松浦宜孝日誌No.36

江北町から旧長崎街道沿いに進む。


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▲出発直後


馬頭観音で休憩。


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大町町に差し掛かると行進を待ってくれた沿道の2人から千円ずつ、さらに進むと夫婦で待っていた人から封筒に入った募金が寄せられた。用意して待っていてくれたことに感動した。


大町はかつては杵島炭鉱で栄えていて、週刊誌で日本一の小学校と生徒数5千人の数の多さで紹介され話題になったとか。


大町町役場で冷茶の接待と町長・副町長不在による教育長の歓迎挨拶を受けました。大町町は24年前「平和の町宣言」をおこない、役場玄関に「平和宣言の町・大町町」の看板を立てていましたが、日焼けで色あせていたため、書き換えを中山議員が要求していました。これに応え、町が6月議会開会日に先立ち新たに書き換え「核廃絶を願う平和宣言の町・大町町」の看板になりました。


北方庁舎での昼食休憩では、通常職員の休憩場所(畳の部屋もあり)を開放していただき、1時間10分の余裕の時間もあってゆっくり昼寝ができました。


午後は高橋駅でのアイスクリームつきの休憩で一服、歩を進めていくと先日の大雨で鉄橋の橋脚最上部まで浮遊してきたごみが付いていました。


聞くとこのあたりは鉄道も、道路も浸水で不通になっていたとか。さらに進み、車のボンネットの上に布団を干している家の中を見ると畳を立てかけ乾燥させていました。「大変でしたね」の一言だけで行進は進みました。


武田温泉駅周辺は長崎新幹線の関連工事で線路の高架化、駅の新築、区画整理が進んでいました。


武雄市役所では庁内放送で呼びかけていただいたそうで、約30人に出迎えをうけ、私の行進歴でも最多でした。

2010年2月

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このページは、Maekawaが2009年7月30日 21:11に書いたブログ記事です。

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