昨夜の宿泊は海員会館で、コインランドリーで乾燥機を使っていたが、取り出しに行っても乾いてない、壊れていたのだ。改めて他の乾燥機を使っての待ち時間にロビーに居た4人の外国人と酒を飲みながらつたない英語で懇談した。
ミクロネシアから来た研修漁船員で明後日沖縄方面に出港し、次は焼津に向かうという。日本の漁業もこの人たちに支えられているのだ。リーフレットの地図で示しながら、平和運動で6月24日の宮崎から8月6日到着の長崎まで44日間かけて車と徒歩で行進していると言うと、一様に驚いていた。うちの一人はグリーンピースの平和運動はよく知っていると言っていた。
さて今日の出発は昨日終了の牧山の旭硝子工場前から。出発式で戸畑地区から八幡地区への引継ぎも行われ、戸畑の人6人も参加し見送ってくれた。
午前の到着施設前では北九州歌声の仲間が歌で出迎えてくれた。中央商店街などで宣伝署名活動を行ったが、日曜日は閉店の店が多いという。人通りも少ない。近くの各店舗になるべきダイエーグルメシティも閉店売り尽くしセールを行っていた。典型的な大型ショッピングセンターへの客の流れがあるようだ。
午後の八幡原水協島崎事務局長の出発あいさつで、「小倉原爆」の予定を狂わせた、八幡の8・8空襲のことが紹介され、その後の行進中も地理案内とともに、そこでの出来事が説明された。
標高30メートルの小伊藤山に市の洞窟のような防空壕があり,その中で300人の人々が犠牲になった。入り口は三方にあったのだが、崩れてふさがったり、近くの印刷工場のインクが貯蔵されていてそれが燃えてのガス中毒?窒息死?なのか遺体はきれいだったそうだ。空襲は朝の10時頃のことで、大西産業に学徒動員で来ていた花尾高等小学校の生徒が引率の先生とともに工場の防空壕で犠牲になった。このあたりまでが焼け野原だった等です。
黒崎駅に到着後、早くついたので予定を変更してまず陸橋の上で宣伝署名活動を行った。ここでの核兵器禁止署名活動(6・9行動)は1984年に始まり今年7月で930回を数える伝統的なものです。
そのときの署名は138筆、カンパ7984円だったそうです。
歓迎集会では八幡西区役所の区次長の挨拶と三役の署名入りのペナントが手渡された。
▲八幡西区役所三役の署名入りのペナント