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2006年ビキニデー集会 発言 

 

Index: 1.高草木博 2.杉 森 長 子 3.コラソン・ヴァルデス-ファブロス 4.ジョアンヌ・コマフォード 5. 姜濟淑(カン・ジェスク)

 

2006年3・1ビキニデー日本原水協全国集会への基調報告

                         2006年2月28日

                         事務局長 高草木博

 最初に、多忙な中をはるばるお越しいただいた海外代表と来賓のみなさん、そして全国と地元静岡の代表のみなさんに主催者を代表して心からの感謝と連帯のあいさつをおくります。

 ヒロシマ・ナガサキの被爆60年を迎えた昨年、私たちは世界の平和運動とともに、核保有国が「核兵器廃絶の明確な約束」を実行するよう求めて全力を挙げて行動しました。5月の核不拡散条約(NPT)再検討会議では、日本原水協から800人、日本全体では1000人の代表がニューヨークで米国市民とともに行動し、「いま、核兵器の廃絶を」求める500万余の署名は各国政府代表と世界の反核世論を大きく励ましました。NGOとともに、世界五大陸の非核地帯や非同盟、新アジェンダ連合の政府や、広島・長崎をはじめとする世界の非核宣言都市がイニシアチブを発揮し、核兵器の廃絶を要求しました。

 8月の広島・長崎デーには、ふたたびたたかいが世界に広がり、アメリカでもヨーロッパでもアジア諸国でも多くの行動がくり広げられました。NATO諸国のドイツでもベルギーでも草の根と自治体から議会へと核兵器撤去の行動が高まり、アメリカでは先のバーモントに続いてマサチューセッツ州議会が核兵器廃絶の実行を求める決議が採択しました。昨年秋には、朝鮮半島の非核化のための「六カ国協議」が、北朝鮮による核兵器開発の放棄、米国の核脅迫の放棄と安全の保障、問題の話し合い解決などで合意したことも重要な前進でした。「テロと拡散」への対抗を口実とした米軍の世界的展開に対して、平和と主権と人権を守り国の出撃基地化に反対する運動も各地で強まっています。これらの運動で指導的役割を果たしているみなさんを本日の原水協集会にお迎えできたことを心から喜びたいと思います。

核兵器から人類を解放する圧倒的な核兵器廃絶の世論をつくろう

 被爆から60年余、核兵器をめぐる世界の力関係は大きく変わりました。それは、昨年12月の国連総会で、核兵器廃絶の「明確な約束」の有効性を確認した新アジェンダ連合決議が153対5の大差で採択されたことにもはっきりとあらわれています。

 同時に、私たちはこれまでの経過を通じて、世界の流れからこれほど孤立しても、ほんの一部の国の指導者がみずからの「核の特権」に固執し、NPT会議でも昨年9月の国連加盟国首脳会議でも、かつての合意を踏みにじるのを目の当たりにしてきました。いま、核兵器廃絶を求める多くの国の政府やNGOのリーダーが、こうした横暴を克服し、核兵器廃絶の合意を実行に移させるために知恵を絞り、あらたな前進をつくろうとしています。こうした障害を克服する上で大事なことは、なによりも核の惨禍を体験した日本の運動が、核兵器廃絶の緊急性を世界に知らせ、その世論をさらにふたまわりもみまわりも広げ、核兵器擁護勢力と反核平和の世論との力関係をさらに大きく変えていくことです。日本原水協が新しい署名運動「すみやかな核兵器の廃絶のために」を提唱したのは、まさにこの精神にもとづくものです。

12月、日本原水協がこの運動を提唱してから1月1日に開始するまでに寄せられた内外からの共感はまさに圧倒的なものです。全国から、広島、長崎の市長、ノーベル賞受賞者の大江健三郎さんや先にブッシュ大統領と小泉首相が訪問した金閣寺・銀閣寺の住職有馬頼底さん、上戸彩さんや野際陽子さん、ピースデポの梅林宏道さんやピースボートの川崎哲さんなど、思想信条を越えた共感と共同の意下寄せられました。世界からも核兵器廃絶の先頭に立つメキシコのデアルバ・メキシコ軍縮大使、マレーシアのラジマ・フサインIAEA代表、アラブ連盟特別顧問のエゼルディン大使、NGOでは、婦人国際平和自由連盟が全世界の支部にこの署名の取り組みを呼びかけ、イギリスCND、フランス平和運動、インド核軍縮平和連合や今回来日されている姜さんをはじめ韓国のさまざまなNGOの皆さん、さらには数日前には全米平和正義連合の会議がこの署名の支持・取り組みが正式に取り上げています。

 このような内外からの広範な支持と共同は、なによりも、核兵器廃絶への国際政治を動かす上で、世論を草の根から強めることが決定的に重要との認識が、世界的に共有されたからに他なりません。

 いま、国際秩序を、平和から戦争へ、新たな核軍拡と核使用へ、弱肉強食の経済秩序へと戻そうとする歴史の逆流とたたかう諸国民の運動が世界のいたるところでひろがっています。私たちは、被爆者とともに歩む日本の運動としてこの地球的流れの一翼を担い、すべての地域でただちに、新たな署名の行動に立ち上がりましょう。こうして今年6月には、カナダのバンクーバーの世界平和フォーラムを成功させ、さらに秋の国連総会では草の根行動を結集する500万の署名を提出し、核兵器のない未来へと人類の歴史を動かそうではありませんか。

非核・平和、憲法をまもる日本へ、流れを変えよう

 世界の人びとが協力して、核兵器のない平和で公正な世界へと努力を広げている中で、問題は、この小泉首相の日本政府が一人、対米追随の道をひた走り、「核の傘」と称して日本をアメリカの核戦略をそのまま受け入れ、日本全土をブッシュ政権の「先制攻撃」の戦争の出撃基地に変え、自衛隊を海外の戦場に出動させ、果ては日本が世界に誇る憲法の平和原則まで足蹴にし、改悪しようとしていることです。

 一体、小泉首相が追随する米国の世界戦略とは何か?それは、みずからの覇権のためにはうそをついても国際法を踏みにじってもはばからず、3万の一般市民を犠牲にしてもいまなお止めようとしないイラン戦争の現状に端的に表れています。そればかりではありません。みずからは人類を絶滅させてもなお余るほどの核兵器を持ちながら、自分が持てば安全に役立つが、他人が持てば「脅威」であるというあの利己的な論理、そして、その核兵器は「いつでも、どこでも、ただちに使えるようにすればするほど抑止効果が上がる」として、この日本でも全土で核・非核両用の作戦体制を強化している現在の危険な動き。

 まさに、こうした戦略への追随は、世界諸国民の平和の願いに逆行し、アジア諸国から孤立させ、日本国民の安全を根底から脅かすものです。

 しかし、日本国民がいつまでもブッシュ政権仕込みの「脅威」論と「改革」の名による生活破壊に甘んじているはずがありません。それどころか日本社会のなかにあらためて平和への強い要求が広がっています。「新たな軍国主義がラッパを吹いているが、・・・日本の平和世論がなお60数%の高さに達している」?これは、アメリカの研究者が5日前に日本から発信した報告の一節です。米軍基地再編問題も、昨年10月の日米外務・防衛閣僚会議、いわゆる「2プラス2」では、米国側が基地再編の受け入れ側となる自治体の説得を求めましたが、実際には問題となっているそのすべての自治体で住民ぐるみの抵抗にあっています。とりわけ、住民投票を目前にした岩国、全住民挙げてのたたかいとなっている座間や相模原、沖縄、原子力空母の母港化に反対する横須賀をはじめ全国の基地反対運動のみなさんに、この機会に大きな連帯の拍手をおくりたいと思います。

