栖原秀夫日誌No.58

8時、三次民商事務所前で「うたごえ」の方のギターに合わせて、「青い空は」や「折り鶴」を歌い、出発集会を行う。私は自己紹介をし、核廃絶に大きく踏み出す社会変革に関わりたい思いと核密約の破棄を訴えました。


8時20分、三次民商事務所を出発。沢山の警官が行進団に付き、交通整理をしてくれる。


8時45分、三次市役所で、歓迎集会。地域振興部長が市長メッセージを代読する。核廃絶への世界の流れを把握したもので、とても励まされました。市長からは賛同募金、議長からはペナントと国際署名を頂きました。


8時50分、再出発。9時10分、西三次駅でトイレ休憩。参加者が半分近くに減って再出発。江の川に沿って緩やかに上って行く。民家はまばらで、例年より車の通行量が少なく、とりわけ観光バスが通っていないとの声が聞こえる。


10時10分に三次市営球場の近くで休む。朝から参加している背の高い女性の足がつっている様なので、車に乗ることを勧め、本日の責任者で宣伝カーを運転している須山市議に依頼する。私は、民家が少なくなったので、米山さんからお借りした太鼓を出し、叩きながら行進を始める。


先ほどの女性は、アナウンサーとして元気に活躍。私たちの行進の先に、「非核日本平和行進」の方たちが歩いているのが見えました。


11時45分、志和地駅近くの川地コミュニティセンターに着き、昼食休憩を取る。歩いた距離は、およそ10km。みんなでお弁当を食べ、懇談し、自己紹介をする。「いつも西三次まででした。今日は最後まで行きたい」と先程の女性。隣の部屋では、私たちをガードするお巡りさんが休んでいる。


13時に再出発。背の高い女性は、「休んで治りました。歩きます」と。日差しが強いので、首に巻いたフェイスタオルを頭に被り、両頬と後頭部から首に駆けて陽が当たらない様にして、その上に帽子を被る。


13時42分、上川立駅で休憩。14時35分、警察署の担当が三次署から安芸高田署に変わる地点で、休憩。「今までの通し行進者の中では、とてもお若いですね」と背の高い女性に声を掛けられる。歩くのは慣れたようで、元気そうです。


再出発し、15時10分に集結地の安芸高田市甲田支所に着く。朝からの行進距離は、およそ16.5km。総務企画部長と議長が歓迎してくれる。部長の激励の言葉は、被爆県の自治体としての思い溢れるものでした。議長からは私たちの取り組みを讃え、労うお話がありました。市及び市議会からペナントを頂きました。解散の時、一緒に歩いた人たちから「6日に、会いましょう」と声を掛けられました。

2010年2月

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このブログ記事について

このページは、Maekawaが2009年7月31日 21:02に書いたブログ記事です。

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