来賓のみなさん、政府代表のみなさん、原水爆禁止世界大会実行委員会のみなさん、平和運動の友人と仲間のみなさん、
クラークやスービックの子どもたちにも生きる権利があります。彼らは有毒物質のごみ捨て場で暮したいと言ったことは一度もありません。
2000年8月18日、クラークおよびスービックの旧米軍基地周辺地域に住む有毒物汚染の被害者とその家族は、米国政府を主要な相手としてフィリピン裁判所に賠償請求裁判を起こしました。これは、非政府組織の環境での正義を求める努力を象徴する出来事でした。この賠償請求訴訟は、マニラのアメリカ大使館前でおこなわれた歴史的な「有毒物質被害者のための母親行進」をうけておこなわれました。この行進には、パンパンガ州やオロンガポ市から来た大勢の母親が参加しました。皮肉にも、基地周辺地域の大部分は、以前は「米軍基地支持」あるいは、比較的に政治的関心の低い地域で、フィリピンに米軍基地があった72年のあいだ、基地経済のなかで、日々の経済的な生き残りにしか関心がないと思われていた地域です。こんにち、これら汚染が深刻な地域は、現在、歴史的あるいは画期的な健康・環境問題といわれている問題で、長年、米軍の撤去を要求していたNGOと協力関係を強化しています。これは苦しいたたかいであり、有毒物汚染の被害者とその貧しい家族の前にはあらゆる困難が山積しています。なぜなら彼らの相手にしているのは、年間国防予算が3,000億ドルにのぼる、地球上で最も豊かな国の、世界最強の軍部だからです。
比米関係において政治的地雷原の犠牲となったのは、人々の健康ばかりでなく、フィリピンの環境です。以前の考え方に反して、最新の資料では、アメリカ政府は、クラークやスービックに健康・環境問題が潜んでいることを認めるつもりなど全くなかったのです。1991年5月15日付けの「海外施設の環境回復政策行動覚書(ERPO)」と「受入国に返還される施設に適用される環境的配慮と行動」題する2つの計画案の存在は、アメリカ政府に「法的な責任はない」という立場を覆すものです。アメリカの国防総省にはERPOという計画があり、「国防省は特定の汚染除去要件および必要な場合の実際の汚染除去作業の実施に責任がある」としています。旧基地の毒物汚染の犠牲となった無数のフィリピン人の死を防ぐことができなかもしれないこれら保健・環境計画案は、明らかにフィリピンでは守られることも、実施されることもありませんでした。基地の閉鎖後、保健・環境回復政策を実施しないという報復的な措置は、数世代にわたってフィリピンの子どもたちや女性を含む、基地周辺に住む人々の命を奪い、障害を与えました。このような敵対的な態度は、ユージン・キャロル前米海軍提督が「国家安全保障は他のすべての考慮、つまり保健、環境、人権についての考慮に優先する」と表現したものを実行に移したものです。提案されているアメリカの保健・環境政策は、深刻な健康・環境問題が発生する可能性があることを実際に認めていますが、それ以上にすすむことはなく、その後の、この件についてのアメリカの立場を否定することはありませんでした。こうして、フィリピン国民の幸福、健康、安全は、超大国の地政学的な考慮と戦略の犠牲となったのです。また、これらの計画案は、アメリカ国防総省が、既存の環境回復計画をつうじて、過去にアメリカ国内や海外のもと基地でおこなったように、汚染の実態を把握し、汚染除去をする能力も資金もあったのに、それを使わなかったことを示しています。
フィリピン下院の公聴会で、アメリカ問題担当次官は、1997年10月以前には、米軍基地撤去から5年が経過していたにもかかわらず、アメリカ政府がフィリピンに、スービックにおける健康・環境問題やリスクに関する資料も報告書も渡すことがなかったことを認めました。
