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原水協通信

毎月発行している日本原水協の機関誌です。国内外の反核平和運動についての情報が満載です。 日本原水協のウェブサイト→ http://www.antiatom.org/

「核兵器の全面禁止を!」

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【平和行進】もうがまんできません!生活と生業を取り戻そう!核も原発もいりません! 2014年被災地平和行進(福島)ツアーに参加してください!

平和行進福島支援行動チラシ

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【埼玉】旧騎西高校の双葉町避難所に「ちひろカレンダー」25本贈りました。あなたのお部屋にもどうぞ!!

131122_埼玉県原水協FAXニュース

 

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【国民平和大行進】「原発再稼働は許さない」との三春町長発言に要請した行進団から拍手が起こる

三春町長との懇談

▲三春町役場で鈴木義孝町長(中央)を囲んで懇談する平和行進参加者

2013年原水爆禁止国民平和大行進・北海道ー東京コースの福島県内中通りコース行進6日目の6月27日、三春町商店街を行進し、同町役場を訪問。福島県内通し行進者の田中詔子さん(愛知県瀬戸市)、京都府宇治市から参加の俊正とし子さん、同町内からの参加者など11人が鈴木義孝町長と懇談しました。

懇談の中で、三春町が東北電力の株主総会に提出する予定の要請文について、「原発の再稼働反対」と明記したことを話されました。町長は、当初「再稼働賛成」の要請文を作成しようとした職員に「三春町にこれだけたくさんの人が避難してきている状況で、再稼働はありえない。単に原発賛成か反対かの問題ではない。日本全体の問題でもあるのだからよく考えてみなさい」と言ったことを話されました。この発言には参加者から思わず拍手がわきました。

また、鈴木氏は「原発の交付金に頼らなくても、財政が苦しい自治体だって智恵と工夫、努力でいくらでもやっていける」とのお話しに、「こんな風に信念を持っておられる町長さん、是非がんばってください!」と参加者は大感激。県原水協も、「是非8月の原水禁世界大会へ」と参加を呼びかけました。

【国民平和大行進】入戸野福島大学学長が歓迎あいさつ

入戸野修(にっとの おさむ)福島大学長挨拶

2013年原水爆禁止国民平和大行進・北海道−東京コースは6月24日、福島大学で入戸野修(にっとの おさむ)福島大学長の歓迎挨拶を受けました。

以下、あいさつ全文を紹介します。

++++

福島大学の入戸野です。

本日は、国民平和大行進の「通し行進者」の皆様を福島大学にお迎えできますことを、大変光栄に思います。また、私としては、原発事故を受けた一福島県民として、改めて「核兵器全面禁止を訴える重要性を再認識させていただいた」という点で、大変感謝しております。

日本では、1958年からこの運動が、核兵器のない世界へと、国民の反核平和への願いを訴え続けて継続されていること、また、世界でもさまざまな反核平和の運動が実施されていることは、いかにこの訴えが人類にとって重要であるかを改めて認識させられております。

一昨年、大地震・津波・原発事故による放射能物質の拡散・そして風評という経済的被害を被った福島県民は、いま新しい福島の復興に向けて「ふくしまからはじめよう!!Future From Fukushima」をスローガンとして掲げて、復興再生に向けたさまざまな取り組みを展開しております。

地元の大学・福島大学として、昨年4月に創設した「うつくしまふくしま未来支援センター」も竣工し、約50人ほどの専門家が、新たに起こっている各種の支援活動に積極的に取り組んでいるところです。また、原発事故により拡散された放射能物質の動態挙動の基礎的研究を、国内外の専門の研究者を結集して取り組む「環境放射能研究所」を今年7月に創設し、その研究成果を福島県の除染技術の開発や農作物への安全生産管理へと応用することを目指しております。福島の復興は、まだまだ道半ばであると認識しております。

こうした中で、皆さんのこの度の「原水爆禁止国民平和大行進」の活動は、希望の光を求めている私たち福島県民の一人ひとりを力強く勇気づけてくれるものと感じております。

皆さんに代わり、御礼を申し上げます。「励ましをありがとうございます」。

「通し行進者」として直接に加わらない私が多くのことを言うことはできませんが、平和行進がますます国民世論の結集につながることを願ってやみません。

行進が予定通り進行し、目的を達成されますことをお祈りいたしております。

本日は、福島大学にお立ち寄りいただき、ありがとうございました。

マラヤ・ファブロスさんの行進日誌49日目

20130623-231830

平和行進四十九日目:向日市、長岡京市、八幡市

今日のコースは向日市、長岡京市,大山崎町を歩いて終点は八幡市役所でした。最初の3つの市はかつて京都に都が移る前の古い都だった場所です。約1000年も前の事です。今の日本の首都は東京です。

日曜日だったので子どもたちの参加もあって楽しかったです。朝は大雨でしたがそのお陰で気温が下がりました。平和行進中は小雨が降ったりやんだりのお天気でした。

若い方の参加もありました。はったさんとの再会もありました。彼女は私の日本語でのコミュニケーションを助けてくれました。はったさんは元高校の英語の先生です。現在は京都平和委員会で熱心に活動されています。最初にあったとき京都原水協と京都平和委員会の事務所は隣同士かと私は彼女に尋ねたら、笑ってそうだと教えてくれました。愛知でもそうだったからもしかしたらと思ったのです。

