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2000年3・1ビキニデー 「核兵器のない21世紀を開く」国際シンポジウム
2001年2月26日、東京 主催:原水爆禁止日本協議会
パネリスト
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ビクトリア・ロメロ (駐日メキシコ大使館書記官)
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サリマ・アクバル (駐日マレーシア大使館書記官)
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今井隆吉 (元日本軍縮大使)
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上田耕一郎 (前参議院議員、日本共産党副委員長)
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アチン・バナイク (インド核軍縮平和連合調整委員)
核兵器のない世界をめざして—新たなアジェンダの必要性
ビクトリア・ロメロ
メキシコ外務省(駐日メキシコ大使館二等書記官)
日本原水協が「核兵器のない21世紀をひらく」このシンポジウムを組織され、「新アジェンダ」参加国として核軍縮についてのメキシコの政策と考え方をみなさんにお話する機会を与えて下さったことにお礼を申し上げたいと思います。
メキシコは平和的使命に忠実な国であり、包括的軍縮は、とりわけ核軍縮に力点を置いて、厳格かつ効果的な国際管理の下で行われるべきであると主張しています。
国連で軍縮討議が確立されて以来、メキシコは、漸進的かつ不断のプロセスを通じた核兵器の完全廃絶を一貫して主張してきました。
1978年、第一回国連軍縮特別総会期間中に、メキシコは「軍備競争の早期終結と核軍縮に関連する効果的措置」の採択に努めました。
1969年1月21日、メキシコは「核不拡散条約」を批准しました。この条約はできる限り早期の軍備競争終結、核軍縮、効果的な国際管理下での包括的条約の締結などに関する効果的措置について、友好的な話し合いをもつことを条約加盟国に約束させるものでした。
核軍縮に対する確固とした誓約により、メキシコは1996年の軍縮会議で、事前のスケジュールに従って、さまざまな段階での核軍縮に関する「行動計画」の採択を求める「21カ国グループ」の提案に加わりました。
メキシコは核軍縮のために長い間たたかってきました。この精神で、1967年2月14日、メキシコは「トラテロルコ条約」の創設を促進しました。これはラテンアメリカを、人口の多い地域としては最初の非核地域として確立するものでした。これは世界の他の非核地帯の創設の模範となってきました。現在メキシコは、条約がこの地域のすべての国により全面的に批准されることに関心をもっています。
メキシコは1996年7月8日にハーグで出された、核兵器の脅威および使用の適法性に関する国際司法裁判所の勧告的意見を歓迎しました。この勧告は、核軍縮交渉を継続し核兵器禁止協定の締結を通してこれを完結する義務を確認しています。
メキシコは、包括的核禁止条約加盟国として、1999年10月5日以来、条約の早期発効を実現することによって核不拡散体制の強化を促進しています。この条約が打ち出している国際核実験警戒システムを構成するメキシコの五つの観測所に関して十分に約束を履行するよう積極的な取り組みをおこなっています。
メキシコにとって、非核保有国に対して核兵器の使用または使用の威嚇を行なわないという安全保証の実現は重要です。
メキシコは核軍縮に賛成する立場からさまざまな機構や国際的なフォーラムに積極的かつ恒常的に参加してきました。しかしながら、広島、長崎の被爆から半世紀以上をへた今も、核兵器が存在するわけですから、この課題は引き続き重要です。これら核兵器の偶然または過誤による使用は人類文明の壊滅につながる現実的潜在的危険をはらんでいます。
こうした危険に加えて、核兵器拡散のための技術や関連物質の入手の可能性からして、一切の大量破壊兵器の完全廃絶を明確に約束する必要性が今や緊急の課題となっています。
「新アジェンダ」グループの一員としてメキシコは、核兵器の完全かつ永久に廃絶するための「行動計画」の履行提案を今後とも促進し続けるつもりです。
昨年、ニューヨークで開かれた「核不拡散条約締約国2000年再検討会議」の期間中、メキシコは「新アジェンダ」グループのコーディネーターとして、積極的にしかも断固とした態度で会議に加わりました。その結果、会議は核軍縮のための一連の措置とともに、自国の核兵器を全面廃絶するという核保有国からの明確な政治的約束を達成しました。
再検討会議は、核軍縮のための実際的で系統的かつ漸進的な措置の履行を打ち出しました。それは以下の諸点を含んでいます。
1. 包括的核実験禁止協定の早期発効のための共同の努力、
2. 上記条約の発効まで、核兵器の実験爆発およびいかなる他の核爆発についてもモラトリアム(一時停止)を守ること、
3. 軍縮会議(CD)で、以下二つの補助機関の早期設置を含めた作業計画を採択すること。すなわち、核兵器用分裂物質生産禁止条約を交渉する機関と核爆発装置にかんする機関である。
4. 核軍縮および、核やその他の関連する軍備管理軍縮の措置への不可逆性の原則適用を遵守すること、
5、 すべての核兵器保有国が、適正な限り早期に自国の核兵器の全面廃絶に至るプロセスに着手すること、
6. 第二次戦略兵器削減条約(START�U)の早期発効および第三次戦略兵器削減交渉の締結。同時に、戦略的安定の要石ならびにいっそうの戦略的攻撃兵器削減の基礎として弾道弾迎撃ミサイル制限(ABM)条約を維持・強化すること、
7. アメリカ合衆国、ロシア連邦、国際原子力機関の三者間イニシアチブの完成と履行、
8. 核兵器の能力に関し核保有国が透明性度を高めること。また核不拡散条約第6条により、かつ、核軍縮のいっそうの前進を支援する自発的信頼構築措置として、各種の協定を履行すること、
9. 一方的なイニシアチブに基づき、かつ核軍備削減および軍縮プロセスと不可分のものとして、非戦略核兵器のいっそうの削減を実現すること、
10. 核兵器体系の作戦上の地位をさらに引き下げるための合意に基づく具体的諸措置、
11. 安全保障政策における核兵器の役割を縮小し、核兵器が使用される危険を最小のものとし、その全面廃絶のプロセスを促進すること
