原水爆禁止2003年世界大会
国際会議

非核フィリピン連合
コラソン・ファブロス



  最初に、大会実行委員会にたいし、この全体セッションで特別報告をするようお招きを受けたことにお礼を申し上げます。非核フィリピン連合、非核独立太平洋運動、また太平洋問題資料センターより、心から連帯のあいさつを述べさせていただきます。

  私は、平和と正義を追求しつづけている同志として、こうして平和を訴える人々や平和活動家のみなさんに囲まれていることを大変光栄かつ嬉しく思います。太平洋地域の国民の精神と流儀にならって、日本の国民と広島の方々に敬意を表したいと思います。日本と広島の人々は、この国と世界の歴史の瞬間に原爆の惨禍を経験し、あの悲劇と不法行為の犠牲者が血の通った人間であったことを今もなお教えています。しかし、あの悲劇の瞬間こそが、私たちをいまもここに集めている理由なのです。私たちは悲嘆して非難するためや、絶望するのではなく、励ましあうために、すべての被爆者の平和と正義を求める声から、力とエネルギーを得るために集っています。

  アメリカの侵略政策、アジアや世界のその他の地域への介入、また、こうした動きが私たちをどこにみちびくのかについては、多くの発言がされており、議論は続くでしょう。先に発言した友人の方々が、アメリカの国家安全保障戦略と、それがアメリカの「自由貿易」の課題とどう結びついているかを解明してくれました。

  私は、アメリカの対テロ政策において、フィリピンがアフガニスタンに継ぐ「第二の前線」にされていることについて、さらに詳しく述べたいと思います。フィリピン政府は、国内にある米軍施設・基地の復活を含め、アメリカの対テロ政策に無条件の支持を宣言したアジアで最初の政府です。忘れてはならないのは、フィリピンの米軍基地が、朝鮮半島、ベトナム、インドネシアなど、アジア諸国にたいする軍事介入や攻撃の足場としてフルに使われてきたことです。アジアから遠くはなれた中東におけるアメリカの安全保障上の利益を支える梃子として、フィリピンは地域的に次のような重要な役割を果たしています。

  1991年、米軍基地反対のフィリピン人民の戦いが勝利したため、米軍は日本に比重を移し、日米安全保障条約を通じて、太平洋とその隣接地域におけるアメリカの勢力のかなめ石となりました。沖縄に駐留する海兵隊の遠征部隊は、現在フィリピンのバリカタン演習場で定期的訓練を行っていますが、この海兵隊が、今はアジア・太平洋において、そしては将来は世界における介入軍の中核をなしています。

  アメリカは、国際的テロにたいするアメリカの戦略の一環として、フィリピンに「前方基地」を復活させることを計画しており、これは海外の米軍基地・施設を縮小または閉鎖するという冷戦後の流れに逆行するものです。すでに9月11日以前に、ランド・コーポレーションは、「アメリカ合衆国とアジア−新たなアメリカ戦略と軍事構成にむけて」(2001年5月)と題した重要な政策戦略を作成し、「将来の米空軍遠征部隊配備」を通してフィリピンに米軍を復活させることを強く主張していました。

  フィリピン人として忘れられないことがあります。1899年、米訪問軍がフィリピンの国土に土足で踏み込んで、新生フィリピン共和国の自由と主権の土台を破壊し、征服戦争を始め、植民地化しました。アジアでの市場と軍事拠点を確保するためです。1899年のアメリカの侵略で、60万人以上のフィリピン人が死に、その多くが非戦闘員でした。これは当時のフィリピン人口の6分の1に相当します。歴史家は、この時期を米比戦争、「アメリカの、アジアにおける最初のベトナム」と呼んできました。

  独立後の安全保障協定として、1947年に結ばれ1991年に廃止された軍事基地協定、1947年の軍事支援協定(のちに1953年の相互防衛支援協定に改定)、1951年の相互防衛条約などがありますが、これらの協定は、フィリピンの対外防衛についてアメリカが権限を握ることを容認する一方、フィリピン軍と警察隊には国内の革命勢力を鎮圧する役目を負わせました。

