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被爆者援護連帯

世界の被ばく者の証言・資料

ポリネシア

エティエンヌ・テパリイ
ポリネシア解放戦線
於:原水爆禁止1997年世界大会・国際会議

  独立をめざす政党タヴィニ・フヒラーティラ・FLP(民族の奉仕者—ポリネシア解放戦線)の党首オスカー・テマルに代わり、また20年前からすすめられている核兵器と核実験に反対するたたかいで、彼に続くポリネシア有権者の35%を代表して、私は日本のみなさん、広島と長崎のみなさん、とくに原爆の犠牲となった被爆者のみなさんにあいさつを申し上げます。

  1945年当時、私はまだ7歳の子どもでしたが、祖父母が日本という世界のどこかにある場所で、何か恐ろしいことが起こったと話していたのを聞きました。私は日本が何だか分かりませんでしたが、でもそれはきっと恐ろしいことにちがいないと思ったのを覚えています。その後何年もたって、私が学校で学んでいた頃、長崎大学の日本人の教授が書いた本を読む機会がありました。その本は「長崎の鐘」という題でした。この本を書かれた医師はまだご存命でしょうか。もしそうであれば、この先生や先生の子どもたちにもごあいさつしたいと思います。といいますのも、本の中で、先生は長崎が被爆した数分後に自分がどのような体験をしたかを書かれているからです。先生は家族の元に向かうために、大学から出たのですが、その時に目にした光景はとても信じられないものでした。ほんの数分前にはそこにあった長崎の町が、すっかり消えてしまっていたのです。

  私はこの本を読んでから、その恐ろしい光景のことが忘れられなくなりました。私が断固核兵器に反対する平和活動家になったのもそれが理由です。私はこれまでいつも日本をこの目で見たいと思っていました。そして、ついに私は生まれて初めて日本に来ました。1945年8月6日と9日の広島・長崎の原爆投下から52周年の記念行事に、日本のみなさんと共に参加することを強く決意してここに来たのです。日本が広島・長崎の被爆を記念しつづけることは、まったく正しいことです。広島と長崎の被爆を思い起こし、それを忘れないことは、世界中の人々の良心と道徳に基づく義務です。なぜでしょう。核がどのようなものか、核の被害はどのようなものかを知っている国民がいるとすれば、それは日本の国民をおいて他にありません。ですから、核がどのようなものかを良く知っている日本のみなさんを前にして、私は核の技術的な側面をお話するつもりはありません。

  ただ、私は少しばかり哲学の話、あるいは神学の話をさせていただきたいと思います。この哲学、あるいは神学によれば、人類は原子力を使用することを決めたことで、罪を犯したのです。それは科学的な逸脱の罪です。道徳的な逸脱の罪です。

  科学的な逸脱というのは、再生可能なエネルギーがあるにもかかわらず、軍事的な圧力によってそれが軽視されているからです。道徳的な逸脱というのは、人類は自ら独自の道徳を作り上げていますが、それが消極的で原始的な価値、つまり、恐怖を生み出す力、時間をへだてて死を生み出す力に基づく道徳だからです。広島と長崎が被爆したのは1945年ですが、それから52年たった今も、その被害は、被爆者をつうじて、時をへて続いています。そうです。むかし、侵略の停止が調印されました。しかし、現実には、侵略はその犠牲者をつうじて続いているのです。

  人類と人類のもつ制度、しかも宗教的な制度さえも、誤った道にすすませる、根本的に間違った、犯罪的な神学をつくりだすという罪を犯しているのです。この神学は、「地球は人類の所有物」であるとする神学です。その結果、人類は、地球に何をしようとかまわない、それは全く正しいのだと心から信じるようになってしまいました。これは間違いです。あべこべです。人類が地球に属しているのです。そして地球は人類と共に尊重されなければなりません。

  このように、人類は原子力を操作しようと思ったときから、キリスト教の聖書に記されている人間の「原罪」にも似た「新しい原罪」ともいうべき行為を犯しているのです。それは傲慢の罪であり、人類を自滅へと導くでしょう。

  タヴィニ・フイラーティラ・FLPは、このような理由から、軍事目的であれ民需用であれ、いかなる形態でも、核の使用はすべて、そして、実際のものであれ、シミュレーションであれいかなる核実験も、糾弾し、拒否しています。私たちはこれらすべて断固として拒否します。

  連合国が太平洋の人民に対してとっている行動も、非難される余地があります。私はここで、住民の合意なしに核実験に利用された島や環礁や列島の名を全て列挙するつもりはありません。