よねしでさんという京都の通し行進者の方(彼は2010年は東京-広島間を歩かれたそうです!ワォ!)が開会集会で沖縄のことについて話されました。今日は沖縄戦が集結した記念日であり、沖縄では大きな慰霊式典が行われました。

他にも自治体関係者の方が開会集会では挨拶してくれました。

私はお医者さまから長距離を歩くことを控えるように言われているので、これから1ヶ月はバンからのアナウンスが多くなりそうです。実は今は私の膝の問題を今後どうするかについての日本原水協からの指示を待っているところです。しばらくの間は平和行進に歩いて参加するのではなく、声で参加することになりそうです。本当に早く前みたいに自由に歩けるようになりたいです。だってそのために日本に来たんですから。

ところで、今私たちは関西にいます。滋賀県からが関西地方になります。日本は複数の都道府県で構成されています。東京とその近県は関東地方、愛知、岐阜そして静岡県は中部地方と呼ばれています。

関西地方は他と異なる方言があります。私が理解しているところでいえば関西弁は標準語と基本的には同じですがアクセントが違うようです。

けいこちゃんとたくや君が関西弁で「こんにちは」をどう言うのか前に教えてくれました。関西の皆さんは日本でも一番フレンドリーだそうです。私もそう思います。

そこで私たちは「いいね!」と「今でしょ」コールの京都版を考えました。関西風に読むという訳です。歌声グループの皆さんが昨夜と今朝、関西弁での言い方を教えてくれました。「いいね!」は「ええねん」と最初にアクセントを置いて読むみたい。「今でしょ」は「いまでしょ」の「ま」の所を強く言うみたいです。もしかしたら次の地方に行ったらまた違う言い方に変えた方がいいかもしれませんね。

最近私の日本語のアナウンスもすこし語彙が増えてきました。自己紹介とコールをする前に皆さんを励ます内容です。

こんな感じです。

ミナサン オハヨウ ゴザイマス

ワタシハ マラヤ ファブロス デス

フィリピン カラ キマシタ

ミナサン チカラ イッパイ ピースコール ヲ シマショウ

コールが終わったら

スバラシイ!

と言います。

それから Thank you!です。

お昼ごはんの後で少し自由時間があったので、はったさんが私に動くツルの折り方を教えてくれました。これは普通の折り鶴とは違う折り方です。しっぽを引っ張ると羽根が動くのです。平和行進の参加者の中には歩きながら子どもたちにこれを手渡している人たちもいます。

はったさんから折り紙はインドが発祥で日本で発展したと教えてもらいました。

左側が普通の折り鶴で右側が動くツルです。

また、はったさんとお天気の話もしました。今年は梅雨がかなり遅いそうです。これは平和行進の参加者にとっては朗報です。フィリピンやアラブ首長国連邦の天気についても聞かれたので、ドバイの7月と8月の日中の気温が50度を超えることを教えたらとってもビックリしていました。ははは!

でも日本では先週暑さのために心筋梗塞で亡くなった方もいるそうで驚きでした。

それから今日は古い友人のふみちゃんにも再会しました!彼女と彼女のお母さんは午後から平和行進に参加していました。約2年前の夏、彼女には2日間の京都観光に連れて行ってもらったことがあります。清水寺、三十三間堂、東寺、そして嵐山を観光しました。どこでもふみちゃんは「秋は景色がもっとすばらしい」と言っていました。絶対に秋の方が奇麗だろうと思います。京都と広島は夏は本当に暑いことで有名なのです。だからこれを読んでおられる親愛なる平和行進者の皆さん、頑張りましょうね!!

最後に北海道―東京コースを歩いている平和行進についても書いておきたいと思います。現在このコースは福島を歩いています。日本原水協のぶんちゃんも今日は福島を皆さんと一緒に行進しています。既にご存知の方が多いと思いますが、福島は2年前に東北地方を襲った津波に寄って原発事故に見舞われました。残念なことに現在の住民の皆さんの状況はあまり報道されなくなってきています。被災地の多くがまだ復興しておらず、多くの皆さんが放射能の影響に脅えています。

一番問題なのは、政府自身が福島の被害の実相を国民に伝えていないことです。実際の報道は現状とかけ離れており、現地の人々は放射線量を測定され、明らかに問題だと思われる結果も出ているのです。

福島の放射能漏れの被害者らは新たな被ばく者にされてしまっているのです。

日本の平和運動に関わっておられる多くの皆さんは、とりわけ広島と長崎の被爆者の皆さんは福島の被災者の皆さんをサポートしています。

これは平和行進の世界大会の呼びかけが以下のように変わったことでも示されています。

ノーモア ヒロシマ

ノーモア ナガサキ

ノーモア フクシマ

ノーモア […]

