1997年3・1ビキニデー

「被爆と核実験被害の実態の国際調査・普及についての国際協議会」発表文



 1997年3・1ビキニデーにあたり、被災船「第五福竜丸」の母港焼津に集まった私たちは、昨日、原水爆禁止世界大会実行委員会の提唱により、被爆と核実験被害の実態調査と国際的普及、被爆者・核実験被害者の援護連帯のための国際協議会を開催しました。
 あのビキニ被災の日から43年、核実験やめろ、核兵器なくせの声は全世界に広がり、反核平和運動は大きく前進しました。わき起こる抗議の前に、核保有国は、爆発実験の停止を余儀なくされました。「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」署名の広がりや核兵器廃絶条約交渉の開始を求めた国連総会決議にもみられるように、核兵器全面禁止廃絶は、人々の共通の願いへと広がっています。
 しかし、こうした世界世論の前進にもかかわらず、広島・長崎以来50余年の核軍拡がもたらした被爆、核実験などの核被害の実態は、きわめて深刻です。世界のほとんどの被害地ではいまなお本格的な調査もなされず、大多数の被害者はほとんど何の援護も補償もないまま放置されています。それは、こうした深刻な被害を引き起こした加害国、核兵器保有国がいまも、「核抑止力」の名で核兵器に固執し続けており、被害の全容が知られることが核兵器廃絶の世論に発展することを恐れているからです。
 被爆者と核実験の被害者がこの50余年、体験してきた苦しみを、絶対に次の世代に味わわせてはなりません。そのために、私たちは、原水爆禁止1996年世界大会「広島宣言」がよびかけた「核兵器のない21世紀を=国際共同行動」の提起を歓迎し、核兵器全面禁止・廃絶の世論を前進させるため、次の行動をとることを、日本と世界の人々によびかけます。

(1)原爆投下、核実験の被害を引き起こしたすべての加害国政府に対し、被害の全容を調査、公表させ、被害者への援護と補償を要求すること。
(2)被害地の訪問と調査、被爆者・被害者の遊説や聞き取りなど多様な形態による被害調査と、被害地住民との交流・連帯を強めること。
(3)遊説、シンポジウム、パネル討論など多様な形態により、被爆者、核実験被害者、被爆兵士などに証言の機会をつくり、核兵器廃絶、被害者援護・連帯の世論を喚起すること。

 私たちは、この運動を前進させる証(あかし)として、3月4日から10日まで日本の8つの都市で開催される「被爆と核実験被害告発、被害者援護連帯、核兵器廃絶国際シンポジウム」成功のために、協力をよびかけるとともに、マーシャル、ポリネシア、ネバダ、セミパラチンスクなど核実験被害地の国際共同調査の取り組みをよびかけます。

1997年3月1日
被爆と核実験被害の実態の国際調査・普及についての国際協議会


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