森 悦子日誌No.31

昨日は、国民宿舎さのさ荘に泊まり温泉で水風呂、気泡風呂があり、私の前に入った人が交互に入るとよく温まると。お湯の中で正座すると疲れがとれると教えてもらったのを思い出し、5回ぐらい繰り返したら、なんだか足が軽くなった。


朝も温泉へ。昨日より痛みが治まった気がしてうれしかった。今日は行進のなかでも難関とか。トクホンや湿布を貼って出発式へ。人集まらず。昨日お悔やみが2件も重なったという東市議が担当。


F1000295.jpg▲出発式。みんなの前で足が痛むことを話し、夕べの温泉での足休めの効果があると信じています。


いちき串木野市役所訪問。市長不在。市長と市議会議長から賛助金もらいました。今年は、行進を少し変更しようとなりました。

 

F1000297.jpg▲市役所前。いちき串木野は、まぐろ漁業で栄えました。ビキニ被災で核兵器反対運動が盛り上がった時代がありました。募金も沢山集まりました。



さあ歩きはじめ、昨日より足が軽い。金山蔵まで上り。歩道を一列になって歩いた。水分補給してまた歩いた。顔が汗びっしょり、拭いても流れ出す。大型車が走って宣伝カーは、遠く離れてしまった。途中の郵便局前で一休み。水を飲ませてもらいました。



芦ヶ野ドライブインには11時45分到着。ここまで9キロ行進しました。昼食。車を取りに行って相談。電車移動とか言っていたが、川内市まで宣伝カーとほか一台に乗りました。途中で歩きました。



15時の予定が14時に到着。最後まで参加は8人、全法務2人、全労働2人、コープ鹿児島2人、市議と私。がんばりました。



その後、午後3時から薩摩川内市役所を訪問。総務部秘書室長と市議会事務局課長おふたりの署名と市長、市議会から賛助金を頂きました。


F1000300.jpg▲私と51歳の市議、元市議、さつま西民商、もう一人の5人で要請。赤旗の野中広務氏特別インタビューの記事を手渡しながら「宿敵」だったという人までが平和を語る世の中に変わろうとしている、とうったえました。

F1000001.jpg

▲ハンドマイクを持ってシュプレヒコールを繰り返しやってくださった。51歳の市議です。人家がありそうだとやりました。鹿児島の方言バージョンもあり、最後までピシッと決まった行進でした。

 

ホテル到着15時30分でした。今日の行進距離は、11キロです。ご苦労様でした。

2010年2月

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28            

アーカイブ

ウェブページ

平和行進のひとこま

  • 0809rentai.jpg
  • 0809kodomo.jpg
  • 0809seikyo.jpg
  • 0809hi.jpg
  • 0808marason2.jpg
  • 0808marasonn1.jpg
  • 0808bunnkakai.jpg
  • P1000212.jpg
  • P1000207.jpg
  • 0807tokushima.jpg

このブログ記事について

このページは、Maekawaが2009年7月 7日 21:22に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「栖原秀夫日誌No.34」です。

次のブログ記事は「松本英治日記No.63」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。