< 行進を豪雨が急襲 無念の中止 >
宇部市、山陽小野田市の、市役所訪問と行進です。
午前、宇辺市役所での出発式には、2人の被爆者が紹介され、被爆体験談と歓迎の挨拶をいただきました。「核兵器と人類は共存できません」と、つよく話されました。
宇部市役所の職員の皆さんに見送られながら、今日の行進は「暑くなるな」、と覚悟して出発しました。
ところが、1kmくらいすると、急に風と暗雲が出てきて、アッ、と言う間もなく、豪雨が襲いビショ濡れです。
持っていた横断幕も、強風に押され、豪雨で目が開けられず、前が見えません。
お巡りさんも、どうしますか、と対応を即します。
直ぐには、雨宿りする、カッパを着る、逃げ場がありません。
公園がある場所まで頑張って歩き、豪雨が続くと見て、中止となりました。
「雨の日も、風の日も、平和行進」と豪語しても、無理に頑張らない、適切な判断だったと思います。
午後、山陽小野田市の行進では、全盲の大木千代子さん(69歳)と横断幕を持って歩きました。大木さんは、今回が28回目の参加だそうです。生まれた当時の栄養状態が悪く、その後、失明したそうです。
終戦(1945年)前後は食べ物が無く、私も姉弟の4人が、食べ物を奪い合っていました。姉と私が力尽くで先に取って食べるので、食べる物が無くなり、弟たちは泣いていました。
私が就職するとき、駅での別れぎわに、母は「皿をなめないよう」、言い聞かせました。食べ物の汁などが付いた皿を、私はなめて空腹をしのいでいたのです。
家では注意しなかった母が、世間に出て、はずかしめを受けないよう、注意したのです。
大木さんの話によると、この地域には、行進に38回参加した浅田さん(93歳)がおられると言います。
今は、歩けなくなって介護施設におり、施設の前を通ったときに、玄関で手を振られました。半世紀続いている行進の歴史は、素晴らしいです。
宇部の行進が中止したとき、年配のご婦人から封筒をいただきました。出発式のとき、私が話した遺児の悲惨さを聞かれ、私へのカンパでした。ありがとうございます。
今日の行進距離は、区間により参加者が35~45人で6km歩きました。