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原水協通信

毎月発行している日本原水協の機関誌です。国内外の反核平和運動についての情報が満載です。 日本原水協のウェブサイト→ http://www.antiatom.org/

「核兵器の全面禁止を!」

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【茨城】新婦人が護国神社の梅まつりで署名行動

「3月の6・9行動、水戸の梅まつりでやりたいネ」ということで、3月16日午前10時から1時間、護国神社わきの駐車場に車を停めて行いました。

10時少し前に着いたのですが、もう3カ所の駐車場はいっぱいで、一回、護国神社をぐるっと回って、やっと入ることができました。

新日本婦人の会「みのり班」から2人、「双葉台班」から2人、「みわ班」から大川の5人が参加。

前日、金曜日の原電前行動に参加して、新しくできた「原発とめて」の子どもパネルを2枚お借りして、それを掲げながら「核兵器全面禁止のアピール」と東海原発廃炉の署名を呼びかけました。

新潟から群馬から、埼玉から、八王子からと遠くからいらした方が多く、「子どもたちのために、原発はなくさなければ…」と署名してくれた方、群馬からの方は家族4人でしたが、はじめお父さん、お母さんが署名、その後「あなたたちの署名をしなさい」とお母さんが言ってくれ、小学生2人も署名してくれました。

90歳代の女性の方は、署名をしながら「戦争の辛い思いは二度と繰り返したくない」と言っていました。

いわきや那須から来ていた方は「放射線量が高くて心配。全国の問題だから反対しなくてはね。有難う。、頑張って下さい」と署名。また、「憲法9条守ろうの署名はないんですか」と近寄ってきた男性など、それぞれの思いで署名をしてくれました。

全体的に協力的で、5人の参加でしたが、東海原発廃炉署名を86筆、核兵器全面禁止のアピール署名を78筆集めることができました。

(見和班・大川)

原水協通信(茨城版)2013年4月号No.25より

【神奈川】6・9行動で「北朝鮮の核実験は許せない。どこの国の核兵器もなくしてほしい」と署名

神奈川県原水協通信No.41

▲クリック!

【岡山】PPOが揃いのメンバーポロシャツ姿で折り鶴宣伝

PPO折り鶴宣伝

Peace Piece おかやま(PPO)は3月17日、天満屋アリスの広場前でおりづる宣伝を行ないました。

日曜日とあって、広島市から遊びに来ていた、実家は岡山という青年たちをはじめ、多彩な方が署名をしてくれました。

土曜日に友人の結婚式があり、泊まって観光しているという米子市のカップルは、「米子は島根原発の30㎞圏内、早くなくしてほしい。核兵器も一緒です」と署名してくれました。

一見怖そうなお爺ちゃんも、署名を訴えると、「あんなものはなくさにゃあ、おえん。二度とあんなことがあっちゃあおえんのじゃ。頑張って」と快く署名に応じてくれました。

行動には揃いのメンバーポロシャツを着た5人が参加し、「核兵器全面禁止のアピール」署名24筆、折り鶴16羽、募金30円が寄せられました。

次回のおりづる宣伝は4月14日(日)に予定しています。

▲メンバーポロシャツバックプリント

▲メンバーポロシャツ袖口プリント

【香川・丸亀市】「再稼働反対!核兵器廃絶!行動がんばれ」と通行人から差し入れも

2013-03-11-3.11大阪からの女性観光グループの皆さんが

原水爆禁止丸亀市協議会は3月11日、丸亀城大手門前で「3.11東日本大震災2周年行動」を行ない、2人の初参加者を含む6人が参加しました。

行動中に「再稼働反対!核兵器廃絶!行動がんばれ」と通行人から「ソイジョイ」が差し入れられました。東は東京から、西は福岡から署名がありました。

「私、日本に住んでいないんだけれど」とおっしゃった方には「大丈夫ですよ。国連に提出します」と説明。アメリカはバークレー州から一時帰国の方でした。

6.9ちらし65枚を配布し、「核兵器全面禁止のアピール」署名76筆、「伊方原発を稼働させないでください」署名70筆が寄せられました。

(丸亀市原水協事務局長・近石美智子)

【青森・八戸】6・9行動で原発シール投票も

八戸シール投票

八戸原水爆禁止の会は3月9日、核兵器全面禁止のアピール署名にとりくみました。

行動には9人が参加し、核兵器廃絶を訴えるとともに、10 日の 「被災地復興・原発ゼロへ」行動への参加も呼びかけました。

同時に行った原発シール投票は新婦人八戸支部が準備して行ったもので、原発に反対する意見が98%と圧倒的でした。

▲説明を聞きながらシール投票に参加する小学生

【日本原水協】「原発・核兵器・私たちの未来partⅢ ―被災者支援、放射能被害の根絶のために―」開催のお知らせ

130311

東日本大震災と東電福島第一原発事故から2年にあたる3月11日、日本原水協は4月11日にシンポジウムを開催することを発表しました。

以下、お誘い文です。

▲クリック!

