私の定年後の夢が実現しました。5月6日東京夢の島第五福竜丸展示館前を出発し91日かけて本日、広島平和祈念公園に到着しました。広島のうたごえの「君の道を」を聞きながら。万歳!
8月9日に生まれた私は、子供の頃から長崎の原爆記念日を意識していました。20歳でうたごえ運動を知り、「うたごえは平和の力」を実践してきました。
西播を通る平和行進にも、参加したりしなかったりでしたが、82年のSSDⅡ(第2回国連軍縮総会)のうたごえ代表団に加わり、ニューヨークを揺るがした100人のデモの先頭を太鼓と叩き歌を歌いながら勤めました。この時多くの皆さんの代表として参加したくて、姫路の駅頭に40日間毎日立ち、署名と募金を訴えました。3千人近い署名と、90万円の募金をいただきました。
以来、お返しに、駅頭での6・9行動27年、職場(日本トムソン姫路工場)の門前での6・9活動を22年続けてきました。定年退職したら平和行進の通し行進が夢でした。
長いようで短い3ヶ月でした、平和行進52回、半世紀にわたる、「核兵器廃絶、被爆者援護連帯、平和を守れ」の草の根運動の歴史の重みと、先人たちの努力、運動の蓄積と広がりを感じる行進でした。
64年前の広島・長崎での悲劇を体を張って訴え続けてこられた被爆者の皆さんの思いが、オバマ米国大統領のプラハでの演説につながり、核兵器廃絶の追い風を受けての行進でした。
沿線の東京、神奈川、静岡、愛知、岐阜、滋賀、京都、奈良、大阪、兵庫、岡山、広島とうたごえの仲間の力強い応援、激励を受け、また、被爆者の皆さんの「たのみます」と手を握られた思いを胸に歩き通す事が出来ました。行進団を励ますうたごえの力は偉大です、歌うことで力がわき元気に行進できます、息を切らし上る峠道、歌があったから楽しく越えられたと!
日本山妙法寺にまねて、沖縄のパーランク(小さく持ち運びやすく、いい音がする)を叩きながら歩きました、歩くリズムが取れ、好評でした。歌のリズムも刻みました。私はSSDⅡの時教わった、庄原の田楽のリズムを打ちながら歩きました。
平和行進は、被爆国日本の民衆運動が生み出した素晴らしいパフォーマンスです、歩くという誰にでもできる、示威行為です。暑くても雨が降っても毎年歩き通す行進の素晴らしさ!継続は力なり!
その事を生み出し半世紀以上続けられた事に参加でき、定年後の夢が実現できました。
うたごえ運動60年の歴史の中で初めての全国通し行進者としての重責と期待を浴びて歩き通す事ができました。
同じJMIUの矢部さんといういい相棒にも恵まれました。次代を担う行進者のために、改革の旅でもありました。全国の経験を伝え、少しでも良くしたいと、苦言も呈しました。
40日目の岐阜から飛び込んできた愛知の若者(22歳・21歳)の2人に勇気と希望と元気をいただきました。平和行進の広がりを実感しました。若者たちの参加を促しました。
毎日歩き、毎日宴会で、メタボ解消どころか?早寝早起きで、太ったかな?
日誌のメールは早朝です。
毎年行進を継続し、支えてこられました。多くの皆さんにお礼を言いたいと思います。
核兵器がなくなり、歩かなくてもいい日が一日でも早く、被爆者の皆さんが生きていらっしゃる間に実現させましょう。
署名を集め世論を喚起し、来年5月のNPT(核不拡散)条約再検討会議に積み上げましょう。
ニューヨークに行きましょう。ご声援ありがとうございました。
矢部さんの一言「だんご4兄弟で歩いてきました。長崎の世界大会、NPT再検討会議まで、一緒に行きたいね!」