【国民平和大行進】行進ペナントに初めて「福島県」と記名。「核兵器全面禁止のアピール」署名と原爆展を要請

福島県に要請

福島県知事に要請

6月24日、午前10時に福島県庁に到着した被災地平和行進(中通りコース)は、福島県知事への要請行動を行いました。

県からは知事直轄政策調査課の宮村安治課長と同課の山内建史主任主査が応対。「核兵器全面禁止のアピール」署名への知事の賛同、行進ペナントへの記名、原爆写真展の開催や被爆体験を聞く会など、非核平和行政の推進について要請しました。

最初は、「知事も核兵器廃絶の気持ちはみなさんと一緒。しかし、いろいろな署名があるので」(宮村課長)との返事でしたが、安井正和日本原水協事務局長から、核兵器廃絶は党派を超えた課題であり、現職の首長が世界大会パンフで核兵器廃絶、原発ゼロを訴えていること、署名には潘基文国連事務総長も支持し、国内で280万筆が集まっていること、広島、長崎など8道県の知事も賛同し、埼玉県では知事の顔写真入りの署名用紙がつくられ、多くの県職員も署名していることを紹介。「わたり福祉会」の町田さんも被災地福島だからこそ、核兵器廃絶のために立ち上がってほしいという思いをこめて署名することをお願いしました。

こうした訴えに、宮村課長は、「私たちが署名していいですか」と、その場で山内主任主査と署名し、ペナントにも「福島県」と記名しました。こうした場面はこれまでになかったことです。この要請には、宮川絵美子、宮本しづえ両県議(日本共産党)が同席、県議からは参加者においしいアイスクリームの差し入れがありました。

被災地平和行進中通りコース3日目、行進は市内のわたり病院を出発。わたり病院の若い職員が先頭の横断幕を持ち、アナウンサーも担当。若い声で「いいでしょ!コール」「今でしょ!コール」「んだ、んだコール」をしながら明るく行進しました。

福島医療生協から今年も3人の代表を原水爆禁止世界大会に送ります。その中ですでに参加表明した理事の西坂稔さんです。3、40年前に広島の大会に参加。長崎は初めてです。沿道の応援に大きく手を振って応えて歩きました。

【国民平和大行進】福島太平洋コース、被災地小高をゆく

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宮城県から福島県へ引継ぎ

北海道―東京間の2013年原水爆禁止国民平和大行進・太平洋コースは6月23日、宮城県から福島県へと引き継がれました。引継ぎ地点の新地町役場前には、地元相馬・双葉原水協の大内秀雄さんや県原水協事務局長の石堂祐子さんなど福島のみなさん、ツアーで参加した東京、神奈川、京都、兵庫などの代表、日本原水協事務局などおよそ50人が参加、行進旗や被災地連帯旗を受け継いで、新地町と相馬市の市内を元気に行進しました。

「いいねコール」や「今でしょコール」でアピール

浜通りの行進二日目の24日、相馬市の松川浦から出発。道行く除染や復旧作業のトラック運転手、地元住民に、「核兵器の廃絶、いつやるの?」、「今でしょ!」、「被災者への補償、いつやるの?」「今でしょ!」など、「いいねコール」や「今でしょコール」でよびかけました。

続いて、今も避難が続く南相馬市小高区の住民が多く避難する鹿島区の仮設住宅では、コールを聞いて5人が手を振って出迎え。全員快く、「核兵器全面禁止のアピール」に署名し、話が弾みました。農業をしていたという女性は、「これまで食べる米を援助してもらうなど考えたこともなかった。自分で米を作れないのはつらい」と語っていました。「暑い中大変でしょう」と飲み物をふるまってくれる人も。

南相馬市からペナントに署名いただく

午後の南相馬市市役所では、復興企画部の阿部貞康部長が応対し、ペナントも快く「南相馬市」と記載。高草木代表理事は、昨年浪江の馬場町長とともに小高の高校生がおこなった訴えが、会場を涙に包んだことに言及しながら、「是非これからも市長や市の行政関係者、市民のみなさんが世界大会に参加してほしい」とよびかけました。

住民が一人もいない小高区を行進

この日の行進のハイライトは、昨年4月以降、立ち入りが可能になった南相馬の小高区です。小高では、住民が昼間に立ち入ることは自由になりましたが、住むことはできません。その中を平和行進は、「今でしょコール」「いいねコール」を響かせながら住民が一人もいない「繁華街」を行進、時々通る作業のトラックからドライバーが手を振る光景もありました。

小高から宿舎の相馬に戻る海岸線のコースは、津波の塩水と放射能で汚染されたかつての田んぼが、今は荒れ地と化しています。改めてあの洪水とともに東電福島第一原発事故が引き起こした被害の大きさに一同、息を飲みました。

渡部寛一南相馬市議の案内で2年ぶりの行進

昨年は行進できなかった南相馬市小高区は、居住はできないものの立ち入り制限が解除になったため、2年ぶりの行進が実現しました。震災当時の住民の避難、原発爆発の危険が迫るなか、自衛隊と協力して行方不明の住民の捜索に当たったことや、現在の市民の避難状況や困難な生活について、南相馬市の渡部寛一市議が案内しながら説明してくれました。