  イギリスが核実験をおこなったオーストラリアでは、アボリジニーの土地がまだ放射能に汚染されたままです。

  アメリカが核実験をおこなったマーシャル諸島でも、島々は依然として強く汚染されています。

  フランスが核実験をおこなったムルロアとファンガタウファも汚染されています。私が住んでいるタヒチ島はセシウム137に汚染されています。

  しかも、これらの核実験は広島と長崎の後におこななわれたのです。だからこそ、日本とともに、広島・長崎の被爆を祈念し、核兵器廃絶のためにたたかうことが、太平洋のすべての先住民と世界が果たさなければならない義務となっているのです。




ガブリエル・テティアラヒ/ヒティ・タウ(NGO)
於:ハーグ平和のためのアピール、世界の被ばく者セッション
1999年5月 オランダ、ハーグ

(祈りの儀式)
  通訳の方には申し訳ないのですが、これからの発言は、提出していた文書にもとづくものではありません。

  いま祈りの儀式をしました。これまでわたしはこの儀式を、ネバダ核実験場や、イギリスが核実験をおこなったオーストラリアのマラリンガでもおこないました。これを、フランスが200回にわたる核実験をおこなった、私の国マオヒのツアモツ諸島にある、モルロア環礁とファンガタウファ環礁でもおこなおうと試みました。わたしたちの子どもたちの前でわたしたちの文化であるこの儀式をおこなえる日が来ることを願っていますが、植民地支配下にあるわたしたちに、それはできません。

  わたしが核実験を経験したのはまだ若いときでした。当時わたしは(ツアモツ諸島の)ハオという環礁に住んでいました。ある日、学校にフランス軍がやってきました。彼らは、全校生徒を集め、「水の城」とわたしたちが呼んでいた場所に連れて行きました。そこでわたしたちは、モルロアとファンガタウファ環礁の方向を見るように命令されたのです。これは1972年、フランスが大気圏でおこなった最後の核実験でした。わたしたちは16歳ぐらいでした。40人ほどいた軍人たちは、もちろんのこと防護服を身につけていました。わたしたちマオヒの子どもたちは、核実験から生じたきのこ雲を見るように命令されたのです。そう遠い距離ではありませんでした。あの日を忘れることはできません。

  何年かして、わたしはフランスへ留学しました。1975年から1984年までのあいだ、フランスは、フランソワ・ミッテラン大統領の命令のもと、100以上の核実験をおこないました。当時わたしはボルドー市に住んでいました。タヒチ島はとても美しいところで、いまでは観光地として知られいますが、当時は、モルロアやファンガタウファ環礁でおこなわれていた核実験、また、ひとりの太平洋島民にたいする周囲の関心はとても薄いものでした。わたしは一人街頭で実験に抗議し、ボルドーの大学から市庁舎まで歩きました。歩きながら、わたしは祖母の言葉を思い起こしていました。「このパレオ(ポリネシアの伝統的な模様を染めた布)をもっていきなさい。そして大学に入って、フランス人といっしょに核実験に反対しておくれ。」しかし、フランスにいた10年間、ひとりとしてわたしといっしょに抗議行動をしてくれるフランス人はいませんでした。まるで無関心という大海の孤島にいるような日々でした。1985年、わたしはタヒチ島へ戻りました。小さい島ですから博士号をもってかえってもできることといえば、政府の役人になることぐらいしかありません。母にも、「政府の仕事に就きなさい」と言われました。しかし、時として子どもが親を教育する必要があります。わたしは母に、好核政府のために働くことなどできない、と告げました。

  わたしは核実験反対の運動を組織し始めました。なかには、核実験をやめさせるなど至難の業と考えている人もいました。そのときわたしは、いつかきっと、たくさんのタヒチの人たち、フランスの人たちが核実験に反対する日がやってくる、と言いました。その日はやってきたのです。1995年6月19日、ジャック・シラク仏大統領が、核実験の再開を決定したとき、通りに出て抗議をしたのはわたしひとりではありませんでした。タヒチ島の人口の1割にあたる1万5千の島民たちが植民地支配に抗議し、街を行進しました。

  しかし、この後タヒチにもどったら、わたしはフランス警察から「国の外で何をしてきた」との質問を受けるはずです。わたしは「核実験の被害者である島の大部分の人たちが、あなたたちの正義と平和の制度の下におかれるようにしているだけだ」と応えます。平和と正義の制度のなかで、植民地支配下におかれた人びとを牢獄につなぐことはできないのです。

  いまわたしは、単にマオヒ人というひとりの被害者ではありません。わたしは、NATOが殺人をおこなっているセルビアの一市民であり、ミロシェビッチが殺人をおこなっているコソボの人間です。わたしは世界中の戦争の犠牲者です。

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