【反核平和運動・原水協の声明と決議】
原水爆禁止日本協議会 2007年4月28日
次回NPT再検討会議を2年後に控えたいま、我々は、広島・長崎の被爆から63年になろうとしているいまも2万6000発余の核兵器が貯蔵、配備され、他方で核兵器の拡散が懸念されている現状を深く憂慮している。 21世紀の前夜、2000年5月、高まる核兵器廃絶の世論を前に核保有5カ国は「自国の核兵器の完全廃絶」を「明確な約束」として受け入れ、核不拡散条約(NPT)再検討会議はそれをふくむ13項目の措置で合意した。 にもかかわらず、いまなお「約束」は実行されていない。そればかりか一部の核保有国のリーダーからは、今後とも核兵器を保持する「決意」が語られ、核使用の威嚇的な発言さえくり返されている。「すべての選択肢はテーブルの上にある」「我々の利益を脅かすものには受忍し得ない打撃を与える」「予見し得ない不確実性がある限り、先制核攻撃の政策は維持すべきだ」等々。これらはいずれも、ごく最近、核保有国の政治や軍の指導者たちがおこなった発言である。 これらのことは、世界の人々の前に二つの事実を、疑う余地のない形で明らかにしている。ひとつは、核兵器は使われるために存在しているのであり、もうひとつは自国の利益や安全のためには核兵器を保持し、使ってもよいとするこのドクトリンこそ核拡散の原動力となっているという事実である。 同時に、人類は、アメリカのキッシンジャー元大統領補佐官、シュルツ元国務長官、ペリー元国防長官、ナン元上院軍事外交委員長の「提言」が指摘しているように、「歴史的な機会」にも直面している。世界の圧倒的な世論が核兵器を廃絶することを求め、国連に加盟する192カ国のうち、183の国々が核兵器を開発も取得もしないことをみずからの条約上の義務とし、原子力施設を持つ国は査察を受け入れている。 こういう状況の下で、もし「核の特権」を持つ5つの核保有国が2000年のNPT会議で誓った「自国の核兵器の完全廃絶」の実行を決断し、核兵器全面禁止条約の交渉へ動いたならば、核兵器のない世界を実現することは、決して難しくないはずだ。 世界の核兵器の95%を保有する米ロを含め、5カ国が廃絶へと動けば、その審議や交渉の過程でインド、パキスタン、イスラエルなどNPTに加わっていない国々を交渉のテーブルに呼び込むことは十分に可能だ。 拡散の問題はなおさら核兵器廃絶を拒み、遅らせる理由にはならない。不当な軍事行動の犠牲とされたイラクには核も生物・化学兵器も存在しなかった。核兵器開発に走った北朝鮮は、「安全の保証」と引き換えに核の放棄に原則合意し、「疑惑」を投げかけられたイランは、自国の核施設を「平和利用」のためと宣言し、米国も核兵器開発計画は存在していないことを確認している。なによりも、核拡散の危険を根絶するためにこそ、核兵器を違法化する全面禁止条約が必要なのだ。 我々は、ウラン濃縮やプルトニウム抽出など、核兵器開発につながる技術の拡散についても深い懸念を持っている。だが、NPTが条約加盟の非核保有国による原子力開発を「不可譲の権利」として認めている下で、NPTが内包する核保有の二重基準を「平和利用」の分野にも拡大するような態度を取れば、核燃料サイクルをめぐる合意は成立し得ない。 核兵器の拡散、つまり、核エネルギーの軍事的転用が問題であるなら、何よりもまず軍事的転用の道を塞ぐべきであり、核兵器全面禁止・廃絶の広範な合意を推し進めてこそ、ウラン濃縮や核廃棄物の再処理など核燃料サイクルをめぐる問題についても、提唱されている「国際管理」を含めて新たなアプローチが可能になる。 21世紀に入ってからの8年、世界の多くの人々が、2000年5月に呼びかけられた「核兵器完全廃絶」の実現を期待し、たくさんの努力が行われた。2010年に、ふたたびこの期待を裏切ってはならない。 そのために、我々は具体的に二つの点を提起したい。 第一に、我々は、ことし9月の国連総会で、核兵器全面禁止を共通の課題とし、そのための協議を開始することを一致して決議するよう、核保有、非核保有、非同盟・軍事同盟の境を越えてすべての国連加盟国によびかける。 人類を「戦争の惨害」から救うことを創立の目的とし、「各国の軍備からの核兵器の一掃」を第一号決議とする国連は、当然、核兵器の全面禁止を諸国民のコンセンサスとし、実現すべき第一義的責任を負っている。 同時に、国連でのこうした意思の結集は、核兵器のない世界を望む世界の諸国民に希望を与え、2010年春のNPT再検討会議が「核兵器完全廃絶の明確な約束」を含む13項目など、これまでの合意を実現するうえで大きな流れを創りだすであろう。 第二に、広島・長崎で起こったことをあらためて世界の人々に知らせる努力をよびかける。核兵器のない世界の実現は、政府の努力とともに、それを求める諸国民の世論と行動に大きくかかっている。これまで62年余、広島と長崎の被爆者は人々の理解に支えられて、苦しい被爆の体験を語り、「人類と核兵器は共存できない」ことを訴え続けてきた。我々は、2010年にむかって、すでに若くはない被爆者に、もう一度、核の惨禍の体験を語り、核兵器廃絶の願いを世代と国境を越えて伝えるよう呼びかけている。私たちは、核兵器のない世界を願うすべての政府とNGOがこの事業に共鳴し、2010年に向けて原爆写真展や「被爆体験を聞く会」を開催されるよう提唱する。
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