人気のない街は、時おり除染作業や復興事業のトラックや作業車が通行するだけで、倒壊した家屋の片付けも進んでいません。小高駅前の自転車置き場には、2年前の3月11日に高校生が残した通学用の自転車が何十台も放置されたままでした。行進団は、ぽつんぽつんと営業を再開している商店やガソリンスタンドで働く人々に手を振りながら、ピースコールを響かせて行進しました。

南相馬市の東生涯学習センターで開かれた交流会には約30人が参加。地元・南相馬の渡部議員や荒木議員が被災当時の様子や、市民生活の現状などを説明し、全国の人たちに伝えてほしいとよびかけました。

参加者はそれぞれの状況を「2年経ってようやく話せるようになった」と言いながら、現在直面している補償問題、生活再建などの努力や困難を語り、「震災も原発事故も全く終わっていないことを広く知らせてほしい」と訴えました。「核兵器と原発の根は同じだとわかった。広島・長崎のことをもっと知り、被爆者のたたかいからも学びたい」との声もありました。

(日本原水協代表理事・高草木博)

【国民平和大行進】被災地連帯平和行進が福島県へ 県民をないがしろにする国・東電に強い怒り 平和行進団に熱い支持と共感!

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山形から福島へ

6月22日、福島県境にある栗子峠のドライブイン前で平和行進の引き継ぎ式が行われ、国民平和大行進が山形県から福島県へと引き継がれました。

山形県実行委員会事務局長の情野さんは、「山形県ではどこの自治体でも歓迎され、政府への意見書を要請。核兵器廃絶の先頭に立つ自治体になってほしいと懇談しました。日本政府の態度を変えるために、私達の運動を一層強める時です」とあいさつ。福島のみなさんに思いを託し、通し横断幕、リレー旗、「被災地を忘れないで」の被災地連帯行進横断幕が渡されました。

福島県中通り行進スタート!「ますます声をあげなきゃ」

山形から引き継がれた行進は、東日本大震災と東電・福島第一原発事故で大きな被害を受けた飯坂町(飯坂温泉で有名)を行進しました。「わたり福祉会」から40人が参加するなど、飯坂からの参加者は84人と、昨年を上回る行進がとりくまれました。

「今年のコールは良かったよ~」と評判の、「いいね!」と「今でしょ!」コールを出発前に練習して中通り行進がスタート。指を突き上げる「いいね!」には参加者から「なんかコールが新鮮~」と。年配のお母さんたちもノリノリ。

昨年初めて参加したお母さんは、9条の会で南相馬市に行った話をしてくれ、「変わらない原発事故の爪痕を目の当たりにして、ますます声をあげなきゃ」と参加していました。

みんな元気に歩いて、いい顔いっぱいで手を振ると車や家から手を振ったり、頭を下げたり、南相馬市小高区から避難してきたお母さんは「ありがとう!ご苦労さま!」と応え、福島県原水協事務局長の石堂さんが今年のうちわを手渡し、交流されていました 。

国見町から福島市へ たくさんの人たちが応えてくれました!

中通りコース2日目の6月22日は、国見町、桑折町、伊達町から福島市に入る20kmを行進。1日目と比べて参加者は少なかったものの、沿道や行き交う車からの声援は数多く、行進団を最後まで励ましました。

この日、日本原水協の安井正和事務局長が国見町の出発集会から福島市民会館でのまとめ集会まで行進に参加しました。平和行進中央実行委員会の大越文さん、福島県内8日間を通して歩く愛知県瀬戸反核センターの田中詔子さん、2008年に通し行進した森悦子夫妻が参加し、行進を盛り上げました。

出発集会で安井事務局長は、昨年の世界大会で馬場有(ばば・たもつ)浪江町長が訴えた「私たちには日本国憲法で保障されている、幸福追求権、生存権、財産権という権利はないのでしょうか。これほどまでに我々の生活を、社会全体を破壊した原発は、まさに原子爆弾そのもの」との言葉を紹介し、被害者の苦しみには目を向けず、その場しのぎの無責任な東京電力。そして、原発再稼働と海外への原発ビジネス、憲法改悪に精を出す安倍首相の姿は、まさに「死の灰」商人そのものであると糾弾。「核兵器と人類は共存できません。おなじく原発とも共存できません。間違った政治は変えなければなりません。それを変えるのは私たち一人ひとり、草の根の声と行動です」と参加者を激励しました。

国・東電への怒りは大きい

宣伝カーでのアナウンスとともに、行進参加者が次々にマイクを握り、東電や国への怒りを訴えました。東電に完全賠償を求める県北の会の代表は、桑折町の仮設住宅にいる方々や桃農家の風評被害など、国が賠償責任を取らないことと、核兵器廃絶に被爆国日本が動かないことに憤る気持ちを訴えました。

