「帝国と核兵器」 日本語版へのまえがき
ジョゼフ・ガーソン
私は「帝国と核兵器」の日本語版刊行にあたり、喜びと深い感謝の気持ちをもって、このまえがきを書いている。単調な私の話を、魔法を使ったように翻訳してくださった多くのボランティアとプロの翻訳者の皆さんの困難で献身的な仕事に感謝を捧げたい。また、それに加え、原水協の役員、スタッフ、会員や、被爆者の皆さん、さらには沖縄から北海道まで全国で活動する皆さんが、この二〇年間私に寄せてくださった友情、支援、機会、信頼がなかったなら、この本を書くことはできなかっただろう。日本原水協事務局長の高草木博氏には、いま皆さんが手にしている日本語版の出版を提案し、実現にお骨折りいただいたことに、また、朝戸理恵子さんには、翻訳者を募り、調整に当たり、出来上がった仕事と原著とを突き合わせ、専門家として出版社と粘り強く折衝してくださったことに、特に感謝を表明したい。どうもありがとう。
また、翻訳の完成に当たって重要な役割を果たしてくれた友人の高田愛さん、さらに、いつも変わらぬ洞察力と他の追随を許さない手品のような腕をもって、急なお願いにもかかわらず「解説にかえて」を書いてくださった安斎育郎教授にも感謝を捧げたい。
この本で私が何をやろうとしたのか、さまざまな世代にわたる日本の読者に何が役に立つと考えているのかを述べさせていただきたい。
広島・長崎に原爆が投下されてから六〇年余をへて、被爆者も犯罪的な核攻撃に責任を負う者たちも齢をとり、亡くなっていくなかで、記憶も薄れつつある。太平洋の両側で、過去と現在の国策に合うように歪められた歴史が教えられ、それが根付き始めている。もし、真に人間の安全が保障され、民族の自決が可能になる核兵器のない世界を創ることを望むのなら、これは正されなければならない。危険で抑圧的な政治の構造や体制、力学を変えるためには、私たちはまず、それらを理解しなければならず、そのためにはたくさんの、重要で胸の痛む真実と向かい合うことが求められる。
勇気ある核物理学者でノーベル平和賞受賞者のジョゼフ・ロートブラット氏はかつて広島で、人類は厳しい選択を迫られていると述べたことがある。われわれが核兵器を完全に廃絶するか、あるいは、核兵器が地球全体に拡散し、核のジェノサイドという結果となるか、そのどちらかの選択であると。現在の不公正な力の不均衡?この場合は恐怖の不均衡だが?を長期にわたって我慢する国はありえないわけで、私たちには、すべての核兵器を廃絶するか、破滅的な結果にさらされるかのどちらかしかない。被爆者はこのことを「人類と核兵器は共存できない」と、別な表現で述べている。
米国の大統領(この場合はクリントンだが)が、「核兵器はアメリカの政策の要石(かなめ いし)だ」とか、アメリカは敵が重要視する広範な資産を危険にさらし続けるために「十分な規模と能力の核戦力をひき続き維持する」と口にするとき、これは、核のテロリズムと支配の言葉であって、抑止とか防衛の用語ではない。アメリカの対外・軍事政策の基礎は核のジェノサイド(大量殺りく)や核のオムニサイド(皆殺し)を引き起こすための準備と脅迫からなっていると言われており、それはいまも事実である。これは受け入れることができない重大な国際法の侵犯であり、存続させてはならないものである。
実際、広島と長崎の原爆投下に始まり、この瞬間もなお続いていることであるが、歴代の米国大統領は誰もが、核兵器を、いまや衰退しつつある米国の地球的帝国を拡大し、維持し、押し付けるために使ってきた。英語には「呪いは鶏のように戻ってくる」(訳注・人を呪わば穴二つ)ということわざがあるが、今、ジョゼフ・ロートブラット博士が予言した危険がますますはっきりと、私たちの生きる世界の特徴となっているとき、このことわざが目の前に現れている。核戦争を引き起こす準備と核脅迫への依存こそが、核不拡散条約第六条の軍縮の約束にたいする偽善・拒否と結びついて、ますます危険になっている核拡散の本質的な推進力となってきたのである。
本書を書いたのは、単にこのひどく不穏な歴史に焦点を当てるためだけでなく、同時に希望の源を示すためでもある。それは、核兵器廃絶の絶対的重要性を理解する人々と政府の行動である。そのなによりも重要なものが被爆者の証言であり、世界の人々に長期にわたって基本的なビジョンと励ましとを与えつづけてきた日本の核兵器廃絶運動の献身的活動である。今日の腐敗した政治体制の、見かけだけの民主主義国においてさえ、未来はわれわれが創りだすものなのだ。マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が展望したように、私たちは、自分たちの大小さまざまな行動を通じて、歴史の弧を自由と平和の方向にたわめていくことができる。「もうひとつの世界」は本当に可能なのだ。