 非核・平和のたたかいを前進させ、日本を変えていく上で原水爆禁止運動が果たす役割は特別に重要です。日本原水協は、人類の生存をかけた核兵器廃絶のためにはあらゆる思想信条の違いを超えて共同します。あのビキニ事件に始まった3千万の署名や1980年半ばに開始した「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」の運動が、保守・革新の違いさえ超えて反核平和の国民的な連帯を創りだしたように、日本が戦争と平和の岐路にたついまこそ、私たちは「すみやかな核兵器の廃絶のために」の署名をもち、あらゆる機会にあらゆる場所で、核兵器廃絶での国民的合意をつよめなければなりません。

 同時に、私たちは、過去の侵略戦争の反省と悲惨な被爆の体験に立ち、みずから戦争を放棄し、その平和の証として戦力の保持を放棄した憲法9条に揺るぐことのない信頼を置いています。その9条の役割は、過去の歴史に留まらず、イラク戦争や北朝鮮の核開発問題の解決をはじめ、世界の人びとが平和のルールのために行動に立ち上がっているいまいよいよ重要です。私たちは、世界平和のために日本が果たすべき役割を見据え、日本政府が現行憲法を守り、その平和諸原則を現実の外交で実行すべきことを強く要求したいと思います。

 そして、その9条を守るためにも、日本の反核平和の世論を総動員する核兵器廃絶の署名運動を、自信をもって前進させようではありませんか。

被爆者・核被害者の精神を未来につないで

 最後に、私はこの3・1ビキニデーの原点となった広島・長崎・ビキニと、三度の被災を想起して、全国で原爆症認定訴訟をたたかっている広島・長崎の被爆者、本日お見えの大石又七さんやロンゲラップのみなさんをはじめとする核実験被害者のみなさんに、あらためて連帯の意をお伝えしたいと思います。

 2年前、ビキニ被災50年のビキニデーに来日した、被災当時のロンゲラップ村長ジョン・アンジャインを覚えておられる方も多いと思います。みずからも被災者であり、息子も他の身内も失いながらなお島民を守り、半世紀の間たたかい続けたジョンさんも、一昨年は、日本に来ることを何度もためらいました。

 結局、ジョンは、ここ静岡と焼津でビキニデーの舞台に立ち、そして帰国後、ほどなくしてハワイの病院に収容され、波乱の人生の幕を閉じました。後で分かったことですが、彼は兄弟のジェトンや息子のレコジと同じように重度の癌に侵されていました。静岡と焼津に向かう前、彼は未だ自分を襲っているものが癌であるとは知りませんでしたが、もしこの招待を受ければ、それは自分の命と引き換えになることを知っていました。そして、その決断の一瞬、彼が口ににした言葉は、「今度の旅に耐えられないかもしれない。だが、それはたいしたことではない」の一言でありました。

 被爆国に生きる私たちは、この核の地獄を見た人たちが、みずからの命と引き換えに私たちに伝え続けている言葉、「人類は核兵器と共存してはならない」とのメッセージをしっかりと受け止めたいと思います。

 この2006年3月1日のビキニデーの機会に、私たち全員が、被爆者とビキニ被災の犠牲者、世界の核被害者への支援の気持ちを新たにし、日本と世界の草の根で「すみやかな核兵器の廃絶を」の声を広げ、この年を核兵器のない平和で公正な未来へ向かう人類史の転換点にしようではありませんか。  /end

 

 

  

2006年3・1ビキニデー日本原水協集会

国際交流フォーラム「核兵器のない平和で公正な世界のために」

2006年2月27日(月)

婦人国際平和自由連盟(WILPF)日本支部 会長

杉 森 長 子

皆様、こんにちは。ご紹介いただきました杉森でございます。

このたびは、国際フォーラム「核兵器のない平和で公正な世界のために」にお招きいただき、有り難うございました。いつも東海道線や新幹線で通過していた静岡に、今日は降り立つことが出来まして、嬉しく思います。

 この国際フォーラムのテーマ「核兵器のない平和で公正な世界のための連帯」は、夏、広島・長崎で開催される原水禁世界大会と同じですね。一連の流れがずっと継続していることは、運動としての力強さを感じさせます。本日のフォーラムには、遠く太平洋を越えて、アメリカから、また近くは東アジアの韓国から、そして東南アジアからは、フィリッピンというように、隣国の方々のご参加があり、このように親しく意見交換し、「世界平和」に関して話し合う機会を持つことができ、大変に喜ばしいことです。

 私の所属するWILPF(Women’s International League for Peace and Freedom、日本語の名称は婦人国際平和自由連盟)の日本支部は、1921年(大正10年)に結成された日本最初の女性平和団体、婦人平和協会が発展した団体です。母体であるWILPFは、第一次世界大戦中の1915年、欧米諸国で婦人参政権運動をしていた女性たちが、戦争の即時停止を求めて中立国オランダのハーグで会議を開き、終戦直後の1919年にスイスのチューリッヒで再び会合を持ち、結成した国際的な女性の平和団体です。WILPFの女性たちは、戦時中、参政権運動は出来ませんでしたが、平和運動を続け、そのために投獄された人も数多くありました。WILPFの国際本部はスイスのジュネーブに設置され、現在も活発な活動をしています。昨夏の原水禁世界大会には、国際本部から、スージー・スナイダー事務局長が参加した他に,アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの各国支部とともに、日本支部も久しぶりで参加しました。また、国際本部の事務所は、ニューヨーク、パリ等にあり、それぞれ国連に対するロビーイングを熱心にしています。昨夏の世界大会でスージーさんが話されたように、WILPFは「世界平和と人権擁護」を目標に、設立以来今日まで、NGOとして出来る限りの活動をしてきました。特に、軍縮や軍備撤廃をめざした活動はもとより、人権擁護では、世界各地で難民救済と支援活動をしています。

 WILPF日本支部には、すでに80年余の歴史があります。1921年に、婦人平和協会として結成されましたが、1923年夏、WILPF国際会長、ジェーン・アダムズの訪日中、親しくお話しする機会に恵まれた日本の女性たちは、WILPFへの参加を決意し、1924年のWILPF国際総会で、名称はそのままという日本側の条件が受け入れられ、WILPF日本支部として承認されました。以来、第二次世界大戦のため、日本政府により活動が禁止されるまで、約20年間、平和運動を続けておりました。活動は、主に、家庭や地域あるいは学校等における平和教育、中国大陸で発生した飢饉や災害による難民の支援・救済活動、さらには、軍縮署名運動などです。日中戦争中でも北京愛隣館というセッツルメント建設と運営を支援しておりました。また1920年代〜30年代に開催された幾多の軍縮会議にむけて数十万余の軍縮を求める署名を集め、軍縮会議へ代表を派遣して、署名と要望書を届けております。第二次世界大戦終戦前の時代には、日本の女性は参政権を持たなかったのですが、このような形で、その意思を社会に公的に示す知恵を働かせたのです。また海外からの留学生支援にも熱心でした。日中戦争にむかう険悪な空気の時代には、文部大臣に面会し、国際親善教育を進め、戦争を回避するようにと要望書を提出しています。戦前にこのような活動をすることは、勇気の必要なことです。その勇気は、国際平和への信念の強さと国際連帯に支えられているという活動基盤から生まれたものでしょう。「連帯」の重要性が伺われます。

