2001年9月11日の数日後、アメリカのジョージ・W・ブッシュ大統領は、「テロリストは世界貿易センターを攻撃したが、われわれは世界貿易を拡大・促進することによって彼らに勝利するであろう」と述べた。世界貿易機構(WTO)交渉のトップであるロバート・ゼーリック米通商代表はこの大統領の方針に沿って、「対テロ戦争」と「自由貿易」は表裏一体の強力な武器でなければならないと述べた。
翌年、ブッシュは「米国家安全保障戦略」というアメリカの外交政策目標を明確化した文書の中で、武力行使の指針を打ち出した。ここにははっきりと、「米国の外交政策で何より重要なことは、世界における米国の経済的・軍事的優勢を維持することである。アメリカが世界唯一の超大国であり続けるよう、いかなるライバルの台頭をも阻止するために、米国はその力の及ぶ限りあらゆる手を打つ」と述べられている。
この目的を達成するため、「われわれは、民主主義、発展、自由市場、自由貿易の希望を世界の隅々にもたらすよう積極的に努力する」とこの文書は宣言している。この戦略は、「自由」貿易と「自由」市場にもとづいた「国の成功のための唯一の持続可能なモデル」を発見したと主張し、そのモデルを世界中に広げ実施する責任をアメリカが引き受けるとしている1。
ほかならぬ米国大統領自身と彼の政府は、貿易の問題は戦争の問題と切り離せないと信じている2。この両者のつながりは、明確に、いささかのあいまいさもなく、そして不可分なものとして、米国の外交政策のなかに明記されている。しかしながら、戦争のコストと影響に取り組んでいる者たちは、貿易の問題には取り組む必要がないと考えているようであり、一方、貿易で頭がいっぱいの者たちは、貿易は戦争とまったく関係ないと考えているように見える。これらの人々はいずれも「対テロ戦争」が実は「貿易のための戦争」であることに納得していないのである。
しかしこの戦争を開始し、継続している人物たちは、その中にはいない。
明白な超大国として、アメリカは世界の警察官としての役割を自任し、世界中に軍事基地を張りめぐらし、瞬時に出動できる態勢にある軍隊を配備している。アメリカはしかし、自国の強大な軍事力を客観的な基準で行使し、世界に正義と公正さを広めようとするような私欲のない中立的な警察官ではない。アメリカの軍事力行使には一つの目的がある。
その目的は何だろうと疑問に思われるかもしれないが、ジョージ・W・ブッシュ大統領自身がその点を十分明確にしている。大統領選の候補者討論会で、ブッシュ氏は、「第一に問題となるのは、何がアメリカの最善の利益になるかという点だ」4と述べた。1950年代に、ジョージ・ケナン元国務長官は、「アメリカは世界人口のわずか6%だが、世界の資源の50%を握っている。よって、この格差をいかに維持することがアメリカの課題だ」と語っている。
それ以来数十年にわたって、この不公平を維持するために「自由」貿易という考え方がかなめとなってきた。アメリカの企業の製品を売り込むために外国市場を開放させることは、一世紀以上にわたりアメリカ国家安全保障の支柱であり、数十年のあいだアメリカのエリート支配層を引き付けてきた最も重要な目標であり、彼らを結束させてきた外交政策のコンセンサスであった。冷戦時代にアメリカのおこなった反共十字軍の正しさを信じている元将校のアンドルー・ベースヴィッチ教授は、最近の著書「アメリカ帝国:米外交政策の現実と結果」のなかで、外国市場参入という目標は、長年にわたる米外交政策の態勢をもっとも適切に説明し理解するためのカギであると述べている。確かに、すべてを説明するものではないとしても、かなりの部分はこれで説明がつくだろう。
