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原水協通信

毎月発行している日本原水協の機関誌です。国内外の反核平和運動についての情報が満載です。 日本原水協のウェブサイト→ http://www.antiatom.org/

「核兵器の全面禁止を!」

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【広島】市内に住むアメリカ人男性が「あなた方のやっていることは当然だ」と署名―県原水協と被団協が6・9行動

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広島県原水協と同被団協は、10月6日正午過ぎから広島市中区の金座街入口で定例の「6・9行動」をおこないました。県原水協の高橋信雄代表理事と県被団協の大越和郎事務局長がマイクで「来年は被爆70年、NPT(核不拡散条約)再検討会議の年です。核兵器禁止条約の交渉開始をめざし、被爆国日本の核兵器廃絶の世論を国連に届けましょう」と訴えました。

署名した市内に住むアメリカ人の男性は、「あなた方のやっていることは当然だ。アメリカはひどいことをする」と、また、別の女子大生は「すばらしいことです。がんばってください」と激励しました。台湾から旅行中の夫婦も署名に応じるなど、約30分間で99筆が寄せられました。この行動には19人が参加しました。また県内ではほかに呉市など4か所で「6・9行動」をおこないました。

(広島県原水協事務局長・古田文和)

9・26「核兵器全面廃絶国際デー」チラシ完成

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▲表面(クリックするとPDFファイルが開きます)

▲裏面(クリックするとPDFファイルが開きます)

【日本原水協】3言語の署名用紙を使って6・9行動

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日本原水協は9月6日正午から、京成上野駅前で6・9行動をおこないました。

「非核平和のアジアを」「あなたも署名を」と中国語で書いたパネルや、いわさきちひろの絵で「世界中のこどもみんなに平和としあわせを」と呼びかけるポスター、そして被爆の実相を訴える「原爆と人間」展パネルでアピールしながら、英語、中国語、日本語の「核兵器全面禁止のアピール」署名を呼びかけました。

パネルに書かれた文章をじっくりと読んだ男性は「本当にかわいそうだよ」と言いながら署名。千葉市から来た若い男性は、「(東京電力)福島第1原発事故がきっかけで核が身近に感じるようになった。核兵器は論外だが、唯一の被爆国である日本が人間の手に負えない原発を持っているのはどうかと思う」。さいたま市から来た若い女性は、「広島、長崎には行ったことがないが、沖縄に行って戦争の悲惨さを学んだ。これまで受けてきた教育からもありえないでしょ」と進んで署名。奥さんが長崎出身ということで、「焼き場の少年」のパネルについても知っているという男性は、「核兵器全面廃絶国際デー」の資料をぜひほしいと言ってくれました。

都内に住む若い女性は、「修学旅行で長崎に行き、こんな悲惨なことが二度と起こってほしくないので、署名が大事だと思う」と話します。また、自分から近づいて来て署名した女性は、「私は中国から帰化した。核兵器は身体にとても良くないので禁止した方がいい。原発にも反対」と話し、激励してくれました。バス停のベンチに腰かけて携帯で写真を撮っていた中国人男性や若いアメリカ人観光客なども署名を寄せました。

1時間の行動には、東京原水協、台東原水協、婦人民主クラブ、上野の森に「広島・長崎の火」を永遠に灯す会から15人が参加し、署名29筆、募金500円が寄せられました。

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【広島】浴衣を着た青年も参加して6・9行動

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広島県原水協と被団協は7月6日正午過ぎから、広島市中区の金座街入口で定例の6・9行動をおこないました。

高橋信男県原水協代表理事がマイクで「あと1か月で、原爆投下から69年になります。来年のNPT(核不拡散条約)再検討会議と被爆70年に向けて、広島から核兵器廃絶の大きな世論をつくっていきましょう」と訴えました。

参加者は「核兵器禁止の声を世界に届けよう」「集団的自衛権容認の閣議決定に抗議する」と印刷したビラを配布しました。この日は、午前中に平和公園近くで「浴衣署名」に取り組んだ青年実行委員会から4人が合流、12人が参加して、約30分で56筆の署名が寄せられました。

(広島県原水協事務局長・古田文和)

【北海道】『思いを託される』ー札幌平和委員会青年部の呼びかけに若者が足を止めて署名

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札幌平和委員会青年部は7月6日、札幌市中央区大通公園で署名行動にとりくみました。対話した青年はじっくりとアピールを読んだあと署名をし、「こういうことが全然報道されないですよね。一体いまの政府は何を考えているんだ」とその後も話が弾みました。

足を止めたけれど住所を書くのはちょっと不安げだった高校生くらいの女の子に、「元ちとせさんや、広島・長崎の市長も呼びかけているんだよ」と世界の流れなどを話すと、「じゃあ書きます」と応じてくれ、「国連に持っていきます」との説明には「お願いします」との返事。思いを託された感じがしました。 https://www.m777live.com