第二次世界大戦終戦後、早くも1年余で、活動を再開した日本支部は、1953年のWILPF国際総会で正式復帰を承認されました。

 さて、話をもう少し現代に戻しましょう。今日のフォーラムのもとである「ビキニ環礁における水爆実験」とWILPFとの関わりです。パンフレットにあるように、1954年3月1日未明、アメリカが太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁で水爆実験を行い、マーシャル諸島島民と近辺にいた漁船と乗組員が多く被災しました。今から、半世紀以上も前のことです。このニュースは直ちに日本全国民の知る所となりました。WILPF日本支部は、すぐ「原水爆実験禁止と兵器製造禁止を求める要望書」を作成し、ジュネーブの国際本部とニューヨークの国連常駐本部代表へ送付しました。WILPF国際会長の励ましの返信が来たことは言うまでもありませんが、思わぬ効果が生まれました。それは、この水爆実験がアメリカ国内では秘密になっていたということが判明したことです。日本支部の国際本部への要望書送付は、国際本部に行動を起こさせたばかりでなく、アメリカ中のWILPF地方支部に伝えられ、原水爆実験禁止にむけた活動がアメリカ中で起ったのです。アメリカ支部では、「原水爆を禁止せよービキニ問題をめぐってアメリカ人によるアメリカ人の理性への訴えー」と題するパンフレットを作成し、市民に配布し、政府にも働きかけました。その秋9月には、アメリカ支部のシアトル地方支部からは、水爆実験の犠牲になられた久保山愛吉様ご遺族へのお詫びとお慰めの書簡が日本支部経由で送られてきました。アメリカ各地にあるWILPFの地方支部はそれぞれに原水爆実験反対の意思表示行動を始めました。

 WILPF国際実行委員会の定例会議がこの年夏8月15日から21日まで、デンマークのコペンハーゲン近郊で開催されましたが、その会議でも、声明書が作成され、発表されました。その要点は以下の通りです。

 「最近の原子力兵器実験の結果が予測させることに鑑み、

  国連が直ちに核分裂と融解による爆弾その他の集団破壊武器使用とこれ以上の発達を禁

  止する措置をとるべきであること、

  諸国が直ちに全面的世界軍備撤廃計画を始めるべきであること、あらゆる武器の製造な

  らびに原子その他大量破壊の武器製造を禁止すること」

 イギリス支部からも、自国内で水爆実験禁止運動を起こすため、資料が欲しいと要望を寄せられ、日本支部は様々な資料と日本で展開されている運動について紹介しています。

 もちろん、日本支部の行動は、日本国内にも、大きな運動展開の契機となりました。つまり、平和にむけて、日本の女性団体の結集が促進され、原水爆実験反対の意思表示をする大会の開催や原水爆実験反対署名運動の実行というような大きな運動展開が認められます。署名運動でも、日本支部会員とともに、地域婦人団体山高しげり代表や主婦連合会奥むめを代表、また婦人団体連合会の会員諸姉が一斉に街頭に出て、熱心に署名運動に活躍されました。

 その翌年、1955年8月に、第1回原水爆禁止世界大会が開催されました。ビキニ環礁の事件後1年のことです。原水禁世界大会には、もちろん、WILPF日本支部の広島地方支部は以来今日まで毎年参加しております。日本支部理事会は、第1回(1955年)から第8回(1962年)まで毎年世界大会に参加した後、途切れました。しかし、1979年〜1984年の間は、再び参加しております。再度、不参加の数年の後、昨年2005年、改めて参加しました。日本支部理事会は、世界大会不参加の期間には、原水爆禁止に関係する署名運動等の国民的活動、あるいは関係各国への声明書送付などの国際的活動はしておりました。また1978年には国連軍縮特別総会に参加したり、1995年にフランス政府に、南太平洋における核実験への抗議声明書を送付したりしたのは、その一例です。

 最後に、極最近に注目しましょう。WILPFは結成以来、戦争反対、軍備撤廃を主張し、平和な世界の創出には、人権擁護や貧困撲滅など社会的経済的問題の解決は不可欠であると考えて、地球規模の活動を展開してきました。このような文脈から、今もっとも重要に考えられるのは、安保理決議1325号の実行です。2000年10月、国連の安全保障理事会は、女性の平和と安全保障における重要な役割を認識し、全員一致して、1325決議を採択しました。この決議は、すべての国連加盟国に対して、あらゆるレベルの意思決定に女性の参画を認めるよう求めています。これは、女性のNGOとして、私たちが持つ唯一の大きな力になる手段です。今、国連は市民社会との連携を重視しています。市民社会の力を活用する時、最も有益な手段として、安保理決議1325号は効果を持つでしょう。なぜなら、この決議の成立には、WILPFを始め、5つの国際NGOが協力して、長年にわたり、国連に働きかけ、その実現の糸口をつくったからです。政策決定の場に女性の平等な参画を保障するこの決議が実行されて初めて、安全保障や平和の問題は解決へスピード・アップされるでしょう。20世紀最後の年に、この決議が成立し、早、5年余が経過します。その効果は、女性の参画の遅れているといわれるイスラーム文化圏、特に、アフガニスタンやイラクの復興のための政治プロセスで、女性の姿が目につくようになったことで充分に明らかです。

 WILPFは、今秋11月にキューバを会場に国際女性平和会議を開催する予定です。現在その準備中です。もちろんこの会議は公開です。どなたの参加も大歓迎されるでしょう。また一方、今年6月には、カナダのバンクーバー市で「平和フォーラム」が開催されます。それにもWILPF会員が世界各国から参加の予定です。ちなみに、バンクーバー市長はWILPFの会員です。国連へのロビーイングは最重要ですが、市民社会における様々なレベルでの平和会議の効果が相互に作用し合って、一つの大きな市民社会の力となる時、国連への効果も、また国連加盟国内での効果もそれぞれに意味あるものとなりましょう。それには、市民一人一人の存在を重要視する「人々の連帯」は不可欠です。また平和市長会議に象徴される地方行政レベルでの連帯が構築され、これらの連帯が相互に支援し合って相乗効果を発揮する時、国連等の国際機関で、あるいは一国内でのレベルで、運動目標実現に近づくことができましょう。今日のような「フォーラム」の場での経験の蓄積が新たな展開の糸口となりましょう。なぜなら、連帯の構築は、このような意見交換や国際交流の機会の積み上げから生まれると言えるからです。「核兵器のない平和で公正な世界のための連帯」は、そのような人々の様々な連帯の構築の上に実現されると信じて、今後も活動していきたいと思います。

 ご静聴有り難うございました。

プロフィール

氏名:杉森長子(すぎもり ながこ)

所属/役職:婦人国際平和自由連盟日本支部(WILPF)/ 会長

      国際婦人年連絡会/世話人

      男女共同参画連携会議(エガリテ・ネットワーク)/議員

専門:女性史/平和運動史

最近の主著書:『アメリカの女性平和運動史』(単著)ドメス出版、1996年1月

       『軍国の女たち』(共著)吉川弘文館、2005年1月

       (第4章 戦間期女性の平和・軍縮運動を担当)

       『20世紀における女性平和運動?婦人国際平和自由連盟と日本の女性?』

       (編著)ドメス出版、2006年5月(出版予定)   

その他:1961年〜64年:フルブライト留学により、ペンシルヴァニア大学、

              ウイスコンシン大学にて歴史学を研鑽

    1967年東京大学博士課程修了

    1967年〜68年:ワシントン大学講師    

    1987年:東京大学アメリカ研究資料センター講師

    1989年:同 助教授

    1996年:日本女子大学人間社会学部教授

    2005年3月: 同 定年退職

 

