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原水協通信

毎月発行している日本原水協の機関誌です。国内外の反核平和運動についての情報が満載です。 日本原水協のウェブサイト→ http://www.antiatom.org/

「核兵器の全面禁止を!」

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【平和行進】南相馬市小高区を行進-福島県浜通りコース

小高目抜き通り

▲人気のない目抜き通りを行進

2014年原水爆禁止国民平和大行進・福島県浜通りコースの2日目の6月23日は、相馬市松川浦を出発し、相馬市内、南相馬市内を行進しました。

南相馬市小高区では、震災前は町一番の繁華街だったJR小高駅から続く商店街を行進しました。人通りはまったく途絶え、傾いて倒壊寸前の建物や、商品の学習机や本棚が将棋倒しになった家具店などが残ったままです。昨年4月に警戒区域の指定は解除されたものの、日中の立入はできますが、今も居住・宿泊はできません。

行進後の交流会では、南相馬の渡部市議、地元実行委員会の方々から、3年後も仮設住宅の生活を続ける住民の苦悩と現状を聞くことができました。南相馬市役所では、市長代理と懇談し、平和行進への支持・賛同と、原水爆禁止世界大会への桜井勝延市長の出席を要請しました。

▲南相馬市役所での要請の様子

【平和行進】宮城から福島へ引継ぎ-福島県浜通りコース

引継ぎ

▲新地町役場前で宮城県からの引き継ぎ

2014年国民平和大行進・北海道-東京コースは6月22日午後、福島県新地町役場前で、宮城県からの引継ぎ集会をおこない、福島県浜通りコースの行進が開始されました。

福島県浜通りコースの被災地連帯行進は今回が3度目です。引継ぎ集会は、東京からかけつけた南部合唱団メンバーの和太鼓で始まり、宮城県、福島県の行進者のほか、兵庫、静岡、大阪など各地から駆けつけた連帯行進者、約100人が参加しました。

▲南部合唱団メンバーによる和太鼓演奏

北海道-東京コース通し行進者の山口逸郎さん、地元福島県原水協の二階堂次男代表理事、新地町の井上和文町議、相双地区平和行進実行委員会の大内秀夫さん、日本原水協の高草木博代表理事らがあいさつしました。この日、行進団は新地町から相馬市内を歩きました。

▲浜通りコース行進スタート(先頭横断幕を持つ左端は高草木日本原水協代表理事、一人おいて通し行進者の山口さん)

【平和行進】もうがまんできません!生活と生業を取り戻そう!核も原発もいりません! 2014年被災地平和行進(福島)ツアーに参加してください!

平和行進福島支援行動チラシ

▲クリックするとPDFファイルが開きます。

国・東京電力の責任を問う福島原発被害東京訴訟の第6回期日及び報告会開催

国と東京電力に対し、避難区域の内外を問わず、すべての原発事故被害者への完全な賠償と、事故前の当たり前の暮らしを取り返すことを求めて昨年3月11日に訴訟を起こし、現在282人の避難者・被害住民の方々がたたかっている福島原発被害東京訴訟は5月28日、午前10時から東京地方裁判所103号法廷で第6回期日があり、原告及び弁護団から意見陳述がおこなわれました。

「私は普通の暮らしがしたい」と切り出した原告の女性は、原発事故でごく普通の生活を奪われた思いを時おりハンカチで涙をぬぐいながら次のように訴えました。

2011年3月11日の東日本大震災に続き、14日に東京電力福島第1原発事故が発生したことを受けていわき市を離れることを検討した。しかし、一緒に住んでいた祖父母は避難できないため、母親から「あなたたちだけでも逃げて。親は子どもを守る義務がある」と言われて泣く泣く当時2か月だった娘と夫と避難をした。先の見えない避難生活に加えて、いわき市に戻った夫が4歳になった娘の成長していく姿を見ることができない苦悩を抱えている。第2子を授かったが流産してしまった。頭痛や胃痛で2年間病院に通い、薬を飲まないと寝られない。家族がたくさんいるいわき市で美容院を開くという夢があったので、賃貸住宅を2011年3月12日に契約することになっていたが、そこでは一度も親子3人で暮らしたことがない。今の夢は娘が健康に成長し、結婚して子どもを産むこと。放射能に汚染されていない環境に住まわせてほしい。