【富山】風船飛ばしで日本海側にある原発の過酷事故による内陸への被害を予想

富山風船飛ばしの報告表(2013.3)

富山県原水協も参加する「原発をなくす富山県連絡会準備会」が、原発をなくす石川県連絡会や原発問題住民運動石川県連絡センターの協力のもと、2月16日に石川県志賀町高浜「志賀町文化ホール」駐車場からヘリウムガスを充てんしたeco風船を飛ばした報告です。

 

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パンフレット学習を力に3・1ビキニデーに参加しよう

2013_3・1パンフ表紙

核兵器のない世界へ、歴史のページを開く新たな運動の出発点となる「2013年3・1ビキニデー」が2月27日から3月1日まで、静岡県焼津市を中心に開かれます。

1954年3月1日、米国がマーシャル諸島ビキニ環礁で強行した水爆実験によって、焼津港を母港とする漁船「第五福竜丸」をはじめ多数の日本漁船が被災、広島・長崎に続く三度の核兵器の被害に、原水爆禁止の世論と運動が沸騰し、核兵器禁止と反核平和の声が世界に広がったように、「2013年3・1ビキニデー」は、2015年の次回NPT再検討会議に向けて、「核兵器のない世界」への流れを強める「行動のビキニデー」です。また、日本を再び戦争する国に変える憲法改悪をやめさせ、核兵器全面禁止をリードする日本をつくる全国的運動の出発点です。そして、TPP反対、脱原発など暮らしや未来のために行動する全ての運動との「連帯のビキニデー」です。さらに、2015年NPT再検討会議に向けた青年のとりくみのスタートとして、今年の原水爆禁止世界大会成功を視野に入れた青年交流集会も行われます。

長崎市の成人式行動で一時間に510筆の署名が集まるなど、新年の6・9行動、成人式行動などでは「従来にない署名数」「チラシの受け取りも違う」状況で多くの人々が核兵器廃絶や平和を求め、日本の国のあり方を模索し対話が広がっているのが特徴です。

こうした国民の声を正面から受け止め、今年の運動の出発点となるビキニ集会にしたいと考えています。今年のパンフもそうした情勢を反映して、あらためてビキニ事件とそれを契機に「人類と文明をまもる新しい歴史の出発点」となった運動を振り返るとともに、国連総会での諸決議の状況など新しい情報も満載です。

1冊で、今の反核平和運動がよく見える・よく分かる

今年の「ビキニデーパンフ」が届き、一気に読みました。この1冊で、ビキニデーと反核平和運動がよく見える・よく分かるというのが私の第1の感想です。コンパクトで、中味は濃い。ビキニ事件は、核兵器廃絶の運動の原点であること、なぜ、日本の国民は、ビキニ事件に怒り、たたかいの炎を上げたのか。このことを知ることは反核平和の運動にとってたいへん重要です。

第2の感想は、核兵器廃絶運動の原点をつかむとともに、私たちにとってビキニ事件とは何かを学ぶことができます。原子力の平和利用=日本への原発導入、原発大国日本へと突き進んでいったことも、ビキニ事件と深い関わりがあることもこのパンフから学ぶことができます。

私たち神奈川県民にとってビキニ事件は特別の意味を持つ事件です。マグロ漁船の被爆によって、三浦三崎の魚市場のマグロは甚大な被害を受け、被爆した漁船乗組員も多数いました。そして、「原爆実験停止」「経済的損害の補償」などを求め、三崎町あげての町民大会、県議会決議などが大きくわき起こりました。まさに、原水爆禁止運動の原点のたたかいは、三浦三崎から、神奈川から起こったことを私たちは学んでいきたいと思います。

学習こそ運動前進の力です。3・1ビキニデーパンフレットはその時の強い味方です。

(神奈川県原水協事務局長・笠木 隆)

すっきりした構成 見やすく、活用しやすく、グレードアップ!