参加者は、福島弁で「核兵器はいんねい!」「んだんだ~」とコールにして、みんなで手を振り、声をあげ沿道にアピールしました。

事務局の大越文さんは「福島の中通りの同じコースを歩いて3年目ですが、今年の反応はとてもいいんです」と語っているように、実際に、家から出てきて行進団を激励する人、車から身を乗り出して手を振り返す人、窓を開けて頭を下げる人、いいね!と親指たてて応えてくれる若い家族など、これまでにない反応がありました。 Ces hommes étant absorbés par ces débat sur ce paillage de à elles être sexuelle avec ce Viagra {effets secondaires Viagra https://www.bleuepil.com/utilisation-du-viagra.html Viagra 100mg}, les autres prérogative du Viagra près le […]

原水爆禁止2013年世界大会パンフレットを学び、核のない社会へうねりつくろう 見どころ紹介

大会パンフ表紙

原水爆禁止2013年世界大会はNPT(核不拡散条約)再検討会議が開かれる2015年に向けて世界的な行動をスタートさせること、非核と9条輝く日本を実現することを主要なテーマにして開かれます。

パンフをもとにした学習をすすめ、地域・職場で原爆展や署名行動をとりくみ、平和行進をすすめながら世界大会へ代表を送りだしましょう。

パンフレットの見どころを紹介します。

1.核兵器はいつなくすの? 今でしょ!! 1ページ

世界の国々が目標としていることの一つが、核兵器をなくし、平和と安全を実現すること。

国連がテーマとしているのが国連憲章のルールに従い紛争を平和的に解決すること。

日本は、国民にも政府にも、核兵器の全面禁止を呼びかけ、行動する権利と責任がある。

2.写真で見る、核と放射能の被害 3ページ

ヒロシマ、ナガサキ、ビキニ、フクシマ 非人道性=人類の生存に関わる核兵器

1955年、3200万筆・有権者の過半数を超えた原水爆禁止署名、2010年、690万筆を国連に

3.北朝鮮の核問題 緊張をエスカレートさせないことが重要 7ページ

①9ページのように、繰り返される核と軍事的いかくの悪循環

米韓合同軍事演習で核弾頭搭載可能なB2、B52爆撃機の米本土からの参加を契機に、北朝鮮は休戦協定の効力白紙化を発表するなど・・

②対話をめざす動きが活発化 米政府、韓国政府(大統領が対話を呼びかけ)、国連(4月12日に潘基文事務総長が朝鮮語で呼びかけ) しかし日本政府の対応は・・・

8ページ 吉田英男・三浦市長のメッセージ

③8ページ 核保有国5カ国が核兵器全面禁止の先頭に

日本原水協は5カ国と日本政府に決断と行動を求めて手紙

4.国際政治では、核兵器全面禁止の条件は熟している 10ページ

①国連総会では175カ国が賛成。反対は米、英、仏、露、印、イスラエルの6カ国だけ 12ページ

②核兵器使用の非人道性の側面から 昨年5月に16カ国共同声明、10月国連総会では34カ国が呼びかけ、今年4月のジュネーブでは80カ国に。 *11ページ オスロ会議の結論

「核兵器が二度とふたたび、いかなる状況下においても、使用されないことに人類の生存がかかっている・・・。二度とふたたび使用されない唯一の方法は全面廃絶することでしかありえない」

③核兵器禁止条約の交渉開始を提起したマレーシア決議には、インド、パキスタン、北朝鮮、イランも賛成。「みんなでやめよう!」が当然の声に。核保有5カ国の決断だ。

5.抵抗する核保有国 12ページ

2010年NPT再検討会議が合意した「核兵器のない世界の平和と安全を達成する」目標について、3年になる今もその実現の道筋が見えてこないのは、核保有国や核の傘に依存する国々の「核兵器は安全の保証」という考え方(核抑止力論)がある。核拡散を誘因するのもこうした核保有国の態度に。

6.市民の役割の発揮 14ページ

歓迎される署名。核保有国や核の傘に依存する国々での世論と運動が決定的。

4月24日第2回準備委員会へ、276万2031筆の署名提出。アンゲラ・ケイン国連軍縮問題担当上級代表「世界大会に出席して感銘を受けた。暑い日差しの中で署名を集める若者に姿に感動した」と励ます。

日本では、参議院選挙も見据えて

7.問われる日本政府の姿勢 15ページ

①韓国大統領や潘基文国連事務総長が対話を呼びかけたのと対照的に、安倍政権は北朝鮮に対して軍事的対応一本やり。石破自民党幹事長も軍事的対応をあおる。その一方ですすめられる改憲と靖国参拝。

②昨年10月に続き今年4月も、核兵器の非人道性を批判し、核兵器不使用を主張した共同声明への署名を拒否。日本政府は「いかなる状況下でも」という一文の削除を求め、それが受け入れられないからと署名を拒否したことに国の内外から失望と怒りが。被爆国の政府として国際社会への背信行為。

③日本原水協は核兵器全面禁止の決断と行動を求め、平和行進を通じて自治体からの意見書のとりくみも提起している。

④17ページ 草の根から圧倒的な世論を 16ページに自治体の状況

今年のパンフには4人の自治体首長が登場している。自治体の変化が。

[…]

