10時、与謝野町加悦庁舎前に集まり、15人位で出発集会を行い、与謝野町野田川庁舎に向けて3km位の平和行進を行いました。
府内通し行進者の久永さんはパンフレットを配りながら沿道の人たちとふれ合い、会話の中で沢山の感動を貰っています。
私は先頭で米山さんに貰った小太鼓を叩くのですが、なかなか上手くできません。天気の良い日、人通りの少ない所で叩いて行き、広島に着くまでに、「法華の太鼓」になれば好いなと思ってます。
11時に野田川庁舎に到着。車で移動。11時半頃、与謝野町と京丹後市の境近くの平地地蔵公園で宮津与謝実行委員会から京丹後実行委員会への引継式を行う。
この公園には少し大きなお地蔵様が居ます。このお地蔵様は「この地方では最大の一揆、文政一揆で獄門にされた一揆の指導者の霊を祀る為に建てられたとも云われている」と、この地方の学校では教えられているそうです。窮民の為に立ち上がり惨殺された指導者は、常に後の世では伝説の英雄なのでしょう。
12時40分に実行委員会として20人位で京丹後市に申し入れを行いました。対応したのは副市長。物腰は柔らかいのですが、前進した回答は得られませんでした。
▲京丹後市へ申し入れを行う丹後労連石井議長(左)と丹後合唱連盟岩崎会長(中央)、受ける副市長(右)
13時から庁舎前で出発集会を行いました。副市長が市長メッセージを読む形で挨拶しましたが、TPOにマッチした内容で好感が持てました。
集会後、市役所周辺を25人位で行進し、今日の予定は終了しました。京丹後で私たち通し行進者を運ぶ運転手は教職員組合の素敵な女性書記長。以前は与謝の海養護に勤めていたとのこと。こんな素敵な活動家を育てるなんて、「与謝の海」はやはり素晴らしい職員集団ですね。