意見陳述が終わった直後、傍聴席から起こった拍手が法廷の中に鳴り響くという異例の事態が起こりました。

原告代理人の平松弁護士からは、東京電力が津波対策を怠ってきたこと、被告である国は責任に対して認否すらしておらず、訴訟を遅延させていることを指摘し、無責任・不誠実な態度を改めるよう訴えました。

また、5月21日に関西電力大飯原発の再稼働差止め訴訟の判決文を引用しながら、裁判所に対して根拠のない「安全神話」にとらわれることなく判断してほしいと求めました。

裁判の後は弁護士会館に場所を移し、報告会がおこなわれました。

冒頭、原爆症認定集団訴訟の弁護団活動に携わってきて福島原発被害東京訟弁護団の事務局長を務める吉田悌一郎弁護士から裁判の説明がありました。

意見陳述をおこなった原告の女性からは「今でも胃がひっくり返りそうだし、手が震えている。この2か月間、原稿をまとめる作業に負荷がかかっていた。最初はもう少しヘビーだったが、担当弁護士と相談する中でソフトになった。言いたいことが100%言えたわけではないが、やって良かった」という感想が語られました。

裁判の傍聴に初めて参加したという一橋大学の大学院生は、「これまでなかなか当事者からナマの声を聞く機会がなかったので、非常に貴重な経験だった」「この裁判で原告と被告の間に食い違いがあるということが明らかになったので、プロセスを重視しながら研究者として見届けたい」と感想を語りました。

次回(第7回)の裁判期日は8月28日(木)午前10次より、東京地方裁判所103号法廷でおこなわれます。

お問合せは、電話:03-5363-0138、FAX:03-5363-0139 〒160-0022 東京都新宿区新宿1−11−12岩下ビル4F オアシス法律事務所内

Mail:shutokenbengodan@gmail.com

原発被害東京訴訟提訴説明会

6月1日には、避難者の皆さんが完全な賠償を求めていくための考え方や、裁判の方針、東京訴訟の追加提訴に参加する方法などの説明があります。 日時:6月1日(日)午後2時30分〜 会場:TKPスター貸会議室お茶の水駅前(東京都千代田区神田駿河台2-1-18常和御茶ノ水ビル2F) http://www.kaigishitsu.jp/room_ochanomizu.shtml

『【ビキニ水爆被災60年】 2014年3・1ビキニデー集会の記録』発行

14.3.1記録申込書

▲クリック(PDF)

今年のビキニデー集会はビキニ水爆被災60年にふさわしく、その歴史と教訓を確かめ合う記念すべきものでした。マーシャル諸島・ロンゲラップ島を訪問中の元第五福竜丸乗組員の大石又七さんをはじめとする日本原水協代表団からの現地報告や、初めてビキニデー集会に参加した池田正穂さんのお話と、見崎進さんご夫妻のビデオメッセージ、安斎育郎さんの基調講演「ビキニ被災60年の検証とこれからの原水爆禁止運動」など充実した内容です。

また、2月27日におこなった日本原水協全国集会・国際交流会議でのジョゼフ・ガーソンさん、マラヤ・ファブロスさん、美帆シボさん、高草木博さんの発言と、28日の日本原水協全国集会・全体集会での安井正和事務局長の基調報告、さらにやんばる統一連代表の吉田務さんによる名護市長選挙をたたかった報告も全文掲載しています。

南太平洋ビキニ環礁でのアメリカの水爆実験に抗議して広がった原水爆禁止の署名運動は、核兵器全面禁止の声を世論の大勢とし、平和と民主主義への逆行、憲法改悪の手を抑え、国際的にも核兵器の使用を断念させた壮大なたたかいでした。

