山口仙二   02.8.4 広島

世界大会広島開会式あいさつ

みなさん、こんにちは。

山口仙二でございます。

海外代表のみなさん、全国各地から参加されたみなさん

日本被団協を代表して心から歓迎のご挨拶を申し上げます。

核兵器のない、戦争のない世界を願う人ならば、一度は広島の土を踏んでいただきたいものです。広島の土に、あの日劫火の中でもだえ死んだまま、けっして弔われることのない無数の死者たちが眠っているかぎり、広島はつねに反核・平和の発信地でありつづけるでしょう。

あの8月、広島はまさしく生き地獄でした。7つの川は無数の死体に埋めつくされ、地上には黒焦げの、赤むけの、首のない、引き裂かれた、太鼓腹の、両眼の飛び出した、死体が散らばり、かつて人間の手で描かれたどんな地獄の想像図をもはるかに超える惨たらしく、恐ろしい世界が繰り広げられました。

 それは3日後、長崎でもういちどくリ返されました。そうした生き地獄をくぐりぬけた被爆者は、さまざまな後障害とたたかいながら、「この苦しみを他の誰にも味わわせてはならない」と、死者たちに代わって核兵器の緊急廃絶を訴えつづけています。

 私は14歳のとき、長崎で被爆しました。爆心地から1・1km

(0.   6マイル)でした。摂氏4000度の熱線にうたれ、上半身の

肉を奥ふかくまで焼かれました。40日間意識朦朧として生死の境をさまよいました。

 たくさんの人が苦しみもだえてつぎつぎに死んでゆくなかで、奇跡的に私は生きのびました。つぎつぎに襲う後障害の苦しさに何度か自殺を試みたことももありました。しかし、その都度何者かの力で引き止められました。死んでいったあの人たちが生かしてくれているのだと思います。

 原爆は悪魔です。どんな理由があっても許すことはできません。

「核戦争起こすな、核兵器なくせ」と「ヒロシマ・ナガサキ」を語り伝えた私たちの半世紀の訴えは、ようやく地球のすみずみにゆきわたり、世界の世論となりました。1996年には濃くさあ医師法裁判所が、核兵器の使用は一般的に国際法に違反するという判決をくだし、2000年には、NPT加盟187ヶ国が全会一致で核保有国から「自国の核兵器の完全な廃絶を達成するという明確な約束」をとりつけました。

 核兵器廃絶は、実現可能な緊急の目標になりました。

 米国ブッシュ政権が、この流れに真っ向から逆らっていますが、世論の力、共同の力は圧倒的です。

 腹立たしいのは日本政府が被爆者と国民の声をよそに、アメリカの核政策の後押しをしていることです。日本政府の政策を変えさせなければなりません。

 日本政府に、核の傘を離れることを要求しましょう。

 東北アジア非核地帯条約の締結を要求しましょう。

 非核3原則の法制化を要求しましょう。

 「有事」関連法案の撤回と、憲法第9条の遵守を要求しましょう。

 日米軍事同盟を1日も早く廃棄させましょう。

 ありがとうございました。