核兵器のない世界を達成し、核兵器廃絶条約を交渉し、履行するために必要な外交的、政治的、軍事的、技術的ステップは、すでに長い間知られている。それらは二〇〇〇年のNPT再検討会議で明らかにされ、合意された十三項目の措置に示されている。それらは、市民社会の諸団体が、核軍備を監督した人々を含む米国防総省の元高官や、マレーシア、コスタリカ、オーストラリアなど広範な政府の援助を受けて起草した核兵器廃絶条約案に明確に述べられている。もちろん、政府が、ただ正しいことをしたいからというだけで外交的・政治的決定を下すことはめったにない。ほとんどの場合、国家の政策は、人々がおこなう行動と、変化する人々の意思の力によって変わるものである。
本書の書き出しに使った二つの引用とそれが二一世紀の日本にとってもつ意義について触れさせていただきたい。冷戦の幕開けの時期、フランスの哲学者アルベール・カミュは、「殺りくが繰り返される世界の渦中で、われわれは殺人を反省し、選択に合意」しなければならないと呼びかけた。それから何年もたった後、米国の外交問題評議会の名誉会長でかつて米国防総省と国務省でそれぞれ要職にあったレスリー・ゲルブは、対外政策に関して「歴史とは権力である」と書いた。彼は自分の経験から、誰が「過去に正しかったか、誰が間違っていたか」について人々がどう信じているかが、「今日に権力を与えられる者あるいは制限される者を決定する」と述べている。
日本の人々、とりわけ広島や長崎の市民は、確かに十五年戦争の犠牲者であり、またその時代を支配したファッショ的な軍国主義者やさらには米国の征服と占領の犠牲とされた。しかし、日本の「加害者」としての役割は、十五年戦争での侵略で終わったわけではない。日米軍事同盟を許し、対外政策や軍事政策の基礎に米国の「核の傘」を据えたことによって、戦後日本の特権と経済的繁栄は、少なくとも部分的には米国の核戦争政策との共謀の産物であり、また、米国の支配に挑戦する者を脅かすために行われた多くのジェノサイド的核脅迫への共謀の産物であった。
これは、すべての良心的日本人のみなさんが真剣に考えなければならない歴史であり、いまも続いている現実である。他の国々、とりわけ日本の東アジアの近隣諸国はこれらの現実や、日本が対外関係を相互尊重と共通の安全保障のうえに据えようとしない現実を熟視しており、その結果にしたがってみずからの行動を選択してきたのである。
日本でもアメリカでもほとんど教えられていない、穏やかならぬ歴史がある。それは、天皇制を維持することにより、また、一九四八年から四九年にかけての米軍占領下での「逆コース」によって最終的に日本の戦犯やその他の軍高官、戦時の財閥指導者などを権力と影響力ある地位に復活させたことによって、日本の民主主義と平和憲法が深刻に掘り崩されたことである。その結果、過去四〇年のあいだ日本の軍事指導者たちは、平和憲法のもとでさえ日本は戦術核兵器を保有する権利があると主張してきた。
現在の基準では、広島と長崎の原爆は戦術核兵器なのである。
それゆえ、日本が今では世界でもっとも軍事予算の多い国のひとつであり、世界でもっとも近代的な海軍を持ち、月にも、あるいは中国にも韓国にも届くミサイルを保有していることは偶然ではない。また、いまや日本には何トンもの兵器級のプルトニウムがあることや、日本政府の高官やエリートたちが日本は先制攻撃政策を持った核兵器国になるべきだと要求しているのも、単にエネルギーや経済的必要性から生じたことではない。自民党の指導者たちは「核保有の意図はない」と請け合っているが、安倍晋三首相が日本も核保有国になるべきだと語ったのは、単に個人的意見を言ったわけではない。「核保有論議は必要」と述べたのは自民党政調会長の中川昭一氏だったし、平和憲法は「原爆の保有を禁止していない」と主張したのは麻生外務大臣だった。
最後に、もうひとつの深い警告を伝えたい。私は、ジョゼフ・ロートブラット博士が広島で厳しい警告を発したあの劇的瞬間を今でもはっきりと覚えているが、同じように、二〇〇四年、ムンバイで開かれた世界社会フォーラムの「世界の被爆者」分科会で発言に立った、名も知らぬ身なりのよいインドの核技術者の姿と言葉も忘れることができない。彼は、日本の歴史や進んだ核能力や水面下の政治的諸潮流について承知の上で、日本が核保有国になることを許さないよう日本の活動家たちに呼びかけた。「もし世界で唯一の被爆国が核保有国になれば、人類の核軍縮と廃絶の希望と努力は打ち砕かれるだろう」と彼は警告したのである。
私は、これらすべての理由から、「帝国と核兵器」の中で描き出した歴史と、現在とは別の選択肢が、日本で共鳴を得られるよう期待している。日本語版の読者が直面している選択と道義上の最重要課題は、かつてクリントン大統領の国務長官が傲慢にも「世界で不可欠の国」と述べた国で、人類の生存と平和と正義のために闘っている良心的な人々が直面しているものと、基本的には同じなのである。
二〇〇七年六月七日 マサチューセッツ州ケンブリッジにて
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