いま安倍内閣が憲法改悪、海外で戦争できる国づくりをすすめる中で、私たちの運動のあり方を考える上でも大変役に立つ内容です。

8月の原水爆禁止世界大会の成功から来年のニューヨーク行動へ、地域で署名を広げ、世論をつくるため、是非ご活用ください。

●B5版、92ページ。 ●頒価:700円(送料実費) ●発行:原水爆禁止世界大会実行委員会.3・1ビキニデー静岡県実行委員会 お申し込みは、FAX:03-5842-6031、またはEメールでお寄せください。 E-mail: antiatom55★hotmail.com ★を@に変えてください。

【日本原水協】衝撃のドキュメンタリー映画『不毛の地』DVD発売!

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アニメーション映画監督の有原誠治さんが日本原水協と協力して作ったドキュメンタリー映画『不毛の地』DVDが納品されました。

今話題のロシア政府が自国民に対しておこなっている衝撃の事実を、広島・長崎の原水爆禁止世界大会に参加したロシアのNGOの人たちが中心になって暴いていく内容は、いやが上にも東京電力福島第一原子力発電所事故の被災者のみなさんが直面している現在と私たちの未来に重なります。

コメント、連絡をいただければ、頒価3500円(送料実費)でお分けします。

ドキュメンタリー映画『不毛の地』公式ウェブサイト

http://wasteland-fumounoti.blogspot.jp/

【日本原水協事務局】福島県原水協作成の署名用紙を使って署名行動

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日本原水協事務局は3月6日、【被災60年】2014年3・1ビキニデー直後の行動として、上野公園口で6・9行動をおこないました。

北風が吹く寒い中でしたが、福島県原水協がビキニデーでも紹介した「福島から国連に届けよう『核兵器全面禁止』の声を!」という独自の署名用紙を使って署名を集めました。

「あなたの署名をニューヨークの国連本部に届けます」との呼びかけに、美術館に行ってきたという中学生たちも「原子爆弾のことですよね?」「NGO知ってます」などと言いながら署名してくれました。

また、ロシア人女性は署名した後に、ロシアがウクライナへの軍事介入を決めたことを受けて、日本原水協としてウラジーミル・プーチンロシア大統領へ手紙を送ったことを話すと「ウクライナへの攻撃はダメ」と話していました。

行動には、日本平和委員会、婦人民主クラブ、日本宗教者平和協議会、上野の森に「広島・長崎の火」を永遠に灯す会、東京原水協から16人が参加。署名33筆、募金1000円が寄せられました。

日米政府の隠ぺい体質 今に続く核汚染を告発 被災60年3・1ビキニデー広島集会に100人

広島ビキニデーで講演する山下さん

アメリカのビキニ水爆実験によって「第五福竜丸」など多数の日本漁船が被ばくしてからちょうど60年。広島県原水協は「被災60年3・1ビキニデー広島集会」を東区地域福祉センターで開催、100人が参加しました。集会はまず全員でヒロシマ・ナガサキ・ビキニの犠牲者、そして3・11東日本大震災の犠牲者に黙とう。大森筆頭代表理事が「ビキニデーは反核平和運動の大きな源流のひとつ。アメリカに追随して被ばくの実相を隠ぺいする日本政府を非核の政府に変えよう」と開会挨拶しました。

「太平洋核被災支援センター」の山下正寿事務局長が「核の海の証言~ビキニ・フクシマの海洋汚染を追跡して」とのテーマで1時間余にわたり講演しました。山下氏は「ビキニ事件は世界規模で核汚染を広げる始まり」とし、現役高校教師時代に幡多高校生ゼミナールの生徒たちとともに、水爆実験に遭遇した漁船員約300人から聞き取った結果、かなりの漁船員が40~50代で死亡していることを突き止めたが、日米両政府が情報を隠したために被害の全容はいまだに明らかになっていない、と告発。そして日本は東京電力福島第1原発事故の汚染水で、世界一放射能を垂れ流しており、政府や東電が都合の悪い情報を出さず、全容解明ができない恐れがある。がんの発症率を世界規模で高めてしまう核開発などもってのほかというのがビキニとフクシマの教訓と結びました。

