栖原秀夫日誌No.29

昨夜は西舞鶴繁華街を行進した後、私は溜まった洗濯と毎日の報告の為、失礼しましたが、府内通し行進者の久永さんと横須賀から私の激励に来た米山さんは映画「ニワトリはハダシだ」のロケ銭湯「吉原・日の出湯」に入って来たそうです。


漁港舞鶴の吉原にある「日の出湯」と言うと、名前だけで想像してしまいます。長い船旅で朝着いた漁師が遊郭に行く前に垢を流した銭湯に二人の女傑が入ったとは・・・。


今朝はまず、舞鶴実行委員会から宮津与謝実行委員会に引き継がれました。


宮津市役所では森総務室長から市長メッセージと賛助金を頂きました。宮津市職の小濃委員長から激励の挨拶を受けました。やはり京都です。自治労連が強い。蜷川府政の宝物、与謝の海養護で働いていた人たちが行進に沢山参加され、結婚前に妻に勧められ読んだ「みんなのねがい」を思い出し感激しました。障害児に関わった米山さんは取り分け感激してました。


与謝野町役場では、総務課長が町長のメッセージを読み上げ、賛助金をいただきました。


伊根町に向かう前に、碓氷峠越えの平和行進に参加する米山さんと別れました。


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▲与謝野町で別れる米山さんと私の笑顔


伊根町役場では副町長他5人の職員が出迎えてくれました。役場に隣接する「ホット館」、たぶんデイサービスもやっているのでしょう。粋な名称の素晴らしい建物です。副町長が町長に代わって挨拶し、賛助金を頂きました。


その後、日本共産党の町議が伊根町職労組のメッセージを代読したのにはびっくりしました。さらに労組の役員と思われる女性に町議が「○○くん」と呼ばれたのにびっくり。とどめを刺されたのは、町議定数10人のところに3人の日本共産党議員が居て、町政を支えていると語る若い町議の顔の輝きでした。「伊根は好イネ。また来たイネ」。


本日の行進はそれぞれの役所の前後2km位でした。移動は快適な借り上げバス。移動中は落ち着いて景色を堪能しました。京都の行進の特徴は、集会での主催者挨拶がキッチリして参加者の私語が少ないこと、参加者から自然にシュプレヒコールが湧き起こること、ともかく快適なことです。

2010年2月

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このページは、Maekawaが2009年7月 2日 20:38に書いたブログ記事です。

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