12. 実行が可能なかぎり早期に、すべての核兵器保有国がそれぞれもはや軍事目的に使用しないと指定する核分裂物質を国際原子力機関またはその他関連の国際検証機関あるいはとりきめのもとに置き、そうした物質が永久に軍事目的には決して使用されないことを保証するために、そうした物質を平和目的に処理すること、
この文脈で、核保有五カ国がそれぞれ自国の保有する核兵器を完全に廃絶するとの約束は、依然としてこのイニシアチブの基本条件となっています。この約束は、核保有国の今後のいかなる行動にとっても決定的であり、2005年に核不拡散条約の目標達成の到達度を評価し、その手段をはかる尺度ともなります。
メキシコは昨年、核不拡散条約第6回再検討会議で合意された各種の合意、とりわけ核軍縮小委員会の設置ならびに軍事目的の分裂物質の製造を禁止する普遍的適用性をもった「非差別的国際協定」に関する交渉をただちに開始し早期に締結する任務をもつ委員会の設置とを特に重視しています。
メキシコは、ミレニアム総会中に国連事務総長が提出して報告に含まれた提案に高い優先度を置いています。その提案は、核の危険を除去する方法を決める主要な国際会議を召集する可能性に関するものです。
第55国連総会でメキシコは、ブラジル、エジプト、アイルランド、ニュージーランド、南アフリカ、スウェーデンを代表して「核兵器のない世界へ:新たな課題の必要性」という決議を提案し、核保有五カ国のうち三カ国の賛成も含めて、圧倒的多数の加盟国の承認を得ました。
偶発的な核戦争の危険を減らし、核兵器の質的改良をやめさせ、核保有国の安全保障体制における核兵器の役割を制限すること、これらは依然として差し迫った課題であり、メキシコは決意新たにこの課題に取り組んでいます。
メキシコは、さまざまな国際舞台で核軍縮を前進させるその固い信念を再確認します。私たちは、かつて私たちが持っていた世界、核兵器のない世界の実現に向けて奮闘する覚悟です。
マレーシアの核軍縮イニシアチブ
サリマ・アクバル
駐日マレーシア大使館書記官
議長、お集まりのみなさん、
まずはじめに、日本原水協にたいし、このシンポジウムの組織という崇高なイニシアチブをとられたことに深い感謝を申し上げたいと思います。このようなイニシアチブは、核軍拡の差し迫った危険性に対する意識と理解を高めるだけでなく、核兵器の廃絶と使用禁止に向けた努力に貢献するものとなることを、私たちは心から願っています。
1.マレーシアは小さな、非核の発展途上国です。しかし、私たちは、核兵器の入手、開発、そしていかなる状況のもとでも使用あるいは使用の威嚇に強く反対するというわが国の立場を明確にしてきました。マレーシアの核兵器反対の姿勢は、道義的なものであると同時に、政治・安全保障上の観点から生まれたものです。私たちは核兵器の取得、使用あるいは使用の威嚇は道義的に間違っており、いかなる状況においても正当化したり、擁護したりすることはできないと考えています。政治・安全保障上の観点からみて、マレーシアは、核兵器が一国の安全保障を高めるどころか、地域的・世界的安全保障に深刻な危険をもたらすと考えます。
2.核保有国の国防戦略の基礎となっている核抑止ドクトリンは、私たちの考えでは、際限なく核兵器の優越性を追い求める競争に拍車をかけるだけで、真の軍縮を阻むものです。ですから、非核保有国の見地からすると、核軍縮は国際政治において優先課題でなければなりません。核兵器反対の政策にのっとり、マレーシアは常に核保有国に対して、冷戦終結後の状況にまったく意味のない核抑止ドクトリンを捨て、核兵器を放棄するように、そして最終的に核兵器の廃絶をもたらすよう核軍縮を追求するようにと働きかけてきました。
3.多国間レベルでもマレーシアはこころざしを同じくする国々とともに、国連やそのほかの国際的な討論の場において、積極的に核兵器の禁止を訴えてきました。マレーシアは国連総会における核問題の決議を重要視していますが、これは、決議には法的拘束力はなくとも、国連加盟国に対して政治的・道義的な力を持ち、この問題について続けられる世界的な討論の基調をなすものとなるからです。ですから、国連決議は、核不拡散、核軍縮そして最終的な核兵器廃絶という目標に達成するための勢いを作り出すために重要です。
4. 核軍縮の分野におけるマレーシアの努力のうち注目すべきものは、1996年、国連(第一委員会)において、「核兵器による威嚇あるいは使用の適法性に関する国際司法裁判所の勧告的意見」についての決議案を提出したことでした。それ以来毎年、この決議の後追いとなる決議案を提出してきました。マレーシアがこのイニシアチブをとったのは、最高の国際的法的機関が、人類の生存そのものにかかわる問題に関して行なった意見表明を、国連総会が正式に承認するべきであると強く信じているからです。核兵器の存在により人類が存続の危機にさらされているもとで、国際社会は核兵器の適法性について判断をおこなう権利があります。ですから、これほどの歴史的意義をもつ勧告的意見は、軽視されてはならず、しかるべき重要性を与えられるべきなのです。
5.思い起こしていただきたいのですが、1994年12月15日に採択された国連決議49/75Kにより、国連総会は、国際司法裁判所(ICJ)にたいし、「国際法のもと、いかなる状況においても、核兵器の威嚇あるいは使用は許されるのか?」という問いかけについて勧告的意見を出すよう求めました。国際司法裁判所には、28の国々から文書で意見が寄せられ、1995年10月30日から11月15日にかけて、ICJでは22の国々による意見陳述がおこなわれました。マレーシアは文書と口頭の両方で意見表明を行ないました。1996年7月8日、ICJは公開の法廷の場で、歴史上初めて、核兵器の威嚇あるいは使用は一般的に武力紛争に適用される国際法の規定に反しており、特に人道法の原則と規定に違反している、との判断をおこないました。また法廷は、判事の全員一致で「厳格で効果的な国際管理のもと、あらゆる面において軍縮につながる交渉を誠実に行い、締結させる義務が存在する」と判断しました。
6.ICJの全員一致の決定は、歴史的意義を持つ重要なものであり、核保有国がただの「意見」だとして片付けてはならないものです。それどころか、これは、世界最高の法的機関で地位を占める判事が慎重に審議して、発表した見解であり、核兵器の威嚇と使用の適法性について判断を求めた国連総会の要請に答えたものでした。この勧告的意見は、核軍縮を目指す諸努力への重要な貢献となりましたが、もっと重要なことは、これは、核軍縮問題にとりくむ国際的行動、特に核不拡散条約(NPT)の締結国が同条約の完全な実施にむけてとるべき措置を検討するにあたって、このうえなく明確な方向付けを与えたことです。国連総会は、国連の核軍縮の分野における諸活動を促進するためにICJの勧告的意見を求めました。この勧告的意見は、国連総会の活動とNPTの実行に対してのみならず、締結国の核軍縮分野における活動、政策および義務に直接影響とインパクトをあたえることになったのです。