集会はこのあと、被爆70年・2015年NPT再検討会議へ向けて、「核兵器全面禁止のアピール」署名の推進、原爆展の開催、ニューヨーク行動への代表派遣、原発即時ゼロへの諸行動への参加などを確認して終了しました。

【被災60年】2014年3・1ビキニデー福島県原水協・石堂祐子事務局長の発言

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2011年3月11日の東日本大震災そして東京電力福島第1原発の爆発事故からもうすぐ3年が経とうとしています。いまだに放射性物質は放出され続け、何億ベクレルという汚染水が地下水や海に流れ出ています。安倍総理は「汚染水はコントロールされている」などと言っていますが、まったくのでたらめです。事故は収束などしていません。メルトダウンした燃料棒がどんな状態になっているのかさえわからないのに、収束宣言を出した政府に憤りを覚えます。事故の処理を東電に任せきりにせず、国の責任において本気で世界の英知を集め、この難局を一日も早く乗り切って欲しい。まだ15万人がふるさとに帰れず、たまに様子を見に帰る我が家は、ネズミやイノシシなどに荒らされとても住めない状態になり、苛立ちと絶望を持ち帰る日々が続いています。小さな子どもを持つ親は子どもが成人しても放射能の影響を心配し続けねばなりません。また補償金をもらっても避難を余儀なくされ、仕事もなく生活の見通しが立たずに暮らしている人たちへの冷たい視線もあります。このことは、広島、長崎、ビキニ事件の被害者と全く同じです。放射能は、心やからだの健康だけでなく、地域のコミュニティを壊し、家族がバラバラにされ、人々が大切にしてきた日常のささやかな幸せを奪うものなのです。核と人間は共存できないことを私たち福島県民は身を持って証明いたします。

さて2月25日、原子力関係閣僚会議が「エネルギー基本計画」の政府案を決定しました。原発を「重要なベースロード電源」と位置づけて原発推進の方向をますます明確にしました。ここには福島原発事故への反省はまったく見られません。福島県復興共同センターは2月25日に政府と交渉をしました。政府から「これまでの『ベース電源』という表現から『ベースロード電源』に変えた」との回答に、出席者からは「そんな言葉遊びは要求していない」「原発はいらないと言っているんだ」と怒りの声が上がりました。いったい私たちが受けた苦しみはなんだったのでしょうか。住民を犠牲にしてもなお原発にしがみつきたいのでしょうか。

また先日おこなわれた東京都知事選挙。原発が争点の一つにもなったこの選挙の行方は福島でも関心をもって受け止められていました。立候補者の一人の田母神俊雄氏は「福島の原発事故で死んだ人はいない」と演説しました。彼は福島県出身です。この発言には福島の多くの人が唖然とし、悲しい気持ちになりました。実際には原発事故の関連死は1600人を超え、津波で亡くなった人の数を上回っています。何より原発の復旧作業に当たっている労働者は、高いレベルの放射線を浴びる作業を強いられています。下請け労働者は危険手当をピンはねされるなど、ひどい状況です。この事実を田母神氏が知らないはずはありません。彼が都知事にならなかったことをせめて喜びたいと思います。

この集会にお集まりの皆さん、新聞に「フクシマ」という文字を見つけたら読んでみてください。テレビで「フクシマ」のニュースがあったらちょっとの間でもいいので聞いてください。この先何年、何十年放射能と向き合っていくフクシマを忘れないでください。

さて、この3年間、福島はただ打ちひしがれてばかりいたわけではありません。福島県議会は事故のあった2011年10月に福島原発10基廃炉の決議を全会一致で可決しました。これは新日本婦人の会福島県本部が提出した請願です。さらに、昨年9月には「原発事故に関連する情報が秘密にされる恐れがある」との危機感から、国に対しこの法案に慎重に審議するようにとの意見書を提出し、全会一致で採択されました。11月25日には福島市で公聴会が開かれましたが、なんとこの公聴会は一般参加の募集はおこなわれず、住民を締め出す形でおこなわれました。7人の意見陳述者全員がこの法案に反対したにも関わらず、翌日国会での強行採決。こんな仕打ちがあるでしょうか。

