有田町東庁舎にはもうひとつ東出張所の看板がかかっている。昨日はなぜかなという疑問は持っていたが、今日トイレを探して庁舎に入ろうとしたら、中は空家状態で別棟だけで業務を行っているようです。今は東庁舎跡、東出張所が正しい表現になります。
さてここでの出発式、今日の責任団体年金者組合の司会と責任者挨拶に続いて、行進者代表挨拶は今日で最後になる県内通し行進者の元高校校長の秋山さん、今年77歳になり最後になるかもしれないと思いながら通し行進を続けてきた、ともに同じ目的で行動し仲間意識も生まれた4人に支えられてここまでこれたとも言っていただく。挨拶終了時に、前日から森さんが参加者に一言メッセージを書いてもらっていたミニ色紙をプレゼントする。女性ならではの心配りで、先生も大事な記念になりますと。
今日も先頭で、先生の有田陶芸の歴史、地理案内を得ながら歩いて行く。日本には陶芸家で人間国宝級の人は6、7人はいるが、韓国の陶芸家の作品を見たがそのレベルの作品はなかった。一流二流まで日本につれてこられ、三流以下の人しか残されていなかった過去の歴史があり文化の伝承が進まなかったことによるものでは。
九州陶磁文化館は世界陶磁器博覧会の跡を利用しています。
引継ぎ式では佐賀県実行委員長の田中さんの行進団へのねぎらいの言葉と核廃絶の佐賀県の熱い思いを長崎へ引き継いでほしいとの挨拶、続いて佐賀県被爆者団体協議会の吉冨会長があいさつしました。
「被爆64周年の夏を迎えました。原水爆禁止国民平和大行進の皆さん、猛暑の中ご苦労様です。眼を閉じれば64年前、原子爆弾が投下され焦土と化した地獄さながらの長崎の町並みが今でも眼底に焼き付いています。
原子爆弾が爆発時に発生した、熱量、爆風、それにガンマー放射線の影響で生き残った被爆者も、ガンや心のストレス障害等幾多の後遺症に苦しんでいる人が沢山います。
しかし、世界の核保有国は、さらに高性能で小型化した核兵器の開発を進めているとも、伝えられています。このような悲惨な人類の破滅になる悪魔の核兵器は一日も早くこの地球上から廃絶しなければなりません。
かねてより、原水協のみなさまと、私たち被団協は連帯して核兵器の廃絶、世界恒久の平和を、次の世代に引き継いで行く運動を続けていますが、さらにその輪を広げ、命の尊さを心に刻んで、この行進で力強く前進させましょう。
平和行進のみなさまの若い情熱に、大きな拍手と敬意を贈り、激励の挨拶といたします。
本日は、長い道のりをご苦労様でした。日本の将来をしっかり見据えてがんばってください」
この後、通し行進者が自己紹介とあいさつをおこない、横断幕・のぼり旗を長崎に引継ぎました。すこし行進の後、車移動と昼食、午後の出発式は早岐駅前で80人の参加で始まりました。
佐世保は大都市ではありますが、熱意でこの大多数の参加になったと思われます。
この後ハウステンボス駅まで隊列は進みました。