7.このような理由でマレーシアは第一委員会にICJ勧告的意見に関する決議案を提出するイニシアチブを発揮してきたのです。マレーシアは、ICJの判断は核軍縮プロセスにおいて重要で積極的なものであり、これを基礎にさらに前進するべきであると確信します。この意見に単に注目するだけでは、あるいは歓迎してもすぐ忘れてしまうのでは十分ではありません。ICJの学識ある判事たちは、国際社会は、「あらゆる面で核軍縮につながる交渉を」行なう義務があるだけでなく、そのような交渉を「締結させ」なければならない、と明確に述べました。マレーシアの国連決議は、国際社会にこの厳粛な義務を想起させ、核兵器の完全廃絶を導く交渉のプロセスを開始するよう促しています。さらに重要なことに、この決議は、国連加盟国にたいし、核兵器の開発・製造・実験・配備・貯蔵・移転・威嚇あるいは使用を禁止し、廃絶を規定する核兵器禁止条約の早期締結に向けた多国間交渉を向こう一年間のうちに開始することによって、この義務をただちに果たすよう促しています。
8.ICJ勧告的意見に関する決議は、この義務があるとしたICJの全員一致の判断が、国連加盟国が核兵器廃絶に向けて断固とした努力を行なうための明確な基盤をなすものだと考える多くの国々の支持を得ています。さきの2000年国連総会では、ICJ決議は53カ国が共同提案国となって提出され、総会ではこれまで最高の賛成119カ国、反対28、棄権22で採択されました。中国をのぞいた核保有国およびその同盟諸国は、法廷意見を選択的に引用したものだ、などさまざまな理由をもちだして、引き続きこの決議に反対しました。
9.マレーシアはこのイニシアチブをさらに一歩進めました。昨年ニューヨークで開催された2000年NPT再検討会議で、「核兵器の威嚇あるいは使用の適法性に関する国際司法裁判所勧告的意見の後追い(フォローアップ)」と題する作業文書を提出したのです。
10.この文書提出にあたって、マレーシアは、ICJの勧告的意見にしたがいこの上にさらに積み上げる義務があるのだということを、NPT締約諸国が常に思い起こすようにつとめました。この作業文書は、1996年以来マレーシアが国連に提出してきた決議案と同様、「核兵器(禁止)条約(NWC)」につながる交渉を呼びかけたものです。しかしながら、この作業文書には、締結されるべき核兵器条約の内容の一部を提起するという新たな点を含んだものでした。
11.核軍縮に取り組むという約束を真剣に守るつもりがあるなら、締約国は、国際的に拘束力のある法的な協定につながるような核軍縮交渉を開始すべきであると、マレーシアは考えています。そのような法的協定は、核兵器のない世界の実現に向けて不可欠なしくみを含むものです。
12. 1997年に「核兵器条約試案(モデル)」を討議文書として配布するよう国連事務総長に提出したコスタリカが、この作業文書の共同提案国となりました。核保有国、とくにフランス、ロシア、アメリカは、NPT会議の第一主要委員会の議長報告のなかで、ICJ勧告的意見に言及することに反対しました。しかし多くの国々の支持を得て、ICJ意見への言及は、2000年NPT再検討会議最終文書の将来計画部分と総括部分の両方に盛り込まれたのです。
13.マレーシアはまた、強力な核兵器反対の政策にのっとって、そのほかの国際的協議の場でも重要な役割を果たしています。1995年11月にオークランドで開かれた英連邦首脳会議(CHOGM)においてマレーシアは、核兵器反対の強い調子の特別声明の草案作成の中心となりました。この決議は、引き続き2つの核保有国(もちろん、圧倒的多数の賛成を得るために名指しは避けましたが)が核実験を継続していることを非難したものです。マレーシアは、自国の核兵器反対の立場がその当時焦点となっていたフランスの核実験のみに向けられたものではなく、核兵器の問題全体を視野に入れたものであることを明確にしていました。英連邦首脳会議で核問題での特別声明が採択されたことは、それが全会一致だったというだけでなく、核実験を非常に強い言葉で非難した点でも重要なできごとでした。この強力な声明は、当時核実験を行なった二つの核保有国にたいし、このうえなく明確なメッセージを送るものとなりました。
14.マレーシアはいかなる国によるものであれ核実験に反対を続け、圧倒的な世界の核実験反対世論を支持するものです。包括的核実験禁止条約(CTBT)が圧倒的多数の賛成で締結され、核実験と核拡散反対が国際的に優勢な流れとなっているにもかかわらず、今も実験が継続されていることに反対し、マレーシアは核実験反対の声明を発表しています。
15.マレーシアは、核軍縮が軍縮の諸問題の中でも最優先課題であると強く考えています。この目標に向けて、マレーシアは国際社会が核兵器の拡散を食い止めるために作った普遍的体制であるNPTに調印・批准しました。NPTは、核拡散が国際的安全保障にたいする脅威であるとみなす基準をうちたてています。マレーシアはまたCTBTにも調印し、現在批准の手続きに入っています。マレーシアは、検証用の施設を設立するよう要請を受けています。CTBT検証体制の国際的監視制度の一部として、放射線核種の監視ステーションを設立するというものです。
16.マレーシアは引き続き、最終的な核兵器の全廃を目指して不拡散のとりくみの先頭にたちます。時間枠を区切った最終的な廃絶につながる核軍縮を大いに推進していきます。核不拡散と軍縮の分野におけるマレーシアの行動は、わが国の核問題での一貫した立場と、核兵器の完全廃絶にむけたコミットメントにのっとったものなのです。
今井隆吉
... いましばらくお待ちください。
アメリカの「核の傘」からの離脱の道
日本共産党副委員長 上田耕一郎
シンポジウムにご参加のみなさん、とくにパネリストとなってくださった外国代表のみなさんに感謝と敬意を表したいと思います。
主題である「核兵器のない二十一世紀をひらく」ための、世界唯一の被爆国である日本のアメリカの「核の傘」からの離脱という課題について、発言したいと思います。
一、核兵器廃絶をめざす新しい情勢
今日のシンポジウムは、四十五年前の三月一日のビキニ水爆実験による日本漁船の被災を記念したものです。あの衝撃から日本の原水爆禁止運動が誕生しました。私も当時東京中野区の原水協書記となって第一回原水禁大会に参加した思い出があります。
核兵器廃絶の課題にとって、今きわめて重要な新しい情勢が発展しています。
ソ連崩壊後、核廃絶、軍事同盟解消の可能性が生まれましたが、その後、二つの対抗する流れが発展してきました。