  1999年に訪問軍隊協定が結ばれ、1991年に基地条約が破棄されて以降停止していたフィリピンにおける米軍の活動が復活しました。以来、米軍のフィリピン駐留の復活を正当化するために、様々な規模の演習が行われてきました。次のような演習です。

  1. カラット:米太平洋艦隊とフィリピン海軍による特定水陸演習。フリゲート艦、上陸用舟艇、ヘリコプター、オリオンP3C哨戒機などが参加。

  2. マサーベクス:米比合同の沿岸警備、水上探知、追跡、報告、訓練。海上監視航空機と米海軍のP-3Cオライオンを使用。この演習には、日夜の監視、捜索、救出演習,密輸阻止作戦、整備講習などがふくまれる。

  3. パラー:この演習は米海軍のチームとフィリピン海軍特殊作戦群(SWAG)のチームの間で、個人とチームの技量を向上させ、広範にわたる海軍特殊作戦での「相互運用性」と、両国の海上特殊作戦に共通の技量を高めるための演習。

  4. チーク・ピストン:空軍同士の演習で、航空機整備についての指示で、腐食防止、機体・シートメタル修理、航空機地上設備修理、海上捜索・救出、特殊戦術訓練、航空機乗組員訓練、ジェットエンジンの計器試験用装備手順などにかんするもの。

  5. バランス・ピストン:特殊作戦についての歩兵演習

  6. ハンダ・シリーズ:より高いレベルの指揮・幕僚の相互行動を強めるためのフィリピン空軍と米軍の間の机上演習。軍と軍の間の協力を強め、今回の演習と今後の演習との間の関連を高める。

  7. フラッシュ・ピストン:16人の編成からなる米海軍のチームとフィリピン海軍SWAGによる、パラ−のような、海軍同士の演習。演習は、水中での爆破、兵器習熟、狙撃、直接行動、訓練をしめくくる野戦訓練を含む。

  8. EDOX:両国軍隊の間の爆破・武器補給専門家の特別相互運用性訓練。日中/夜間のLIMPET、即席爆発装置(IED)、水中武器補給、爆破の訓練、VIP防護にかんする講義と実地訓練を含む。

  9. サルベクス:これは船舶救助の比米の技量を向上させることを意図した海軍演習で、通常は、沈没船を使った実際の作戦を必要とする。
  現在フィリピンでおこなわれているバリカタン大規模演習は、1991年、米太平洋軍司令部(CINPAC)の主催でおこなわれた海軍同士の演習として始まりました。1999年の米比訪問軍隊協定(VFA)は、1991年にフィリピン上院の決定を覆すことに成功したかもしれません。フィリピンの裁判所は、VFAのもとでは、米軍兵士がフィリピン人のレイプや殺人などの重大犯罪を犯しても、フィリピンは裁判権をもたないのです。VFAの第5条のもとで、米軍の兵士その他の要員による違法行為は、どのような重大、凶悪なものであっても、米軍の司令官が「軍務」証明を出せば、「公務上の行為」とみなされます。このようにして、1947年から1991年9月16日の間、フィリピン国内で犯罪行為の容疑に問われた数千人の米兵にたいし、米国は免責にしたのです。

  バリカタン演習は、1991年以来おこなわれてきましたが、上院が基地協定の提案を否決したあと、一時中止されました。1991年に否決された軍事基地協定提案は、通過米軍の演習を取り決めるものでした。しかしこれは、1999年のVFA批准によって再開されました。しかしながら、バリカタン演習の方針と実施は、2002年9月11日後変更されました。バリカタンは2002年初め、意図的に、バシランとザンボアンガ戦争区域において行われました。このときは、国家安全保障顧問のロイル・ゴレスが「実地訓練」といったように、実際の軍事作戦における本物の標的をつかったものでした。

