今朝から城南区役所まで横断幕を一緒に持ってもらった被爆者の一人は、18歳で長崎に徴用され、1年で広島に異動になって被爆しています。
異動していなくても長崎で被爆していただろうし、この歳まで生きてこられたのでこの運動を続けている、被爆の影響でこんな頭になったと髪の毛の無くなった頭を指していました。
仕事は進水台の組み立てで、戦艦の製造もありましたが、戦争末期にはあの回天も製造していたとか。
9時に中央区役所を出発した行進は9時40分頃、アメリカ領事館を訪問し要請文(抗議文では受け取ってもらえない)を領事館の政治・経済専門官に手渡しました。
昨年までは休みだったり、手渡せてもガードマンだったりしたとか。大統領が変わればこうも変わるのです。
要請文の項目部分
1、アメリカ大統領は広島・長崎の原爆資料館を見に来てください。
2、核兵器廃絶のための国際条約の締結をめざして、国際交渉を開始するイニシアチブを発揮してください。
3、2010年のNPT(核不拡散条約)再検討会議において、核保有国によって、核兵器廃絶への『明確な約束』を再確認してください。
4、米軍艦の博多港入港は福岡市の「平和都市宣言」に反するので、今後入港はしないでください。
5、米軍の板付基地を即時全面返還してください。
さて、平和行進は城南区に進んで行きました。
ここには七隈から40人で1時間かけて網の目行進で進んで来た人たちが合流しました。
城南区では吉沢区政推進部長が挨拶にたちました。今日の団長は被団協の役員で、団長挨拶として「国を相手の訴訟では18連勝している。被爆者の高齢化は進んでいる」、被爆者援護法の制定等にふれ訴えました。
次の早良区役所でも同様に網の目行進が合流しました。
平和行進は誰でも出来る、歩くという素朴な行動で平和を訴えています。北九州では盲目の二人が横断幕をもって歩きましたが、今日は車椅子の人が参加しました。
行進は早良から西区役所、JR周船寺と進みましたが、朝からの雨は時々止むことはあっても一日中降り続き、周船寺につくころはかなり激しくなっていました。帰りの車中ではさらに豪雨になってきました。
市街地に帰ってくるとあちらこちらで道路が潅水しており、夕食に行こうとしていた大濠公園近くのうどん屋さんは、雨水が玄関の敷居まで来ており、おまけにその店の構造はカウンターの人の足を置く部分は敷居より20センチほど低くなっており、危機的状況でした。
夕食時のテレビでは市内各地で時間雨量110ミリを超えていると放じていました。案の定アナウンスカーの駐車場に行く道路は潅水して通行止めになってしまいました。