松浦宜孝日誌No.34

佐賀県の平和行進運営は日毎の責任団体で通し行進者送迎に始まり、総指揮者、アナウンスカーの運転、うぐいす嬢、随行車まで責任を持っているようで、今日はすべて新婦人、と言うことでお迎えも新婦人佐賀県本部田中会長でした。


車中の雑談で、江戸時代の治水に功績のあった人物から来た地名のいわれなどに話がおよび、神埼(かんざき)市の「埼」は珍しい読み方ですねというと、松本清張の『点と線』だったと思うがこの「埼」という字だけわかっていていろいろ知らべた結果、ここの神埼に行き付いた、という風に小説でとりあげられている。また森さんは鹿児島の川内(せんだい)という字がどう呼ぶのかわからず困ったという。


等々の後、目達原駐屯地のフェンスにある壁画のことが話題になった頃、基地正面入り口を通り、行き過ぎたことに気づいた。


せっかくだから迂回でも壁画を見ようということで塀づたいに走るが基地は広く、なかなか壁画のところまでたどり着かない。やっと見つかった時、初めて見る二人はこれはすごいと感嘆。ここからなら私も三田川庁舎への道順はわかり、道案内して到着した。


出発集会はふるかわさんの司会で始まり、通し行進者の代表挨拶は県内通しの秋山さんがすることに、初日が列車不通で基山町には行けず、今日3日目だが1日で腕が日焼けしてひりひりする。平和に係わった人が亡くなった、慰霊の旅ということで歩いている。


田手神社休憩後、今日最年少の4歳の葵ちゃんに先頭での横断幕所持を頼む、私の平和行進最年少新記録になる。しばらくの間お父さんと一緒に持ってくれた。


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▲4歳の葵ちゃんに横断幕を持ってもらう


私は自由が出来たので、長崎街道でただひとつ残っている一里塚などの写真をとりながらすすむ。


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神埼市役所では3階ホールをクーラーで冷やし、冷茶を用意していただいた。歓迎集会では市長メッセージ(総務部長代読)とペナントを頂く。次の休憩は西木戸口跡でした。


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▲西木戸口跡


姉川公民館の昼食休憩では新婦人の冷えたスイカが待っていた。疲労した体が冷たいだけでなく少し甘みを欲しているのか、非常においしい、たくさん用意されていたのでどんどんいただく。弁当も豪華。


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▲豪華な弁当


午後は国道利用が続き、直線道路で風景が単調になっている。この単調さは疲れやすいという。私は100メートルごとの距離表示利用で時速の計算、カウントダウンで気をまぎわらせている。


推定樹齢630年の楠の木のある老松天満宮、城東中学校での休憩を挟み、佐賀市の中心部に進む。アーケードのある商店街の「シャッター商店街」はよく見る風景になってきているが、車道歩道が分離されている広い道路に面した閉店店舗の連続は異様だ。

 
佐賀市役所では山下議員が携帯での到着予定時間、人数の小まめな連絡で多くの職員とペットボトルの冷茶が待っていて多くの拍手で迎えられた。

2010年2月

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このブログ記事について

このページは、Maekawaが2009年7月28日 20:42に書いたブログ記事です。

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