原水爆禁止2001年世界大会
長崎・開会総会(8月7日)

日本被団協
山口 仙二


  みなさん、こんにちは。海外代表のみなさん、ようこそ長崎へ。全国各地から参加されたみなさん、日本被団協を代表して心から歓迎のごあいさつを申し上げます。

  長崎は、特別な場所であります。平和な世界を求める人ならば、・・・核兵器のない、戦争のない世界を願う人ならば、一度は長崎の土を踏んでいただきたいものです。

  長崎の土に、けっして弔われることのない無数の死者たちが眠っているかぎり、長崎はつねに反核・平和の発信地でありつづけるでしょう。長崎は、あの日劫火の中でもだえ死んだ死者たちとともに訴えつづけます。「長崎を最後の被爆地に」と。

  14歳のとき、爆心地から1.2キロのところで、摂氏4000度の熱線にうたれ、上半身を肉の奥深くまで焼かれた私の血も、この土は吸っています。

  累々とした死体が浦上川をうづめつくしていました。黒焦げの死体、赤向けの、首のない、引き裂かれた、太鼓腹の、両眼のとび出した死体。思い出すのも恐ろしいこの世の地獄でした。

  私は40日間意識不明で、生死の境をさまよいました。たくさんの人が苦しみもだえてつぎつぎに死んでゆく中で、奇跡的に私は生き延びました。死んでいった人たちが生かしてくれているのだと思います。56年、苦しい日々の連続でした。下痢、下血、脱毛、発熱・・・さまざまな後障害がつぎつぎに襲いました。あまりの苦しさに自殺を試みたことがあります。原爆は悪魔です。どんな理由があっても許すことはできません。

  「ふたたび被爆者をつくるな」「核戦争起こすな、核兵器なくせ」と、「ヒロシマ・ナガサキ」を語りつたえた私たちの半世紀におよぶ訴えは、ようやく地球のすみずみにゆきわたり、世界の世論となりました。1996年には、国際司法裁判所が、核兵器の使用は一般的に国際法に違反するという判決をくだし、2000年には、NPT加盟187ヶ国が全会一致で、核保有国から「自国の核兵器の完全な廃絶を達成するという明確な約束」をとりつけました。

  世論の力、共同の力は圧倒的です。核兵器廃絶は実現可能な緊急の目標になりました。

  アメリカの横暴を抑えなければなりません。いちばん腹立たしいのは、日本政府がアメリカの後押しをしていることです。きょうここに結集された友人のみなさん。この力をさらにさらに大きくして、日本政府を包囲し核兵器容認の政策をすてさせましょう。

  核兵器も、戦争もない21世紀を、1日も早く実現しましょう。

  皆さん、長崎の土の叫び、風と水の訴えを世界のすみずみにつたえてください。


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