原水爆禁止2001年世界大会
国際会議

国連NGO軍縮委員会
パクス・クリスティ・インターナショナル
マイケル・ホベイ


  重要な、しかも残念ながら必要なこの大会に参加できましたことを非常に名誉に思います。ニューヨークの国連本部にあるNGO軍縮委員会の私の仲間、また私が国連で代表しております国際カトリック平和運動である、パックス・クリステイ・インタナショナルの仲間からの、こころからのご挨拶を送ります。私たちは、核兵器を永久に廃絶し地球規模の平和の文化を築く精神と決意で一致しています。

  25年前私は、米国海軍の兵士として佐世保の米海軍基地に駐留中何度も長崎を訪れ、その後すべての戦争と軍役にたいする良心的忌避者として海軍からの退役を要求し認められました。私は始めて長崎の平和記念館を訪れた時のことをよく覚えています。原爆の爆風で殺されあるいは傷ついた子どもたちの写真を見たとき悲しみと恥ずかしさで圧倒されました。

  一人の人間としてそれほどまで苦しまれた人たちへの深い同情を感じ、アメリカ人として自分の国がそのような恐ろしい武器を、大半が非戦闘員の広島、長崎の人々にたいして使用したことを恥じ、怒りをおぼえました。カソリック教徒として、私は私の教会が原爆の使用は、"神と人間自身への罪"であると呼びそのような武器の使用を糾弾していたことを想い起こしました。そのような恐ろしい破壊を引き起こしそのような無差別殺りくを犯し、今もそのようなことを目論んでいる組織、すなわち米国の軍隊にこれ以上留まることはできないと考え、海軍を除隊し、私の人生を平和の活動にささげるようになりました。

  私は1976年2月9日に日本を去り、2日後サンフランシスコで除隊になりました。それからの数年間に私はいくつかの大學の学位を取り平和学の教授になりました。今年は私がパックス・クリステイの会員になって25周年の記念すべき年でもあります。二年間日本に住み、長崎を訪れる経験をしたことが文字どおり私の生き方を変え、私を兵士から平和の担い手へと変えてくれたのです。この素晴らしい贈り物に「どうもありがとうございました。」と言いたいのです。

  その後私は被爆50周年にあたる1995年に広島,長崎を訪れるまで日本にもどってくることはありませんでした。この年,私は米国の最も歴史のある宗教平和組織「全米和解協会」の代表団とともに日本に参りました。私の友人と私は,我々の国がそのような恐ろしい大量殺戮兵器を使用したことに対する正式な謝罪の声明を持参してきました。その声明は私が書いたものであり、8000人以上の平和を愛するアメリカ人が署名をしていました。6年前になりますが,その時私が始めて広島を訪れ,広島駅で列車から降りた瞬間私は泣き出してしまったことを覚えています。平和記念公園の原爆慰霊碑の前でもまた泣きました。広島についた最初の日、私は恥ずかしいほど泣きました。しかし、私が感じた深い悲しみと私が流した多くの涙は避けがたいものであったのだ、私は多くの人々の悲しみと涙をあずかって運んできたのだからと気付きました。私は今も同じ気持ちでいます。

  悲しみと涙は1945年に広島と長崎の人々に起こった悲劇にたいする当然の反応ですがこの悲劇はたんに私達の悲しみと涙をさそうことにとどまっていてはなりません。皆さん方や,この重要な会議に参集されたすべての方々とともに、私は我々の世界が向かおうとしている方向を転換させるために多くの仕事がなされねばならないことを痛感しています。今世界は、この都市を破壊し多くの市民の命を奪った破壊力よりはるかに大きな破壊力を持つ核兵器を使用する可能性に向かってつきすすんでいるのですから。

  1990年代初頭東西冷戦が終結した時、私たちの多くは、核兵器並びにその他の大量殺戮兵器所有国は兵器庫を壊して武器を捨て、たまったお金を国際協力,安全保障に使う機会をつかむだろうと望み、夢見ていました。しかしそうはならず平和への脅威は逆に大きくなっています。いくつか、例をあげたいと思います。

  なんらかの軍縮は実現したもののアメリカとロシアは核兵器をより近代化し、核兵器の役割を広げています。ブッシュ新政権は、世界をもっと不安定なものとするミサイル防衛システムをつくると言い張り、まったく新しい核兵器競争をおこすと脅しています。インド、パキスタン国境が近い将来、怒りが高まり核ミサイルを発射する可能性が最も高い場所となっています。 核超大国アメリカ合衆国は包括的核実験禁止(CTBT)の批准を拒否し、そのことが、パキスタン,インド、イスラエル、キューバに同様に条約批准を拒否する口実をあたえています。

  他国の領土にその国の主権を侵害して米軍の軍事基地を置き世界唯一の超大国としての覇権をひろげ、そのような軍事基地の存在は地球規模の安全保障を強化するとの言い分とは裏腹に、友好的と考えられている政府や人々との間にさえ緊張感を高めている。そうです。私は沖縄のことを話しているのです。

  ローマ法王ヨハネ・パウロ二世が1982年にこの町を訪問した時、法王がこう述べたことは良く知られています。

  "広島を忘れないということは、核兵器を拒否するということである。広島を忘れないということは、平和をなによりも大切にするということだ。今日、私の平和運動25周年にあたり広島で皆さんの前に立って核戦争の拒否を再度表明し、平和への誓いを新たにし、地球の上から核兵器を廃絶し、地球規模の平和の文化をつくるためにみなさんとともに力をあわせることを誓います。


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