ホテルから鳥栖市役所に到着後、市役所に昨日預かってもらっていたのぼり旗を階段下から取り出し、表で並べる。
アナウンスカーの大きさにもよるのだろうが、昨年北海道⇒東京コースを歩いた森さんも市役所で預かってもらえたことはなかったとか。各自治体と地元原水協との関係の歴史的積み重ねだと思う。
行進は国道34号線と時々江戸時代からの歴史的街道を進んでいくが、高速道路のがけ崩れによる一部通行止めの影響で34号線は大型車を含め通行量が非常に多かった。当初は車道を2列縦隊で行く予定でしたが、危険なため通行量が少なくなるところまで歩道を歩くことになった。
竹田さんが行進に参加していた小学校1年生の女の子のおじいさん、おばあさんと話していると、この子のお姉さんと数年前沖縄からのコースを歩いたとき一緒に歩いていたことがわかった。歴史です。
2回目の休憩場所は旧街道沿いにあった「村田町五反三歩分館」という珍しい名の公民館だった、五反三歩が地名のようです。
三養基郡みやき町中原庁舎に到着、昼食休憩後に出発集会、末安町長の挨拶とペナントを横断幕へ取り付けて頂く。出発までの雑談で、ここの庁舎の特徴的形態に話が、ヨーロッパを旅したとき中世のお城の跡を役所にしているところが多かった。そこで300年はもつように石造りで中央には塔も、インスピレーションが配置はコの字型にして図面を書き、工事に入ったところ、偶然昔の役場跡で配置もコの字型、大きさもほぼ同じだった。歴史的偶然です。
行進は県重要無形文化財「米多浮立」(役所にある壁画)で有名な上峰町役所を経て対戦車砲を持つ、訓練飛行で飛び交うヘリコブターの下、自衛隊目達原駐屯地の横を通りながら進む。
基地の塀には小学生、中学生が卒業記念に描いたのか「平成11年」からのものがずらりと並んでいる。自衛隊の基地融和策がうかがえる。
この基地は太平洋戦争時の飛行場滑走路の一部を利用していて昔の正門跡は少し離れているところにあった。
吉野ヶ里役場三田川庁舎で終結集会が開かれ、平野副町長があいさつ、ここでも山間で避難したところもあったような激しい雨でも平和行進を続けてこられたことに敬意を表します。
通し行進者代表で森さんが足の具合いが悪く行進の最後を歩くことが多かったが、そこではスピーカーの声で道まで出て来た人々と10人は握手した。中には毎年平和行進が通るのを楽しみにしていると話す人、スピーカーの音を頼りに探し当て50年ほど前、3年間役員をしていて歩いたことがあると3千円のカンパを持ってきてくれたことなどが報告されました。
宿に向かう途中で吉野ヶ里遺跡を車窓より案内していただき、高教組会館に立ち寄りました。ロビーには4枚一組で平和と集団をテーマに教師集団で論議し造られた壁画があります。