続いて昨年の12月議会、福島県原水協が提出した請願「核兵器全面禁止のための決断と行動を求める意見書の提出」が県議会総務委員会において全会一致で採択されました。これら3つの請願はいずれも全国に先駆けての採択です。未曽有の放射能被害を被った県民世論が議会を大きく後押ししたことは間違いありません。福島ではかつてなかったこの一連の変化を何とか希望に繋げていきたいと思っています。

福島県原水協は、「原発も核兵器もいらない」「これ以上放射能による被害者を作らない」との願いをこめて、福島県版の「核兵器全面禁止のアピール」署名用紙を作成しました。2012年の原水爆禁止世界大会にも参加された、福島県浪江町の馬場町長さんが呼びかけ人のお一人になっていただいたことは、これまでの運動にはない出来事であり、私たちにとって大きな励みとなりました。福島県原水協は来年のNPT再検討会議までにこの署名活動に賛同する自治体の首長さんをたくさん募り、全自治体での原爆写真展を開催し首長さんと懇談し、署名を広げていく計画です。また、福島県内の「非核平和都市宣言文集」を現在作成中です。まだ「非核平和都市宣言」をしていない自治体にはこの「宣言文集」を配布し、県内全部の自治体が非核平和都市となるよう働きかけていく予定です。

福島県内では今もう一つ、「原発即時ゼロ 子ども・いのち・くらし守る署名」にもとりくんでいます。街頭では「核兵器全面禁止」の署名と合わせてとりくんでいます。福島県内外あわせて100万筆をめざしています。お集まりの皆さんのご協力よろしくお願いいたします。

核兵器も原発も人類とは共存できません。誰かの犠牲の上に成り立つ国益などあり得ません。皆さん、核兵器も原発もない世界を目指し、ともにがんばりましょう。

日本宗平協が楢葉町の障害者施設にちひろカレンダー届ける

希望の杜の障害者施設の方に、ちひろカレンダーを手渡す荒川庸生理事長

希望の杜の障害者施設の方に、ちひろカレンダーを手渡す荒川庸生理事長

日本宗教者平和協議会(日本宗平協)の荒川庸生理事長、平沢功副理事長、森修覚事務局長は12月16日、原発事故被災で避難から2年9ヶ月間、仮作業場でささやかな作業をしている楢葉町の希望の杜福祉会の障害者施設を訪問し、ちひろカレンダーを届けました。

また、楢葉町から避難している方々と懇談しました。「私は農家をしていました。毎日草むしりや、野菜の世話をしていました。今は何もすることもないので、体も心も荒んでいます。膝が痛く病院に行きますが、被災者という負い目を感じ、つらい毎日です」と語り、「正月10日間だけ帰っても良いと言うんですが、家はネズミの巣、糞で寝具から何まで用意し、掃除しなければとても帰れないし、小さい孫も呼べない」と正月を迎えるにも複雑な思いを訴えていました。

楢葉町から避難している方々にカレンダーを手渡す荒川理事長

この行動には楢葉町の早川篤雄宝鏡寺住職夫妻に協力をいただきました。核兵器をなくす思いを伝え、避難されている方々の思いをかみしめてきました。

(日本宗平協事務局長・森修覚)

【埼玉】旧騎西高校の双葉町避難所に「ちひろカレンダー」25本贈りました。あなたのお部屋にもどうぞ!!

