原水爆禁止2003年世界大会
国際会議

アメリカ合衆国
平和な明日をめざす9月11日家族の会 運営委員会議長
テリー・ケイ・ロックフェラー



  この原水爆禁止2003年世界大会国際会議で最初に発言させていただくことを名誉に思います。私は、2001年9月11日の暴力的なテロ攻撃でたった一人の妹を亡くした一女性として、この場に参加しています。あの日の朝6時、妹のローラはアパートを出て、世界貿易センターへ向かいました。ITに関する会議の運営の手伝いとして、2日間だけそこで働くことになっていたのです。家賃を払うために応募した仕事でした。ローラは歌手で女優であり、ブロードウェイのスターになることを夢見ていました。世界貿易センターに航空機が衝突したとき、家族の誰も、ローラがその付近にいるなどと思ってもみませんでした。

  妹の死が私に教えてくれたことは、暴力と戦争がどのようにしてまったく罪のない人々の生命を奪うかという重大な教訓でした。この教訓から、私は「平和な明日をめざす9月11日家族の会(以下、ピースフル・トゥモローズ)」に参加することになりました。この会は、9月11日の犠牲者の遺族たちがつくった組織です。私たちは、愛する人の死の報復を理由にした戦争に反対するため、ともに活動してきました。

  この場にいるみなさんに、「ピースフル・トゥモローズ」の全メンバーからのあいさつを送ります。私たちは、ニューヨークの現場を訪れた被爆者の方々に深い感銘を受けました。私たちの喪失感に対して被爆者の方々が示してくださった共感と思いやりは、私たちが悲しみを平和活動に換える力を見出すうえで、大きな助けとなりました。何十年にも及ぶ被爆者の核兵器廃絶のたたかいは、世界中の平和運動を励ましています。

  ここでこれから数日間に渡って行われることは、地球上の生命の将来にとって非常に重要です。私たちは、さまざまな国から、さまざまな歴史、生活、記憶を携え、平和への決意を主張するために、この場に集いました。私にとって平和とは、心を開き関心を持ってお互いの話に耳を傾けることであり、音楽、ダンス、芸術など、私たちが共有できるあらゆる美をともに楽しむことです。そしてとりわけ、平和とは、お互いの子供を大切にし、子供たちのために憎悪や貧困や戦争兵器による惨禍のない世界を作り上げると誓うことです。

  私が平和のために行動することによって妹を称える道を選んだことを、妹も喜んでくれるはずだと確信しています。ですが、私が思うに、平和のために行動するうえで、私の年代の人々が、より若いこれからの世代と手を結ぶことがとても重要です。ですから、私の娘のハンナが私といっしょに広島と長崎に来たことを非常にうれしく思います。

  いまは多くの意味で、暗く、困難の多い時期です。9月11日の事件を受け、アメリカは、先制戦争、国際法と国連の無視、米軍事力の要石としての核兵器による威嚇へのいっそうの依存など、破壊的な外交政策に乗り出しました。これらの政策のどれも、妹の死への対応として私が国家に望む政策ではありません。

  ローラは戦争の犠牲になったのではありません。殺人事件の犠牲になったのです。彼女の死亡証明書には、はっきりそう記されています。犠牲者の遺族として、私は真実と正義を求めました。全面的に透明で公開された手続きのもとで、ハイジャック犯に関するすべてが調査されることを望みました。ハイジャックの共犯者や支援者を特定し、捕らえ、公開の法廷で裁かれることを望みました。つまり私は、世界中の人々の安全を守り、向上させるような正義を求めていたのです。

  しかし政府は、テロに対する終わりのない戦争になりかねないことを始めてしまいました。2002年9月12日にジョージ・ブッシュ大統領が国連で、イラクに対して戦争をおこすと威嚇したとき、私は、まるで妹の死を改めて体験するかのような大きな痛みを感じました。私たちはのちに、その同じ月にブッシュが機密文書に署名していたことを知りました。アメリカや海外の米軍が攻撃された場合に核兵器を含む圧倒的な軍事力で報復する権利がアメリカにあると主張する、国家安全保障大統領指令17号です。

  民主主義国家を自称するアメリカの市民として、私は政府の政策と行動を変える努力をする義務を深く感じています。しかし、日本や世界の他の地域の友人に知ってもらいたいのですが、いまアメリカでは平和活動家にとって困難な時期を迎えています。ブッシュ政権は、大量破壊兵器の存在や国家とテロ組織の関連について嘘をつき、アメリカ市民の間に大きな恐怖を広めました。この恐怖の雰囲気の中で、多くのアメリカ人が、容易に沈黙し、誤解するようになっています。愛国者法および「愛国者法II」案は、私たちの基本的な市民権と政治的権利を脅かすものです。アメリカのメディアのほとんどはブッシュ政権の息がかかっているため、アフガニスタンとイラクでの戦争を無批判に支持しました。アメリカの軍事機構を阻止するため、私たちは、これまでになく、戦争のために行動する他の国々の兄弟姉妹たちと連帯する必要を感じています。