  バリカタンのこの転換は、現在のフィリピン軍の対ゲリラ作戦における軍事演習の公然とした公認の役割にかんするものでした。2000年5月9日付のジョセフ・エストラーダ大統領(当時)への「機動部隊ブラック・クレセント」という機密の覚書があります。これはモロ・イスラム解放戦線(MILF)にたいする機密の「オプラン・ミンダナオ/ブラック・レイン作戦を分析したものですが、このなかで、フォルナト・アバト国防長官(当時)率いるTFブラック・クレセントは、「バリカタン2000」比米軍事演習を装った対ゲリラ戦にかんする軍の先行訓練で、批准された訪問軍隊協定(VFA)と一致したもので」(5頁)、「イスラム人のいないミンダナオをめざすキリスト教徒自警団連合」と「ミンダナオ神聖兵士」を武装させ、M14、M16銃など20,763挺を配布した」(8頁)。この機密文書は、解禁となり、いわゆるミンダナオのテロリズムにたいする自警団の不当な利用を示しており、賞金かせぎに報奨金を与えるシステムをつくって強化しています。

アメリカの干渉の危険

  ベトナムでアメリカが経験したことは、米特殊作戦部隊からの顧問や訓練士を増強しようとしている者たちにとって驚くべき経験だったはずです。1961年、最初のグリーンベレー(陸軍特別顧問団400人が、南ベトナム解放民族戦線のゲリラとたたかう対ゲリラ戦法を南ベトナム軍に教えるために、ベトナムに派遣されました。ベトナム戦争は最終的には、1967年から1970年にかけて50万人を超える戦闘部隊を投入し、200万人のベトナム人が死に、民間人300万人が負傷しました。さらに1,200万人が難民となり、数千人の子どもが孤児になりました。何百万エーカーにものぼるベトナムの森林や農地が、飛行機で散布された枯葉剤によって破壊されました。その飛行機のパイロット自身も汚染されてしまいました。何百万発もの地雷や不発爆弾、砲弾などが、いまなおベトナムの地方には散在し、命や手足を奪われる危険がつきまとっています。

  元のクラーク米空軍基地、スービック米海軍基地の地域にもたらした環境破壊についていえば、有害物質の汚染の被害者は、アメリカ政府が、自分達の残していった有害廃棄物にたいする責任を否定し続ける中、いまなお苦しみつづけています。フィリピンにたいするアメリカの干渉の名残は、米国が同盟国や友好国をどのように扱っているかを示す典型的な例です。この情況については、フィリピン基地汚染除去人民タスクフォースを代表して参加している私の仲間が報告すると思います。

フェニックス作戦の実験場

  私たちは国境をものともしない米軍によって、フィリピンが新しいタイプの軍事化の実験場になりつつあるのではないかと深く懸念しています。南ルソン地方、特にミンドロ島で最近おきた出来事は、そこでフェニックス作戦と同種の作戦が実施されている可能性があることを示しているといえます。この1年間に、政党バヤン・ムナの州コーディネーターを含む20名の地域コーディネーターが暗殺されました。アメリカが訓練し、武装させたフィリピン国軍は、新人民軍のゲリラと民族民主戦線(NDF)にたいするゲリラ掃討作戦を強化してきました。これは、アメリカがベトナムで極秘におこない、多くの死者をだした秘密作戦を思い出させます。この作戦でアメリカは、南ベトナムにある解放民族戦線の政治的インフラおよびベトナムの抵抗運動を支持していると分かっていた地方の指導者や役人を大量に暗殺しました。その後、CIAは、アメリカが指揮したこのフェニックス作戦で、大半が非戦闘員の南ベトナムの民間人25,000人から30,000人が抹殺されたことを認めました。この作戦は「敵を混乱させ、資産を破壊する」ことを狙ったものでした。

アメリカの特殊作戦部隊

  先に述べたように、アフガニスタンに続いて、フィリピンは対国際テロ戦争の二番目の前線にされ、独立した指揮権をもつ混成部隊である、精鋭の特殊作戦部隊(SOF)が配備されています。SOFの作戦は「直接行動」(小規模攻撃)、非通常または非正規戦争、民間対策および心理作戦(世論を操作する心理作戦)、外国による国内防衛(外国による準軍事部隊の武装と訓練)、対テロ訓練などを含みます。SOFはCIAの特殊攻撃チームとともに、政治指導者などの暗殺を専門にしていることで知られています。フィリピンにSOFが配備されたことは、米国防総省の最近の戦略においては、フィリピンは対国際テロ戦争の第二の戦線となっているだけでなく、フィリピン国内のゲリラ(NPA、MNLF、MILF)およびアジアの人民の大衆運動を制圧し、東南アジアにおける地政学的覇権確立をめざしたアメリカの攻勢の踏み台となっています。