    第51回、第52回国連総会日本政府代表代理(第3委員会担当)

    武蔵野市女性行動計画推進市民委員会議長(1985年〜2000年)

    東京都女性問題協議会委員

 

  

2006年3・1ビキニデー原水協集会 

国際交流フォーラム「核兵器のない平和で公正な世界のために」

非核フィリピン連合 事務局長非核独立太平洋運動/太平洋問題資料センター 議長

コラソン・ヴァルデス-ファブロス

 17年前、私はビキニデーの行事に初めて参加しました。それが、私に大きな鼓舞と激励を与えてくれた日本の平和運動との、真剣で、長きに渡る、素晴らしい協同の始まりとなったのでした。私は日本原水協と日本の平和と正義を求める運動のみなさんの友情と連帯にたいして感謝するとともに、何よりも、世界のこの地域で平和と核兵器廃絶を目指して続けられているたたかいを学ぶ機会を与えてくださったことに、感謝をおくります。

 それから起こった多くの重要な出来事が私たちを奮い立たせ、鍛えてくれました。歴史的な事件は私たちに闘い続ける理由と教訓を与えてくれました。そしてこれまで私たちが共に立ち会った歴史的な瞬間は、私たち全員を結びつけ、世界の平和と正義を求める共通の闘いで団結すれば大きな力を発揮できるという希望と確信を与えてくれました。

 私たちの努力が無駄ではなかったことを証明するいくつかの歴史的な出来事を簡単に振り返ってみましょう。途中で失敗や誤りがあったとしても勝利を勝ち取ってきたのです。私は今でも、アメリカとの基地協定を否決しアジア最大の米軍基地閉鎖をもたらした歴史的なフィリピン議会の決定を、鮮やかに思い出すことができます。プエルトリコ・ビエケス島の平和を愛する人々のたたかいの勝利を思うと、今も涙が出てきます。フランスが太平洋での核実験中止を決定したときの喜び。韓国、沖縄、日本、グアム、ハワイのカパアイナ、エクアドル、イラクなど世界の地で続くたたかいに、私たちは連帯を続けます。特別に強調したいのは、沖縄と、韓国のピョンテクの人々の闘いです。現在困難な状況に直面している彼らのたたかいには、私たちの連帯と支援が非常に求められています。

 アメリカの帝国主義的侵略戦争と世界支配戦略に対して、平和と正義を求めるグローバルな運動が大きく発展して立ち向かっています。社会運動の無数のイニシアチブを結集する道が多く存在し、世界社会フォーラム、基地反対キャンペーン、反グローバリゼーション運動、その他数多くのイニシアチブを通じて行われています。アメリカのイラク侵攻後、真にダイナミックで献身的な平和と正義の運動が、帝国アメリカの心臓部で発展しつつあることに私たちは力づけられています。この帝国を打ち破り、平和と核兵器廃絶を達成するためには、それがカギとなるからです。

 もっと具体的に、フィリピンでの状況をお話しさせてください。今回、ビキニデー参加準備のさなかに、アロヨ大統領は無期限の「国家非常事態」宣言を発令しました。マルコスの14年間の独裁政治を「ピープル・パワー」の蜂起で打倒してから20周年を祝賀するまさにその週に発令されたこの大統領令は、警察と軍隊に、国家の「敵」を無力化するために必要なことは何でもやってよいという権限を与え、あらゆる抗議集会を禁止し、マスコミには発行停止の脅迫を行うものです。フィリピンを事実上の戒厳令下に置いたアロヨ大統領は、フィリピンが20年前に終わらせたまさにそのものを復活させたのです。 社会運動や大衆組織のメンバー約一万人が大統領の命令に抗してマニラの繁華街の大通りを行進しました。集会は暴力的に解散させられ、警察は年少者を含む少なくとも100人近い人々を殴打し、逮捕してマニラ市内の数箇所に拘束しました。 逮捕された人々のほとんどがやがて釈放されたのは、政府が「非常事態」がそれほどひどいものではないと描き出したかったからかもしれません。しかしこれはフィリピン国内で強まりつつある抑圧の一面でしかありません。非常事態宣言が発令される前ですら、33人の活動家が、おそらくは軍の手先か準軍事グループの手ですでに殺害されたのです。警察は日常的に街頭の抗議行動参加者に暴力を振るっていました。

 非常事態宣言が発令されたことで、今回の大量逮捕は、フィリピン国内でのより大規模な弾圧、市民的自由の大幅な制限、よりひどい人権侵害の先駆けに過ぎなくなるかもしれません。昨日はある新聞社が家宅捜索され、国会議員が一人逮捕されました。数日のうちに何が起こるのか心配です。これら最新の事態をみると、違法な政権は武力でしか支配しようとしないものだということは明らかです。アロヨ政権が必死に権力にしがみつこうとするほど、その行動はより野蛮になっていくことでしょう。

 この野蛮な行為を受ける側の私たちは、みなさんの支援と連帯に期待を寄せています。その私たちもまた、イラク、パレスチナ他の世界の被占領地や独裁政権の下に置かれた人々への連帯を続けます。

 「非常事態」宣言は、昨年6月以来、選挙での不正と腐敗の追及を受けてきた政府による最近のあがきに過ぎません。しかし、今危機に瀕しているのはアロヨ政権だけではありません。自由民主主義の枠組みのもとでエリート支配層を権力に定着させてきた1986年以降の政治システム全体が、今や疑問視されているのです。実際、アロヨ政権に反対する勢力は、このシステム自体は延命させたいと願う者たちと、「ピープル・パワー」の真の意味をはっきりと示したい私たちとに分かれています。 フィリピンの反基地運動が特に懸念しているのは、現在交渉が行われている米比間の新たな軍事防衛協定です。協定賛成派は、両国間の協力と防衛を強化するために必要な調整を行う必要がある、と言っています。米軍によるフィリピン軍事施設の使用の拡大、駐留、兵站支援などです。米軍施設をまたフィリピン領土に置くということなのでしょうか。その必要はなさそうです。フィリピン全土が(日本と同じく)事実上アメリカが自由に行動できる土地となっているからです。

 今日、フィリピンの女性たちは怒り、正義を求めて立ち上がっています!

 昨年11月1日の夜、22歳の女性が、一人の男に車の中でレイプされました。その間、その男の友人たち5人は彼をあおりたてました。「スミス、そうだ、行け!」という声が車の中から聞こえたといいます。数時間後、彼女は「まるでブタのように」手足をつかまれて車から路上に放り出されました。彼女はTシャツと、コンドームが張り付いた下着しか身に着けていませんでした。

 この事件は、フィリピン国民が「もうたくさんだ」の声を上げて撤去させた1992年まで米軍基地が置かれていたオロンガポ市のスービックで起こりました。その夜起こったのは集団レイプでした。実際に彼女の体を犯した男は一人だけだったとしても、残り5人が進んでサディステックに彼をはやし立てて全面的に強姦を幇助したというのは、集団レイプにほかなりません。 この男たちは米兵でした。4000人の米兵がそのころ、対テロ軍事演習のために数週間に渡ってフィリピンに駐留していたのです。