2011年7月から愛知県原水協で働き、2回目の3・1ビキニデーとなります。今年の3・1パンフを手に取り、昨年と比較して構成がすっきりし、目次・プログラムなど見やすくなっていることを実感。その上で特徴的に感じたことは、①ビキニ事件はいまも終わっていない・・・アメリカの原発導入という鎮静化や、日本政府の幕引きを許さず、大石又七さんや高校生たちなど多くの人の手で今もなお事件の解明と、被災者の救援が続けられていることを詳しく掲載。

②ビキニ事件で盛り上がった日本の原水爆禁止運動を抑えるため、原子力に好意的な世論を形成するために、日本の原発が推進されたという歴史を確認することによって放射能の被害を根絶し、原発ゼロの運動と、原水爆禁止運動が連帯する位置付けがはっきりする内容となっている。

③被爆の実相を伝えることについては、命の限り証言の先頭に立つ被爆者の体験・思い・人生を受け止め、受け止めた責任として私たちが伝えていくとともに、高齢化が甚だしい被爆者への聞き取りなどを(急ぐ)ことが重要だと考えているなどがありますが、全体として活用しやすくなっているので、愛知でもしっかりと普及し、学習の場で活用を進めていきたいと思います。

(愛知県原水協事務局長・嶺村君代)

核兵器と原発の根本から最新の到達点まで深く情勢を学べる

昨年の総選挙の結果、安倍政権が誕生。「核武装」を主張する日本維新の会が54議席を占めました。核武装を掲げる政党の進出に危機感を覚えます。この勢力は憲法破棄・改正を強く主張しています。今年の3・1ビキニデー集会は、パンフレットの9~11ページに記載されているように、「平和への逆行を許さない・憲法9条と『非核三原則』の輝く日本を」めざす集会としましょう。

また、同パンフの4~5ページに「ビキニ事件は終わっていない・・・人類と文明をまもる新しい歴史の出発点」とありますが、文字通り1954年3月1日のビキニ環礁での水爆実験の衝撃から原水爆禁止のたたかいは全世界に広がり、今日まで継続されています。

パンフの12~13ページは「原発ゼロへ!!放射能の被害根絶」を示し、中でも「核兵器製造のポテンシャルは(原発・核)保持する―政府・支配層のねらい」のカコミ記事は核兵器と原発の関係の根本を明らかにしています。深く情勢を学べるこのパンフレットを大いに普及したいです。

(東京原水協事務局長・石村和弘)

全体を読み合わせるだけで今年の3・1ビキニデーの意義がわかる!

今年の3・1パンフは、昨年末の総選挙の結果を踏まえた新しい情勢のなかでの核兵器廃絶運動の方向性が、わかりやすく書かれていると思います。

第一に「ビキニ被災事件がまだ終わっていない・・」とその全容解明が求められていること、閉ざされた蓋をこじ開けることの必要性が強調され、後半部分で原発問題にも触れ、核戦略上と経済的利益確保に加えて国民の世論を鎮静化させる目的で、ビキニ被災事件の時点から原発の導入が始まったこと、まさに「ビキニとフクシマはつながっている」ことがうかがえるものとなっています。

第二に、国際政治の舞台では、なかなか新たな進展が見られない中、マレーシア提案の「核兵器全面禁止にいたる交渉開始」決議への賛成票が増える、スイスなど34カ国+1の人道的側面からの「核兵器非合法化」共同声明など核廃絶への努力と前進がみられ、「一部の核保有国が決断すれば、核兵器全面禁止への道が一気に開かれる」情勢にあることが明らかにされていることです。

第三に、こうした情勢のもと、世界唯一の被爆国として日本政府がこの運動の先頭に立つことが求められており、草の根からの運動で日本政府を動かすことの必要性が、「改憲」を主張する安倍内閣の誕生の中でいっそう強く求められていること、原発ゼロなどの運動と連帯した闘いで局面を打開しようと訴えられたものになっており、全体をみんなで読み合わせるだけでも今年の3・1の意義が分かるものとなっていると思います。

(静岡県原水協事務局長 大牧正孝)

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【奈良】大和高田市成人式会場前で「核兵器全面禁止 アピール」署名と「原発ゼロ」署名を呼びかけ

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大和高田市原水協は1月13日、大和高田さざんかホールで行われた成人式会場前で平和宣伝を行い、「核兵器全面禁止のアピール」署名と「原発ゼロ」署名を呼びかけました。

平和委員会、新婦人、民医連などの共同行動で10人が参加。着物姿に刀を差した若者に「剣で人は救えないよ。これ(核廃絶署名)で世界を救おうよ」と呼びかけると「そういやそやな」と署名に応じる姿も。57筆が集まりました。また、あわせて「憲法豆本」100部を配り切りました。

(大和高田市原水協事務局長・高崎大史)