MLSA(相互兵站支援協定)

  相互兵站支援協定(MLSA)は、米国防総省の理論に沿った訪問軍隊協定(VFA)の論理的焼き直しです。MLSAは、アメリカが米軍に使用させる目的でフィリピンに蓄積している兵站その他の軍事ハードウエアのみを対象にした協定ではありません。アメリカの戦争用機材などをフィリピンに「収容する」ための施設やインフラなどを新たに設置することも含む協定です。この協定はフィリピン政府にとって、外国の軍事「施設」の設置には協定を必要とすることを定めた憲法の条項を守るために、なくてはならない文書です。VFAはすでに共同軍事演習を装った「外国軍」の入国にゴーサインを出しました。これらは全て、フィリピンにアメリカ軍駐留が完全に復活することを示していますが、今回はフィリピン全体が一つの巨大な軍事基地に変えられるのです。

  以前の比米軍事基地協定(MBA)のもとでは、アメリカの軍隊や施設は、限定された規模や区域の基地にしか駐留あるいは設置することができませんでした。これらの基地はいずれもルソン島に限定されていました。しかし、いまやVFAと提案されたMLSAで、インドネシアやマレーシアに近いミンダナオ南部を含むフィリピン全土が網羅されることになります。

  MLSAは米軍が使用できる基地地域を特定してはいませんが、VFAと同様フィリピンの全ての島の陸海空全てを米軍に提供しており、それによって米軍はフィリピンのどこでも訓練、燃料や食糧などの補給、そしておそらくは海軍の戦艦の修理など、基地内と同じような活動をおこなうことができるのです。しかし、それより重大なのは、フィリピンがアジアをはじめ世界へ介入する基地として、9月11日以降、狂犬のように行動する超大国の単独行動の踏み台として、再び使用されることです。いまや米軍はフィリピン全土の港や空港を使用することができます。そして、もしフィリピンとアメリカが1999年のVFAを拡大解釈して、米軍の対ゲリラ作戦を含め、フィリピン領土におけるあらゆる種類の軍事活動を認めるMLSAのような協定が締結されれば、どのようなことになるかは、想像に難くありません。

フィリピン国益上のジレンマ

  アメリカの対イラク戦争準備において、フィリピンは深刻なジレンマに直面しています。フィリピンはイラクとも、またイラン、北朝鮮というブッシュが「悪の枢軸」と名指しする2国とも外交関係があるからです。もしフィリピンが米軍にこれらの国の攻撃するために国土の使用を許してしまえば、これらの国にたいし、フィリピンを、そしてこれらの国に出稼ぎにいっているフィリピン人労働者を敵視しないように求めることができるでしょうか。また国内的にも、フィリピン政府は、アメリカが「外国テロ組織リスト」に含めている民族民主戦線、フィリピン共産党、新人民軍などとの和平交渉が完全に暗礁に乗り上げる危機に直面することになります。

  対テロ戦争の名のもとに、最悪のテロ掃討作戦がすでに実施され、米軍の介入や米国防総省からの軍需物資の補給によって維持されています。アメリカはフィリピンに戦闘部隊を展開しつつあります。アフガニスタン、ついでイラクにたいし戦略戦争をおこなっているあいだ、アメリカは対テロ対策を口実に戦闘部隊を配備し、核兵器拡散阻止を口実に北朝鮮を強迫してきました。フィリピンおよび北朝鮮の国民にたいするアメリカの敵対行為には相関関係があります。これらの行為は、いずれも東アジア全体におけるアメリカの覇権を確立するためなのです。

  フィリピンは、一方の端には北東アジア(日本、韓国、北朝鮮、中国)の比較的発展した国があり、もう一方の端は、低開発だが資源の豊富な東南アジア諸国がある、大きな弧の中心とみなされています。アメリカは、東南アジアのイスラム教が優勢な産油国を制圧する拠点を確保するため、ミンダナオの中部と南端に、空軍および海軍の基地を確立するための準備を優先しています。

