原水爆禁止2002年世界大会

国際会議

韓国原爆被害者協会 元会長

崔 日出

核兵器禁止および廃絶への広島、長崎からの決意

アンニョン ハシムニカ、

私は広島の被爆者で崔日出と申します。当時12歳 小学校6年生で、 爆心地から1.3km離れた姉の家の中で被爆されました。閃光と共に爆風で2階が吹き飛ばされ家が崩れました。何があったかわからないまま意識がもどりやっとの事でがれきの中からはいだして逃げました。家族の中で、19歳の兄は市の中心部八丁堀で被爆、全身やけどを負って半月ほどで死亡しました。終戦の年12月祖国の釜山に帰ってから3年后父が亡くなり5年后母も亡くなりました。弟は一生障害を背おっております。私も2年間、寝たぎりの生活を余儀なくされました。

私達韓国の被爆者は日本の苛酷な植民地支配よって多くの人達が祖国を離れそれぞれの生活を求めて居住を広島、長崎に移した故に、さらに日本の侵略戦争に数百万の若い人達が軍隊、軍事工場、炭鉱、建築現場等に強制連行され その一部が被爆されました。

1945年末日本内務省警保局の調査では当時被爆した韓国人は広島に7万、長崎で3万人、合計10万人の中5万人は爆死、生き残った5万人の内7,000人は日本に残り、43,000人が韓国及び北朝鮮に帰国したと推定されています。

帰国して5年の間

重傷者9,900人の内6,930(69%)が死亡、

軽傷者16,500人の内 5,300(32%)

普通外傷がなかった16,000人の内5,600(34%)(事故死を含む)

その以後生存者25,000人の中13,000人が病死又は朝鮮戦争で死亡、現在12,000人程の生存者がいると推定しています。今、韓国原爆被害者協会に登録している被爆者は2,000余人、毎年4-50人が高齢化で亡くなっております。

韓国の被爆者は日本の被爆者が受けている援護法の適用も受けられておりません。援護法適用の大阪、長崎地裁の裁判で勝訴しましたが、日本政府はこれに不服、控訴しております。韓国被爆者1世は健康に暮す基本的権利さえも奪われたまま、この世を去っています。もう時間がありません。

韓国の被爆者は日本の加害によって受けた被害であります。日本はその被害を回復しなければならない責任があります。

過去清算問題は日本自身が過去に対していかに反省しいかに清算するかの問題で、その基準は被害国民が満足に受け入れ過去を容赦する心が生じなければならないと思うからです。今も数多くの被害者達の補償を要求する声はやんでおりません。

20世紀最大の悲劇は原爆投下とアウシュビッツと言っております。人類最大の悲劇と過ちを二度と繰りかえしてはならないと言う被爆者を始め世界多くの人達の念願にもかかわらず、果なき核兵器開発、製造、保有の核軍備拡大にあらそいながら世界には広島、長崎の100万個以上の核兵器が保有されております。

広島、長崎に投下された原子爆弾はTNT、20KTの威力を持った核兵器の中では極めて小規模の爆弾であります。それでも幾千度の熱戦、すさまじい爆風、死の放射線が地上に襲いかかりすべての生物を焼きつくしあらゆる物体を破壊し一瞬に廃墟の街と化しました。

今の核兵器は水素爆弾でメガトン級であります。戦争になれば個人も国家も完全に理性を失います。いつ戦争がおこるか予想できません。万が一将来核戦争が起ったら人類滅亡、地球最後の日になります。

世界は今も核兵器開発と実験で自然破壊と人類に被害を繰り返しながら核保有国は他国を威脅する政策を取り核兵器廃絶に背を向けています。核兵器がない世界を全人類が共に願っている共通の念願でありながらいくつかの国だけが核兵器を保有する事が出来る非拡散体制ではこの目標を達成することが出来ないと同時に核兵器が存在する以上、世界平和はありません。核戦争をくい止める活動と共に核兵器廃絶は全人類の生死にかかわる重大な問題であります。

核兵器の使用は不法であり、人類の道理に反すると同時に社会に対する重大な犯罪であります。人類と核兵器は絶対に共存する事が出来ません。広島、長崎で私達は被爆者と共に又、帰りこない死者にかわって全世界に訴えます。

 第2の広島を!

 第2の長崎を!

この地上のどこにでも、二度とこのような過ちを繰りかえしてはなりません。

核兵器全面禁止及び廃絶を強く要求いたします。

カムサ ハムニダ