一方の流れは、九五年のNPT(核不拡散条約)の無期限延長強行が示すように、アメリカを中心とした五つの核保有国の核独占体制と地球規模の核軍事同盟体制の強化の方向です。アメリカは、先制軍事攻撃で核不拡散体制を守る「拡散対抗構想」までもち、未臨界核実験を継続し、九九年には米議会が包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准を拒否しました。ブッシュ新政権は、NMD(全米ミサイル防衛)、TMD(戦域ミサイル防衛)の開発、小型核兵器開発の準備など、新たな核開発競争をすすめています。ロシアも、軍隊の窮状を核兵器で補おうと、核抑止力の維持に固執しています。
他方、これに対抗する明るい流れは、核廃絶運動のめざましい発展です。ヒロシマ・ナガサキ・アピール署名運動、非同盟諸国会議の核兵器禁止国際協定提起などが実を結んで、核廃絶を緊急・中心課題とする主張が世界の運動の主流となりつつあります。
私は九十年代後半の発展に注目します。この時期はアメリカによる世界経済と安全保障のグローバル化に抵抗して、ヨーロッパで続々と中道左派政権が誕生し、日本でも私ども日本共産党が躍進した時期で、核廃絶運動でも重要な前進が現われました。
一つは、マクナマラ元米国防長官、バトラー元米戦略軍指令官など、核保有国の最高指導者たちが核廃絶の共同声明に加わってきたことです。バトラー氏は元米戦略軍司令官で大統領の核兵器発射命令を受領し下達すべき立場にいた人物です。核戦略とその実態のすべてに通暁する氏が、「核兵器は不条理なしろものだ」「核兵器による安全保障など、ありえない。求めてもむだなのだ」(ジョナサン・シェル『核のボタンに手をかけた男たち』)と結論したことは核抑止論の虚構性を示す重要な証言となっています。
第二に、特筆すべき新しい動きは、九八年のブラジル、エジプト、アイルランド、メキシコ、ニュージーランド、南アフリカ、スウェーデンの七か国による「新アジェンダ連合」(NAC)結成と国連における核廃絶決議案提出の積極的活動です。
そして「二十世紀の運動の到達点」といわれる最も重要な歴史的成果は、昨年五月のNPT再検討会議で、激しい討論の末、最終文書に「核兵器保有国は、自国の核兵器の完全な廃絶を達成」することを「明確に約束」すると書き込まれたことです。従来日本政府が固執しつづけてきた「究極廃絶」論は、ついに破綻しました。「新アジェンダ」を代表したメキシコのイカサ大使は「スペイン語で『究極』とは人類の歴史より先のことのニュアンスがある。この言葉が残るようないかなる合意も拒否する」と主張しました。
昨年の国連総会では、新アジェンダが核兵器の廃絶こそ「真の緊急課題」という立場で(国連総会に向けてのコミュニケ)「緊急の行動」を求める決議案を提出し、ASEAN諸国も核兵器全面禁止・廃絶条約の早期締結を求める決議案の共同提案に加わりました。 地球上の二百近い国家を、核兵器をもってよい五か国と、持ってはいけないそれ以外の国に分けるというNPT体制がはらむ本質的矛盾が、九五年の無期限延長で噴出し、インド、パキスタンの核実験や核固執政策の国際的孤立の進行として発展しているのです。
核兵器廃絶を求める世界の流れは太さと速さを増し、核廃絶運動の新たな段階をひらいていると思います。
二、アジアの前方核配備基地としての日本
こういう劇的な情勢のもとで、私ども日本の運動も新たな課題に直面しています。
ご承知のように日本は世界唯一の被爆国です。「ヒロシマ・ナガサキ・アピール」の署名のひろがり、また非核自治体の数が全自治体の七十五%二四九七に達している事態が示すように、核廃絶の世論はめざましい広がりをみせています。ところが日本政府は、アメリカに追随して、日本をアジア太平洋地域におけるアメリカの前方展開の核攻撃基地としてきました。口では「非核三原則」を国是と言いながら、安保条約にもとづく日米軍事同盟のもとで、アメリカの「核の傘」を容認しつづけてきたのです。
戦後の沖縄は米軍占領のもとでアジア最大の核基地とされてきました。ウィリアム・アーキン氏らの共同論文「核兵器はどこに配備されていたか−一九四五〜七七」によれば、たとえばベトナム戦争時の六七年には、アジア太平洋地域の三二〇〇発の核兵器のうち一二〇〇発以上十九種類が沖縄に配備されていました。
日本本土もまた、アメリカの核基地となっていました。
ハンス・M・クリステンセン「核の傘のもとにある日本−冷戦機の日本におけるアメリカの核兵器と核戦争計画」(ノーチラス研究所報告書)によれば、「一九五〇年代末までにアメリカの核兵器は(沖縄の他に)日本の三つの基地に貯蔵され、他の九つの基地を通じて日常的に艦船に積み込まれた」と書かれています。
青森県三沢基地では、五〇年代後半から六〇年代にかけて、天ケ森射爆場で水爆の低高度爆撃訓練が行われていました。二年半に十一人死亡というアクロバット飛行でした。
アメリカは五八年一月、いわゆる核兵器の存在を「肯定も否定もしない」(NCND−Neither Confirm Nor Deny)政策を決定しました。そのねらいは明らかで、七四年、米上院外交委員会の公聴会でモートン・ハルペリン元国防次官補は、「この政策は、各国政府に自国の港に核兵器を積載した艦艇を寄港させる覚悟をきめさせるためのものである」と証言しています。第一の標的国は日本でした。
アメリカはこのNCND政策を保障するための核密約を日本政府に強要しました。この問題は、私どもの党の不破委員長が昨年の国会の党首討論で連続追及し、密約の文書を示して全真相を暴露しました。
一九六〇年の新安保条約締結の際、岸首相とアイゼンハワー米大統領との間で、日米間の「事前協議」にかんする秘密議事録が合意されたのです。
その内容は「合衆国軍用機の飛来(エントリー)、合衆国艦船の日本領海や港湾への立ち入り(エントリー)」は「核兵器及び中・長距離ミサイルの日本への持ち込み(イントラダクション)」には当たらないので事前協議は不必要だというものでした。
当時日本政府は内容を正確にはつかめなかった模様ですが、六三年の米原潜の寄港騒ぎのなかで、危惧を抱いたケネディー大統領の指示でライシャワー米大使が大平外相と会談し、何も知らなかった大平外相がこの核密約に改めて正式に合意しました。
もう一つの核密約は、七二年の沖縄の施政権返還にかかわって六九年に佐藤首相とニクソン米大統領の間で結ばれました。沖縄から核兵器は撤去されますが、その後も、有事の場合には核兵器を沖縄に再び持ち込むという内容でした。