アメリカ政府は、環境法順守において、二重基準や環境的人種差別を適用しているのです。アメリカは、フィリピン、パナマ、プエルトリコなどの途上国における環境保護・安全基準を守りませんでしたが、1998年12月28日のニューヨーク・タイムズの論説によれば、アメリカは「ドイツやカナダなど重要な同盟国の基地では、危険な廃棄物を撤去するか、その費用を負担して」いるのです。1998年だけをみても、アメリカ政府はアメリカ国内にある基地の汚染除去に21億3,000万ドルを費やしています。既存基地を含むこれまでの海外基地の汚染除去に関するデータは、フィリピンは、アジア・太平洋地域におけるアメリカの重要な同盟国であるにもかかわらず、アメリカの配慮の対象であったことは一度もなかったことを示しています。私たちは、アメリカの帝国主義が、フィリピンの米軍基地の有毒廃棄物汚染を引き起こした原因であると考えています。
1996年に米軍の有害物資と基地の汚染除去にかんする国際フォーラムがマニラで開かれたとき、かつてスービック湾に定期的に寄港していた米空母ミッドウェーの艦長であったユージン・キャロル米海軍提督(退役)は、次のように証言しました。
「1970年当時の空母司令官として、私は廃棄物の適切な管理と処分を確保するために、アメリカの港湾において注意深く監視されていた。1971年スービック湾で、われわれの艦船、航空機、産業施設が、短期的あるいは長期的な影響も考えず汚染物質を大気中、水中、土に撒き散らしていたとき、このような強化体制がとられていたかは、私の目には明らかではなかった。そして私には二重基準が見え始めてきた。未処理の汚水排水、漏水、発電機からのPCB放出などの長期的影響を加え合わせると、スービック湾は様々な汚染源によって、長期的に地域住民の健康と安全が脅かされるほど汚染されていることは疑いもない。この汚染は、閉鎖された施設を、基地受入国の経済や市民の利益になるように有用な財産に転換するために必要な投資や開発を妨げる可能性をつくりだしている」。
フィリピンには、この問題に対処できる資力も技術力もありません。アメリカ国内にある、フィリピンと同規模の基地の包括的な調査と汚染除去の費用は一ヶ所で10億ドルであり、これは、いまアジア地域でおこっている経済危機のもとでは、フィリピンにはとても払えない額です。またフィリピンでは、大規模な軍事および産業廃棄物汚染に対処する技術は開発されていません。過去数年間、非核フィリピン連合や、基地汚染除去人民部隊などフィリピンのNGOやアメリカの連帯組織は、アメリカにたいし毒物汚染の責任をとるように求めていますが、アメリカは汚染問題があることを認めることさえ拒否しています。
先週、日本に出発する準備をしていたとき、「スービック、核実験観測所を受け入れ」という全国紙が報道するニュースが飛び込んできました。これは核実験や核事故を、世界規模の監視ネットワークの一部として設置される3ヶ所の監視ステーションをつうじて検知するというもので、この監視ネットワークは、CTBT(包括的核実験禁止条約)が守られているかを監視することになっています。私は、これが、フィリピン、アジア・太平洋地域の安全保障や国防にどのような影響を及ぼすことになるのか分かりません。
核兵器実験は、それが世界のどこでおこなわれようと、すべてCTBTで禁止されています。準備委員会が国際監視システム(IMS)を設置しつつありますが、このシステムは地球規模で、90カ国、321ヶ所の監視ステーションと80ヶ所の放射性核種観測所から構成されます。IMSは世界のあらゆる場所での核実験を検知できる、精巧なシステムの最初で最も重要な部分なのです。
フィリピン核研究所は、フィリピンはIMSのうち、80の放射性核種観測所の1つ、および170ヶ所の地震観測所の補助観測所2つを受け入れることになると述べています。