  今年1月、私は「ピースフル・トゥモローズ」のイラク訪問団に参加しました。参加を決心するのはたいへんでした。私は決してサダム・フセインの支持者ではありませんでしたから。実際には、イラクに滞在している間中、1980年代にアメリカ政府がフセイン政権を支援していたという記憶にひどく悩まされました。その時期、アムネスティインターナショナルなどの人権団体はすでにフセインの残虐行為について豊富な証拠を公表していたのです。

  イラクを訪問したとき、出会った市民と自由に会話できる機会が実際にはないことに、怒りを感じました。彼らは抑圧された社会に暮らしていました。私たちには政府の護衛がついていました。そのため、私たちは見聞きしたことから、複雑なメッセージを解釈しなければなりませんでした。ほとんどのイラク市民は、罪のない民間人である彼らの家族が1991年の湾岸戦争で死んだことに怒りを感じ、またあのような殺戮が行われるのではないかという不安を抱いていました。静かな会合で、ただお互いの痛みをともに悲しんだこともありました。イラクの人々の多くが、戦争によってテロが増加する恐れを口にしていました。アメリカの攻撃と外国軍隊の占領により、若者たちがテロリストの訓練キャンプに惹かれやすくなるだろうと言うのです。

  「ピースフル・トゥモローズ」のイラク訪問団は、アメリカに帰国したとき、私たちの声が、破壊的な戦争を回避する助けになるという希望を抱いていました。また、イラクおよび世界中に正義を広めるため、非暴力的な変化への取り組みにアメリカの富と力と知性を利用するよう、国の指導者たちに働きかけることができるという希望を抱いていました。イラクでの戦争を回避するために、かつてないほどの国際的な平和運動が作り出されました。そうした運動の力を前にしてさえ、アメリカが戦争に進んだことを考えると、胸が痛みます。しかし、この運動の活力を維持することが大切です。その仕事はまだ終わっていません。

  これから数ヶ月に渡って、「ピースフル・トゥモローズ」は、2つの主要なキャンペーンに力を注いでいきます。まず、アメリカによる無謀な戦争の真の犠牲者である罪のない市民たちについて、引き続き広く知らせていきます。そのために、アフガニスタンとイラクで米軍により死傷した市民の数について正確なレポートを作成し、また、アフガニスタンとイラクの家族に損害を補償する法律を議会で承認させるよう努力します。次に、恐るべき愛国者法の施行に反対し、「愛国者法II」案の通過を阻止するよう努力します。

  「ピースフル・トゥモローズ」は、平和団体の強力な連合体である「平和と正義のための連合」(UFPJ)に属していることを誇りに思っています。「ピースフル・トゥモローズ」はUFPJとともに、アメリカによるイラク占領に抗議し、戦争遂行の必要性についてブッシュ政権が語った嘘に対する調査を要求しています。

  私たちは、アメリカ政府の偽善を終わらせる必要があります。アメリカは、非核保有国に対する先制核使用を含め、先制攻撃による戦争の威嚇を行う一方で、イラク、イラン、北朝鮮に、核兵器やその他の大量破壊兵器がないことを証明するよう要求しています。この恐るべき核政策の転換は、アメリカが1970年に批准し、1995年に再確認した不拡散条約に違反するものです。また、ブッシュ政権による弾道弾迎撃ミサイル制限(ABM)条約からの撤退、新しい「バンカー・バスター」核兵器の開発計画、核実験再開の計画とともに、この転換は、世界的な平和運動と核兵器廃絶の運動にとって、著しい後退を意味します。

  しかし同時に世界は、ニューヨークタイムズ紙が「第2のスーパーパワー」と呼んだ勢力の誕生を目撃しています。その勢力とは、アジア、ヨーロッパ、アメリカの草の根の平和運動、世界中のNGO、そしてアメリカの核軍備および外国軍事基地政策に反対するますます多くの政府からなる連合体です。これは、無謀で破壊的な戦争に反対する強力な国際世論の勢力です。イラクでの戦争は結局、行われてしまいましたが、私たちは、国連による兵器の査察を要求し、アメリカの一方的な行動に抗議し、イラクに大量破壊兵器があるというアメリカとイギリスの主張の妥当性に疑問を唱え続けることによって、平和運動がどれほど多くのものを達成してきたかを、過小評価するべきではありません。

  私たちは、国際的な運動で、外交の勝利、核兵器の廃絶、根本的な戦争の終結を目指して取り組みを続ける必要があります。ともに力をあわせ、21世紀を、真のグローバル社会にとっての平和と正義の時代として再定義しましょう。


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