【日本原水協】「原発・核兵器・私たちの未来partⅢ ―被災者支援、放射能被害の根絶のために―」開催のお知らせ

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東日本大震災と東電福島第一原発事故から2年にあたる3月11日、日本原水協は4月11日にシンポジウムを開催することを発表しました。

以下、お誘い文です。

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【熊本】九州豪雨災害で被災した阿蘇の仮設住宅全世帯に募金でちひろカレンダー届ける

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熊本県原水協は2012年12月30日、九州豪雨災害で被災し、阿蘇の仮設住宅で避難生活を送られているみなさんに、「いわさきちひろカレンダー」を届ける活動にとりくみました。このための募金を多くの人たちに呼びかけ、48世帯全員に届けることができました。

温かいちひろさんの絵は好評で「とても嬉しいです」「綺麗な絵ですね」など、わずかな時間でしたが微笑みを共有することができました。寒風の中の避難生活はまだまだ厳しそうです。ちひろさんの絵でみなさんの心や体を癒してほしいと願いました。

(熊本県原水協事務局長・川端眞須代)

 

【長野】栄村被災者に支援募金とちひろカレンダー贈呈──長野県北部地震被災地への支援として

東日本大震災の翌日に起きた長野県北部地震で被災した栄村被災者への支援として、長野県原水協では、支援募金とちひろカレンダーの贈呈にとりくみました。

支援募金は、長野市原水協が独自にとりくんだもので、長野県原水協を通じて5万円を栄村に贈り、島田茂樹栄村村長から感謝とお礼の手紙が届きました。

カレンダー贈呈では、全県にワンコイン募金を呼びかけて集まった募金をもとに、仮設住宅から災害公営住宅に移り、久しぶりに新年を自宅で迎える被災者の皆さんを中心に、40本のカレンダーを贈りました。

年末は例年にない豪雪で村を訪問してお届けするのが困難であったため、栄村の村長・副村長・職員の皆さんに各住宅へ配っていただくことになりました。

村は大変な豪雪地帯であるとともに、高齢化と過疎の進む中で、大型合併でなく「小さくてもキラリと光る村づくり」をめざして自立を選び、住民本位・住民参加の民主村政が続けられてきた結果、いまでは「絵手紙での村づくり」でも全国的に有名になっています。

(長野県原水協事務局長・丸山稔)

【福島】ちひろカレンダーをいわき市の福祉作業所へ贈呈。みんな大喜び/楢葉町仮庁舎で副町長さんに面会し150本贈呈

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12月28日、日本宗教者平和協議会の森修覚事務局長と福島県いわき市に実家のある青年の佐藤聡さんが同市を訪問し、福祉作業所「りんべるハウス」と楢葉町へちひろカレンダーを届けました。今回、岩手自治労連・岩手の各単組、日本宗教者平和協議会、RingLinkZero核兵器なくそう青年実行委員会、京都原水協、大阪原水協から集められた募金で200本が贈呈されました。12月28日現在で、贈呈は2500本に達しました。

▲宍戸副町長(右)にカレンダーを手渡す森日本宗平協事務局長

いわき市内の楢葉町役場仮庁舎で、仕事納めの多忙な中でしたが、生活支援課課長補佐の磐城さんに応対していただきました。宍戸陽介副町長に面会でき、森さんから、日本原水協の被災地カレンダー贈呈キャンペーンの趣旨を説明し、町役場でも配布にご協力いただきたい旨をお願いしたところ、宍戸副町長は「責任を持って配布します。ありがとうございます」と述べ、ちひろカレンダーを受け取りました。

さっそく磐城課長補佐から「仮設住宅は12カ所ありますので、集会所等で必要な方に配布できるように対応します」と返答をいただき、150本を贈呈しました。

うれしくて握手を求め、「ありがとう」の言葉に感動!

役場仮庁舎を後にして、日本宗平協会員の早川篤雄(浄土宗宝鏡寺住職)さんが理事をしているいわき市内の福祉作業所「りんべるハウス」へ向かいました。訪問した時は入所者と職員25~26人で年末の大掃除をしている最中でした。ちょうど休憩の時間になったので、早川さんからご紹介いただき、森さんから、「ちひろカレンダー」を全国の仲間から預かってきたこと、楢葉町のみなさんの姿を見て自分自身が励まされたことを述べ、一人ひとりにカレンダーを手渡しました。

▲入所者にカレンダーを手渡す

うれしくて握手を求めてきたり、「ありがとう」とお礼を述べるなど、入所者全員が大喜びでした。

「りんべるハウス」には知的・精神障害を持つ方たちが入所しており、原発事故前は97人が入所していましたが、現在は40数人が働いています。職員の方も事故前は22人が勤めていましたが、今は15~6人が避難しながら勤務しています。まだまだ入所が増える見込みで手狭になってきているので、役場に仮設の作業所をつくってほしいと要望しています。(森修覚、佐藤聡)

【宮城】被災地に届いた愛と平和のメッセージ!宮城県塩釜市、南三陸町の仮設住宅へカレンダー400本

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宮城県原水協は、このほど全国の原水協のご支援で寄せられた「ちひろカレンダー」を持って、大震災の被災地の仮設住宅を訪問・お話しを聞きながら贈らせていただいています。