行動には4人が参加し、1時間弱で72筆も集めることができました。

(札幌平和委員会青年部/佐々木瑛)

【熊本】2000筆超え、さらにチャレンジ!“署名は最優先にとりくむべき運動です” 熊本県原水協副理事長 田中和香子

田中和香子さん

▲首(肩)かけタイプのマイ署名板で署名を集める田中さん

40年前、私は友人に誘われてある集会に参加しました。その中で、Aさん(男性)が自身の被爆体験を語り、終わりに近い個所で「被爆者は人間らしく死ぬことも、人間らしく生きることもできないのです」と話したのです。当時私が、「生」と「死」に日常的に遭遇する大病院のナースとして働いていたからかも知れませんが、どういう意味なんだろう?と心に重く残りましたので、広島・長崎の被爆者について勉強し始めました。後日、集会に誘ってくれた友人が「あなたも集めてちょうだい」と「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」署名用紙を私に託しました。何筆集めたか記憶にありませんが、“核兵器廃絶”署名に私が接した最初の出来事でした。

しばらくして夜勤は「2人以上で月8日以内」を要求した“2・8闘争”にとりくむ中で、新日本婦人の会を知り入会。“井の中のかわず”が徐々に社会の中に飛び出し、様々な学習と運動が繰り広げられる中で、職場のみんなの要求(主に待遇改善)をも勝ち取っていきました。新婦人の中で、県本部委員→県常任委員→平和担当と選出され、県原水協の理事に加わりました。理事になって、核兵器関連の学習や運動をする機会と時間が大幅に増えました。

その中で学んだことの幾つかをあげると、

・核兵器廃絶に潘基文事務総長をはじめ“国連”が非常に積極的であること。 ・私たちが集めた署名を“国連”は貴重だとし、大切に扱っていること。 ・署名が“国連”を動かし、“核兵器禁止・廃絶”が国際政治の中心課題となったこと。 ・ベトナム戦争時、フランスに核兵器使用を断念させたのは“世論”、中でも署名の力だったこと。 ・60年前、アメリカの圧力の下動き始めた“改憲”や日本の“再軍備”及び“核保有”の議論の大きな歯止めになったこと。

など、学べば学ぶほど署名の力の偉大さに感服しています。

私が定年退職後、核兵器廃絶を目標とした署名の表題は「すみやかな核兵器廃絶のために」「いま核兵器の廃絶を」と変わりました。どの署名も私が集めた筆数は2000筆を超えていましたので、「核兵器全面禁止のアピール」署名も2011年途中から2013年末までに1000筆をと目標を立て、13年10月初めに到達。12月6日から始めた1000筆チャレンジャーとしての活動でも2014年5月中旬に到達。5月31日に開かれた熊本県原水協総会で、「私は2015年のNPT再検討会議に向けて、更に500筆を追加したい」と決意を述べました。

私は66歳の時に転落事故で右上腕骨を骨折しました。両上肢で署名板を抱えるのが困難になったので、首(肩)かけタイプのマイ署名板を作りました。後日、小型の署名板も2種作りました。また、署名用紙を30枚以上ストックしているので、いつでも署名行動加能な状態を保っています。具体的には、

・「6・9行動」「3・1ばらの花行動」「国連軍縮週間連帯行動」等に参加する。「6・9行動」のみを試算すれば、1回25筆集めると25筆×24回(1か月に2回、12か月)で600筆を集めることが加能です。 ・いわゆる民主団体も入った実行委員会形式等の講演会・諸々の集会、催事等に参加して集める。 ・電話や手紙で訴え、返信用封筒と署名用紙を入れた郵送作戦で集める。元クラスメイト、元同僚、友人…対象は多彩。 ・私が客として通う衣料品店、クリーニング店、理容店、印刷屋等々に協力を依頼して集める。 ・いつでもどこでも、署名板・用紙を持参する。 ・目標を持つことが大事。節々で「残」を明らかにして、到達する具体的方法を練る。

等を実践しています。県原水協事務局で、原水協のできていない地域や団体を訪問した際、南阿蘇村では総務課が対応してくれ、担当職員が先に送付しておいた「世界大会パンフレット」をよく勉強していて、署名も原爆展開催も快諾。熊本市のJA本部は、市内のJA支所の代表者会議にかけ、署名用紙を自ら増刷し、後日800余筆を寄せてくれた等、他にも感動的な体験がありました。

熊本でも「一点共闘」にとりくむようになりました。例えば「秘密保護法」「憲法集会」の時に集まった顔は、過去に出会ったことのない顔も多いと私は感じましたが、その方々が喜んで署名に応じてくれました。とりくむべき課題は、憲法・原発など、種々様々たくさん有りますが、このアピール署名(課題)は最優先にすべきで、来年のNPT再検討会議まであと半年余り、緊急にとりくむべき運動として進めたいと考えます。この署名は、みなさんに待たれています。“核兵器全面禁止・廃絶”の運動があること自体を知らない国民もたくさんいると推察できますが、私の実感です。

「署名してください」とどんどん声をかけましょう。核兵器のない平和で公正な世界が1日でも1刻でも早く訪れますようにと願いを込めながら。

【日本原水協】コットンマフラー「Wakaba」に新色登場しました!