【熊本】九州豪雨災害で被災した阿蘇の仮設住宅全世帯に募金でちひろカレンダー届ける

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熊本県原水協は2012年12月30日、九州豪雨災害で被災し、阿蘇の仮設住宅で避難生活を送られているみなさんに、「いわさきちひろカレンダー」を届ける活動にとりくみました。このための募金を多くの人たちに呼びかけ、48世帯全員に届けることができました。

温かいちひろさんの絵は好評で「とても嬉しいです」「綺麗な絵ですね」など、わずかな時間でしたが微笑みを共有することができました。寒風の中の避難生活はまだまだ厳しそうです。ちひろさんの絵でみなさんの心や体を癒してほしいと願いました。

(熊本県原水協事務局長・川端眞須代)

 

【長野】栄村被災者に支援募金とちひろカレンダー贈呈──長野県北部地震被災地への支援として

東日本大震災の翌日に起きた長野県北部地震で被災した栄村被災者への支援として、長野県原水協では、支援募金とちひろカレンダーの贈呈にとりくみました。

支援募金は、長野市原水協が独自にとりくんだもので、長野県原水協を通じて5万円を栄村に贈り、島田茂樹栄村村長から感謝とお礼の手紙が届きました。

カレンダー贈呈では、全県にワンコイン募金を呼びかけて集まった募金をもとに、仮設住宅から災害公営住宅に移り、久しぶりに新年を自宅で迎える被災者の皆さんを中心に、40本のカレンダーを贈りました。

年末は例年にない豪雪で村を訪問してお届けするのが困難であったため、栄村の村長・副村長・職員の皆さんに各住宅へ配っていただくことになりました。

村は大変な豪雪地帯であるとともに、高齢化と過疎の進む中で、大型合併でなく「小さくてもキラリと光る村づくり」をめざして自立を選び、住民本位・住民参加の民主村政が続けられてきた結果、いまでは「絵手紙での村づくり」でも全国的に有名になっています。

(長野県原水協事務局長・丸山稔)

【福島】ちひろカレンダーをいわき市の福祉作業所へ贈呈。みんな大喜び/楢葉町仮庁舎で副町長さんに面会し150本贈呈

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12月28日、日本宗教者平和協議会の森修覚事務局長と福島県いわき市に実家のある青年の佐藤聡さんが同市を訪問し、福祉作業所「りんべるハウス」と楢葉町へちひろカレンダーを届けました。今回、岩手自治労連・岩手の各単組、日本宗教者平和協議会、RingLinkZero核兵器なくそう青年実行委員会、京都原水協、大阪原水協から集められた募金で200本が贈呈されました。12月28日現在で、贈呈は2500本に達しました。

▲宍戸副町長(右)にカレンダーを手渡す森日本宗平協事務局長

いわき市内の楢葉町役場仮庁舎で、仕事納めの多忙な中でしたが、生活支援課課長補佐の磐城さんに応対していただきました。宍戸陽介副町長に面会でき、森さんから、日本原水協の被災地カレンダー贈呈キャンペーンの趣旨を説明し、町役場でも配布にご協力いただきたい旨をお願いしたところ、宍戸副町長は「責任を持って配布します。ありがとうございます」と述べ、ちひろカレンダーを受け取りました。

さっそく磐城課長補佐から「仮設住宅は12カ所ありますので、集会所等で必要な方に配布できるように対応します」と返答をいただき、150本を贈呈しました。

うれしくて握手を求め、「ありがとう」の言葉に感動!

役場仮庁舎を後にして、日本宗平協会員の早川篤雄(浄土宗宝鏡寺住職)さんが理事をしているいわき市内の福祉作業所「りんべるハウス」へ向かいました。訪問した時は入所者と職員25~26人で年末の大掃除をしている最中でした。ちょうど休憩の時間になったので、早川さんからご紹介いただき、森さんから、「ちひろカレンダー」を全国の仲間から預かってきたこと、楢葉町のみなさんの姿を見て自分自身が励まされたことを述べ、一人ひとりにカレンダーを手渡しました。

▲入所者にカレンダーを手渡す

うれしくて握手を求めてきたり、「ありがとう」とお礼を述べるなど、入所者全員が大喜びでした。

「りんべるハウス」には知的・精神障害を持つ方たちが入所しており、原発事故前は97人が入所していましたが、現在は40数人が働いています。職員の方も事故前は22人が勤めていましたが、今は15~6人が避難しながら勤務しています。まだまだ入所が増える見込みで手狭になってきているので、役場に仮設の作業所をつくってほしいと要望しています。(森修覚、佐藤聡)

【宮城】被災地に届いた愛と平和のメッセージ!宮城県塩釜市、南三陸町の仮設住宅へカレンダー400本

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宮城県原水協は、このほど全国の原水協のご支援で寄せられた「ちひろカレンダー」を持って、大震災の被災地の仮設住宅を訪問・お話しを聞きながら贈らせていただいています。

