現実ではなく夢のままの状態にあります。蓄積された核兵器の数はいまだ2万3千発を超え、世界を破滅の危険にさらし続けています。そして核兵器の95%を有するのは米国とロシアです。
ここで私が述べたいのは、大量破壊兵器を使ったのは、米国が最初で唯一の国だということです。64年前、米国は広島と長崎へ原爆を投下し、その後ベトナムで化学剤をまき散らしました。とくにダイオキシンを高度に含んだオレンジ剤(枯葉剤)を使ったのです。ダイオキシンは、人類が知りうる限り最も毒性の高い物質です。
2004年9月、ベトナム平和委員会は、ハノイで開かれたアジア欧州人民フォーラムに広島の被爆者の方をお招きしました。2008年5月には、ベトナム枯葉剤被害者協会(VAVA)とミライ平和公園が共同して被爆者の方々をベトナムにお招きしました。情報交換や被害者の体験を考えあうことで、参加者は大量破壊兵器の使用がもたらす、悲惨で長期的な影響を学ぶことができました。
この時私たちは、日本には原爆症を認定してもらう必要のある被爆者がたくさんいることを知りました。ベトナムでも、支援と補償を必要としている枯葉剤被害者が多くいるのと同じことです。
広島と長崎への原爆投下は、ベトナムが受けた化学兵器の被害と同様、過去だけでなく現在も続く問題であることは明らかです。苦しみを軽減する努力を続けながらも、私たちはこうしたことが2度と繰り返されないよう努力しなくてはなりません。私たちは、原爆投下や枯葉剤散布、また「平和的」核爆発と核事故の被害者すべてが正当な扱いと補償を受けられるよう強く要求します。
原水爆禁止世界大会が54年目を迎え、原水協をはじめ日本と各国の平和勢力によるたゆまぬ努力が行われる中、私たちはこの大会が世界的規模の核兵器廃絶運動の転換点となるよう、少しでも貢献する決意でいます。
この点に関し、私たちは2005年核不拡散条約(NPT)再検討会議が実質的な提案をできないまま終わったことに失望しています。しかし、NPT締約国の元首や政府は、平和進歩勢力に押されて、1995年NPT再検討延長会議の諸合意と2000年NPT再検討会議の最終文書を再確認したのです。
私たちは、出席されたみなさんが、すべてのNPT締約国に対し、NPT全条項を順守するとした約束を果たすよう、また同条約第6条を実行するための系統的漸進的な13項目の具体的措置を完全に実施するよう強く求めることを訴えます。とりわけ、核軍縮につながる自国の核兵器の完全廃絶を達成するとした、核兵器保有国による「明確な約束」を実行するよう迫ることを訴えたいと思います。
私たちは協力することを通じて、核兵器やその他いかなる大量破壊兵器もない、持続する平和な世界という最終目標を実現することができる、また2010年NPT再検討会議でも積極的な成果が勝ち取れると固く信じています。
ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア枯葉剤!
被爆者に正義を、ベトナムの枯葉剤被害者に正義を!
ご清聴ありがとうございました。
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