原水爆禁止2001年世界大会
国際会議

ベトナム平和委員会
ドゥイ・トゥイ・クァック
ティン・ミン・グエット・ファン


世界大会準備委員会、来賓ならびに友人のみなさん、
  原水爆禁止2001年世界大会へのベトナム平和委員会代表団から、代表ならびに友人のみなさん、各国および国際平和組織への心からのあいさつを申し上げます。また、私たちを世界大会に参加させてくださった大会実行委員会にも深く感謝申し上げます。

  多くの代表は、アメリカが56年前に原爆を投下した、広島と長崎の被爆者に深い思いをはせて世界大会に参加しています。広島・長崎への原爆投下は衝撃を与え、すべての進歩的人々の意識を呼び起こし、多くの人々を友好と協力、持続可能な発展のためにたたかう、戦争反対の立場にたたせるようになりました。それで、私たちはこんにちこうしてここに集まっているのです。

  ベトナム国民は、平和への強い願望をもっています。それは真の民族独立、民主主義、自由、幸福の背景をなすものであります。それゆえ、ベトナム平和委員会は、1950年11月19日の世界平和評議会の設立からわずか一年後に、ベトナム民族解放をめざす激しい抵抗闘争のなかで創設されました。

  帝国主義によって引き起こされたさまざまな戦争の惨禍を経験したベトナム国民は、広島と長崎の原爆投下の結果と、何世代にもわたり環境に影響をおよぼしている強い放射線による悲惨な後遺症から日本国民が引き継いでいる甚大な損失に深く心を寄せています。アメリカの侵略戦争のなかで米空軍は、ベトナムの広大な水田と山岳地帯が、十万トンにものぼる有毒物質、とりわけ枯葉剤(ダイオキシン)を投下しました。幾百万もの罪のないベトナム国民が、こどもをふくめ、環境汚染のなかで暮らすことになり、DNAの構造に異変を来たし、奇形児が何世代にもわたり生み出されています。皆殺し兵器の野蛮さを告発するのは当然です。世界中の人々の支援と援助によって、ベトナムの政府と国民は、あらゆる努力をはらって、化学兵器によってひきおこされた被害を克服しようとしてきました。

  旧ソ連、東欧共産主義ブロックの崩壊以降、世界的な軍拡競争は弱まったかのように見えます。しかしながら、いま、内戦、国家間の軍事紛争、民族間のあるいは宗教間の対立が続いています。これらの紛争の背後には、好戦的な帝国主義者や過激民族主義者がいます。これらの勢力は、平和への運動を自分たちのためになるように仕向ける目的で不安定な状況を作りだすのです。アメリカの指導者たちは、こうした動きを煽動しています。かれらは、ABM条約の義務にかんする約束を反故にするだけでなく、ミサイル防衛計画を実施しようとしています。それは、大量殺りく兵器によって世界の進歩的、平和愛好勢力を抑止するための軍拡競争に拍車をかけるものです。アメリカの指導者たちは、世界の警察官としての自分たちの役割を放棄しようとはしません。

  こんにちの国際情勢のもとで、ベトナム平和委員会は、ベトナムのすべての組織とともに東南アジアと世界の平和擁護と安定に積極的に貢献することをつねに確認しています。国家間の分断のたくらみ、民族間の紛争などのいかなる干渉も厳しく糾弾しなければなりません。あらたな世界の軍拡競争につきすすもうとする考えは阻止しなければなりません。ベトナム人民は、ベトナム、日本両国人民の間および世界各国人民間の伝統的な協力関係をいっそう強化したいと考えています。

  侵略戦争に反対したたかい、50年以上前に世界平和評議会によって始められた平和擁護のために、連帯して責任をはたすことは、新しい時代における緊急の課題です。

  私たちは、すべての核兵器の完全廃棄、核兵器もいかなる皆殺し兵器も厳格に禁止することを要求しています。ベトナム人民は、人々が平等で民主主義的な開けた社会で豊かに生活できるような国をつくるという究極的目標にむけ刷新政策を進めていますが、それが、東南アジア地域と世界の平和強化と安定に貢献する決定的要因であると理解しています。


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