 この事件はアメリカ植民地支配の時代の苦難の記憶を呼び起こすものでした。「現地人」女性たちはレイプされ、酷使されましたが、植民者たちはそれは特権の一部だとしか考えていませんでした。だからこそ、この6人の米兵たちは、被害者女性の体から証拠を取り去っておくこともしなかったのです。昔と同じ、罰せられるはずがないと考えたのでしょう。 明白な犯罪の証拠が発見され、フィリピンの裁判所が逮捕礼状を出したにもかかわらず、アメリカ政府は訪問米軍協定の条項をたてに、公式の容疑者拘束要請をはねつけました。米兵6人のうち2人は何事もなく所属していた沖縄の部隊へと帰還が許され、残り4人はアメリカ政府の庇護の下にあります。現在フィリピンでは、大きな国民の怒りが噴出しています。特に女性は被害者の闘いを自らのものと感じて立ち上がっています。一個人の問題がいまや政治的問題となったのです。記録によると、米軍基地協定が失効するまでのあいだに、フィリピンに駐留していた米兵による女性への性的暴行は82件(16歳以上)で、子供に対する性的暴行は15件起こっています。

 この記録に残っているフィリピン女性へのレイプ事件のうち、逮捕あるいは起訴された米兵はただの一人もいません。オロンガポだけでも、レイプ容疑をかけられて放免されたアメリカ人のケースは3000件あります。これはフィリピンに限った話ではありません。同様の女性やこどもに対するレイプや性的暴行は、米兵が駐留している韓国で、日本で、沖縄そのほかの場所でも起きているのです。

 オロンガポでのレイプ事件以降、進歩的な女性のグループが、レイプ被害者に対する正義の回復を求めて声を上げ続けています。アメリカは、非常にアメリカに有利に偏っているVFA(訪問米軍協定)を発動させました。これには他にももっと問題のある条項が含まれています。フィリピンを出国したあと米軍要員はパスポートやビザの規則を免除される、フィリピン側は第一次裁判権を放棄せねばならない、フィリピン側は要求があれば容疑者を米軍に引き渡さねばならない、フィリピン人の財産への損害賠償請求権の放棄、などです。 容疑者の米兵をフィリピン当局の手の届かないところに置くことで、アメリカはフィリピンの法律をあざけり、フィリピンの主権を踏みにじっています。米兵を拘束することもできず、犯人の引渡しを求めることもしないフィリピン政府は、自国民を守り自国領土内の法律を執行する意志も能力もないことをさらけ出しています。

 VFAは、相互兵站支援協定、相互防衛協定とともに、フィリピンとアメリカの軍事同盟という文脈のなかででっちあげられたものです。米軍のフィリピン国内での訓練と配備を許すことで、フィリピンは、アメリカによる世界のほかの地域への侵略、占領、介入の共犯者となっています。この軍事同盟によりフィリピンは、アメリカの帝国主義的侵略戦争と支配戦略に共謀しているのです。

 もともとVFAはアメリカが自らの軍隊を超法規的存在に置くために押し付けたものであり、アメリカから政治的・軍事的・経済的報酬を得るためにはフィリピン国民の利益を犠牲にすることをためらわないような政府によって受け入れられたものなのです。

 フィリピン領土への米軍の配備そのものが、法律違反であり、フィリピン国民にとって危険なことなのです。米軍のプレゼンスは、売春女性への需要を増加させ、兵士たちのフィリピン女性への人種差別的・性差別的な態度は、女性にたいする暴力の土壌を作り出しています。彼らによるフィリピン女性への搾取の結果、3万人のアメリカ人混血児が生み出され、虐待され放置されています。合同訓練演習という覆面を借りたフィリピン軍との合同演習を通じて、アメリカはフィリピン内政に介入しており、そのこと自体がフィリピンの主権に対するあからさまな侵害です。

 フィリピン国民、女性、国の主権に対する犯罪に前例があることを忘れるわけにはいきません。100年前の3月6日、1000人にのぼるフィリピンのイスラム教徒男女、子供たちが、ジョロにあるブド・ダフーの死火山の火口で、虐殺されたのです。ここは現在米軍が軍事演習を行っている地域です。ブド・ダフーの虐殺を行ったのはアメリカ帝国軍で、フィリピン人の武力抵抗を鎮圧するための帝国主義的戦争のなかで、1899年、誕生しつつあったフィリピン共和国を暴力的に併合したのでした。この野蛮な戦争は、1913年、ジョロのブド・バグサクで、さらにフィリピン人イスラム教徒の大虐殺が起こるまで10年以上続きました。 フィリピンに置かれていた米軍基地が閉鎖されたあと、米軍が残していった有害廃棄物による犠牲者と被害者が何千人も生まれています。今日に至るもアメリカは、スービックとクラークの米軍基地跡地の汚染除去の責任を否定し続け、環境的正義を求める被害者たちへの賠償も拒否しています。

 この2月3日、比米戦争記念日の前夜、私たちの闘いの継続を想起する機会にふさわしく、「VFA(訪問米軍協定)破棄を!キャンペーン」が開始されました。この「VFA破棄を!キャンペーン」には、幅広い社会運動体、政治団体、労働組合、女性グループ、人権団体、NGO、学生組織、宗教団体、憂慮する個人が結集して、フィリピンとアメリカの間の関係を根本的に変えることを要求しています。 最後に、アロヨ政権によるフィリピン憲法改定を目指す最近の動きについてお話しします。このご都合主義のイニシアチブは、フィリピンの政治、経済、主権、歴史的財産、国民の市民的自由全体にわたって非常に差し迫った意味合いを持っています。

 改憲は現在の経済的政治的危機への解決法としてさかんに売り込まれています。政府は、まさに「離陸しようとしている」国にとって、改憲は必要条件だとしています。

 しかしこの改憲提案が打ち上げた約束や幻想を一皮むけば、違法な体制を権力に居座らせ、わが国の経済と歴史的財産を際限なく外国資本の搾取と収奪に明け渡し、国の主権をさらにおとしめ、すでに制限され脆弱な憲法上の人権や市民的自由に関する条項を脅かそうとする、邪悪で独善的な狙いが見えてきます。

改憲提案のうち論議と反対を呼びそうな内容は次の通りです。

  • a. 2007年の総選挙を延期し、選出議員の任期制限を撤廃して、アロヨ大統領を暫定的に2010年まで元首にとどめる。
  • b. 100%外資企業がフィリピン領土の土地を所有し、天然資源、公共事業、教育機関、マスメディアまで運営できるようにする。
  • c. 市民的自由についての条項を撤廃あるいは修正する。
  • d. 大統領の戒厳令権限を制限する条項を撤廃する。
  • e. 核兵器と外国軍隊に関する条項を撤廃あるいは修正する。

 憲法改定は、間違いなく国を後退させる処方箋です。なぜならそれは、それなしでは欠陥となるこの憲法に残されたわずかな積極的条項をなくしてしまうからです。この国はさらに悪い方向に進むでしょう。改憲はフィリピンを直接植民地統治と戒厳令、米軍基地と終身独裁者の時代へと引き戻すことになるでしょう。 憲法改定は、フィリピンをますます外国の搾取と収奪に明け渡すことになるでしょう。 政府の形態については議論があるでしょうが、改憲派はみな経済の自由化に向けた条項で一致しています。憲法改定協議委員会の報告書や憲法修正に関する下院委員会の提案では、外国企業は、工業・商業・居住のために土地を所有することが許されるとなっています。また公有地を議会が定めた期間賃借することも許されます。