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コットンマフラー「wakaba」新色「ブルーグリーン」登場!

カラーは、落ち着いた若草、華やかなピンク、爽やかなブルー、ビタミンカラーのオレンジの5種類。1本1000円(送料実費)です。

ご注文はantiatom55@hotmail.comへ。

▲クリック(PDFファイルが開きます)

favicongenerator.org

【埼玉】6・9行動500回記念のつどいを開催 原水爆禁止蕨市協議会

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▲500回目の6・9行動(6月6日、蕨駅西口)

原水爆禁止蕨市協議会(蕨原水協)は記録を取り始めた1976年1月を第1回とし、今年6月6日に500回目の6・9行動をおこない、同月8日には“500回記念のつどい”を開催しました。

6・9行動は、毎月6日から9日の4日間を被爆者援護・原水爆禁止の行動日として運動を継続的におこなおうと提唱されたのがスタートで、1960年のことです。蕨市では1976年1月から参加団体数、参加者数、署名数、募金額が記録されています。その間、雨の日も風の日も行動し、多くの年は8月6日と9日の両日におこなってきました。「嵐のため中止」の記録は1回だけです。

つどいでは、蕨原水協会長の杉本憲さんの主催者あいさつに続いて、瀬高英雄市長が「私も200回までは参加していた」と来賓挨拶しました。

▲主催者あいさつする杉本会長

▲来賓あいさつする瀬高市長

埼玉県原水協の佐藤俊一事務局長、埼玉県原爆被害者協議会の吉村さんなどがあいさつ。長く会長を務め、現在は顧問の炭谷巴之助さんが乾杯の発声。参加者全 員が6・9行動や原水爆禁止世界大会参加への思いを語り、「初めての6・9行動は1966年、私の古い手帳に記録されている」(元日本共産党市議)、 「46歳になる長女をおぶって6・9行動に参加した記録があるから、最初が76年より前だったことは間違いない」などの発言もありました。

▲蕨市の平和運動の歴史がわかる写真も多数展示

会場には、蕨市の平和運動の歴史がわかる写真も多数展示され、参加者は懐かしい思い出を交流し合いました。

【岡山】日本政府に核兵器廃絶のイニシアチブの発揮を求め岡山駅前で6・9行動

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岡山県原水協は6月9日、第66回目の6・9行動を岡山駅西口さんすて前でおこないました。この日の行動には県労会議、自治労連、県医労連、高教組、県人権連、岡山医療生協労組と事務局から14人が参加しました。

平井事務局長は「安倍首相は憲法9条の解釈を変えて集団的自衛権を使い、日本を戦争する国に作り変えようとしています」「非核三原則を持ちながらアメリカの『核の傘』に依拠する外交政策をとっています。そのために核兵器廃絶をキッパリと言えません」「日本政府に核兵器廃絶のイニシアチブの発揮を求めましょう」と訴えました。「核兵器全面禁止のアピール」署名17筆が寄せられました。

(岡山県原水協事務局長・平井昭夫)

【広島】「とうかさん」初日で賑わう中、核兵器全面禁止・廃絶を訴え

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広島県原水協は6月6日、広島市・金座街入口、佐伯区・JR五日市駅、安佐北区・サンリブ前、尾道市・長江口交差点、9日には呉市・JR呉駅前の計5か所で6月の6・9行動をおこないました。

金座街では、この日から始まった広島三大祭りのひとつ「とうかさん」(市中心部にある圓隆寺の祭礼~夏の訪れを告げ、この日から浴衣を着ると言われる)の初日で露店が出ていつもよりちょっと賑やかでしたので、地声で署名への協力をよびかけました。行動には12人が参加して、72筆が寄せられました。尾道では、9人が参加して、商店街にも入り、90筆が集まりました。

(広島県原水協事務局長・古田文和)

【兵庫】雨に負けず核兵器廃絶を訴え

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兵庫県原水協は6月6日夕方、神戸市中央区の元町商店街で、「核兵器禁止条約の交渉開始」などを訴えて「6・9行動」をおこないました。