私が七八年三月に核密約を追及した時、当時の真田法制局長官は、条約締結権者がかわした取り決めである以上、「廃棄されないかぎり」「政府が交代しても、国が同一である限り効力は続くといわざるをえない」と答弁しました。小笠原諸島への有事核持ち込み密約も米政府の公開文書で明らかとなっており、これらの密約の廃棄は、きわめて緊急の国民的課題となっているといわなければなりません。
沖縄から核兵器が撤去されたため、アメリカは本土の横須賀を空母ミッドウエイの母港とする策動に出ました。七三年以来、横須賀を母港とする米空母には、百発前後の核兵器が積載されていたと報道されています。
こうして日本は、米軍の「単一統合作戦計画」(SIOP)という核戦争計画に組み込まれ、アジア太平洋地域の最大の核攻撃基地の役割を演じつづけてきました。
九二年九月にブッシュ大統領は、米海軍水上艦と攻撃型潜水艦からすべての戦術核兵器の米本国への撤去を公表しました。こうして現在の「核の傘」は、「有事核持込み体制」−緊急時には核密約にもとづいて、沖縄と本土に戦闘爆撃機積載のB61などの核爆弾、攻撃型潜水艦積載の核巡航ミサイル「トマホーク」を持ち込む危険な体制です。
アメリカの「核の傘」は九五年の「新防衛大綱」でも、九七年の「新ガイドライン」(日米防衛協力のための指針)でも公然と認められています。
三、「核の傘」からの脱却
日本の原水禁運動の最大の課題は、すべての国の核廃絶運動と共通で、アメリカを中心とする核保有五大国、また日本政府にたいし、「核兵器廃絶を達成する明確な約束」の実行を迫る国民世論と国民運動の発展のために、あらゆる努力をつくすことです。そのために「新アジェンダ」諸国、東南アジア諸国の政府や運動との「対話・共同・連帯」に、大いに努力しなければならなりません。
同時に、日本の原水禁運動の最大の国内的課題は、アメリカの「核の傘」からの離脱にあります。
そのための具体的目標としては先ず第一に、空文化した「非核三原則」を真に実効あるものとするための法制化をかちとることです。第二は核密約の廃棄です。
この二つは、日本政府の核政策の方向転換と結びついていますが、憲法第四十一条で「国権の最高機関」と規定されている国会の責任がきびしく問われています。
第三に、各自治体の「非核宣言」を実現するための地域運動があり、たとえば港湾に入港する米軍艦船の「非核証明書」を要求する課題があります。これは七五年以来、市議会の決議によって神戸市で実行されてきており、「神戸方式」とよばれています。高知県、函館市などで条例制定運動が生まれ、政府は強い圧力を加えています。
第四に、日米安保条約の廃棄という課題が提起されます。原水禁運動は、日米軍事同盟の解消を直接の目標とはしていません。しかし、日本の「核の傘」の根源が、日米軍事同盟にあることはきわめて明白なので、昨年の原水禁世界大会の国際会議宣言にも、日米安保条約の廃棄と非同盟・中立の日本をめざすことがうたわれています。
日米軍事同盟のもとで、TMD(戦域ミサイル)の日米共同研究が開始されており、日本は新たな核軍拡競争の可能性を鼓舞する役割を果たしています。とくにブッシュ政権は、元統合参謀本部議長のコリン・パウエル国務長官、NMD・TMDの積極論者であるラムズフェルド国防長官、日本に集団的自衛権をと主張してきたアーミテージ国務副長官など、軍事力重視の閣僚人事となり、日米軍事同盟強化の要求に出てくる危険が強まっていることは、重視する必要があります。
第五は憲法の平和原則の擁護です。昨年十月の国防大学「国家戦略研究所」特別報告「合衆国政府と日本−成熟したパートナーシップに向けての前進」は、超党派の対日政策の提案といわれていますが、その中には集団的自衛権行使の提唱が盛り込まれています。国会の憲法調査会でも集団的自衛権問題が改憲議論の対象となっており、「核の傘」からの離脱の課題とからみあって憲法の平和原則を守りぬく課題が提起されています。
「核の傘」からの離脱をかちとるためにも、国際連帯の強化、とくにアジア太平洋地域の核廃絶運動との連帯の強化がきわめて大切な課題となっています。七一年に東南アジアの平和自由中立地帯宣言(ZOPFAN)を発したASEANは、九五年に東南アジア非核兵器地帯条約をむすびました。また九一年に朝鮮半島非核化共同宣言をおこなった南北朝鮮は、南北首脳会談の成功で統一した朝鮮半島へ向かう希望が生まれています。ASEAN地域フォーラム(ARF)に北朝鮮も参加しました。東南アジアは、平和、非核の国際的流れの強力な源泉となりつつあります。
日本がアメリカの「核の傘」から離脱することは、アジアの非核地帯化運動をさらに発展させるためにも、中軸的課題の一つとなっていると言わなければなりません。
昨年の原水禁大会には、新アジェンダ諸国からスエーデン、ニュージーランドが参加し、タイも参加するなど、日本の原水運動の国際的連帯も新しい前進をみせています。九九年のヘーグの世界市民会議で採択された「ヘーグ・アジェンダ」の第一原則には「各国議会が日本の憲法第九条のように戦争放棄決議を採択すること」がうたわれました。私たちは、こうした国際的期待にこたえて、世界唯一の被爆国の重い責任を果たすためにも、日本が「核の傘」から離脱する日を一日も早くかちとるために奮闘したいと思っています。
核兵器廃絶のための南アジア諸国民の運動
アチン・バナイク
全国核軍縮平和連合(インド)
地域非核化の緊急性
南アジアは、他のどこにもまして危険な世界の核の発火点である。それは、熱い戦争と冷たい戦争が同じ二つのライバル国、すなわちインドとパキスタンのあいだで54年にわたり続いてきた唯一の場であり、これがおさまる兆しはまったくない。最悪の問題は両国が核武装していることである。領土が隣接しあう核保有ライバル国間でのこれまで唯一の対決は、ロシアと中国のものであった。しかし、ウスリー川の国境区分をめぐるその衝突は人為的なものであり、両国間の敵対の原因というより敵対の表現というべきもので、その根源は別のところにあった。だから(冷戦終結後)敵対関係が終わると、国境紛争は容易かつ迅速に解決された。また、ウスリー川をめぐる軍事緊張は時おり生じた小競り合いを越えて全面戦争にエスカレートしたり、一路核兵器による交戦に向かうような可能性をはらんだ大規模な通常兵器紛争にいたることはなかった。
これは、カシミールが両国の独立当初からの根本的係争問題でありすでに三つの戦争の原因となったインド・パキスタン情勢とは非なるものである。一番最近のものは1999年春に起こり、その規模と激しさはウスリー川をめぐるどれをも凌駕するものであった。紛争中、両国の「安全保障機関」の高官(政府部内、部外を含む)のあいだで交わされた核脅迫は13回におよんだ。インド・パキスタン情勢と対照的に、中印国境紛争はずっと限定された問題であり、核兵器の交戦に発展するような同等の危険性は帯びていない。1963年以来インド・中国の間に深刻な紛争ないし戦争は起きておらず、そうしたことが起こる可能性もありそうにない。しかしながらインド・中国にそのような核軍備競争がおこれば、この地域の安全保障に否定的影響をくわえる可能性は極めて高いだろう。