「アメリカの戦略を導いているビッグ・アイデア(重要な理念)は、開放である。それは商品、資本、人々、考え方の移動に障壁となるものを取り除き、そうすることによって、アメリカの利益につながり、アメリカの基準で支配され、アメリカの力で統制され、そしてなによりも、さらなる豊かさを求めるアメリカ国民の期待にこたえることのできる、アメリカの利益になるような統一的な国際秩序を促進することである」5。このビッグ・アイデアは、つねに、着実にアメリカのエリート達を導いてきた。彼らが共和党員であろうと民主党員であろうが、グローバリストであろうとナショナリストであろうと、一国行動主義者であろうと多国間主義者であろうと、また異なる外交政策の目標を唱えることで、ライバルとの違いを際立たせようといくら努力していても、彼らのあいだにその点での相違点はなかった。ベースヴィッチは、アメリカのエリート層は、たたき手は異なってもこのかんずっと「『開放』という同じ太鼓」をたたいてきたのだと述べている。
問題は、もはや、アメリカ国内市場に依存するだけでは経済成長を継続させることができなくなっていることである。よって、国内だけではもはや消費しきれない製品のはけ口として外国市場を無理やりにでも開放させる必要が出てくる。これはマルクス主義の過剰生産理論のたんなる焼き直しではない。歴代の米政府高官はこの理論をとうとうと述べている。元国務長官のウォーレン・クリストファー自身も、「われわれはアメリカ国内での製品販売だけに頼っていては繁栄を維持できる限界を超えてしまった」と述べた。マデリン・オルブライト元国務長官は、「われわれ自身の繁栄は、アメリカの輸出、投資、考え方を受け入れてくれるパートナー国をもてるかどうかにかかっている」と認めている。外国市場へのアクセスなしには、「アメリカはもはや国内の源泉だけでは十分な成長、雇用、利益、貯蓄を創出することができなくなった」とエール大学経営学部大学院学部長で元商務長官のジェフリー・ガルテンも述べている6。
言い換えれば、アメリカ合衆国が生き延び、国家安全保障戦略が展望するように世界唯一の超大国として君臨する道は、世界の他のどんな国をもしのぐ経済的優位性を維持すること以外にない。しかし、それは国内の繁栄の継続を保証することなしには不可能であり、それにはつまり外国の「開放性」が不可欠である。ローレンス・サマーズ元財務長官は、「貿易とは、別の方法で平和を追求することである」と述べたことがある。
よって、アメリカの自由市場を求める衝動は、自らの国家安全保障上の緊急課題と結び付いていて、たとえこれらの課題の支持勢力のあいだに意見の相違や時には対立があったとしても、それと切り離すことができないのである。アメリカの経済的覇権は、アメリカの戦略的あるいは軍事的支配を温存するために不可欠である。しかしこの戦略的覇権も、一方では、アメリカ自身の経済的優位性を守るために展開されるものでもある。
ニューヨークタイムズ紙の外交問題の花形コラムニストであるトーマス・フリードマンは、この関係の側面を次のように絶妙に説明している。「市場の隠れた手は、隠れた拳なくしては決して機能しない。マクドナルドは、F-15戦闘機メーカーのマクダネル・ダグラス社なしには繁栄できない。そしてシリコンバレーの技術が海外進出するために安全な世界を維持している隠れた拳は、米陸軍、空軍、海軍、海兵隊と呼ばれている」。
「政策の一貫性」を実現するために国際通貨基金(IMF)や世界銀行(WB)と連携しているWTOは、その制度において、車の両輪のようにアメリカの外交政策をつき動かしている経済的要因と軍事的要因という互いに絡み合い、補強しあっている双子のあいだの意見の一致と、力関係を具現化している。
WTOを、貧しい国々でも大国と同じ権限を持つことができる多国間交渉機関として売り込むために、アメリカは最大限の努力をおこなってきた。しかし、国際経済学研究所長であり、有力な「自由」貿易論者であるC・フレッド・バーグステンは、米上院での証言で、WTOの存在理由をもっとも的確に要約してこう述べている。「いまやわれわれは、この国際機関の影響力を最大限に利用することで、貿易障壁を追及し、縮小させ、取り払うことができるようになった」7。
WTOは、外国市場を開放させることによってアメリカ国内の平和を維持するために生まれたのである。