塩釜市の4つの仮設住宅を訪問し、75軒の人たちとお話ができました。子どもと一緒にいた女性は、「ちひろの絵は大好きです。本当にいただいて良いのですか?」と喜ばれ、「今年はどこからもカレンダーが届かないの。被災も風化してゆくのですかね」と寂しそうに話していました。

南三陸町歌津の中心部伊里前には、津波で約300軒が流され、地盤沈下で今も家の土台が海の中に沈んでいる所ですが、17軒の人たちが声をかけ合い、助け合って仮設住宅で暮らしています。「被災当時は、あまりのことにただ呆然とするだけでどうしていいか分からなかったけれども、ボランティアの方々に支えられたことが生きる力になりました」と、皆さんが話しています。ここに住む2人の方は、「平和行進」に参加していた縁もあってちひろカレンダーの贈呈には感激していました。

その向かいの仮設には、役場に勤務していた人柄が良いと評判のお嫁さんを津波で亡くし、毎日閉じこもって泣き暮らしていたおばあさん、高校生と小学生の孫を残されて悲嘆にくれていたおばあさんに、まわりの人たちがいつも声をかけ見守り続けて来ましたが、この頃やっと笑って支援者にも顔を見せてくれるようになりました。

▲カレンダーを手に

50代の女性は、「また孫が生まれるので、可愛いちひろカレンダーをいただき嬉しい」と言っていました。この方は、夫婦で高台移転のために努力、「やっと2カ所の着工の見込みにこぎつけた」といいます。息子さんは、シンガーソングライターで、福島原発事故に思いを寄せて歌をつくり、歌津被災の歌を志津川高校生とともに作って「心和む歌声」と評判になっています。

仮設の「皆さんの面倒見がいい」と評判の女性は、「この山に(高台)移転することは決まっているが、まだ整地されていない状態ですよ」と話していました。ここの仮設32世帯にちひろカレンダーを配ってもらったら「ちひろの絵が好きな人が何人もいて『わぁーっ!!』と歓声を上げて喜ばれた」と報告がきました。

▲おじさんと2人で

どこでも「今年はカレンダーがないね」と言っていた矢先に「ちひろカレンダー」が届き大喜びされています。

贈っていただいた皆さんありがとうございました。

2012年12月28日 宮城県原水協事務局長・熊谷正治

【塩釜、南三陸町へのちひろカレンダー贈呈は以下の皆さんからの募金で贈られました】

日本医労連、奄美医療生協、出版労連、京都原水協、愛知県原水協、三重県原水協、広島県原水協、福岡県原水協、熊本県原水協、宮崎県原水協、理想科学工業、かんきょうムーブ、兵庫・兵頭さん、山梨・野口さん、名古屋・市丸さん、小林洋二さん、国会議員秘書

愛と平和のちひろカレンダーを陸前高田市の仮設住宅と保育所、飯館村の小・中学生に届けました

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日本原水協は「ちひろカレンダーを被災地に贈るキャンペーン」をとりくんでいます。都道府県原水協や民主団体、労働組合の協力で、現在66箱(1650本)のカレンダーを贈ることができ、引き続き募金が集まっています。

11月3日には福島県南相馬市(125本)、12月5日には福島県浪江町(550本)を訪問し、仮設住宅を訪ねて被災している住民の方々に直接カレンダーを届けてきました。浪江町では馬場有町長とも懇談してきました。私は12月17日、18日と岩手県陸前高田市と福島市内の仮設庁舎で学ぶ飯館中学校を訪問してきました。田中章史事務局員のレポートです。

陸前高田市では戸羽太市長にも手渡す

12月17日には岩手自治労連の協力もいただき、渡辺孝文書記長の案内で、岩手県原水協の津村喬事務局長と甚大な津波被害を受け、復旧に向けてとりくみをすすめている陸前高田市を訪問し、自治労連陸前高田市職員労働組合の菅原正弘委員長と日本共産党市委員会の藤倉了介さんの協力も得て、戸羽太市長、山田市雄教育長にも会い、教育長には15か所の小中学校分のカレンダーを渡し、公立・私立の保育所9か所と滝の里工業団地仮設住宅には直接訪問しました。