塩釜市の4つの仮設住宅を訪問し、75軒の人たちとお話ができました。子どもと一緒にいた女性は、「ちひろの絵は大好きです。本当にいただいて良いのですか?」と喜ばれ、「今年はどこからもカレンダーが届かないの。被災も風化してゆくのですかね」と寂しそうに話していました。

南三陸町歌津の中心部伊里前には、津波で約300軒が流され、地盤沈下で今も家の土台が海の中に沈んでいる所ですが、17軒の人たちが声をかけ合い、助け合って仮設住宅で暮らしています。「被災当時は、あまりのことにただ呆然とするだけでどうしていいか分からなかったけれども、ボランティアの方々に支えられたことが生きる力になりました」と、皆さんが話しています。ここに住む2人の方は、「平和行進」に参加していた縁もあってちひろカレンダーの贈呈には感激していました。

その向かいの仮設には、役場に勤務していた人柄が良いと評判のお嫁さんを津波で亡くし、毎日閉じこもって泣き暮らしていたおばあさん、高校生と小学生の孫を残されて悲嘆にくれていたおばあさんに、まわりの人たちがいつも声をかけ見守り続けて来ましたが、この頃やっと笑って支援者にも顔を見せてくれるようになりました。

▲カレンダーを手に

50代の女性は、「また孫が生まれるので、可愛いちひろカレンダーをいただき嬉しい」と言っていました。この方は、夫婦で高台移転のために努力、「やっと2カ所の着工の見込みにこぎつけた」といいます。息子さんは、シンガーソングライターで、福島原発事故に思いを寄せて歌をつくり、歌津被災の歌を志津川高校生とともに作って「心和む歌声」と評判になっています。

仮設の「皆さんの面倒見がいい」と評判の女性は、「この山に(高台)移転することは決まっているが、まだ整地されていない状態ですよ」と話していました。ここの仮設32世帯にちひろカレンダーを配ってもらったら「ちひろの絵が好きな人が何人もいて『わぁーっ!!』と歓声を上げて喜ばれた」と報告がきました。

▲おじさんと2人で

どこでも「今年はカレンダーがないね」と言っていた矢先に「ちひろカレンダー」が届き大喜びされています。

贈っていただいた皆さんありがとうございました。

2012年12月28日 宮城県原水協事務局長・熊谷正治

【塩釜、南三陸町へのちひろカレンダー贈呈は以下の皆さんからの募金で贈られました】

日本医労連、奄美医療生協、出版労連、京都原水協、愛知県原水協、三重県原水協、広島県原水協、福岡県原水協、熊本県原水協、宮崎県原水協、理想科学工業、かんきょうムーブ、兵庫・兵頭さん、山梨・野口さん、名古屋・市丸さん、小林洋二さん、国会議員秘書

愛と平和のちひろカレンダーを陸前高田市の仮設住宅と保育所、飯館村の小・中学生に届けました

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日本原水協は「ちひろカレンダーを被災地に贈るキャンペーン」をとりくんでいます。都道府県原水協や民主団体、労働組合の協力で、現在66箱(1650本)のカレンダーを贈ることができ、引き続き募金が集まっています。

11月3日には福島県南相馬市(125本)、12月5日には福島県浪江町(550本)を訪問し、仮設住宅を訪ねて被災している住民の方々に直接カレンダーを届けてきました。浪江町では馬場有町長とも懇談してきました。私は12月17日、18日と岩手県陸前高田市と福島市内の仮設庁舎で学ぶ飯館中学校を訪問してきました。田中章史事務局員のレポートです。

陸前高田市では戸羽太市長にも手渡す

12月17日には岩手自治労連の協力もいただき、渡辺孝文書記長の案内で、岩手県原水協の津村喬事務局長と甚大な津波被害を受け、復旧に向けてとりくみをすすめている陸前高田市を訪問し、自治労連陸前高田市職員労働組合の菅原正弘委員長と日本共産党市委員会の藤倉了介さんの協力も得て、戸羽太市長、山田市雄教育長にも会い、教育長には15か所の小中学校分のカレンダーを渡し、公立・私立の保育所9か所と滝の里工業団地仮設住宅には直接訪問しました。

「うわぁ!ちひろの絵だぁ。かわいい」

4か所の公立と5か所の民間保育所を訪問しました。園長先生たちは「私この絵が大好きなの」「今年もいただけるなんて本当に嬉しい。素敵な絵ですからこどもたちも喜んでくれます」「(月が終わったら)切り取って額に入れて、保育室に飾っています」など大歓迎していただけました。またある園長は「仮設に住む方から今年も欲しいっていわれていたので、岩手自治労連に電話しようと思っていたの」と、ちひろカレンダーが仮設住宅で困難な生活を強いられている住民の心の「オアシス」にもなっていることを実感しました。

また、他の園では年長の子どもたちも寄ってきて「うわぁ!ちひろの絵だぁ。かわいい」と言いながら一緒に写真撮影もしました。子どもたちは明るく元気いっぱい頑張っていました。