われわれは地球的核軍縮に努力しているさなかでさえ、南アジア地域の核軍縮のために同時的に努力しなければならず、そうすることは特別の優先課題であり、それ自体目標とされるべきものである。つまり、われわれは、多くの時間を要するにせよ、大いに地球的軍縮を求めるものであるが、南アジアの非核化はできる限り早急に実現しなければならない。すなわち、これを達成する展望は地球的軍縮の努力と結びついてはいる(後者に関して成功をおさめるほど、前者を達成するチャンスも大きくなるのである)が、南アジアの地域的軍縮は、地球的軍縮の達成に付随しておこるものではない。すでに確立された地球的軍縮交渉プロセスの一部として以外に南アジアの地域的非核化はありえないという議論は、インドの好核タカ派勢力が主張しているものであり、南アジアの反核軍縮運動に属するわれわれは、これに反対せねばならない。南アジアにおける核対決、核戦争、核の交戦の危険はそれほど特別であり、際立ったものであるから、全面的な地球的軍縮が実現する以前にもその非核化をはかることはそれ自体、価値があるとともに、地球的軍縮プロセス強化への重要な貢献でもある。要するに、われわれは南アジア非核兵器地帯(NWFZ)をできる限り早急につくるよう努力し、実現しなければならない。
そのような非核兵器地帯を、たんに望ましくかつ必要だというだけでなく、他のやり方より現実的なものとしているのは、ひとつの際立った特徴、すなわち、そうした提案がこの地域の核保有国のひとつであるパキスタンにとって相対的に受け入れやすいという事実である。1980年代なかばに能力を開発していらい、パキスタンはインドに対して地域的非核化を繰り返し提案してきた。両国の大きさ、資源の不均衡からして、インドとの非核の均衡が最善の選択肢であると信じたからである。核軍備競争はインド以上にパキスタンに対してより大きな負担を強いることになり、その「戦略的な深さ」の欠如を考えれば、核の交戦行為はさらに破滅的なものとなる。パキスタンには、通常兵器におけるインドの優位と釣り合いを取るために核兵器を欲しがる「安全保障エスタブリッシュメント」が常に存在した(そしてこのロビーはポカラン�Uの実験およびチャガイでの実験の後さらに強いものとなった)が、インドが公然と核保有に踏み切るまでは、インドの同意を条件に地域非核化を支持するパキスタンの公式の政策を覆すほどに彼らの力が大きくなることはなかった。(訳注、ポカラン�U=1998年の実験、ポカラン�Tは1974年の爆発実験。)
1998年の後、パキスタン政府は、通常戦力の不均衡を補うために核軍備が必要であり、これが先制不使用の態勢を採用しない理由であるとしばしば言明してきた。しかし、南アジアに非核兵器地帯をつくるという構想については、インドが受け入れるようになると信じるに足る理由があれば、パキスタンはこれを今でも受け入れる余地をもっていることは事実である。2000年9月の時点でさえパルヴェーズ・ムシャラフ将軍は、インドがかたくなでなければ、地域非核化を検討することを改めて公式に表明している。問題は単純である。ネパール、スリランカ、バングラデシュの市民と(より暗黙のうちにではあるが)政府はどちらも地域的軍縮に賛成している。パキスタンの世論と政府は、好ましい状況があれば非核地帯を受け入れるだろう。もっとも大きな障害はインド政府であり、この点で、地域的軍縮を促進する戦略はどのようなものであれまず第一にこのことを認め、これを変えるために努力する道を見つけ出さなければならない。
現在の段階
現在の段階を見てみよう。他の核保有国が南アジアの核状況をどう考えているか、日本のような彼らの同盟国はどうか、他の非核保有国はどうか、そして最後に南アジアの反核・軍縮運動はどういう段階にあるかなどを見ておく必要がある。
認知された五つの核保有国のうち中国のみが自明の理由で、インドの核兵器保有にかたくなに反対し、もとの状態への完全な回帰を要求している。フランスとロシアは、南アジアにおけるこの新たな核の危険についての懸念を示すきまり文句をときおり口にして見せることがある。しかし通常兵器と同様、軍事・民生両用の技術と装備を商業ベースで供給することには、両政府ともいつものことながら熱心である。イギリスはひたすらアメリカに追随している。アメリカはいまや、インド・パキスタンの事実上の核保有を基本的には受け入れる用意をもっており、当初自らが実施した制裁をすでに大幅に縮小している。ブッシュ政権の下で、残された政策項目もさらに緩和されることは必至であり、多分、やがては完全に解除されるであろう。しかしながら、インドが地域的なカギを握る国であることを認めているアメリカは、インドのあまり仰々しい核の野望やその準備によってアメリカ自身のより幅広い地政学的見通しが複雑なものにされないよう、インドがその野心を小規模な核保有国となるに留めることに大きな関心を払っている。インドがきわめてはっきりと壮大な核の野望をもつ限り(インドの核ドクトリン案を見よ)、たとえそれらの野望を達成する能力をまだもっていないにせよ、ワシントンとデリーの関係には核に関わるある程度の緊張が続くであろう。
ワシントンが望んでいるもうひとつのことは、インドが「責任ある」核保有国らしく振舞うことである。「責任ある核保有国」というこの自己矛盾的な言いまわしは何を意味しているか? それは、核保有国クラブ内部には会員間に等級があり、アメリカとロシアが一等会員、イギリス、フランス、中国が二等会員、インドとパキスタンが新入りの、いまだ「非公式」で確実に三等の会員であるため、内部にいろいろ食い違いがあるが、それがどのようなものであれ、彼ら全体を結びつけるものは結局、彼らを分裂させるものよりももっと重要である、ということを意味している。そして、核クラブに所属するためには二つの不文律がある。第一は、他の国がこれに加わるのを阻止すること。だからインド(とパキスタン)は、他の潜在核保有国に対して軍・民両用の技術・装備を供給せず、輸出管理を守ることを確約せねばならない。これについては両国とも完全に応じる意思を持っている。第二は、どんな縮小・自制措置、軍縮などの活動が検討あるいは交渉されるにせよ、非核保有国、とりわけ新アジェンダ連合(NAC)に率いられた非核保有勢力に、いかなる状況下であれそのペースやパターンを握られないことである。この点でもまたインドは、何の問題もなく他の核保有国と協調していくことができる。パキスタンは他の非核保有国とともに、分裂物質生産禁止(FMCT)交渉に貯蔵分を含めることを要求した7カ国のひとつであったが、インドは貯蔵分を含めることに反対してきた。これは、パキスタンがこの点において、自国とインドとの不均衡を懸念しているからである。