「うわぁ!ちひろの絵だぁ。かわいい」

4か所の公立と5か所の民間保育所を訪問しました。園長先生たちは「私この絵が大好きなの」「今年もいただけるなんて本当に嬉しい。素敵な絵ですからこどもたちも喜んでくれます」「(月が終わったら)切り取って額に入れて、保育室に飾っています」など大歓迎していただけました。またある園長は「仮設に住む方から今年も欲しいっていわれていたので、岩手自治労連に電話しようと思っていたの」と、ちひろカレンダーが仮設住宅で困難な生活を強いられている住民の心の「オアシス」にもなっていることを実感しました。

また、他の園では年長の子どもたちも寄ってきて「うわぁ!ちひろの絵だぁ。かわいい」と言いながら一緒に写真撮影もしました。子どもたちは明るく元気いっぱい頑張っていました。

「こんなもの(核兵器)はなくさねばねえ! 戦争は起こしてなんねぇのさ」

滝の里工業団地仮設住宅では、小野田高志自治会長が迎えていただき、お住まいの方を訪ね、カレンダーと核兵器全面禁止のアピール署名を手渡してお話を伺いました。「いやあ!このカレンダーはいいねぇ。ありがとうございます。部屋は4.5畳二つと6畳の3部屋で、6人が暮らしていますが、高校生の子どもが2人、小学5年生1人で寝る時などは歩く場所もないし、高校生とはいってももう大人なのでいろいろ気を使います。それにしてもこれ(核兵器)は早くなくさねばねぇ」とカレンダーと一緒に届けた「核兵器全面禁止のアピール」署名のタイトルをみて話してくれました。さらに「また戦争みたいなものは起こしてなんねぇのさ」とも話されました。

自治会長も「震災も大変だったが、福島はよけいだもんねぇ」と原発事故による福島県民の被災、暮らしの状況に思いを寄せ、核兵器も原発もなくさないといけないと署名への協力を約束してくれました。

木のぬくもりを感じる仮設校舎で、2年生の女子生徒は「やさしい絵ですね」と受けとってくれました

18日には、福島県飯館村の教育委員会とも相談して、小・中学校生徒全員の350人にちひろカレンダーを届けました。福島県原水協の二階堂次男代表理事、石堂祐子事務局長、庄司正樹事務局員と一緒に、福島市内にある仮設の飯館中学校を訪問しました。教頭の稲川竜寿(いながわりゅうじ)先生と2年生の2人が私たちを迎えてくれました。

稲川先生から、3・11当時の村の状況、その後の避難の実態などのお話を伺いました。

3・11の地震は飯館村ではほとんど被害もなく、浜の方から避難してきた人たちへの炊き出しなどを外でおこなっていました。東電福島第1原発から40キロ圏の飯館村にまさか放射能が降り注いでいるなんて夢にも思わなかったとのことです。放射線量が高いことがわかった後、「外には出るな、外では頬かぶりをしろ、肌を露出するな」などの指示がありました。学者も、国も、誰を信じていいのかわからない状態で、各地に避難する人たちも出る中で、村ははじめに子どもたちの避難を考えて学校の移転場所を決めてくれました。これで8割の中学生は戻ってくることができたのです。しかし初めは県立川俣高校の体育館をお借りして、6クラスが4つの部屋で授業をしていました。1年4カ月の期間、トイレも工事現場のような仮設でみなさんはたいへんな思いをしていました。

ホッと落ち着き、部活も活発に

この仮設校舎に来た時の生徒たちの表情は「ホットして落ち着いた」という感じでした。とにかく廊下もありますし、木のぬくもりもあり、みんなノビノビとしてきました。部活などもいろいろな施設をお借りしていましたので移動の時間もかかり、なかなか部活動はできないできましたが、ここではそんなことも解決していま部活を楽しんでいます。

飯館の人たちは、お年寄りは仮設住宅、若い人や子どもたちは借上げ住宅に住んでいますので、朝は9本のスクールバスで子どもたちは登校してきます。いま学校ではホームページを作り、子どもたちの様子を発信して、遠く離れてくらす飯館村の人々や友達、そして支援していただいた人々へのメッセージにしています。

最近は子どもたちが仮設住宅のお掃除をするということをやりました。親やお年寄りの皆さんからは、「中学生がこれだけ前を向いているのだから、おれたちもいつまでも下を向いているわけにはいかない。元気をもらった」との声がたくさん寄せられました。

村民のみなさんに元気を発信したい

吹奏楽部でフルートを吹く女子と、テニス部の男子の2年生2人は、「引っ越しが決まった時は嘘だろうと思った」「ふるさとに早く帰りたい」と話しながらも、「仮設の人たちに元気が出るような活動をしたい」「みんなに歌を歌って元気を発信したい」「他県に行った友達に手紙を書いている。一緒の高校に行こうねと話している」など前を向いて、村民のみなさんの思いにこたえようとの積極的な姿勢を感じました。みなさんと写真を撮ったあと、2人の生徒はカレンダーを見ながら、「やさしい絵ですね」と感想を話してくれたので、いわさきちひろさんの平和や子どもたちへの思いと、被爆者の方々が地震と津波、福島原発事故を見て、あの日の広島や長崎とダブって見えたと言っていることも伝え、元気に頑張ってと握手をして別れました。

職場で募金を集め、被災地同士の交流も!

