森 悦子日誌No.37

9時から出発式。初めに通し行進者といわれると戸惑ってしまう。水俣病についても話した。日本共産党からあいさつ。これまで52回続いてきた平和行進、核兵器なくせの運動は、世の中が大きく変わろうとしている。オバマのプラハ演説は、自分が生きているうちはという、しかし、G8サミットでは、核兵器廃絶を議題にと積極的な発言がありました。核兵器をつかわせない、広げさせないために私たちは、今日も歩き続けましょう。


8時50分行進スタート。歩き出して9時40分に車で戻って水俣市役所訪問。入口近くに核兵器廃絶宣言都市の看板がありました。市長はじめ3人が出迎えてくださり、3人ともにその場で署名。熊本県ではペナントがあり、松崎さんが500円と聞くので1000円と答えてポケットマネーで応じて頂きました。


隊列に戻って行進し、次は、津奈木町役場訪問。海で事故が起き、副町長が応対、ペナントもポケットマネーで書いて頂きました。


昼食は、みんなでランチを。また車で芦北町訪問。総務部の課長?5人が並び応対。町長から何も聞いていないとの一転張りで名刺も頂けず。


先の補欠選挙で5000票を取り、次回の候補者も発言。15歳以下の医療費無料を実現させ、全国に先駆けた実績がある。平和の課題についても積極的にとお話ししました。ペナントも初めてと躊躇されたが、「芦北町」と書いて頂きました。行進に追いついたのが13時30分。少し休んで行進、佐敷駅に14時40分着。みんなで分乗して15時09分歩きました。


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▲午後14時40分佐敷駅到着。真っ白な雲、まるでソフトクリームね。


15時35分やっと肥後田浦駅到着。のべ46人。男性の足で25,942歩。ペナントが、用意されていたので私の出番あり。役立ってほんとに嬉しい一日でした。


F1000030.jpg▲肥後田浦駅集結集会。赤いTシャツの彼は、町議を4期され、大手術を2回されていて元気、横断幕を一日中持って私たちの足取りをまとめてくれました。空白地域を埋めていくのが楽しい、生きがいだと話してくださいました。あのずっと山奥に50世帯が住んでいて懇談会を開いたことを話してくれました。都議選で5人も落選したこと。彼は、自民党じゃダメ!と思う人が広がっているのだから、これからどうがんばれるかだよ。東京の皆さん、ご苦労さまでした。

2010年2月

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このページは、Maekawaが2009年7月13日 23:08に書いたブログ記事です。

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