これらの特権はフィリピン国民が自国の資源を国の利益のために開発する優先権を持つ、という観点から、かつてはフィリピン国民だけに留保されてきたものです。

自由化に関する条項は、農村での土地を所有できない農民の状況をさらに悪化させ、土地利用の転換を未曾有の規模で進め、外国企業によるフィリピンの天然資源の採掘と搾取を進め、食料供給の不安定化と環境破壊を招くでしょう。フィリピン国民は自国の資源を自国の利益のために使う権利を奪われます。大規模多国籍企業に太刀打ちできない地場産業や農業もまた破壊されるでしょう。

憲法改定はまた、土地基本法を、1995年採鉱法や電力産業改革法など外国企業による天然資源の採掘を許し論議をよんでいる他の法律の内容に合わせることになるでしょう。

営業免許にかんする国籍制限も撤廃されるでしょう。これにより外国企業は電力、水道、電信、運輸など重要な公共企業の経営権を買い取ることができるようになります。

外国企業はまた、広告、マスメディア、教育機関などを支配できるようになり、全体として植民地的傾向のあるフィリピン文化が強まるでしょう。マスメディアや広告を通じて、フィリピンの消費者は帝国主義的グローバリゼーションとその産物をより受け入れやすくなるでしょう。外国企業はまた、特定の問題や行事についての世論を操作しやすくなり、フィリピンの国内・内政問題への影響力を強めることができるようになります。

 憲法改定推進派は、経済の自由化がより多くの外国投資をひき付ける手段であり、経済成長のエンジンとなると喧伝しています。これは、外国投資が増加した時期でさえ経済は低成長にとどまり失業率は高いままだったという事実を覆い隠すものです。外国投資が雇用を生むと言われていますが、帝国主義的グローバル化と経済の自由化はまた地場産業と農業を破壊します。外国直接投資はまた、利益が100パーセント親会社へと還流することを意味します。投機的投資や債務支払いですでに利益が吸い上げられた上にこれが起こるのです。

 憲法改定は、市民的自由を侵害し、基本的自由を制限し、政府に戒厳令を公布する膨大な権力を与えるものです。

 さらに、改憲勢力は、戒厳令発令にあらたな口実を導入しました。「暴動あるいはその差し迫った危険」というものです。このような間口の広い定義では、「不安定化」の恐れや「ピープル・パワー」ですら、戒厳令発令の口実に使われかねません。

 憲法改定は核兵器と外国軍および基地を禁じた現行の憲法条項を撤廃してしまうでしょう。

 この提案は、米軍基地復活への法的障害を事実上なくすものであり、VFA(訪問米軍協定)とMLSA(相互兵站支援協定)の条項と憲法の間の相違をなくして調和させるものです。この二つの協定はすでに、両国が批准した公式の協定はないものの、フィリピンへの米兵の駐留と米軍施設配置へ法的枠組みを与えており、1991年の基地条約拒否で得られた成果を台無しにしてしまいました。 VFAに関する現在の状況とスービックでのレイプ事件に照らしてみれば、これら重要な憲法上の制限を撤廃することは、フィリピンを、大量破壊兵器で武装した無制限の人数の外国軍隊が国内に無期限に駐留するという危険にさらすことになるでしょう。

 フィリピンの平和と正義を求める運動は、フィリピンの非核憲法を掲げ、守るためにがんばっています。日本国憲法の第9条と同じように、フィリピン憲法は重要な歴史的ルーツと意味を持っています。それは平和と核兵器廃絶と、国の自由と民主主義のたたかいへの誓いなのです。 今年、私は、みなさんから学ぶだけでなく、特に、若い世代の人々の声に耳を傾けたいと思っています。青年は、平和で核兵器のない世界のためのたゆまぬ努力をつづける平和運動の私たちにとっての希望です。人々に、ことに青年に情報を与え啓蒙するという努力を続けることは、今も私たちの活動の優先課題です。それが、活き活きとして力強く献身的な平和運動をあらゆるところで発展させるための唯一の保証だからです。

 今日私たちは、フィリピン国土への引き続くアメリカの軍事介入に立ち向かっています。私たちはみな、同じ体験とたたかいを共有しています。自国を核兵器と基地のない国にしたいという同じビジョンを共有しています。私たちのこの経験とたたかいは、60年前、ヒロシマとナガサキで倒れた被爆者、ビキニで、マーシャル諸島で、太平洋の他の地で行われた核実験で命を落とした人々、そして核大国の火遊びの惨禍でいまなお苦しむ人々の、核兵器廃絶の勇気あるたたかいに報いることです。最後にみなさん、太平洋人民にとって偉大な指導者でありインスピレーションであったジャン・マリー・ティバウの言葉「核のない太平洋を作ることはわれわれの責任であり、われわれが生き、自らの命を守るためにこの問題に取り組まねばならない」との呼びかけに応えようではありませんか。

 今日ここに皆さんとともに集うことができて光栄です。お互いから学びあい、鼓舞し合い、熱い連帯と、平和と核兵器廃絶への希望と献身のために、力とエネルギーを与え合いましょう。

 

 

 

2006年3・1ビキニデー原水協集会 

国際交流フォーラム「核兵器のない平和で公正な世界のために」

アメリカフレンズ奉仕委員会

西部マサチューセッツ事務所プログラムコーディネータ

ジョアンヌ・コマフォード

 みなさんこんにちは。

 核兵器廃絶をめざすこの国際交流フォーラム、そして2006年ビキニデー行事に参加できることは光栄であり名誉なことです。この集まりは、原水協の他のすばらしい活動とならんで、人間の精神の回復力の高さを証明するものです。平和は暴力的方法では決して達成できない、という私たち共有の信念を支え、新たにしてくれるものです。祖先のため、自分たち自身のため、そして子供たち、孫たちのために、戦争の挑発や終わりのない戦争の脅しには屈しないという、私たちの集団的な意志を強めてくれるものです。

 アメリカフレンズ奉仕委員会は、全米1500以上の組織からなる連合体「全米平和正義連合」の創立メンバーです。全米各地で、日々正義と平和をめざして活動している仲間と友人からのごあいさつをおくります。これからその活動について話しますが、私の住むマサチューセッツ州の人々からのごあいさつも届けたいと思います。もっと個人的になりますが、私のよき指導者の一人であるジョゼフ・ガーソン博士も、みなさんに心からよろしく伝えて欲しいと言っていました。ガーソンさんの核廃絶を目指す生涯にわたる活動を通じて、多くのみなさん方が彼のことをご存知だと思います。

 みなさんの不屈の努力を、米国の残虐で侵略的な外交政策に反対している全米の何百万もの人が支持しています。いま私の国アメリカでは、世界的規模での経済・軍事支配に血道を挙げる、いわば地球的ケダモノの腹の中に住む者たちとして、特別の責任を負っていることに目覚める人たちが日を追うごとに増えています。

 日本に行くにあたり、私は素晴らしい憲法第9条を守り抜くみなさんの闘い、ビキニの惨事を記念する毎年の行事について考えるうちに、2002年に広島の平和公園と原爆資料館に行った時のことを思い出しました。その数カ月前、私はアメリカフレンズ奉仕委員会がイラクに派遣した人道支援活動から帰国したばかりで、毎週、西マサチューセッツ地域のいろいろなグループに報告活動をしていた真っ最中でした。「食料かご」と呼ばれる実際は大量飢餓装置のこと、米国がアメリヤ防空壕に対しておこなった「誤爆」という、実際は眠っていた400人以上の女子どもを焼き殺した行為のことなどを報告していました。

 広島での経験はすべてが忘れることは出来ないものですが、中でも資料館の最初の方の展示室に、おそらく一生にわたるであろう最も強い印象を受けました。第二次世界大戦にいたる日本の動きを公的に説明したものです。