今回のとりくみでは、自治労連本部の協力もいただきました。福島県浪江町へは岡山県高梁市職出身の岡崎加奈子青年部書記長も一緒に参加し、高梁市職員組合は職場に一人500円の募金を呼びかけて13万円もの募金を集めてくれました。陸前高田市へのとりくみでは岩手自治労連が県内の加盟単組へ募金を呼びかけて、300本分の募金を集めてくれました。岩手と福島の被災地同士の交流もということで、岩手自治労連と大船渡市職労からは福島県飯館村の子どもたちへ、福島自治労連と郡山市職労、二本松市職労からは陸前高田市にカレンダーが贈られました。

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浪江町仮設住宅に愛と平和のちひろカレンダーを届けたみなさんの感想

日本原水協は12月5日、福島県二本松市にある浪江町庁舎を訪問し、馬場町長と懇談するとともに、150世帯の被災者が暮らす仮設住宅を訪ね、自治会の役員の方とともに一軒一軒訪ねて、ちひろカレンダーにお見舞状、「核兵器全面禁止のアピール」署名をそえて手渡し、実情をお聞きしました。参加者の感想を紹介します。

▲杉内仮設住宅の皆さんと 一日も早く人間らしい生活が出来るようにしてほしい

馬場町長との懇談という大変いい機会に恵まれました。日本原水協の方々には本当にお世話になりました。

仮設住宅は、二本松の中でも一番交通の不便なところで、なおかつ標高が一番高い。山林に囲まれて、夏は仮設住宅の床下からムカデなど虫が這い出てくるそうです。生活環境が悪いこの場所で住み続けるのは健康上良くない。一日も早く人間らしい生活が出来るようにしてほしいです。

(二本松原水協代表 伊藤 絋)

 

▲馬場町長と懇談

町長の国連人権委員会での発言ぜひ実現して欲しい

浪江の馬場町長と懇談、仮設住宅の訪問と短い時間だったが有意義な時間でした。馬場町長との懇談で、日本原水協から「国連の人権委員会での発言」を提案され、大変画期的な事で、是非実現して欲しいです。町長が「皆さんのご支援に一日も早くお返しが出来るようにしたい」と述べたことが印象的でした。

また、仮設住宅を訪問する中で、自宅があるのに何故ここに住まなくてはならないのか、早く故郷に帰って畑をやりたいというお年寄りが多く、あらためて怒りがこみあげてきました。これからますます寒くなる中お年寄りの健康が心配です。

(二本松原水協事務局長 柴田 敏夫)

 

▲カレンダーを馬場町長に手渡す福島県のみなさん

東電の役員は仮設住宅に住んで住民の痛み知るべき

やっと馬場町長との懇談がかなってほっとしましたし、お話を直接聞けて本当によかったです。仮設住宅での「原爆写真展」の開催と署名活動にむけたとりくみに弾みがつきました。準備に取りかかります。

訪問した仮設住宅は、二本松市内とは聞いていましたが、こんなにも町場からはなれた交通の便の悪いところとは思いませんでした。訪問し、お話ができた方はほとんどお年寄り。「5年は帰れないと聞いた時ショックだったが、いま、10年はだめかもしれないとあらためて聞かされて、生きる気力がなくなっちまった」というおばあちゃん。ここに避難してきてから亡くなったお年寄りが何人かいたそうです。避難されている方の苦労、不安がこれほどまでに深刻になっていることにあらためて触れました。東電の役員は仮設住宅に住んで、住民の痛みを知るべきです。

(福島県原水協事務局長 石堂 祐子)

 

▲カレンダーを受け取る杉内仮設住宅自治会役員の皆さん

これからも避難者に思いをはせながら

私はこれまで、自治労連が行っている「自治体キャラバン」において、県内各地の首長をはじめ、被災自治体(原発事故により役場機能ごと移転している自治体)の首長と懇談する機会がありましたが、浪江町長との懇談は初めてでした。特に、浪江町長は原水爆禁止世界大会に自ら参加し、壇上で発言をするなど、国内外に強く浪江町の現状を発信するため行動する首長であることから、とりわけ原発政策や町がおかれている現状についての発言には、どんな言葉が出るのか期待するところでした。