雨が降りしきる中でしたが、兵庫県原水協の津川知久・筆頭代表理事(兵庫労連議長)や平和委員会の大森幹雄事務局次長らがマイクで、「安倍首相が憲法9条の解釈を変えて、集団的自衛権行使に踏み込んで軍事対軍事の悪循環、アジアの緊張、危険を増大させていることは許せない」ときびしく批判しました。そして、「国連を中心に核兵器禁止条約の実現のとりくみが前進している」ことを紹介し、「安倍内閣はアメリカの『核の傘』に頼る政策をやめ核兵器廃絶の先頭にたて」「憲法9条破壊、戦争態勢づくりに反対し、国連憲章と憲法9条が示す紛争の平和的解決に力をつくせ」と訴えました。

参加した安保破棄実行委員会の後藤浩事務局長や神戸港原水協の見満豪さんなど7人が、「核兵器全面禁止のアピール」署名を訴えると、雨の中にもかかわらず仕事帰りの若い男性や観光客などが足をとめて署名に応じました。神戸市東灘区の女性は、「雨でもがんばってるので足を止めてしまいました。核兵器をなくすのは簡単でないですがあきらめないことですよ」と声をかけて署名に応じました。西宮市の高齢の男性は、「国連に届けてくれるの?すばらしいアイデアですね」と、笑顔で署名しました。

雨の中の行動でしたが、「核兵器全面禁止のアピール」署名が48筆、2000余円の被爆者募金が寄せられました。

(兵庫県原水協事務局長・梶本修史)

【日本原水協】中国語の核兵器廃絶メッセージが注目浴びる

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日本原水協は4月16日、京成上野駅前で「核兵器全面禁止のアピール」国際署名を呼びかける「6・9行動」をおこないました。

中国や台湾からの観光客が多く通るため、「非核平和のアジアを」「核兵器をなくそう」「あなたも署名を」という言葉を中国語で書いたプラスターを示しながら署名を呼びかけると、東京大学の研究生という中国人学生が「わかります」と頷きながら署名に応じてくれました。

また、自転車に乗っていた男性が止まって署名に応じたり、フランスのパリやオーストラリア、ハンガリー、中国、香港、台湾から来た観光客が署名。台湾からの女性観光客2人からはガッツポーズで激励してくれました。

約30分の行動には日本原水協、日本平和委員会、上野の森に「広島・長崎の火」を永遠に灯す会から8人が参加し、20筆の署名が寄せられました。

【埼玉】4月の6・9行動を8か所でおこない、あわせて139筆を集める

2014.3.6 東浦和

2015年4月までに40万筆の署名目標を掲げ、現在までに23万6820筆の到達の埼玉県原水協は、4月の6・9行動を8か所でおこない、あわせて139筆を集めています。さいたま市原水協は、埼玉土建と新婦人を中心に浦和駅西口で87筆を集めたほか、蕨市、越谷市、上尾市、新座市、ふじみ野市、入間市は街頭で、鶴ヶ島市は3・1ビキニデー集会の報告会を20数人の参加者でおこなう中で署名を集めました。

職場での署名活動を継続的に進めているのが自治労連埼玉県職です。2012年暮れから13年初頭にかけ、県原水協が作成した、埼玉県知事や地域婦人会会長の顔写真入りの署名用紙を職場に配布する中で、「知事も賛同しているなら」と課長の協力もあり、いままで署名に協力しなかった職員も署名。その後も継続されて今月も26筆が届けられ、本庁や出先の行政職職員の10数%にあたる1311筆を集めています。

2015年に向け、新婦人は現在3万を超えている中で、さらに一会員5筆の署名目標にして8万を目指しています。上尾市原水協は4月26日には学習会をおこない、交流を深めます。

▲クリック(PDF)

【北海道】「国連に署名をお届けします」と6・9行動

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北海道原水協は4月9日、JR札幌駅北口広場で核兵器廃絶と被爆者援護連帯を訴える6・9行動をおこないました。

署名した女性は「父親が広島で被爆して、似の島で救援作業をしたことを聞いています。62歳と早くに亡くなりました。私は被爆2世ですね。健康には本当に気をつけています」と話し、募金1000円を寄せました。署名は何に使うの?と迷っていた青年は、よく話を聞き納得してからサインをしました。

今日の行動には、国民救援会、北商連、道労連、西区年金者組合から6人が参加し、代わる代わる訴えました。『核兵器全面禁止のアピール』署名が15人から寄せられました。

【大分】県・市原水協が共同で6・9行動

大分県原水協と同市原水協は3月6日、大分市の中心街のアーケード内で「6・9行動」をおこないました。

寒い日でしたが展示した原爆写真パネルを見て「こんなこと二度と繰り返してはいけませんね」とか「寒いのにご苦労さんです」などと声をかけていただきました。

1時間の行動には5団体から5人が参加し、「核兵器全面禁止のアピール」署名36筆とカンパ300円が寄せられました。

(大分県原水協事務局長・遠入健夫)