 最初私たちは次の展示物に駆り立てられて、この部屋をさっと見ただけで出たのですが、この信じがたく勇気ある真実の説明と、暴力の連鎖に対する完全でひるむことない理解に呼び戻され、私は思わず足を止めたのです。

 気持ちを切り替えて進まなくては、と自分に言い聞かせる必要があったのを覚えています。米国が、ひとつの国として、自国の行為とそれがもたらした影響を説明するとしたらどうなるだろう、と思ったことを覚えています。残念ながら、生み出した亡霊のあまりの多さに、どこから始めて良いか見当がつかないかもしれません。広島と長崎への原爆投下から始めるか、それとも1954年3月1日のブラボー実験か、アフリカ大陸から大量に子ども・女性・男性を連れ去り奴隷にしたことか、第二次戦争中、日系アメリカ人を強制収容所に入れたことか、イラクの徹底破壊からか、(横須賀での)佐藤 好重 ( よしえ ) さんの殺害に対する米国の責任か———どこからであれ、始めなくてはいけないのです。私たちの生存そのものがそれにかかっているのです。

 しかし、事実はまったくその反対に進んでいます。米国は今も、日本国憲法第9条のように素晴らしく、情熱が込もったものを創るにははるか及ばないところにいます。以前、核不拡散を誓ったにもかかわらず、ブッシュ政権は、それを熟考するどころか、核軍拡競争に他ならない行為に手を染めています。そしてそれを誰のせいにしているかというと、ブッシュ政権によれば、アフガニスタンでないとすればイラク。イラクでないとすればシリア。そうでなければ北朝鮮。でなければイラン。(傍注:国家安全保障会議(NSC)メンバーだったフリント・レベレットは1月24日ニューヨークタイムスにこう寄稿した。「政権についてから5年間、(ブッシュ)政権は対イラン関係をより前向きな軌道に乗せるすべてのチャンスにそっぽを向いてきた」。続いて、そうした拒絶行動を順に上げている。2002年のあの「悪の枢軸」にイランを数えたこと、2003年春、二国間の相違の解決にむけイランが細目にわたる包括的協議を提案をした時それを完全に拒否したこと、2003年10月、相互による合意が可能な取り決めに帰結しうる協議を続けるため、イランにウラン濃縮一時停止をさせようとする欧州諸国の努力を拒否したことなど。米国が、協議継続努力への参加を拒否した結果、協議は決裂した。これらすべてが、先ごろのイランでの選挙結果と相まって、外交的解決の可能性をどんどん小さくしている。)

 イランでないとすれば、今度は、米軍の覇権に対する最大の脅威のひとつとみなされるようになっている中国。ブッシュ政権は、敵というものは必ず存在し、ゆえに核兵器というお守りに頼る理由は常にあるのだと、私たちに信じこませたいわけです。

 2006年2月16日のオープン・デモクラシー(Open Democracy)で、ジア・ミアンとペルベズ・フードボイの二人が、「戦略的・政治的目標達成のため」、なぜ米国が無期限にわたり核兵器に依存するのか分析しています。「なぜ米国が、あれだけ持っている上になお核兵器を渇望するのか、理解できないかもしれない。米国はなぜ、ほかの国をそそのかして、彼らも核が欲しくてたまらないようにするのだろうか。そして、核を持たない敵国さえ必要があれば標的にするかもしれないと宣告することで、一体何を得ようとしているのであろうか。答えは明確だ。帝国主義者の思いあがり、暴走する軍国主義、権力者の傲慢である。」

 二人は続いて、米戦略空軍と、空軍海軍両方の全核兵器に責任を持つ米戦略司令部の総司令官であったリー・バトラー将軍を引用して論じています。

 驚くのは、ご存知の通り根っからの核拡散応援団長だったこの人物が、「核戦争には、政治的にも、軍事的にも、道徳的にも容認できる大義名分はない」という結論に達したということです。バトラーは、米国が核兵器をなぜ、どのように造り使うのかの核心であると彼が考える、米国のある核兵器施設について書いています。「核兵器を容認する気持ちを理解する方法があるとすれば、それは核兵器が、理屈抜きで湧き出る敵対心に必然的に伴う共犯者だ、と考えるしかない。核兵器は、異常なまでの疎外感と孤立感から生まれる感情の風土のなかで繁殖する。核兵器がもたらす影響の際限ない理不尽さは、破壊しつくしたいという衝動にとって格好の伴侶である。核兵器は、人間の恐れの最深部につけこむ。…人間らしい感覚を蝕み、良心を怒りで震わせる力を麻痺させ、想像できたものを想像不可能にする。」核兵器を造り、使用計画を立てるこの機関は、「飽くなき欲望と世界規模の目標を持つ巨大な官僚機構であり…それを津波のような諸勢力、群を抜くエゴ、猛烈な矛盾、思いもよらないような構成概念、狂気じみた危険が取り巻いている。」

 狂気じみた危険。バトラーが触れたのは世界規模での絶滅の危険ですが、果たして彼は米国の民間インフラが完全に崩壊する危険について考えたことはあったのでしょうか。2004年度、「国家優先プロジェクト」は、マサチューセッツ州だけでも、核兵器に4億6700万ドルを負担したと推定しました。7000発の核兵器を一触即発状態に置き、地中貫通型強化核兵器(RNEP)別名バンカー・バスター(塹壕破壊兵器)を開発するためにマサチューセッツ州民が負担した費用です。社会的責任のための医師の会は、このバンカー・バスターがイランのイスファハンで使われたなら、最初の数週間で300万人が死ぬと推定しています。

 ですから、核兵器は私たちすべてにとって2倍に悲劇的なのです。私の地域では、予算削減のもと人々がうめき声をあげています。低所得地域の若者たちは、衰え続ける経済と社会的安全網がないこの国で、高校卒業後よい生活をするためには2つの選択肢しかないと言います。刑務所にいくか軍隊に入るかのどちらかだと。2002年、ジェフリー・ルセイいう青年が教育の機会を求めて海兵隊に入りました。彼はイラクへ行き、帰国したあと、2005年夏、地下室で首を吊って死にました。自分を戦争に送り込んだウソを知る国民の数が増え続ける中、自分がイラクでした事と自分との間に折り合いをつけることができなかったのです。

 ジェフリーの両親ジョイスとケビンは今、アメリカフレンズ奉仕委員会と「声を上げる兵士家族の会(MFSO)」と協力し、この戦争を終わらせる全国規模の草の根の活動の中心になっています。彼らだけではありません。マサチューセッツは今、2月19日に始まった全州平和行進の真っ最中です。私の西部マサチューセッツ事務所は、レベレットにある日本山妙法寺の平和の塔の僧侶の方々と強い協力関係にありますが、彼らは、平和市長会議の核兵器廃絶キャンペーンに対する両団体共同の取り組みを発展させるため、この「新しい春に向けた行進The Walk for a New Spring」の先頭に立っています。

 被爆60周年の昨年、私たちはこの新しい活動を開始し、地域の市長の8割の支持を得ることに成功しました。市長たちに会ってみて分かったのは、彼らの大多数が、平和をつくる担い手としての責任について、おそらく初めて、意見を表明する機会を渇望していたことでした。

