そして、原告らの病気は原爆放射線に起因する高度の蓋然性が無いと具体的理由は付さないまま判断したのである。この原因確率論を打ち破ることがひとつの大きな課題である。
原因確率論の基礎には、アメリカの原発事故の際の調査結果がある。しかし、原発事故と原爆の使用による被爆の間には大きな差異がある。それゆえ、長崎松谷訴訟は、原因確率論を乗り越え勝利した。原因確率論では脱毛症状が発生することはないとされる距離で、現実に脱毛の急性症状を起こしていたことを示した日米共同調査事例は、原因確率論の不確かさを証明した。
原爆投下による被爆は、火球に含まれる様々な放射性物質、微粒子、黒いススなどの放射性降下物、黒い雨、放射性物質を含んだ水や食物の摂取による体内被爆など、原発事故とは様々な差異があることは明瞭である。原発事故との差異を明らかにして原因確率論の基礎を突き崩すことが目標となる。
それゆえ、国や放影研が独占している原爆症に関する資料の全面公開を求め、被爆行政の実態を明らかにする闘いを展開し、同じ状況で被爆しながら、認定と却下という矛盾した判断をした、そのほころびを追及することになるであろう。認定基準のずさんさと適用の矛盾を争うことになるであろう。
軍事研究目的で設置された放影研による残留放射能の調査や疫学調査の対象の不合理性(被爆者と非被爆者の比較に関し、非被爆者のなかに被爆者を加えている不合理性等)や疫学調査手法の限界を明らかにしていくことになるであろう。そして、原爆被災の究明を怠ってきた国の責任を問うことになるであろう。
原告らの病気が被爆と密接不離、高度の蓋然性を持つことを、原告らの被爆時の状況、急性症状、生活歴、既往歴(治療歴)、家族らの被爆状況とその病気などを突き付けて明らかにすることになる。担当医の協力も欠かせない。
戦後58年が経過するなかで、原告らの被爆の実相と被爆後の生活歴等を改めて調査し、整理する必要がある。
原爆症の認定には、各原告の病気が原爆放射線に起因性することを明らかにしなければならない。そして、その病気は非被爆者にも発症するものであるゆえ、なぜ今この時期、放射線に起因して発病したのかを明らかにしなければならない(スモン訴訟等と異なる困難さがある)。そのため放射線に対する感受性の個体差、さらには臓器の感受性の差異など複合的条件により発症するその機序を明らかにしなければならないことになるが、原告らひとりひとりは、戦後の長い時間、環境等の条件の異なるなかで生活し、レントゲン被爆をはじめ、異なる様々なフリーラディカルズ(遊離基)を抱え、一律に昭和20年の時点に立ち返り得ないため、疫学による実証が求められることになるが、その基礎資料は被爆者側にはないのである。
医学の発達は、DNA解析やガンや白内障等の発生機序を明らかにしてきた。しかし、放射線と発病の関係は、核兵器廃絶の運動のなかで核兵器を使わせないという運送の成果に反比例して、不可知の状態に置かれてもいる。にもかかわらず、最高裁は、高度の蓋然性の証明を求めるのである。それゆえ、勝訴確定まで、松谷訴訟は13年、京都訴訟は14年、石田訴訟は3年を要している。しかもそれらは、ただ1人の原告の裁判であった。そして、これら闘いの勝利のため、原告はもちろん、学者、医師、弁護士、支援団体等は大きな努力を積み重ねて来た。
原告29名、さらに追加提訴数十名が予定される広島の原爆認定裁判は、人数の上だけから見ても、それ以上の困難が待ち構えている。しかし、勝ち抜かねばならない。被爆者援護のためにも、核兵器廃絶運動の前進のためにも。
しかし、入市被爆者の被爆線量やその実態に関する文献等は皆無に等しい。こうしたなか、厚生労働省はもとより、放影研も、低線量被爆、残留放射線について調査対象にして来なかった実態を明らかにする必要がある。
と同時に、入市被爆者や爆心地から2.5ないし3キロ以遠の低線量被爆地域とされるところでの被爆者を見つけだし、事情を聴取し、あるいはその体験記を分析して、遠距離被爆や入市被爆に急性症状の発症があるなどの実例を発掘するといった被爆の実相を更に明らかにする新たな挑戦が求められているのである。
これまで闘ってきた認定訴訟の成果や現に進行している上記各地の裁判の成果を互いに活用し、訴訟が前進して行くよう努力する必要がある。
この裁判の代理人となった30名の広島の弁護士たちは、ヒロシマの弁護士として、被爆の実相を知ることを通じ、平和と戦争の問題を学び、被爆行政の実態を学び、行政を相手とした裁判の闘い方を研究し、誠実に弁護活動をすることを誓っている。