ほとんど知られていないことだが、WTOは、GATT(訳注:関税と貿易に関する一般協定、WTOの前身)21条の、いわゆる「安全保障上の除外条項」を温存している8。この条項は締約国が、「・・・武器、弾薬及び軍需品の取引、ならびに軍事施設に供給するため、あるいは戦時あるいは国際関係の有事の際に直接または間接に行われるその他の貨物及び原料の取引に関しては、自国の安全保障にかかわるような重要な利益の保護のために必要とみなす」9措置をとることを認めている。
名目上は農民にたいする補助金を含め、経済のすべての部門への補助金禁止を唱える一方で、WTOは各国政府が自国の兵器・防衛上産業にだけは補助金を出すことを許しているのである。また、国内の未成熟産業を政府が保護することは禁止されているが、軍産複合体の保護は自由におこなうことができる。言い換えれば、この「安全保障上の除外」は、世界唯一の超大国アメリカの絶対的な軍事的優位を維持・主張するために不可欠な産業である軍事産業を守り、強化するものなのだ。
これはいくつかの形で現れる。まず、アメリカ政府の補助金のおかげで、兵器の生産コストは低下し、よって兵器供給は増大し、価格が下がり、兵器が容易に手に入るようになる。軍事産業を保護した結果、自由市場に銃があふれてしまうのだ。これまで10挺しか拳銃を買えなかった国が、(見えざる手のおかげで)今や100挺買うことができる。
世界は不安定化し、不拡散条約が守られず、国際法の違反者たちが罰せられることなく支配し、唯一の超大国が圧倒的な軍事力を使って自国の利益ばかりを追い求めている。このような世界においては、各国が自分の国ももっと軍事力を持つべきだと考えるのも無理はない。
多国籍兵器企業は、マーケティング予算をふんだんに使い、このような不安につけこんで製品を売り込むことができるだろう。例えば、Xという爆弾をA国に売ってからB国に売り込めば、B国はA国が支払った額をみて、それを上回る数量のX爆弾を買うだろう。しかし、それを知ったA国は、もっと注文を出すだろうし、B国もまたそれを上回る量を注文する・・・。不安定な世界で安価な兵器を積極的なマーケティング戦略で売り込めば、際限ない軍拡競争という結果を生む。
安価な爆弾や戦闘機がほぼどこでも手に入ることと、WTOが政府にたいし「国家安全保障」以外に正当にお金を使う選択肢を殆ど認めていないことが組み合わさり、最終的には国家予算に占める軍事費の割合が法外に膨れ上がる。
しかし、国のお金が銃弾を買うことに使われると、その分だけ本を買うお金が減ることになるため、このような軍事化は戦争が増殖する土壌を肥やすことになる。産軍複合体の脅威を警告したかつての米大統領ドワイト・デビッド・アイゼンハワーは、「一丁の銃の製造も、一隻の戦艦の進水も、一発のロケットの発射も、結局は、それぞれが飢えても食べ物が与えられない人々や寒くても着る服が与えられない人々から、盗むことを意味する」と述べている。
増えすぎた爆弾や兵器は、究極的には、そのために使われた資金をいちいち正当化しなければならないという重圧になって政府を圧迫する。膨れ上がった軍事費を正当化する必要性は、脅威を誇張し、外交や政治交渉などで解決できる紛争を、軍事的に解決することを助長する。
軍事的解決を選択することは、ひるがえって弾丸の需要を増やし、それが本を買うお金を減らすことになり、さらにそれがさらに多くの戦争を生み出す。このように際限のない軍拡競争は、世界最強の国の軍事的優位性の保護という要求によって拍車がかかり、悪循環へとすすむのである。
しかし得をするのは防衛産業だけではない。除外条項は各国に「安全保障にかかわる重要な利益」とはなにかを勝手に解釈する権限を与えているため、簡単に利用することができる抜け穴となっており、これを使って各国政府は、隠れた補助金を与えることで、すでに巨大化している防衛に関係のない産業までも保護することができるのである。要は、これら防衛に関係のない産業が国の安全保障に不可欠だと主張すればいいのである。
ソ連の元首相ニキタ・フルチショフは、冗談で、ボタンは兵士のズボンがずり落ちないように留めているので、疑いもなく軍需品であると言ったことがある。また、これは冗談ではないが、歩兵隊は戦争で戦うために靴が必要だから、靴産業を保護しなければならいという主張もされた。
