竹田昭彦日誌No.27

< アイスキャンデーで涼をとる >


江北町、大町町、武雄市の行進です。


行進が、大型自動車の通る国道から別れ、旧長崎街道に入ると、騒音や交通事故の危険性が減るので、ホッとします。そして、家から人が出てきて、手を振られたり、募金をされたりします。これが、平和行進の「原風景」だと、思ったりします。


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▲旧長崎街道で歓迎と募金をいただく=大町町

江北町行進のとき、婦人が車で追いかけてきて、飴3袋をいただきました。受け取った森悦子さんは、ニコニコしていました。彼女は、血糖値を毎日計っていますが、甘い物が好きなのです。


佐賀県内の通し行進をしている方に、秋山哲朗さんがおられます。唐津市在住で高校教諭OBです。26日の佐賀県出発の基山町には、豪雨で参加できませんでした。


27日の鳥栖市から参加しています。半袖か、長袖か、迷ったそうですが、半袖で決行し、真っ赤に日焼けしてしまいました。通し行進者は、総計5人です。


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▲通し行進者の記念撮影(右から)松浦、溝浦、森、秋山の皆さんと竹田


江北町役場訪問のとき、玄関にある「平和宣言の町」と書いた看板が新しくなったと聞きました。それも、看板の右肩に「核廃絶を願う」の文字が加えられてのことです。


町議歴35年の中山初代さん(所属共産党)に聞きますと、平和宣言をした24年前は「核廃絶」を入れることが否決されたが、今年の6月議会で、「核廃絶」を入れた看板に改めるよう、町長に質問通告をしたら、議事前に新しくしたそうです。私は、「オバマ効果」だと思いました。


佐賀市の6月議会でも、共産党市議団が提案した「非核日本宣言」を求める意見書が、全会一致で採択されています。


意見書は、『日本政府が「核兵器廃絶の提唱・促進」と「非核三原則の順守」をあらためて国連総会や国会など内外で宣言し、「非核日本宣言」を行い、各国政府に通知し、核兵器のない世界のために共同の努力を呼びかけるよう求める』、としています。


今日は、10数日ぶりに晴天が広がり、行進日和でした。休憩時に配られたアイスキャンデーを、皆さんが、おかわりして食べました。


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▲アイスキャンデーで涼をとる=JR佐世保線高橋駅構内


今日の行進距離は、参加者25人前後で16km歩きました。


沿道募金は、3000円いただきました。

2010年2月

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このブログ記事について

このページは、Maekawaが2009年7月30日 22:21に書いたブログ記事です。

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