核保有国、とりわけアメリカの同盟国の中でオーストラリアや日本などはアメリカに従う可能性が高い。オーストラリアは、自国の資本がインドの経済市場進出にあまり批判的でない他の国に敗れるという(部分的な)恐れから、いまやすべての制裁を解除し、関係正常化を追求している。日本政府も同様の考えをもっており、あたかもポカラン�Uの核実験はなかったかのように、日本とインド・パキスタンの関係はいっさい正常化されており、あるいは正常化されるべきであるかのように振舞っている。アメリカからの十分な独立性を示すことのできない日本政府の無能力振りにはがっかりさせられるが、なんら驚くにはあたらない。なぜがっかりするかといえば、日本のみが経験した核兵器被害の歴史からして、インド・パキスタンにかんして日本が行うこと、あるいは日本がなし得ることは、それが制裁であれ政治的批判であれ、インド・パキスタン両国民にたいして、核保有国にはない決定的な重みと威信とをもち得るはずだからである。不拡散を言いながら自国の軍縮にはほとんど手をつけない偽善性のゆえに、核保有国にはこれは不可能なことである。
さらに、もし日本が真に南アジアで、あるいは南アジアと東アジア(中国)との間での核軍備競争の進展に反対するのであれば当然、全米ミサイル防衛計画(NMD)はもとより、アメリカの戦域ミサイル防衛システムの構築を拒絶すべきである。NMDの強行を許せば、冷戦終結後あらわれた反核・軍縮の勢いを一挙に根こそぎつぶしてしまうだけでなく、新たな核時代の始まりさえ告げるものとなるであろう。これは大変な失敗である。しかし、その直接の影響として中国はいっそうの核武装を強いられ、それがインド、ひいてはパキスタンを、ますます核軍備のエスカレートへと追いやるであろう。
現在、新アジェンダ連合を先頭とする大多数の非核保有国のみが、(いわゆる現実主義の名で)インドとパキスタンが行ったことに対していかなるかたちであれ承認を与えたりそれを受け入れたりすることに引き続き反対している。インドもパキスタンもまだ公然と配備をしていないこの段階では、これは正当な態度である。両国の行為はけっして正当化されるべきでなく、国際的非難が続けられるべきである。(核の戦線では)インドが主導権をにぎり、パキスタンがこれに応えているわけなので、そうした批判の焦点はインドに向けられるべきである。ASEANなど他の南東アジア諸国は、軽視すべきでない影響力を持っている。南アジアでの核軍備の進行にたいする不満をこれらの国ははっきりと、大胆に、繰り返し表明すべきである。ASEAN、APECとの経済関係改善を強く望んでいるインドには、核の野望と頑迷な態度は、当然その代価が伴うことを思い起こすようにすべきである。ここでもASEAN諸国からの外交的政治的圧力は、核保有国やその横着な同盟国からの同様の批判や圧力が持ち得ない影響力を持っているのである。
南アジアの軍縮運動
パキスタンでは1999年末にかけてパキスタン平和連合(PPC)と呼ばれる核兵器反対全国ネットワークが結成された。インドでは2000年の末、核軍縮平和連合(CNDP)という名の同様な全国的ネットワークを結成した。これには強力な草の根の力をもつ約100団体の代表が参加した。これらの大部分は、特に核問題を焦点とする組織でなく、開発、人権なの他の問題に長い間とりくんできたが、同時に反核の大義を取り上げる必要を見出した団体である。CNDPはPPCとの結びつきを強めつつある。
2000年11月の結成大会には世界の反核運動、反核団体の代表が兄弟的代表として招かれ、全国から600人を超える代表が参加した。この大会はここ数年首都で開かれた市民社会のイニシアチブとしては最大のものであり、インドに広範な軍縮運動を築く上で明るい見通しを与えるものとなった。われわれは、原水協の高草木博さんが参加し、日本からのあいさつを伝え、原水協がかくも重要な役割を果たしている日本の反核・軍縮運動の経験を話してくれたことを嬉しく、光栄に思っている。CNDPは全国調整委員会を設け、一年の行動計画を決めた。いま憲章の仕上げの過程にあり、まもなく発表される予定である。
現在のところ、さまざまな潮流を統一するCNDPの共通の焦点は、核兵器の凍結と原子力部門の安全、透明性、国民への説明責任の要求である。インドとパキスタンは実験を行ったが、インド(そしてパキスタン)はこれ以上実験をすべきでなく、そうした兵器による武装化・配備を止めるべきで、公然たる配備もあってはならない。現在の状況の凍結が長く続くほど、両国を引き戻すチャンスは増大する。もちろんわれわれはこれが困難な課題であることを承知している。しかし、ポカラン�Uとチャガイから二年以上が過ぎたが、これまでどちらの国も公然と配備はおこなっていないのである。パキスタンは、先に公然と配備することはせず、この点においてはインドしだいであることを正式に宣言した。ではインドはなぜまだ配備をしないのか?理由は主に二つである。第一に、国際的な反対と非難が重要な意味をもっており、インドは時機を待ち、様子を見、他の国との関係改善を求めていることである。配備という核をめぐる次の大きな措置が、他の国との関係に加重的損害を与えないようにである。さらに重要なことは、おそらく、インドが十分な指揮・管理体制を確立するにはなお距離があり、したがって、公然たる配備に踏み切る前にこれを完成させたいからである。
いずれにせよ、このことは、国内的にも国際的にも反対世論を動員する一定の余地と時間を与えるものである。インド国内で、軍縮運動は自らが置かれている状態をはっきりと認識している。運動は、核問題で中央政府の政策に影響を及ぼすには至っていないが、核政策を広範な世論の中で正当化しようとする政府の動きを攻撃することには確実に成功しており、政府内外の好核ロビーはこれを嫌悪し、不快感を示している。また、この段階で核兵器開発に関わる装備の輸送、貯蔵やその他の準備などにかんし、各州の州政府の政策に、より効果的に影響を与えることもできる。すでに原子炉やウラン鉱山などについては、不充分な保安条件、透明性や責任の欠如などにたいする大衆運動が存在しており、CNDPはそれらをできる限り強めるよう活動している。