しかし、除外対象としてその製造が保護されている軍用輸送機ボーイングC-17グローブマスターは、すでに民間輸送会社にも販売されている。また、これほど直接的ではないが、ボーイング社は、補助金のおかげで軍需生産部門では利益をあげており、その利益を商業航空機部門が赤字になった際にはその赤字の補填に使うことができる。WTOの最大級の支持者であるボーイング社のほかにも、ジェネラル・エレクトリック社、AT&T、ジェネラル・モーターズのように、性格上は軍需品ではない製品を生産している企業も、長年にわたって数十億ドルの国防関係契約を結んだり、研究助成金を受取っている。例えば、農業、生化学、製薬などの部門の企業にも、アメリカ国防省は巨額の研究開発資金を提供している。
これらの契約や補助金のおかげで、アメリカの企業は巨大企業としての地位を築き、競争相手にたいする技術的優位性を保つことができるのだ。アメリカのGNPの25%を占める純粋な軍需品に、防衛には関係がないが、防衛関係の契約や補助金を受けている企業の製品を加えてみると、アメリカ経済全体を保護するうえで「安全保障上の除外条項」の重要性はさらに際立ってくる。
換言すれば、「安全保障上の除外」によって、アメリカはひそかにある種の産業振興政策を実施することができるのである。この政策は、まさにアメリカが世界に押し付けている自由市場の思想によれば、言葉の上では嘲笑すべきものとされているものの、アメリカにとっては戦略的利益だけでなく、経済的利益にも役立っているのである。
わずかに取り繕われたこの産業振興政策は、WTOの圧力でアメリカ企業にたいして国内市場を開放させられ、苦戦している途上国の国内産業を犠牲にして、アメリカが対抗している国にたいする優位性を維持するために、自国の産業を育成することを可能にしているのである。
「安全保障上の除外」はWTOの本質を暴露している。このあまり知られていない第21条は、WTOのルールとはなにかを如実に物語る条項である。この条項をみればWTOは、その意図も目的も自由貿易などではないことが確認できる。また、WTOの擁護者たちが、実際には言われているような厳格なイデオローグではないことを証明している。彼らは、各国政府にも果たすべき正当な役割があると考えているからだ。しかし、除外条項が示しているように、彼らの考える政府の役割とは国民を食べさせ、教育し、仕事を与えることではない。軍隊を強化し、産業を支援することなのである。
WTOは他の多国間機関と同じく、自国の利益だけを追求する単独行動主義のアメリカが多国主義を装うために利用されている。実際、アメリカはWTOを利用して、大国間の貿易上の対立を管理し、世界での自らの技術的優勢を確立し、自国についてはあつかましく保護貿易主義をおしとおしながら、途上国には自由貿易を強制している11。自由貿易がアメリカの国益にかなうとところでは、それを主張し、そうではないところでは除外条項を巧みに利用しているのだ。
ある人にとっては、多国間交渉という看板をかかげて、市場開放というばかげた大計画を実行した結果は、戦争がもたらす影響とさほど変わらない。この「開放」のもたらす被害は、ある意味で、戦争のもたらす被害と区別不可能である。1991年の経済崩壊の結果、市場の「自由化」の処方箋に奴隷のように忠実に従ったアルゼンチンが被った損失や破壊は、雨のように爆弾を降らされた国の被る損失や被害とどれほど違うというのか。WTOのルールで手に入らなくなった安価な薬があれば生き延びられたかもしれないエイズの犠牲者の死は、巡航ミサイルにやられたイラク人の死とは違うのだろうか。
ノーベル経済学賞を授賞したジョゼフ・スティグリッツは、IMFを容赦なく批判し、「開放」を説き、押し付ける人々の使う手法は、滅菌室のようなハイテク戦争に用いられる手法に等しいと述べている。事実、スティグリッツも指摘しているように、5つ星の高級ホテルの快適な部屋で、一国の経済政策を決定しているIMFのお抱え経済学者と、地上5万フィートの遥か上空から爆弾を投下する戦闘機パイロットとどれほどちがうのだろうか。
