原水爆禁止1999年世界大会
国際会議

ネルソン・アンジャイン
ロンゲラップ環礁地方自治体元首長
 

 私の名前は、ネルソン・アンジャインです。太平洋のマーシャルから来ました。私の故郷、ロンゲラップは1954年のブラボー水爆実験で、死の灰をあび、被害をうけた島です。

 私はこの7月、ロンゲラップにいきました。これで、ロンゲラップに行ったのは、3回目です。今年の3月、島民がロンゲラップにもどれるようにするための工事が始まり、起工式が行われたからです。今は、空港ができて、飛行機で、首都のマジュロからロンゲラップに行くことができます。これから、道路や、家が立つ予定です。

 ロンゲラップ島には、長い間、誰も住んでいなかったので、島の木や植物が、枯れていました。私は、その様子を見て、悲しく思いました。そして、昔のロンゲラップを思い出しました。ロンゲラップの島は、80からなり、食べ物は豊富でした。そこで、島民は平穏に暮らしていました。

 ロンゲラップに帰るための工事は始まりましたが、私は、アメリカに聞きたいことがあります。どのくらい、私たちの島はきれいになるのでしょうか。島は本当に安全になるのでしょうか。アメリカは、核実験によって破壊されたビキニ環礁の二つの島に、人が住めるようにするために、1億ドルを費やしました。それでも、きれいにならず、ビキニ島の島民は、まだ島に戻っていません。

 ところがアメリカは、ロンゲラップをきれいにするために、4500万ドルしか出しません。この額で、ロンゲラップは、きれいになるのでしょうか。島民がもどって、昔のように、暮らせるようになるのでしょうか。すでに、ロンゲラップ島の北部は、ひどい放射能汚染のために、立ち入り禁止になることが決まっています。

 私たちは、プルトニウムのしみこんだ、土をみんな削って取り除いてほしいのですが、30センチ弱の土しか削りとりません。カリウム肥料をまぜたものをしくと言っています。これだけで、大丈夫でしょうか。そして、汚染された土をどこに持っていくかも問題です。

 私は、家族に言っています。もう、ロンゲラップのことは、忘れてくださいと。でも、多くの島民は、ロンゲラップに帰り、安全で、豊かなくらしをすることを望んでいます。

 1954年の水爆実験で、ロンゲラップが破壊され、私たちは避難しました。それから3年後、アメリカがもうロンゲラップは安全だといったので戻りました。でも、奇形の子供が生まれたり、これまでになかったような病気にかかり、島民は死んでいきました。私たちは怖くなって、ロンゲラップを逃げ出し、クワジェリン環礁のメジャットに移り住んでいます。ここは不毛の島です。この島に来たときは、何もなく、自分たちでやしの木を植えました。食べるものが十分に育ちません。魚も取れません。だから、アメリカが3ヶ月に1度送ってくる缶詰や小麦粉に頼っています。

 アメリカからロンゲラップに支給される補償金の一部は、島民に分配されますが、一人、3ヶ月に80ドルにしかなりません。これでは、にわとり1羽買うだけでおしまいで、毎日、十分に食べられない生活を強いられています。

 同じ、クワジェリン環礁にはイバイ島があります。ここには、ロンゲラップの人もたくさん住んでいて、私自身の家もあります。イバイのとなりの島、クワジェリン島は、島全体が、米軍基地になっています。クワジェリン島に住んでいた人は、基地をつくるために、アメリカによってイバイ島に追い出されました。イバイに住んでいる人は、毎朝、船に乗って、米軍基地に働きに行き、夕方、もどってきます。マーシャルには他に仕事がなく、基地の仕事が一番お金になるので、ここに人が集まってきます。今、狭い島に1万6000人が、ひしめきあって住んでいます。ここでは、仕事もなく、することもない、若者が、盗みをしたり、物乞いをしたり、荒れた生活をしています。食べもののない子供たちが、路上で生活し、のたれ死んだりしています。

 クワジェレンの米軍基地では、アメリカのカリフォルニアから発射されるミサイルを打ち落とす訓練が行われています。イリキネという島は標的になっており、島にその印があります。これまでに、他の島にあたったり、あやまって発電所にあたり、爆発事故が起こっています。

 私たちは、ロンゲラップで核実験のために、ひどいめにあって、メジャットに逃げたのに、ここでも、ミサイルの危険にさらされています。もう、核兵器はこりごりです。核兵器は、私たちをさまざまな病気で苦しめるばかりでなく、島民の昔ながらの伝統的な生活を破壊しました。

 私たちの願いは、アメリカに被害にみあった救済をしてほしいことです。ロンゲラップを安全にして、もどしてほしい。そこで、安心して暮らせるようにしてほしい。

 私は、長い間、何度も、日本にやって来ました。それはなぜかというと、世界が平和になるために、みなさんと一緒にがんばっていきたいからです。私たちは、直接、核兵器の被害を受けました。核兵器がなくならないと、私たちの苦しみも終わりません。どれだけの人が、私の訴えを聞いてくれるかわかりませんが、私は、生きている限り、みなさんと一緒にがんばります。どうかみなさん、私たちを支援して下さい。



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