いまは、核兵器の危険と害悪に関する世論の構築を優先課題とする段階にあるとわれわれは認識しており、教育キャンペーンはきわめて重要で、市民社会の中や学校、大学、青年、さらには核兵器の問題をまだ危険なものと感じていないより広範な世論の中で忍耐強い活動をやり遂げることが大いに必要である。系統的かつまじめに行えば、こうした活動はやがては実を結ぶものである。われわれは、われわれの最も重要な財産のひとつが隣接諸国の一般世論であり、隣国世論がインド・パキスタンの兄貴ぶった態度、つまり隣接諸国の懸念をじゅうりんし、自国の核の安全を追求するためには他国の安全を危険にさらすことも省みない態度にはっきりと反対していることを認識しなければならない。こうして、インドとパキスタンで反核感情をさらに広範に発展させるもうひとつのアプローチは、ある意味で回り道をとるわけであるが、バングラデシュ、スリランカ、ネパールなどの市民社会で強力な抵抗を生み出す集団的プロセスに加わり、それがインドとパキスタンの世論と政府に圧力を加えるようにすることである。
何をなし得るか
よりまじめで真剣な非核保有国の政府レベルでは、なし得ることが二つある。第一はもちろん、地球的規模で自制、削減などを推進するあらゆる努力に加わることである。それは、包括的核実験禁止条約(CTBT)の全面批准と発効の推進、行き詰まっている分裂物質条約交渉の発進、NPT再検討会議(2000年)で核保有国が行った約束履行を迫ること、全米ミサイル防衛(NMD)、戦域ミサイル防衛(TMD)などの計画に反対すること、新アジェンダ連合への支持を強めることなどである。しかし、いま東南アジア非核兵器地帯に加わっている東南アジア諸国政府ができるし、なすべきことはほかにもあり、それらは南アジアで核をめぐっての健全さを回復させるわれわれの努力に具体的な影響をおよぼすだろう。われわれが南アジアで、南アジア非核兵器地帯構想への支持を動員しようとしているさなかでさえ、この目的への重要かつ有益な「過渡的措置」がある。それは、a) バンコク条約を「拡大」し、バングラデシュないしスリランカあるいはその両方を含めること、b)モンゴル、ニュージーランド、オーストリアなどが作った先例に習って、ネパールがみずからを非核国と宣言すること、などである。
これら「過渡的措置」についてはなお言うべきことが多くあるし、それ自体を目的とすることもできる。インドとパキスタンの政府は、隣接諸国が東南アジア非核兵器地帯を支持しそのために活動すれば、その努力を自分たちにたいする敵対的行為とみなすだろう。そのため、これら弱小の隣接諸国は、より強力な隣人である両国を怒らせることをおそれ、この道を採用することが非常に困難である。核の分野では、バングラデシュは、ジャフナでのタミール人の反乱にたいする戦いでインドの支持に頼っているスリランカより、もっと率直に(注意深く、柔らかい言い方でではあるが)インド、パキスタンの核武装を批判してきた。しか印パ両政府にとって、バングラデシュやスリランカがみずからの主権と自由の行使としてバンコク条約に加わったり、ネパールが一方的に自国を非核国ないし非核地帯と宣言することに反対するのは、はるかに困難であり、実際非常に厄介なことである。ネパールの場合、さらに核兵器から「抜け出る」こと、つまりインドやパキスタンが国境近くに核兵器を置かないようアピールすることができる。これらの措置は、もし達成されればどちらも、インドとパキスタンにたいする政治的・外交的非難を強めることになり、東南アジア非核兵器地帯にも統合し得る南アジア非核兵器地帯実現の勢いを大きく強めることになる。
こうしたやり方でバンコク条約を「拡大」することには、いかなる問題もあろうはずがない。トラテラルコ条約が拡大され、カリブ海の一部を含むようになった先例もある。マーシャル諸島はラロトンガ条約が拡大され、将来的にマーシャルを含むようになることを望んでいる。障害となるのは条約でなく、ミサイル実験のためにその地域を必要としている米国そのものである。そしてもしバンコク条約をそのままで拡張するのが難しいのであれば、加盟国の合意でこれを適切に改定することができない理由は何もない。バンコク条約の加盟国と核保有五カ国は、南アジアの核武装の勢いを止める方途として、同条約を拡大し、バングラデシュ、スリランカを含めることにそろって価値を見出すことができるはずである。今政府レベルで必要なことは、「非公式」や、「舞台裏」でのアプローチや討論を、バンコク条約加盟国のより先見的な部分、すなわちマレーシアや、とりわけこの構想におそらく最も積極的な南アジアの国であるバングラデシュの高官たちとのあいだで開始することである。
大事なことは、そのような「拡大」が本格的な可能性となるよう、その基盤を政府レベルで探求し、準備することである。同様に、ネパールも非核保有国、核保有五大国の両方からの舞台裏での、「私的」な励ましを必要としている。それは自国を非核民族、非核国、非核地帯に宣言する動きは承認されるであろうし、さらにそれ以上のものによって報いられるとの励ましである。モンゴルによる非核国宣言を核保有五カ国と他の国々が歓迎したことは、この点での指針をなしている。モンゴルは、中央アジア非核兵器地帯がつくられればこれに参加し、その地域により広い非核地帯を創りたい旨も明らかにしている。同様に南半球非核兵器地帯を創る努力も存在している。これらはすべて、バンコク条約の拡大やネパールの自主的な非核国宣言が、いかなる意味でも南アジア非核兵器地帯を創る現在の努力と両立しないとか矛盾するといったことがありえないことの証明である。
市民社会のレベルでわれわれが行う必要のあることは、隣接諸国の組織やグループに、南アジア非核兵器地帯やそれへの「過渡的措置」の問題を取り上げるようはたらきかけることであり、それらについておおやけの討論を開始することである。これらの国々の政府がそれに反対することはないだろう。なぜならそれは世論の関心事であり、政府はこれに応え、注意を向けなければならないと主張できるからである。バングラデシュ、スリランカ、ネパールの市民社会団体はこの問題について単独で、あるいはインドやパキスタン国内の共感や共通の懸念を持つ団体、機関、市民と連携して、議論をはじめる必要がある。われわれインドの運動は、南アジア非核兵器地帯や、バンコク条約拡大やネパールの一国非核地帯などの考え方に代表される可能な過渡的措置の問題をより真剣に検討する必要がある。実際、もしわれわれがインド(さらにはパキスタン)の近い将来における公然たる核兵器体系の配備を阻止できなければ、そうすることはわれわれに課せられた義務となるだろう。その時点では、インドに(そしてこの地域に)軍縮運動をつくりあげるために現在の統一的焦点となっている核凍結の呼びかけは、当然のことながら余計なものとなるであろう。(ここに表明している見解は、筆者の個人的見解と評価である。)
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