特に印象に残っていることは、「放射線健康管理手帳」を全町民に配布し、日々の行動等を住民自ら記録するとりくみでした。加害者である国や東電が県民の被曝に責任を持つことは至極当然であるにもかかわらず、具体策を示すこともできず、そうかといって何かを模索している様子もない中で、自治体が率先して住民の健康を守るという姿勢は、本来の自治体のあり方そのものであり、私は国や東電と浪江町とのコントラストは一層際だったように思います。

仮設住宅訪問では、平日の日中ということもあり留守宅が目立ちましたが、行動の中で数人の避難者と対話ができました。その中で、避難者が抱える共通の思いは「早く浪江に帰りたい」という一言に尽きるのだろうと感じました。住民自らの運動などにより「壁に断熱材を入れてほしい」「お風呂に追い炊き機能を付けてほしい」といった物理的な要求はおおよそ解決されているようでしたが、いつまでも仮設住宅に住み続けるわけにはいきません。この事故により家族がバラバラになっている(物理的にも精神的にも)と訴える方もいましたが、少なくない住民がそうした生活を強いられているのだろうと思うと居たたまれなくなりました。

私自身も原発事故の被害者ではありますが、一日も早い原発事故の収束と浪江町への帰還を実現するため、これからも避難者に思いをはせながら活動していきたいと思います。

(郡山市職員労働組合執行委員 影山 和哉)

 

▲一軒一軒訪ねてカレンダーを手渡す

復興のために人員派遣する自治体職員として、一人の国民として被害にあった方々の側にたって行動したい

この度は、このような企画に参加でき、大変有意義な経験となりました。

馬場町長との懇談では、自治体として原発事故に対する様々な施策や、国、東電に対しての要請など、私たちの想像以上の困難さがあると感じました。実際お会いしてお話しいただき、町長の想いをお聞きすることができてよかったです。以前馬場町長が話されていた、「浪江町に帰るといっても意見は様々、帰りたいという人もいれば戻りたくないという人もいる」という住民の意見は、この原発事故を受けよくわかります。そのそれぞれの想いを形作っていく行政を担う町の役割は計り知れないものと思います。町長が言われていた「今、福島の人たちは避難生活を強いられて、生活が壊されている。人として、生存権、幸福追求権、財産権、今福島の人たちの人権は守られていない。今の福島の現状を是非世界にも発信していきたい」という言葉は、心に響きました。仮設住宅を目にした時、そこに住む人々の『福祉』が本当に守られているのかといつも感じます。最低限住むところもあり、寒さもしのげるかもしれませんが“その人らしい生活”は、仮設住宅で実現できるでしょうか。出身単組でもある自治体の高梁市として、2011年の6月から現在もなお、行政派遣として職員を送っています。送りだす自治体も人員が有り余る状況とは言い難いですが、復興のための支援を現在も行っています。そのおかげもあり、労働組合としても、職員団体としても浪江町職員の方々とは少しずつつながりができていることをうれしく思います。その反面、同じ自治体職員としての大変さも感じます。自治体職員として、また一国民として今後、どういう支援が必要か考えさせられました。

仮設住宅では、住民の方から「もともとは浪江町の津島にいたが、二本松の仮設住宅がある場所は寒くて、昨年は仮設住宅自体が夏用の作りで生活が耐えられなかった。今は、断熱材が入って多少まともになった」「買い物に行くにも車でないといけない。バスが仮設住宅から週に数回出ているが、たくさんの買い物は出来ないので困る」「両親とは別で生活している。仮設住宅は狭くて正月もみんなで集まることもできない」など、直接お話しすることで様々な声を聞き、いろいろ知ることができました。今もなお帰れない状況、それは原発があったからです。核兵器も原発事故も放射線の被害は想像ができません。町長も町民の健康が心配と言われていましたが、何が起こるかが分からない、人によって様々な症状、発症の差があるということが、放射線被害の恐ろしいところです。実際、原発が爆発した際に受けた放射線や、今もなお恒常的に受け続けている放射線のことを考えると町民の方々の健康が心配です。様々な人々のそれぞれの言い分はあるかもしれませんが、原発問題を考える時、今の原発事故で被害に遭った福島の方々等のことを思えば、再稼働や再建設などできないはずです。人の命をうばうようなエネルギーは絶対なくすべきです。改めてそう感じました。平和利用といわれる原発でさえ、なくさなくてはいけないと考えるのだから、核兵器のような人殺しの兵器はあってはなりません。原発ゼロとあわせ、核兵器がない世の中になるように今後とも行動をしていきたいと思います。

大変お世話になりました。ありがとうございました。

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