もとアジアにおける米海軍最大の基地であったスービック港湾当局(SBMA)は、放射線核種観測所の土地、電力、警備を提供するよう要請を受けました。スービックは、南シナ海に非常に近く、その周辺にある日本、中国、台湾にはいずれも核施設があります。その他の監視ステーションは、ダバオ市(フィリピン南部)に設置され、もう1つの観測ステーションはどこに設置されるか明らかにされていません。
2週間前、アメリカ太平洋司令部の総司令官のデニス・ブレア提督が、米比相互防衛委員会の第43回会議に出席するためフィリピンに来ました。ブレアは、フィリピン軍の参謀本部長ビラヌエバ将軍と、委員会の共同議長を務めています。そこで、発表された情報は、興味深いと同時に不安をもたせるもので、この情報はしっかりとした調査する必要がある問題です。
これはフィリピンの平和運動にとって新たな挑戦です。世界の各地で強力な市民社会運動が出現していることは、希望と励ましを与えてくれます。これらの運動は、戦闘性には差がありますが、いずれも平和的で非暴力の手段で自分たちの目標を達成しようとする強い決意をもっています。フィリピンは、この現象のモデルとなり、学者たちは1986年の第1回エドゥサ通り人民非暴力蜂起と2001年の第二回蜂起は、この現象が基礎となっていると指摘しています。この過程の特徴は、広範な自主的な市民団体が出現したことで、これら団体は、成長し、自らネットワークをつくり、それによって、私たちが活動のなかで見てきたように、彼らは地域社会と国際社会で主役となり、ドラマを繰り広げているのです。これらの団体は、いろいろな社会階層に所属し、民族を超えた様々な社会運動を代表しており、様々なたたかいやキャンペーンを生み出し、育ててきたNGOや草の根の民衆運動に体現されています。貧しく、社会の片隅に追いやられた地域社会を犠牲にして、利潤を追求する多国籍企業に利する貿易政策に抵抗しているのは、まさにこれらの団体です。専制的な体制にたたかいを挑んでいるのも、これらの団体です。自分たちの森の収奪を止めさせ、農家や地域をブルドーザーで破壊し、金持ちで強力な外国からの侵入者の遊園地に変えるのを阻止しようと人間バリケードを築いている市民たちです。アメリカのような大国が、絶えず自分たちの土地や海を、危険で有毒な化学物質の地雷原にして、人間の生活に不適なものに変えることを止めさせるために、銃弾に身をさらすことをいとわない、男女と子どもたちです。女性や子どもがレイプや虐待されることに怒り、正義の裁きを求める人々です。
私やみなさんのような平和活動家は、あらゆる怒りの力強い表現、正義への期待、勝利するまでたたかうという決意に、元気づけられ、励まされ続けるでしょう。
ネルソン・ピアリー著の「ブラック・ファイアー」からの一節を引用して、発言を終わりたいと思います。
「たとえアメリカ人が、インディアンを皆殺しにしていなかったとしても、たとえ彼らが先住民たち同士の皆殺し戦争を引き起こしていなかったとしても、たとえ『涙の行進』がなかったとしても、たとえアメリカが優しく無防備なアフリカ人を誘拐し、奴隷売買を組織し、商売にしなかったとしても、たとえアメリカが世界で最も広範におこなわれた乱暴で搾取的な奴隷制度を発展させていなかったとしても、たとえメキシコを分断し、粉砕し、粉々にしなかったとしても、たとえ勇敢で無防備なプエルトリコを攻撃せず、この愛すべき国を、アメリカがパナマにつくりだしたドブに勝るとも劣らない池に変えなかったとしても、たとえラテンアメリカから富を搾り取り、疲れ果てた国民を、病気と無知と飢えの山に放り出さなかったとしても、たとえ、広島、長崎を地獄の淵に追いやらなかったとしても、たとえアメリカがこれらすべてをしなかったとしても、フィリピンにたいしてしたことについて、歴史の特別の裁きを受けなければならない」。
非核フィリピン連合と基地汚染除去人民部隊を代表し、発言できた名誉に感謝します。