多くの国で、ばかげた大計画は、それが適用された分野で人々の雇用と暮らしを破壊し、不平等を拡大し、世界中で大衆の生活水準をいっそう低下させてきた。ジョージ・ソロスが「市場原理主義」とよんでいる企業本位の市場開放を支えているこのビッグ・アイデアという一連の考えは、1980年代から実施されてきたが、成功した例は少なく、はなはだしい失敗例が多い12。
これらの失敗と、それがうみだした貧困と不平等の状況は、ひるがえって、内戦を助長している。世界銀行も、内戦の多くは、つまるところ経済的な原因でおきていると自ら認めている13。オスロに本部がある平和研究所は、内戦によって破壊された国に共通の特徴として、貧困、高い頻度の対外債務、IMFの厳しい介入などを指摘している14。多くの中東諸国をはじめ、南側の国にたいするIMF政策の強制は、暴君や独裁者にたいするアメリカの支援とあいまって、人民の不満や弾圧をつくりだし、それが「テロリスト」を生んでいる15ことを知らせることが急がれる。
実際、1953年に新しく選出されたグアテマラ政府の土地改革計画で、ユナイテッド・フルーツ・コーポ—レーションという米企業の土地所有があやうくなったときにアメリカがやったのも、まさにそれだった。同年、イランで政府が石油産業を国有化したときも、1964年にブラジルで大統領、が多国籍企業が自国に送金する利益に制限を課したときも、1990年代にザパト派が北米自由貿易協定(NAFTA)の実施を妨害したときもそうだった。これらは過去の事例の一部にすぎない16。
しかし「開放」へと導く道が、戦争へ導く道と同じであることを示す最良の事例は、最近のイラク侵略ではないだろうか。大量破壊兵器が発見されなかったため、イラクはアメリカに脅威を及ぼしているという主張が、実はアメリカの戦争遂行の経済的な動機を隠すためのカモフラージュであったことが疑いもなく明白になった17。「ノー・ロゴ」というベストセラーの著者ナオミ・クラインは、いみじくも、この侵略をある種の「偽装された民営化」と表現した。
爆弾の雨を浴びたイラクは、アメリカの企業がさらに繁栄する肥沃な土壌となった。アメリカ企業が、アメリカ人自身が破壊したものを再建するための千億ドル以上の契約を獲得することになっているからである。かつて国営であった教育機関、水道、電気事業および交通・通信事業などを引き継ぎ、それによって利益を得ることになるのもアメリカ企業である。さらにアメリカは、イラクや近隣アラブ諸国という甘い果実を十分熟してから摘み取れるように、中東自由貿易地域(MEFTA)18の計画をうちだした。
言い換えれば、露骨な武力行使による「開放」の追求としてのイラク侵攻は、平和的手段によらない平和の希求にほかならない。クラインの言葉を借りれば、イラク侵攻が示したのは、「アメリカはひそかなおどしによって市場を開放させる"ライト自由貿易"方式から、先制攻撃の戦場で新たな市場を獲得する"スーパーチャージ自由貿易"方式へと、そのやり方をいとも簡単に変えるということである」19。
これは戦争へと向かう希求である。第一に、アメリカによる軍産複合体保護は世界の軍事化を増長する。第二に、「開放性」はその経済的影響によって、内戦や社会階層間の対立を助長する。自ら「開放性」の対象となっている国々のこうむる損失や破壊は、戦争による損失や破壊とさほど変わりがない。最後に、市場を開放させる動きと、開放された市場を維持する努力には、軍事介入や侵略をつうじた武力行使を必要とする。
世界の警察官とルールの執行者という役割を自ら引き受けたアメリカは、世界の唯一の超大国として、いまや自分の利益にもとづいて暴力を行使するには最良の立場にある。しかし、アメリカの最大の利益は、世界にとっての最大の利益ではないことがしばしばあるため、このような役割分担が、不安定化や対立を引き起こすことはほぼ確実である。なぜなら、貿易あるいは「開放性」が、平和的手段によらない平和の希求であるとするなら、そのような希求は新たな戦争へとみちびくだけにすぎないのだから。