「こんなもの(核兵器)はなくさねばねえ! 戦争は起こしてなんねぇのさ」

滝の里工業団地仮設住宅では、小野田高志自治会長が迎えていただき、お住まいの方を訪ね、カレンダーと核兵器全面禁止のアピール署名を手渡してお話を伺いました。「いやあ!このカレンダーはいいねぇ。ありがとうございます。部屋は4.5畳二つと6畳の3部屋で、6人が暮らしていますが、高校生の子どもが2人、小学5年生1人で寝る時などは歩く場所もないし、高校生とはいってももう大人なのでいろいろ気を使います。それにしてもこれ(核兵器)は早くなくさねばねぇ」とカレンダーと一緒に届けた「核兵器全面禁止のアピール」署名のタイトルをみて話してくれました。さらに「また戦争みたいなものは起こしてなんねぇのさ」とも話されました。

自治会長も「震災も大変だったが、福島はよけいだもんねぇ」と原発事故による福島県民の被災、暮らしの状況に思いを寄せ、核兵器も原発もなくさないといけないと署名への協力を約束してくれました。

木のぬくもりを感じる仮設校舎で、2年生の女子生徒は「やさしい絵ですね」と受けとってくれました

18日には、福島県飯館村の教育委員会とも相談して、小・中学校生徒全員の350人にちひろカレンダーを届けました。福島県原水協の二階堂次男代表理事、石堂祐子事務局長、庄司正樹事務局員と一緒に、福島市内にある仮設の飯館中学校を訪問しました。教頭の稲川竜寿(いながわりゅうじ)先生と2年生の2人が私たちを迎えてくれました。

稲川先生から、3・11当時の村の状況、その後の避難の実態などのお話を伺いました。

3・11の地震は飯館村ではほとんど被害もなく、浜の方から避難してきた人たちへの炊き出しなどを外でおこなっていました。東電福島第1原発から40キロ圏の飯館村にまさか放射能が降り注いでいるなんて夢にも思わなかったとのことです。放射線量が高いことがわかった後、「外には出るな、外では頬かぶりをしろ、肌を露出するな」などの指示がありました。学者も、国も、誰を信じていいのかわからない状態で、各地に避難する人たちも出る中で、村ははじめに子どもたちの避難を考えて学校の移転場所を決めてくれました。これで8割の中学生は戻ってくることができたのです。しかし初めは県立川俣高校の体育館をお借りして、6クラスが4つの部屋で授業をしていました。1年4カ月の期間、トイレも工事現場のような仮設でみなさんはたいへんな思いをしていました。

ホッと落ち着き、部活も活発に

この仮設校舎に来た時の生徒たちの表情は「ホットして落ち着いた」という感じでした。とにかく廊下もありますし、木のぬくもりもあり、みんなノビノビとしてきました。部活などもいろいろな施設をお借りしていましたので移動の時間もかかり、なかなか部活動はできないできましたが、ここではそんなことも解決していま部活を楽しんでいます。

飯館の人たちは、お年寄りは仮設住宅、若い人や子どもたちは借上げ住宅に住んでいますので、朝は9本のスクールバスで子どもたちは登校してきます。いま学校ではホームページを作り、子どもたちの様子を発信して、遠く離れてくらす飯館村の人々や友達、そして支援していただいた人々へのメッセージにしています。

最近は子どもたちが仮設住宅のお掃除をするということをやりました。親やお年寄りの皆さんからは、「中学生がこれだけ前を向いているのだから、おれたちもいつまでも下を向いているわけにはいかない。元気をもらった」との声がたくさん寄せられました。

村民のみなさんに元気を発信したい

吹奏楽部でフルートを吹く女子と、テニス部の男子の2年生2人は、「引っ越しが決まった時は嘘だろうと思った」「ふるさとに早く帰りたい」と話しながらも、「仮設の人たちに元気が出るような活動をしたい」「みんなに歌を歌って元気を発信したい」「他県に行った友達に手紙を書いている。一緒の高校に行こうねと話している」など前を向いて、村民のみなさんの思いにこたえようとの積極的な姿勢を感じました。みなさんと写真を撮ったあと、2人の生徒はカレンダーを見ながら、「やさしい絵ですね」と感想を話してくれたので、いわさきちひろさんの平和や子どもたちへの思いと、被爆者の方々が地震と津波、福島原発事故を見て、あの日の広島や長崎とダブって見えたと言っていることも伝え、元気に頑張ってと握手をして別れました。

職場で募金を集め、被災地同士の交流も!

今回のとりくみでは、自治労連本部の協力もいただきました。福島県浪江町へは岡山県高梁市職出身の岡崎加奈子青年部書記長も一緒に参加し、高梁市職員組合は職場に一人500円の募金を呼びかけて13万円もの募金を集めてくれました。陸前高田市へのとりくみでは岩手自治労連が県内の加盟単組へ募金を呼びかけて、300本分の募金を集めてくれました。岩手と福島の被災地同士の交流もということで、岩手自治労連と大船渡市職労からは福島県飯館村の子どもたちへ、福島自治労連と郡山市職労、二本松市職労からは陸前高田市にカレンダーが贈られました。

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