原水爆禁止2003年世界大会
広島(8月6日)

海外からの発言


韓国原爆被害者協会
宋 任復(ソン インボク)


私はソン・イムボクです。韓国被爆者協会の会長の代理として、世界大会に参加しました。
初めてこの会議に参加して、ほんとうに感動しています。

  私も被爆者です。13歳の時、広島市福島町で被爆しました。被爆したあと韓国に帰ったため、日本国内にいた被爆者と同じような補償をうけることができませんでした。そのため日本政府をあいてに裁判をしました。そしてようやく補償をうけることができるようになりました。

  今、韓国の被爆者も高齢になり、日本にこられない人が多いのです。日本にきて申請しなくても、補償を受けられるようになることを希望しています。

  あの原爆の日、私の父と3人のいとこの4人は、いま平和公園になっている場所で亡くなりました。その時は練兵場であったと思います。また二人のいとこ兄弟は、死体をみつけることができませんでした。二人の遺体は、平和公園のどこかに埋っているのではないかと思います。自分で被爆したことがない人には、このような気持ちが分かってもらえないと思います。


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