  アメリカの戦略の新たな転換は、フィリピンをはじめとする東アジアに影響をおよぼしています。アメリカは、前方展開の概念のもとで、可能なところにはどこでも小さな基地や前哨基地を設置しようとしています。これは緊急展開の概念からの変化です。米軍の地上前進配備は、安全な米軍基地からいつでも大規模部隊を展開できるようにするためのものとみなされています。

  最近の動きをみると、アメリカは裏でフィリピン憲法の改悪をすすめ、権利憲章をアメリカの愛国者法に沿ったものにして、ミランダ・ドクトリンから派生した条項、および戒厳令しくことを制限する条項を抹消し、経済的主権や国家財産に関する条項を破棄し、外国による投資の制限や、外国軍事基地・軍隊および核兵器などの大量破壊兵器の禁止を撤廃させようとしています。

  失敗に終った「クーデター」、70人の将校を含む300名の兵士による7月27日の抗議行動は、政府がミンダナオでテロ環境をつくりだし、2月にミンダナオでのMILFへの不当な攻撃を命じたことに加え、テロ爆撃を計画して、フィリピン共和国とモロイスラム解放戦線(MILF)との和平交渉をわざともつれさせていたことを暴露しました。兵士たちの不満は、軍部高官を含めた政権が腐敗し、下士官や兵士をないがしろにしていること、軍部が仕組んだテロ爆撃によって、アメリカの軍事介入に道が開かれ、米国防総省からの軍需物資供給が増加し、8月に戒厳令がしかれたことなどでした。

  フィリピン人は、かつてのピープルパワーでEDSA1およびEDSA2として知られる教訓を学びました。私たちが忘れてはならない教訓とは次のようなものです。

  1. いかなる政府でもその正統性に最終的審判を下すのは人民と歴史である。
  2. 真の永続的な社会変革は一夜にして、あるいは近道をしては達成できない。
  3. 組織化や民主的なたたかいをつうじて国民に権力を与えるという地道な努力なくしては、特権階級の既得権によって正当な反乱が利用され、成果を奪われてしまう。
  私たちは軍事「クーデター」の首謀者たちがこれらの教訓を肝に銘じるよう期待します。彼らの不満は当然かもしれませんが、彼らの行動は最終的には、彼らが民主的要求や人民の運動のたたかいに貢献したかどうかによってしかるべき審判を受けるでしょう。

国境のない米軍にたいして一致協力する

  ベトナムの民族自決権のたたかいなど、アジアにおける反植民地闘争や、フィリピンのマルコス独裁政権にたいするたたかいや1991年の米軍基地撤去など親米独裁政権にたいする素晴らしい民主運動は、アジアの人民が自由に生き、外国の介入なしで自分たちで国を運営したいと望んでいることの現われです。

  フィリピンの私たちは、1991年の米軍基地撤去以降も、MLSAの提案によって米軍を復帰させる企てを阻止し続けています。それは実際には1987年のフィリピン憲法の反軍国主義、反核平和条項を守り、実施することです。また、私たちは冷戦時代の遺物であるアメリカとの1951年の相互防衛条約、1947年の軍事支援協定、および1999年の訪問軍隊協定の破棄を求めています。

  外国の侵略者や独裁政権にたいする人民のたたかいの経験は、一致協力し、幅広い統一戦線をつくりあげることによってのみ、フィリピンやアジアの軍国主義者に勝利することができることを私たちに教えています。「組織化は、強者とのたたかいにける弱者の武器」なのです。

  終わりに、この世界大会で繰り返される傲慢さ、裏切り、偽り、不公平、暴力の物語に代えて、謙虚さ、真実、愛、思いやりの物語から勇気をもらい、正義と平和を守り抜き、たたかいで団結していけることを期待します。そうすることこそが、正義と真の恒久平和の世界を求めたたかっている被爆者のみなさん1人ひとりの勇気と残した遺産に報いることになるのです。ノーモアヒロシマ、ノーモアナガサキ。


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