 ノーザンプトン市のクレア・ヒギンズ市長は2005年8月5日の記者会見で、「市長として、私たちは毎日、地域で次に何が起こるのかと心配しています。核拡散がもたらしうる破壊は、実在する場所—つまり私たちの市で起こるのです。」同じ記者会見で、グリーンフィールド市のクリスティン・フォージー市長は、彼女自身と市民の両方のために、平和構築者としての責任を負うこと、平和をめざす市長になることの意味をこう語りました。「…世界中で結集することで」「一人の力は何倍にも大きくなるのです。」

 平和市長キャンペーンとそれに伴う組織活動は、おそらく、世界規模での核兵器完全廃絶を目指す取り組みにおいて、私たちが活用できた最も戦略的な構想のひとつだったと思います。このキャンペーンでは、地域の草の根から、まず地域の安全問題で一番近い関係にある、選挙で選ばれた公職者たちに働きかけることが求められました。

 西部マサチューセッツの市長たちが私たちに明確に委任してくれたことで、州議会に働きかけることができるようになりました。マサチューセッツ州の下院と上院は、平和市長会議ならびに2020年までの核兵器の世界規模完全廃絶を支持する決議を採択しましたが、これは全米初のものでした。ピーター・ココット下院議員は、この第一号決議の提案に合意した理由をこう説明しました。「私たちが持つ最も大切な自由は、恐怖から解放されるという自由です。」

 平和市長会議キャンペーンの成果に立ち、今年、日本山妙法寺とAFSCはすべての活動をマサチューセッツ州選出の米議会上院議員ケネディとケリーへの働きかけに結集します。「新たな春をめざす行進」は西から東へ進みながら、この上院議員二人に対する要請署名を集めています。これは、彼らがブッシュ政権の対イラン計画の全面調査と国民への調査結果報告を求めること、核兵器を先制使用する可能性を米国が完全に放棄するよう公的に要求すること、を求める署名です。ケネディ上院議員に対しては、上院で核廃絶法案を提出するようにも要請しています。

 平和市長キャンペーンは、バトラーが言う極度の「疎外感と孤立感」から生まれる米国の「感情的風土」を治すための私たちの運動の、言わば車の片輪です。私たちの重要な活動のひとつは、「平和プロジェクト強化支援(the Help Increase the Peace Project, HIPP)」という青年向けの非暴力リーダー養成プログラムです。このHIPP(ヒップ)を通じて、抑圧と暴力の根本的原因である貧困、人種差別、強度女性嫌悪症、同性愛嫌悪症、恐怖を分析し、それらに取り組む方法を青年が青年自身に訓練します。彼らはここで紛争解決と正義のための組織を進めるスキルを身につけていきます。

 最後にもうひとつ活動計画を挙げると、今年11月、マサチューセッツ州の人々に、イラク戦争の即時停止と部隊の撤退を求める票を投じてもらうことで、それを、バトラーが言う「飽くなき欲を持つ巨大な官僚機構」を解体させるひとつの大きな一歩にしたいと思っています。この拘束力を持たない投票運動は、全国で初めてのものです。私にとってこれは、平和のための市長キャンペーン同様、わくわくするようなチャンスなのです。正義とすばらしい平和の達成を求める世界の流れに、私の国で高まり続ける国民の声を合流させることを可能にする機会となるでしょう。

 こうしてお話ししてきたのは、ムンバイでアルンダティ・ロイが言ったように、もうひとつの世界は可能だ、という皆さんの活動に私たちも加わっているからです。皆さんが指し示してくれる展望に心から感謝しています。私は核戦争の恐怖に対する感覚を麻痺させることを拒否する皆さんの姿に深く深く心を動かされています。粘り強くみごとに米国の圧力を拒否し、第9条を守り、核兵器のすみやかな廃絶に向け、実に感動的な世界的リーダーシップを発揮しているみなさんに感謝しています。

 力をあわせることで米国を生まれ変わらせ、一人一人の人間が尊重される国、諸国による国際社会の共通の利益をめざす私たちの取り組みが掲げる原則に忠実な国が生まれることを祈っています。

 ご清聴ありがとうございました。通訳の方にもお礼を申し上げます。

 

 

 

 

 

2006年3・1ビキニデー日本原水協集会(全体会議)での発言

姜濟淑(カン・ジェスク)

韓国・平和市民連帯

 昨日私たちは、アメリカと、韓国、フィリピン、日本の土地で生きながらそれなりに平和を育てていく女性たちの声を聞きました。そして、昨日の夜、私は、若者たちと対話を分かち合いました。

 きょう、分科会を通じて具体的にどうやって連帯活動をやっていくかについて、私たちは話を分かち合えればいいなと思います。

 戦争が起きたら一番先に被害を受ける人は、マイノリティである子供や障害者やお年寄りや女性などです。きのう私は、平和の内容は、このようにマイノリティの人権を守って、差別のない世の中を育てていくことだと言いました。私たちが核兵器のない平和で公正な世界をつくるためには、マイノリティである原爆被害者の人権を守って、苦痛が子孫に伝わる原爆二世を含めた後世の差別のない世の中を育てていかなければなりません。そして、すみやかな核兵器の廃絶のためには、非核化問題、平和憲法問題、日米同盟問題などを具体的に解決する連帯をしなければなりません。この連帯のためには、私たちは、私たちのまわりと自分自身を冷徹に点検しなければなりません。

 私は地球村を一周したことがあります。その時、私が非常に感じたのは、第三世界の独裁政権の背景にはアメリカがある、という事実です。もちろん日本もアメリカから自由ではありません。身近な問題としては、私たちが原爆被害者問題を解決して、原爆のない世の中を育てるためには、アメリカの実態をよく知らなければなりません。日本社会もまた、私たちが運動を広げていくためにはあんまり優しい社会ではありません。独裁政権がある社会は、独裁政権という敵が具体的に見えるから、相対的に運動しやすいです。しかし、日本社会は敵があるけれど、敵が具体的に見えないために、運動するのにもっと難しいです。それで、これからは日本社会で生活している人だけで運動するより、国境を越えて お互いの経験を分かち合って連帯しなければなりません。

日本の帝国主義とアメリカの覇権主義によってアジアを侵略したりイラクを侵略するとき、日本とアメリカに住んでいる民衆も被害者だと思います。日本人とアメリカ人がみんな悪いとは言えません。日本とアメリカに住んでいる人々のなかにも、みなさんのような良心的でマイノリティの人権を守って平和を育てている人々がいます。それで私たちは国境を越えて女性と男性の境界を越えて、連帯して戦争を起している一握りの権力者とお金持ちに対して、戦わなければなりません。しかし、ブッシュ政権と小泉政権を作ったアメリカと日本の社会に対して、私たちも責任があることを忘れてはいけません。だから私たちはもっと健康なネットワークをつくるために、私はもうひとつ強調したいのです。それは、世界の境界を越えることです。今、私たちの社会は男女の葛藤より、世代の葛藤の方がもっと深い現実です。

 社会で60年代、70年代に運動をしたお父さん、お母さんの世代は今の息子、娘の世代である若い世代たちと会って、対話を分かち合わなければなりません。そうならないと、ますます運動は老人の運動化していきますし、よい社会の希望がありません。両親の世代の経験を一方的に権威的に教えるより、優しくともに分かち合う心で伝えて欲しいのです。それで私たち若者たちが、自分の土地を越えていろんな地球村の若者たちと出会って友達になれば、この世の中は紛争のない世の中になると思います。友達がいる国には原子爆弾を落とさないし、戦争を起すことはできません。私たちの連帯は、ここから出発すればどうでしょうか。みなさんが私を友達として受け入れてくれるのであれば、拍手で歓迎してください。

ありがとうございました。

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