原水爆禁止2001年世界大会
国際会議

広島県原爆被害者協議会
金子一士


  昨年度、広島県内での被爆者手帳所持者の死亡は3,569人です。げんばくの恐ろしさは原爆が落とされた時もさることながら、半世紀たった今も人間を殺し続けていることです。今は人ひとり殺してもテレビなどは大騒ぎしますが、誰が見ても原爆放射線のせいで殺されたと思われる人が大勢いても、世間では大問題になっていません。
  被爆していない人も癌になるし、被爆者でも長生きする人もます。しかし被爆後何回も大手術をくり返えし全臓器が癌でおかされながら、それでも生き続けている被爆者のこと、それを必死で支えている家族のことを考えてみてください。
  被爆者相談所の香川和子さんが、この6月21日にご主人と子どもさん二人を残して死亡されました。
  香川さんは今まで病気知らずの健康体を自他ともに認めていました。昨年の世界大会直後、突然救急車で原爆病院に運ばれ、面会謝絶、低形成性白血病と診断されました。香川さんは2歳の時、爆心地より2.2キロの自宅で被爆しました。
  原爆の子の像、鶴を折りながら亡くなった佐々木禎子さんも2歳の時、被爆距離は2キロです。二人とも発病前までは健康体で突然の白血病です。
  二人が異なるのは、佐々木さんは12歳、香川さんは58歳で死亡、佐々木さんは20ヵ月、香川さんは10ヵ月の入院でした。香川さんについて、原爆病院の医師は「8月上旬より四肢に紫斑出現」「原子爆弾の放射線による染色体が関与している可能性が高いと思われる」と述べています。医師のすすめで昨年9月、厚生大臣に「原爆症認定申請」を出しましたが、本人が死亡した今になっても、まだ審議すらしていません。
  今年4月、日本被団協の代表団は、厚生労働省に申し入れをしました。その時厚生労働省は「認定通知が遅れて申し訳ありません」と頭を下げて謝りました。坂口厚生労働大臣は「認定が科学的に迅速にやれと言うことですね」と答えました。
  しかしこの6月18日の審議会では98件中77件を「原爆放射線のせいではない」と却下しました。広島県内からの申請43人中、40人が却下。認定を待ち切れずに亡くなった被爆者が8人です。厚生労働省が陳謝した時、前回の審議前の死亡者は県内で10人でした。
  いまだ未審議は何百件も残されたままです。しかも認定申請をしている被爆者はごく一部、氷山の一角にすぎません。認定制度を知らない被爆者、知っていても「このままそっと死なしてくれ」とひっそりと死んでいく被爆者は多く居られます。
  かつてアメリカ占領軍は、被爆直後の1945年9月、「広島・長崎で死ぬべき被爆者は総て死んだ。現在原爆症で苦しんでいる者は一人もいない」と発表。諸外国の報道関係者の広島への立ち入りを禁止して、広島を外界から遮断し、被爆者をモルモットとして扱いました。
  原爆を過去の物語に押しやり、核兵器が半世紀たった今もなお人間を殺し続けている現状を無視、または軽視するのはこの流れに組するものであり、原爆の被害を矮小化し、被爆者切り捨て、核兵器開発につながるものではないでしょうか。
  今、多くの科学者が次々と新しい研究論文を発表しています。遠距離被爆や低線量被爆、また被爆者が癌以外でも死亡率が高いこと、中性子線がカンマ線に比べて6〜16倍も染色体異常が多かったなど。しかし放射線被害についていまだ未解明の問題も多く存在しています。被爆二世の問題も今からの問題です。私たちや科学者こそ事実に謙虚であり、事実を尊重しなければならないと思います。
  広島では、今も被爆手帳の申請者が多く存在します。また原爆孤児は今は原爆孤老となり、孤独死や、さまざまな悲劇が多発しています。養護ホームへの入所は3年待っても入所できないという状況です。デタラメな「黒い雨」地域の是正もまだ残されています。
  広島・長崎の悲惨な被爆体験は、過去半世紀にわたってとにもかくにも核戦争を阻止する大きな力になってきました。これからもそうだと思います。今年の5月は、全国110の学校から9,000人余の生徒を迎えての「語り部」活動にたいへんでした。「語り部」も高齢化し小人数での病苦をしのんでの活動です。
  21世紀には必ず平和で核兵器のない世界を実現しなければなりません。核軍縮ではなく、この地球上に一発でも核兵器を残してはいけません。 核戦争阻止、核兵器廃絶のたたかいは、過去、そして現在のヒバクシャの実態に根ざしたたたかいであり、全世界のヒバクシャ、平和愛好者と連帯してヒロシマはたたかうことを誓って私の発言を終わります。


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