131122_埼玉県原水協FAXニュース

 

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【佐賀】「核兵器廃絶」「原発再稼動反対」を訴えた6・9行動

佐賀県原水協は9月6日、佐賀玉屋前で6・9行動をおこないました。

信号待ちの人に訴え

12時からの行動の準備をしていると「玄海原発プルサーマルと全基をみんなで止める裁判の会」の皆さんとはちあわせ。せっかくだから一緒に宣伝行動をやりましょう、ということになりました。

原水協と裁判の会が交互にマイクをもって「核兵器廃絶」「原発再稼動反対」を訴えました。2つの団体が訴えるからやりづらいかなとも思いましたが、原発と核兵器は問題の根底が同じであることも訴えながら、署名活動やチラシ配布をおこないました。また、シリアへの軍事行動に反対することも訴えました。

いつもは宣伝活動が30分ですが今回は1時間。時間も長く、とりくむ人も多かったということもあり、署名数も32筆が集まりました。

「原爆と人間」写真パネルを補強して、椅子に貼り付けて『路上展示』をしました。

(佐賀県原水協事務局長・田中龍一郎)

【奈良】大和高田市原水協が夏祭り会場で平和風船を配りながら「核兵器全面禁止のアピール」署名行動

130711大中ちゃんちゃんセレクト¥130711 大中ちゃんちゃん行動㈬

原水爆禁止世界大会まで1ヶ月、福島原発事故から2年と4ヶ月となる7月11日、大和高田市原水協は大中春日神社で開かれた夏祭り縁日(大中チャンチャン)で核兵器廃絶をアピールする行動を行いました。

行動には10人が参加し、88筆の署名が集まりました。平和風船が子どもたちに大人気でした。

(大和高田市原水協事務局長・高崎大史)

【宮城】通り過ぎようとした女性が戻って来て「被爆の実相の話を聞いた事がある。原爆はなくさないとね」と話しながら署名。

宮城県原水協街頭署名

原水爆禁止宮城県協議会は7月9日、仙台市の繁華街・一番町のフォーラス前で「6・9行動」にとりくみ、「核兵器全面禁止のアピール」署名を訴えました。

まもなく広島・長崎への原爆投下から68年を迎えます。8月の「原水爆禁止世界大会を成功させるためにご協力を」と呼びかけ、また「日本政府を、唯一戦争で原爆を投下された国にふさわしく核兵器全面禁止・廃絶の先頭に立たせるように、ぜひ核兵器全面禁止のアピール署名に託してください」と訴えました。

立ち止まって聞いていた年輩の男性が「戦争を体験したひとりだが、憲法9条改正をやっちゃだめだよ」と語り、また、通り過ぎようとした女性が戻って来て「被爆の実相の話を聞いた事がある。原爆はなくさないとね」と話しながら署名をしていました。

この日は、参議院選挙の関係で20分程度の行動でしたが、35人の方々から署名と募金が寄せられました。

行動には、宮城一般労組みやぎ生協支部、宮教組、民医連、平和委員会などから12人が参加しました。

【国民平和大行進】「原発再稼働は許さない」との三春町長発言に要請した行進団から拍手が起こる

三春町長との懇談

▲三春町役場で鈴木義孝町長(中央)を囲んで懇談する平和行進参加者

2013年原水爆禁止国民平和大行進・北海道ー東京コースの福島県内中通りコース行進6日目の6月27日、三春町商店街を行進し、同町役場を訪問。福島県内通し行進者の田中詔子さん(愛知県瀬戸市)、京都府宇治市から参加の俊正とし子さん、同町内からの参加者など11人が鈴木義孝町長と懇談しました。

懇談の中で、三春町が東北電力の株主総会に提出する予定の要請文について、「原発の再稼働反対」と明記したことを話されました。町長は、当初「再稼働賛成」の要請文を作成しようとした職員に「三春町にこれだけたくさんの人が避難してきている状況で、再稼働はありえない。単に原発賛成か反対かの問題ではない。日本全体の問題でもあるのだからよく考えてみなさい」と言ったことを話されました。この発言には参加者から思わず拍手がわきました。

また、鈴木氏は「原発の交付金に頼らなくても、財政が苦しい自治体だって智恵と工夫、努力でいくらでもやっていける」とのお話しに、「こんな風に信念を持っておられる町長さん、是非がんばってください!」と参加者は大感激。県原水協も、「是非8月の原水禁世界大会へ」と参加を呼びかけました。