この素晴らしい平和活動家の集いの場で発言の機会を与えて下さったことに心から感謝申し上げます。悲劇があったから、私はここにいます。2001年9月11日の朝6時、私の妹ローラは、ニューヨークのアパートを出ました。貿易センタービルの北棟106階で行なわれる情報技術会議の運営のためでした。ローラがその日そこにいたことは、家族のだれも知りませんでした。妹の友人からの電話で、恐ろしい事実を知ったのは、その日午後遅くになってからでした。その後、私は両親に電話をし、彼らの娘がほぼ確実に亡くなったということを伝えなければなりませんでした。人生の中で最も難しいことでした。悲劇があったから、私は今ここにいます。しかし私たちには、力を合わせれば暴力と戦争を終わらせることができるという希望があります。痛みと苦しみを、核兵器廃絶の運動へと変えた被爆者の方たちに奮い立たされて、私は帰路につきます。アメリカの戦争機構をなくすという、気持ちを強くして帰国します。
いま私たちは、暗く、混乱した時代に生きています。9・11への報復として、アメリカ政府は、テロに対する終わりのない戦争となりうる動きをすすめています。ブッシュ大統領は、2002年の9月12日、国連で、イラクに対し戦争をするとの脅しをおこないました。そのとき私は、妹の死をもう一度経験したかのように、身震いするほどの痛みを感じました。後に私たちは、ブッシュがその月、秘密の文書を承認していたことを知りました。大統領指令17号という文書で、アメリカや海外の米軍に対する攻撃に対し、核兵器の使用も含め、圧倒的な武力をもってこたえるアメリカの権利を断言したものでした。ブッシュ政権の違法な外交政策、先制戦争は非道です。妹の死へのこたえとしてこんな政策を望んだ覚えはありません。
私は、現在、あのテロで亡くなった犠牲者の家族と共に、ピースフル・トゥモローというグループで活動しています。1月、私は、会のメンバーとイラクへ行きました。アメリカでは、国民がイラクへ行くことは違法とされています。そのため、この旅は、市民としての抵抗をおこなうという誓いをもって行われなければなりませんでした。でも私たちは、平和を愛するアメリカ人が、ブッシュの、無謀で人の道にはずれた戦争の被害者になるかも知れないイラクの人たちに連帯することが、いますぐ必要だと信じていたのです。
私たちは、自分達の声が破壊的な戦争を食い止めうると願って帰国しました。世界では、イラクに対する戦争に反対し、前例を見ない規模で平和運動が繰り広げられていました。その後、戦争は始まってしまいました。しかし、国連による兵器査察を要求し、アメリカの一方的な行動に挑み、イラクが大量破壊兵器を持っているというアメリカとイギリスの言いがかりに異議を唱えることによって、平和活動家が成し遂げた成果を決して軽く見るべきではありません。私たちはこの平和運動の活気を維持し、国際的なきずなを強めなくてはなりません。
今後一年の活動として、ピースフル・トゥモローは、600を超える平和組織から成る「平和と正義のための連合」のメンバーとして、アメリカのイラク占領に抗議し、戦争に突入する必要についてブッシュがついたウソを調査するよう要求していきます。この大会で、私たちは、国と国との平和運動のきずなを築いてきました。このきずなは、核兵器を廃絶し、戦争をなくすための私たちの運動を強くしてくれるでしょう。力を合わせるなら、私たちは21世紀を、真の地球社会のための平和と正義の時代として定義しなおすことができるのです。