松浦宜孝日誌No.18

昨夜は阿部さんのお家に泊めていただき、今朝近隣を案内していただきました。阿部さんの庭には長崎山王神社で被爆した楠木の二世が植えてありました。


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▲長崎で被爆した楠木二世


またその兄弟が回天神社にもあり、交流の深さが感じられます。


「回天」は第二次世界大戦時の特攻潜水艇です。


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帰りの燃料はなく、推進能力は敵艦より遅く、潜望鏡の性能は劣っていたため、体当たりも出来ず多くの命が海に沈んでいったのです。時には爆弾が重過ぎて、あるいはハッチを閉めるタイミングが遅くそのまま沈む回天もあったそうです。いかに無謀な戦争を行っていたのかこのことだけでもわかります。日地町はその訓練基地だったのです。回天神社周辺には当時の施設がいくつか保存されています。


今日の出発は豊後路の小京都と言われる杵築市からです。今日も4姉妹の次女と5歳の4女が親子連れで来ていました。熱心さに頭が下がります。


法務局前で出発式の後、北台武家屋敷、駕籠が許された御殿医の佐野家前、商人の町、小藩ながら譜代大名で許された日本一小さい天守閣の下を通り法務局に戻ってきました。


国東道の駅まで車移動の後、そこから国東市役所まで行進しました。国東市では今年初めて平和行進が行われました。


昼食の後、今日最後の行進地、昭和の風情漂う豊後高田市に向かいました。スーパーの駐車場から商店が昔の形態のまま営業している昭和の町並みを行進しました。


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▲豊後高田市の行進


観光客だけでなく地元の購買で商店街が成り立っているのでしょうが、先行きが心配でした。

2010年2月

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このブログ記事について

このページは、Maekawaが2009年7月11日 21:01に書いたブログ記事です。

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